2025年7月22日火曜日

●能力の問題ではなくて、性格の問題になってしまう■努力※2025/07/22 9:10

「努力をすれば成功する」という文も、カルマ理論のように、使われるのである。「努力をすれば成功する」という文があるために、能力で劣っていると、性格まで劣っているように言われるのである。

たとえば、ある能力において劣っている人がいるとする。それは、その能力において劣っているだけで、性格には関係がないし、人間の価値とも関係がないのである。

ところが、努力をすれば成功するという文があると、努力をしないからダメなんだということになってしまうのである。ようするに、その点において能力で劣っているのは、その点において、努力をしないからダメなんだということになってしまうのである。

その点において劣っているのは、いいことでも、悪いことでもないとする。

しかし、その点において、能力が平均以上になるように、努力をしないからダメなんだと決めつけられてしまう。

ようするに、その点において能力で劣っているということは、善でも悪でもないのだけど、努力をしないという悪い性質をもっているということにされてしまうのだ。

努力をすれば、成功するのだから、能力を高める努力をすれば、能力を高めることに成功するはずなのである。つまり、能力は高くなるはずなのである。

けど、低いままでいる。高くない。

だったら、能力を高めるための努力をしないでさぼってるということになってしまうのである。努力をすれば、その点における能力を高めることができるのだから、能力が低いままなのは、当然するべき努力をしていないということになってしまうのである。

だから、ただ単に、その点において能力がないということが、悪いことになってしまうのである。

なんでなら、努力をしてないからだ。

努力をしないのは悪いことなのだ。

だから、悪い性質をもっているということになってしまう。

努力をしないような悪い性格だから、能力が低いままなのだということになってしまうのである。ようするに、性格の問題になってしまうのである。

ただ単に、その点において能力が(人よりも)劣っているだけなのに、性格が悪いから、劣っているのだということになってしまう。

その点において能力が(人よりも)劣っているだけなのに、努力をしないという悪い性質をもっているということになってしまうのだ。ここにおいて、能力の問題が、性格の問題に書き換えられてしまうのである。

たとえば、計算能力が人よりも低い人がいるとする。これは、能力の問題なのだ。そして、計算機を使えば、おぎなうことができることだ。性格は関係がないのである。

ところが、「努力をすれば成功する」ということになっていると、計算能力をあげるように努力をすれば、計算能力はあげられるということになってしまう。計算能力が劣っているのに、計算能力をあげようと努力しないからダメなんだということになってしまうのである。

計算能力をあげるように努力すれば、だれもが、計算能力をあげることに成功する(はずである)という前提が横たわっている。しかし、このような前提は、ないことになっているのである。

そして、計算能力をあげるように努力すれば、だれもが、計算能力をあげられるのに、特定のあの人は、努力しないから、計算能力があがらないということになってしまうのだ。

だから、能力の問題ではなくて、性格の問題になってしまう。

努力しようとしない性格が問題なんだということになってしまう。努力をしないような性格は、悪い性格なのだ。これも、暗黙の前提として成り立っている。

だから、「努力をすれば成功する」というような文が正しい文だ思われていると、能力の問題が、性格の問題になってしまうのである。

能力の問題は、じつは、善悪を含まない問題なのだけど、性格の問題になってしまうと、善悪を含む問題になるのである。

だから、能力がない人は、悪い性格だということになってしまうのである。あるいは、悪い性質をもった人だということになってしまうのである。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。