「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」とする。
その場合、言ったあと、たまたま、言霊以外の力によって、「言ったこと」が起こったら、「言霊理論は正しい」ということになる。
もちろん、誤解なのだけど、そう思うわけだ。ようするに、「明日、雨が降る」と言って、雨が降った場合は、言霊主義者は「言霊理論は正しい」と誤解することになる。言霊という考え方が正しいということに、自信を深めることになる。
もちろん、間違った自信なのだけど、かなりの高確率で、そうなる。
言ったあと、たまたま、言霊以外の力によって、「言ったこと」が起こらなかったら、言い方が悪いということになる。言い方をよくするには、こうすればいいということを、言い出す。
たとえば、「言い方をよくするには、こころをこめて言えばいいのである」というようなことを言い出す。これも、サブルーチンだ。
ようするに、「こころをこめて言わなかったから、ダメなんだ」ということになるのである。しかし、 「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」のだから、言ったのに、現実化しなかった時点で、 「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という考え方が間違いだというのが、わかる。
けど、それは、言霊主義者には、関係がないことなのである。言えば言っただけで、言ったことが現実化するという内容は、言霊主義者が信じたい内容なのである。
だから、信じたまま「言い方が悪かったから、現実しかなかった」と「非・合理的な思考」をしてしまう。「言い方」のほかに「心がけ」を問題にする場合がある。
というか、ほとんどの場合、「心がけ」は問題になる。
「道徳的であれというサブルーチン」について解説したけど、これも、「心がけ」の問題だ。心がけをよくすれば……願いがかなうのである。
ようする、言っただけで、言った内容(願望)が現実化されるようになるのである。
だから、「言うことで現実化させるという問題」が「心がけ」の問題に、すり替わることになる。
「心がけ」をよくするには、たとえば、人に親切にすればいいとか、人に感謝するようにすればいいとか、掃除をすればいいとか、不平不満を言わないようにするとか、人のせいにしないようにするとかということが、選ばれる。
これも、選ばれるようなことが選ばれているのである。
だから、この点で、非常に道徳的な感じがするのだけど、ぼくが、このブログに長々と書いた問題が発生することになる。
たいていの場合、運用の問題が発生する。
言霊主義者が、ブラック社長の味方になり、名前だけ店長に「無理なことを」押し付けようとするというのも、「運用の問題」のひとつだ。