ヒエラルキーが成り立っているとする。階層が成り立っているとする。階層が高いほうが条件がよく、階層が低いほうが条件が悪いとする。
その場合、階層が低い人たちは、悪い条件によって悪いことが発生しやすいのである。時間の経過とともに、それが改善されるかというと改善されないのである。
時間の経過とともに、悪い条件の結果が出てしまうのである。悪い条件の結果が、堆積ししまうのである。時間とともに、悪い条件によって、悪い出来事が、たくさん発生してしまうのである。
きちがい的な親のもとに生まれた子どもは、不幸な出来事を体験することになっているのである。それは、きちがい的な親のもとに生まれた子どもが悪いわけではないのだ。
ところが、実際に不幸な出来事が発生すれば、「カルマ論者」「言霊主義者」「思霊主義者」「引き寄せ主義者」「努力論者」が、きちがい的な親のもとに生まれた子どもの「性格が悪い」から、そういうことが起こったと言い始めるのだ。
きめつける。
だって、そうだろ。
たとえば、ネガティブな発言をするから、ネガティブなことが「実際に発生した」と時間をさかのぼって考えてしまうようなやつばかりなんだぞ。
そして、努力論においても、「理由の言い換え」が発生するということを、説明した。
けっきょく、虐待されたほうの性格が悪いので、虐待されたのだということになってしまう。こいつらが導き出す結論というのは、つねに、やられたほうを追いつめる結論なのだ。
やられたほうの「性格」のせいにしてしまう。
やられたほうが……時間をさかのぼって……ネガティブなことを思ったり、ネガティブなことを言ったりしたから、実際に、ネガティブなことが起こったということになる。
そうなると、ネガティブなことを思う性格が悪いということになってしまうのである。
ネガティブなことを言う性格が悪いということになってしまうのである。
因果を逆転させて、妄想的な思考をして、「人のせい」にしてしまう。
いつでも「やられた人のせい」にしてしまう。
これが、悪魔に、心地よく支配された人たちが、やることだ。
これ、悪魔が言っていることを真に受けて、心地よく信じて、けっきょく、悪魔に協力をしているのである。
彼らは、悪魔の側に立っている。彼らは、神の側に立っていない。
どれだけ、道徳的なことを言っても、神の側に立っていない。