どれだけ、ヘビメタ騒音でこまっていても、きちがい兄貴が、無慈悲に鳴らし続けた。
これ、ほんとうに、きちがいなのである。きちがいでなければできないことを、毎日やっていた。
だから、影響をうける。
ところが、影響をうけるというとが、「よそ」の人にはわからないのだ。「よそ」の人の態度は、きちがい兄貴の態度と似ているのである。とくに、言霊主義者の態度は、きちがい兄貴の態度と似ている。
まあ、よその人が、ヘビメタ騒音を爆音で鳴らし続けたわけではないということは知っている。
そんなこと……よそのうちでやったら、よその人は、家族からせめられて、鳴らせない状態になる。けど、うちは、きちがい兄貴が、きちがい的な意地を通せば、通る家だった。きちがい親父がつくった家だからだ。
きちがい兄貴が、ヘビメタ騒音で、きちがい的な行為をする前に……きちがい親父が、ずっとずっとずっとずっと、ほかのことで、きちがい行為をしていたのだ。
親父のきちがい行為は、兄貴のように、ひとつのきちがい行為ではないのだ。その都度ちがう。
けど、「やめてくれ」と言われたときの態度がおなじなのだ。
「やめてくれ」と言われたときの態度が、兄貴と親父で待ったおなじなのだ。こんなのは、ない。普通の人が誤解をするのも、わかる。「そんな音で鳴っていたら、家族がやめさせようとする」と言ったやつがいただけど、その通りだ。
常識的に考えればその通りだ。
けど、ちがうのである。
ともかく、至近距離の、はげしいヘビメタ騒音で、休むことなく、連続的に、こころが破壊されているのだよ。思考力が破壊されているのだよ。
「よそ」の人は、騒音が鳴ってたって勉強ぐらいできるというのだけど、勉強なんて、まったくできない。きちがい家族の騒音のなかで、勉強をすると、覚えたことまで、わすれてしまうのだ。
考えて解く問題も、きちがい兄貴の騒音がない普通の状態なら、考えて、解くことができるのに、ヘビメタ騒音のなかでは、考えて解くことができない。頭がこんがらがってダメなのだ。
そして、きちがい兄貴の騒音が鳴っている場所……つまり、ここで……問題を解こうとしたけど、解けなかったということが、ヘビメタ騒音が鳴っていないところでも、影響をあたえるのである。なんだか、おぼつかない感じになる。
「やめろ」「やめろ」と言っているのに、やめてくれなかった。「勉強をするからやめろ」「明日、テストだからやめろ」とどれだけ言っても、やめてくれなかった。一秒もやめてくれなかった。
激しい音で鳴らしていた。よその家では鳴らすことができない音で、つねに、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で鳴らしていた。
こっちの気持ちを無視する力が強いのである。きちがいだからまったくわからない。こっちがどれだけこまっているか、きちがい兄貴は、わかっていないのである。
きちがい兄貴は、自分が一秒でも、ほんとうにやめさせられたら、発狂してしまう。そのときだって、こっちがこまっているということは、わかっていないんだよ。
だから、わかっていないまま、気楽に?やり続ける。思いっきり鳴らせるなら、気楽に、なにも気にしないで、鳴らし続けるとができる。
そりゃ、意地はあるけど、自分の音で、弟がこまっているということは、ほんとうにまったくわからないのだ。
そして、「よその人」だって、わかっていない。自分がやられたわけじゃないかわかっていない。
俺がどれだけこまっているか、無視するのは、きちがい兄貴と、よその人でおなじだ。