引き寄せを含めて、精神世界のニセ法則の場合、「道徳であること」がサブチャンネルとして求められるのである。あるいは、サブルーチンと言ってもいい。ともかく、基礎として「道徳的であること」が求められる。これも、いいことであるかのように見える。
ところが、実際に悪いことを経験している人は、「道徳的ではない」というイメージがこびりつくようになっているのである。信者の脳みそに、こびりつくようになっているのである。
精神世界の人たちが、実際に、くるしんでいる人を、格下の存在として見るということは、ずっとまえから、(ぼくは)気づいていた。
実際に、くるしい思いをしている人たちは「格下」の存在なのである。「じゅうぶんではない存在」なのである。「かけている存在」なのである。
この、道徳的であれというサブルーチンは、実際には、道徳的である人を、道徳的ではない人だとみなす(あるいは、みなさせる)役割をもっている。
そりゃ、ひどい目にあっている人のなかには、道徳的ではない人たちがいる。しかし、ひどい目にあっている人のなかにも、道徳的である人がいるのだ。その人たちは、すでに、道徳的なのである。ところが、精神世界のサブルーチンが、勝手に、道徳的ではないと決めつける回路を、各種信者のなかにうめこんでいる。