2025年7月26日土曜日

●言霊主義者とうまくいかなくなることが……き・ま・っ・て・い・る・のだ■騒音※2025/07/26 8:09

 ここ最近書いていることなのだけど、ヘビメタ騒音にやられると、言霊主義者とうまくいかなくなることが……き・ま・っ・て・い・る・のだ。

もともと、きちがい兄貴が、きちがいだから、抵抗なく、自分の感覚を無意識のレベルでかえてしまう。きちがい兄貴の聴覚が異常だったわけじゃない。

もっとも、きちがいヘビメタの音量があまりにも出かかったので、きちがい兄貴の聴覚が正常ではなくなるのだけど、それは、さんざん聞いた後の話だ。鳴らしていた多くの時間、きちがい兄貴の聴覚は正常だった。

けど、耳が悪くなるような音をフォークギターぐらいの普通の音だと思っていた。これが、感覚器の書き換えだ。

きちがい兄貴の感覚が異常なので、きちがい兄貴みたいなことをやる人がほとんど、いないのだ。いないのだから、きちがい兄貴みたいなことをやる人が、家族のなかにいる人も、ほとんど、いない。だから、その点で、ぼくは、まったく理解されないのだ。

そして、これが肝心なことなのだけど、言霊主義者は、自分のこととして、きちがい家族による騒音を経験していない。

だから、言霊主義者にとって、ぼくの言っていることは、経験の範囲内にないことなのだ。実際に、きちがい家族によるきちがい騒音生活が続いたわけではないのだ。言霊主義者を含めて、一般人は、きちがい家族によるきちがい騒音生活を、経験したことがない。

さらに、言霊主義者は、理論的にまちがったことを言っているのだけど、自分が、理論的まちがったことを言っているという認識がない。

まったく、ない。

自分は正しいことを言っていると思っている。

だから、善意で、妄想理論をふりまわすことになる。善意で、決めつけてしまう。

そして、自分が理論的に正しいことを言っていると思っているので、理論的に正しくないことを言っているということを、指摘されると、感情的になっておこる。これは、人間の反応として当然だ。

だから、この点でも、悪意があるわけではないということが、はっきりしている。

しかし、実際に、きちがい家族によるきちがい騒音を経験させられた、ぼくとしては、自分の身の上に起こったことについて、言霊的な解釈をされると、不愉快なのである。不愉快なんだよ。とてつもなく、不愉快なんだよ。

*     *     *

言霊主義者が「言ったことが現実化する」とか「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」という文を言わない場合においても、「言ったことが現実化する」とか「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」ということが、前提になっている言葉を言う場合がある。

たとえば、「できると言えばできる」とか「できないと言うからできない」とかということだ。背後に、「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」という前提が成り立っているのだ。「元気だと言えば元気になる」とか「つらいと言うからつらくなる」とかということも、背後に「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」という前提が成り立っている。

だから、言霊主義者が、「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」ということを言わなかったとしても、「できると言えばできる」とか「できないと言うからできない」とか「元気だと言えば元気になる」とか「つらいと言うからつらくなる」とかと言うだけで、その言霊主義者が「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考えているということがわかるのである。

しかし、言霊主義者だって、物理的にあたりまえのことに関しては、物理的にあたりまえだと思うのである。一〇円玉が、下方向に向かって落ちる……そんなのはあたりまえだと思うわけ。

あたりまえだと思っているのだけど、これには、言霊的な思考がかかわっていないことなのである。

しかも、言霊的な思考がかかわっていないということについて、当の言霊主義者は無頓着なのである。

ようするに、まったく認識していない。

一〇円玉が下方向に向かって落ちるのはあたりまえだと、言霊主義者は、思っているのである。いちいち、「一〇円玉が下方向に向かって落ちると、自分が言ったから、一〇円玉が下方向に向かって落ちる」と考えているわけではないのだ。

言霊主義者だって、いちいち、考えていない。

あたりまえだと思うことについては、特に、言霊主義的な思考を必要としないのである。

これは、じつは、特筆すべきことなのだ。あたりまえすぎて、だれも気がつかないけど、特筆すべきことだ。

ちょっとだけ言っておくと、「落ちる」と書くべきではなく「移動する」と書くべきなのだ。

けど、日本語として、「落ちる」と書いたほうが、意味がよく通るので、「落ちる」と書いた。「落ちる」には、もともと、下方向に移動するという意味がある。

だから、「一〇円玉が下方向に向かって落ちる」というのは、ある意味、二重表現になっている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。