2025年8月29日金曜日

●ぬけたところに、言霊思考が、しみ込んでしまう■言霊※2025/08/29 14:55

  言霊主義者というのは、相手のことを考えるのが苦手な人たちなのである。考えているようで、考えていない。相手の状態は、ガン無視だ。相手と自分の立場を入れ替えて、自分だったらどうだろうということを考えるのが苦手なのだ。そして、考えても、ものすごく表面的なものにしか注意が向かないのである。だから、ものすごく表面的なものを割り切って考えて、言霊思考に陥ってしまう。自分の場合は、一倍速で経験しているので、眠気でも、つかれでも、喉の渇きでも、なんでも、よくわかるのだ。たいていの場合、自分のことであれば、言霊的な思考をせずに、現実的な思考をしてしまう。そして、言霊を無視して、現実を優先したということに、気がつかない。言霊主義者が、自分が一倍速で経験できることについて、言霊思考で考える場合は、夢、希望などがあり、言霊的な妄想が、自分にとって都合がよいときなのだ。たぶんだけど、時間的な余裕もある。夢がかなう、希望がかなうということを、夢想しているわけだから、本人にとって都合がいいことになる。そして、夢や希望についても、本人のなかでは、ちゃんと文脈があることなのだ。夢をもつにいたったプロセスは「自分」が一倍速で経験したことなのである。そういう意味で「ぬけ」がない。ところが、他人のことになると「ぬけ」だらけになる。ぬけたところに、言霊思考が、しみ込んでしまう。そうなると、相手の状態を無視することになる。相手が言っていることを、言霊主義者本人は、よく理解したつもりなのだけど、本当は、相手の状態を無視しているのである。相手が言っている「つかれ」は、単なる「つかれ」で、言霊主義者には実感がないつかれなので、「ようは、つかれたんだろ」「どんなにつかれていても、元気だ元気だと言えば元気になる」といったようなタイプの反応をしてしまう。相手の内部環境や、相手の外部環境が、レアなものであったとしても、上記のような反応をしてしまうので、問題がしょうじる。相手の環境が特に悪い場合は、言霊主義者が考える相手の環境と、相手が実際にかかえている環境のあいだに、差がしょうじるので、相手の環境が特に悪い場合は、言霊主義者は、相手に対して、むりなことを言うようになる。言霊主義者は「むりなことをいっている」という自覚はない。感覚もない。

 

●なんで、気がつかないの?■言霊※2025/08/29 1:27

 言霊主義者というのは、「名前だけ店長を自殺に追い込んだブラック社長」や「若い女性従業員を自殺に追い込んだ上司」が言霊主義者だということに、気がつかないのかな?

たぶん、気がつかないのだろうけど、こういうところも、いやなんだよな。鈍感さがある。鈍感なところがあるんだよなぁ。なんで、気がつかないの?

「名前だけ店長を自殺に追い込んだブラック社長」が言っていることと、言霊主義者が言っていることは、おなじことなんだよ。 「若い女性従業員を自殺に追い込んだ上司」が言っていることと、言霊主義者が言っていることはおなじことなんだよ。

なんで、気がつかないの?

 

●気分次第なのだ■言霊※2025/08/28 20:12

  パチンコが大好きな言霊主義者がいたとする。「パチンコで勝つ」と言って、家を出た。けど、実際には、負けた。この場合、言霊主義者は、「言ったことが現実化しなかった」ということについて、考えない。けど、負けたということはわかるのである。「パチンコで勝つ」と言ったのに「パチンコで負けた」という認識はあるのである。しかし、この認識があるときも「言ったことが現実化する」と思ったままなのである。どうしてこのようなことが可能かというと、「言ったことが、現実化する場合だってある」という意味を込めて「言ったことが現実化する」と言う場合と、「すべての言ったことが、かならず現実化する」という意味を込めて「言ったことが現実化する」と言う場合があるからだ。ようするに、「言ったことが現実化する」というひとつの文に、まったくちがった意味を込めて、使い分けているのである。ただし、自分が使い分けているという自覚がまったくないのである。負けた途端に「言ったことが、現実化する場合だってある」という意味になってしまうのである。負けた途端に「言ったことが現実化する」という文は「言ったことが、現実化する場合だってある」という意味になってしまうのである。そして、次の日起きて、「昨日は負けたけど、今日は絶対に勝つ」「勝つと言えば勝つ」「言ったことが現実化する」「これは、絶対の法則だ」と言っているときは、「すべての言ったことが、かならず現実化する」という意味「言ったことが現実化する」と言っているのである。「言ったことが現実化する」という文の意味が、いれかわっている。そして、いれかわかっていることに、本人が、気がつかない。まったくの無自覚。無意識的に使い分けている。使い分けているという意識がまったくない。だから、気分次第で、その都度、おなじ文で言っていることの意味がちがうというとになる。

自分が実際に体験している場合でも、「そのつど」ちがう意味を込めて「言ったことが現実化する」と言っている場合もある。気分次第なのだ。

2025年8月28日木曜日

●自分の現実的な出来事にあわせて、無意識的に使い分けている■言霊※2025/08/28 18:53

  言霊主義者は、自分がほんとうに、つかれているときは、「つかれたから休もう」と思うのである。ところが、ひとごとだと「つかれたというから、つかれる」「つかれないと言えば、つかれない」「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってしまうのである。自分が、一倍速で体験した、つかれる理由は、自分にとって明らかだから、無視できないのである。つかれる仕事を、十八時間続けてきたので、つかれたということが、わかるのである。「つかれる仕事を、十八時間続けたきたという出来事」が現在のつかれに影響をあたえているということがわかるのである。「元気だ元気だ」と言っても、無駄だから、眠ろうと思うのである。自分のことである場合は、つかれる理由も、つかれたという主観的な感覚も、明らかなことなんだよ。けど、他人のことだと、それがわからない。つかれる理由を無視すれば、無視できる。つかれたという(相手の)主観を無視すれば、無視できる。だから、無視してしまう。自分ことである場合は、「無視できない理由」なんだよ。自分のことである場合は「無視できない体感」なんだよ。しかも、自分が、相手の状態を無視しているということがわかっていないのである。自分が、めちゃくちゃにつかれている状態ではないときに、「元気だ元気だ」と言ったら、言うまえよりも元気になったような気がするということを経験したとする。そうすると、「言ったことが、言霊によって、現実化する」という文は正しいと思ってしまうのである。ところが、この文は正しくない。そして、言霊主義者は「言ったことが、言霊ではない別の理由によって、現実化する場合だってある」という文の意味と「言ったことが、言霊によって、現実化する」という文の意味のちがいが、まったくわかっていないのである。おなじだと思っている。意味的に等価だと思っている。何度も言うけど、「言えば、言ったことが現実化する」という文と、「すべての言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という文は、意味的に等価なんだよ。ところが、言霊主義者は、「言えば言ったことが現実化する」という文と「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という文が、意味的に等価だと思っている。言霊主義者は、「言えば、言ったことが現実化する」というひとつの文に、「すべての言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という意味と、「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という意味をもたせて使っているのである。そして、「すべての言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という文と「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という文は、意味的に、等価ではないのである。等価であるときもあるなんてことはなくて、いつもかならず、等価ではないのである。だから、言霊主義者は、自分のなかで、「すべての言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という意味をもつ「言えば、言ったことが現実化する」という文と「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という意味をもつ「言えば、言ったことが現実化する」という文を使い分けていることになる。ところが、無意識的に使い分けているわけで、意識的に使い分けているわけではないのである。両者の意味のちがいを理解して、意識的に使い分けているわけではないのである。自分の体調や、自分の現実的な出来事にあわせて、無意識的に使い分けているのである。言霊主義者が、言霊理論が正しいと思った出来事があったとする。たとえば、「明日は雨がふる」と言ったら、「雨がふった」というような場合について考えてみよう。自分が「明日は雨がふる」と言ったら、実際に、雨がふった。だから、「言えば、言ったことが現実化する」と思ってしまう。例から、言えることは、「言えば、言霊とは別の理由で、言ったことが現実化する場合だってあるなということなのだ。「言えば、言ったことが現実化する場合だってある」という意味で「言えば、言ったことが現実化する」と言っているのだ。ところが、普遍化して理解しているときは「すべての言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という意味で「言えば、言ったことが現実化する」と言っているのだ。例から、普遍的な法則を導き出そうとしているのだけど、じつは、普遍的な法則を導き出しているわけではない。もう、この時点で、考え違いをしている。もう、この時点で、失敗しているのだ。本人は、例から、普遍的な法則を導き出したつもりでいるのだけど、もう、この時点で、考え違いをしている。まちがい。たんなるまちがいなんだよ。

*     *     *

正しいと確信している内容が、最初から、まちがっているのである。こいつらが、正しいと確信している内容が、最初から、まちがっている。こいつらが例について語る場合は、「言えば、言ったことが現実化する場合だってある」という意味で「言えば、言ったことが現実化する」と言っているのだ。「明日は、雨になる」と言ったら実際に、雨になった。だから、「言えば、言ったことが現実化する」という文は正しいということになる……と思っているのだ。もちろん「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」という文がもつ意味と「言えば、言ったことが、言霊の力以外の力によって現実化する」という文がもつ意味は、ちがう。ここらへんも、あいまいなんだよな。つまり、あいまいだから、無意識的に、使い分けることができる。

 

●きちがい兄貴が、知らんぷりでやりきるのである■騒音※2025/08/28 9:04

  ほんとうに、ネズミが家に入ってきてから、捕まえる方法じゃ、ネズミがはいってくるわけだから、ネズミの糞が増えて、ネズミのダニが家の中に残ることになるから、だめだと何回も言っているのに、きちがい親父が、「俺が捕まえるからいいよ」「俺が捕まえるからいいよ」「俺が捕まえるからいいよ」と発狂して言って、ネズミ対策工事をさせてくれないのである。けっきょく、きちがい親父が入院しているあいだに、ネズミが巣をつくってしまったのである。壁のなかに巣をつくってしまった。入院する前から、巣をつくっていたんじゃないかな。

手の甲のシミは、ダニなのである。きちがい親父が家にネズミを入れなかったら、こんなことになっていないのである。ダニと言っても、いろいろな種類がいる。普通は、家の中にいないはずのダニがはいってしまったのである。

きちがい親父が、魚を二十三時間、テーブルの上に出しっぱなしにするという、きちがい的なことをやりはじめて、これも、どれだけ言っても、やめてくれなかった。きちがい親父がやめたのは、ネズミがはいってきて、テーブルの上に出しっぱなしにした魚を(ほんとうにきれいに)食べてしまうようになってからだ。自分の魚が食べられると、やっと、ネズミが出たということを認めて、親父が、魚を出しっぱなしにしないようになった。兄貴の騒音も、親父の魚に対する態度も、親父のネズミに対する態度も、みんな同じなんだよ。

きちがい親父がネズミを入れる原因を作ったのに知らんぷりだ。知らんぷりというか、そういう認識がないのである。きちがい兄貴が、俺に迷惑をかけたということに関しても、親父のように、認識がないのである。どれだけ、「学校でこまるからやめろ」「宿題をするからやめろ」と言っても、きちがい親父並みの認識で、きちがい兄貴が、知らんぷりでやりきるのである。 

2025年8月27日水曜日

●関係がないわけないだろ■騒音※2025/08/27 21:16

 ほんとうに、みんな、わかってないのだけど、あの音のでかさで、この世で一番嫌いな音を聞かされ続けるということは、くるしいことだ。あの中にいて、影響をうけないようにすることはできない。「影響をうけないようにすることができない」ということがわからない……ということは、理解していないということを意味しているのである。本人のからだで、経験したことがないということを意味しているのである。たとえ、平日、約七時間でも、時間が長いのである。長すぎる。休日約十三時間でも、時間が長いのである。ずっと、あの騒音のなかにいるということがくるしいのである。トイレに入っても、風呂場に行っても、ずっとずっと、あの騒音のなかにいるということが、くるしいのである。あのくるしさが、わかってないやつに、わかったようなことを言われるということが、そもそも、くやしいことだ。「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だってくるしい」「俺だって、朝起きるのはつらい」……というやつらは、まったくなにもわかっていない。そして、経験したことがちがいすぎるのである。わかっていたら、そんなことは、クチが裂けても言わない。言えない。言えない状態になる。言ってしまうのだから、わかっていない。経験していない。……経験したことがないということを、意味している。そんな発現、できるわけがないだろ。ぜんぜんちがうレベルの騒音、ぜんぜんちがうレベルのつらさなんだよ。こいつら、ほんとうに、自分がやられたことがないから、わからないだけなんだよな。そして、えらそうだ。自分がほんとうに、同レベルのことを経験したと思ってるから、たちが悪い。長い。一日のなかでも、長すぎる。影響をうけないわけがないだろ。どれだけ影響をうけるか、わかっていないから、「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だってくるしい」「俺だって、朝起きるのはつらい」って言うんだよ。「鳴り終わったら関係がない」「そんなのは、関係がない」と言うんだよ。「なにが、ヘビメタ騒音だ」と言うんだよ。おまえらは、ゆるさない。ぜんぜん、わかっていない。ぜんぜんわかっていないので、「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だってくるしい」「俺だって、朝起きるのはつらい」と言う。ぜんぜん、ちがうことについて言っているんだぞ。ほんとうに、うちのきちがい兄貴が、かわったきちがい兄貴ではなくて、あんなことを、やりはじめなければ、こんなことを言われることはなかったのだ。みんな、みんな、こういうことを言う。「そんなのは関係がない」と言うのだ。実際にやられたことがなく、実査の影響のでかさがわからないから「そんなのは関係がない」と言うのだ。関係がないわけないだろ。言ってはいけないことかもしれないけど、ぶんなぐって、ぶんなぐって、ぶんなぐってやりたい。

ぼくが生きてきた感想を言ってしまうと、ほんとうに、すべてに、たたってきた。きちがい兄貴のヘビメタ騒音が、すべてに、たたってきた。やられていないやつから、「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だってくるしい」「俺だって、朝起きるのはつらい」と言われることだって、きちがい兄貴が(ほかの人がやらないような音のでかさで)ほかの人がやらないような時間の長さ、鳴らしたから、発生したことなんだよ。うちのきちがい兄貴が、こだわってこだわってこだわって、こだわりのきちがいヘビメタを、こだわりのでかい音で鳴らさなかったら、こんなことになっていない。全部なんだよ。鳴りはじめてから、起こったこと、すべてに影響をあたえている。影響の範囲をガン無視だ。きちがい兄貴も、どれだけ言っても、影響の範囲をガン無視して鳴らし続けたわけだけど、ほかのぼんくら野郎どもも、影響の範囲をガン無視して、頭がおかしいことを言う。実際にやられたら、そんなことはできないということを言う。やられてないので、できることなのだ。けど、実際にやられたら、できない。実際に毎日、やられたらできない。どんどん、つもっていって、どうしてもできなくなる。はりつめた状態なんだよ。なにをするのも、はりつめた状態なんだよ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音が鳴っていない、学校にいるさいちゅうだって、はりつめた状態なんだよ。機能のヘビメタ騒音で、どうしても、はりつめた状態で、学校にいることになる。鳴り終わったのだから、関係がないなんて、やられていないから言えることなんだよ。やられていたら……おなじことをやられていたら、体でわかっているから、そんなことは、言えなくなるんだよ。わかっているから、言えなくなる。自分のからだで経験すれば、わかることなんだよ。自分のからだで経験していないことだから、軽く見て、「鳴り終わったのだから関係がない」と言っているだけだ。ほんとうに、頭にくる。ぶんなぐって、やりたい。だいたい、昨日のヘビメタ騒音だけではなくて、ずっとずっと、続いているヘビメタ騒音の影響をうけている。ストレス対抗期間をすぎて、ずっと鳴っているわけだから、身体や精神に、深刻な影響が出る。それが、経験的にわかっていないのだから、わかっていないのだよ。わかってない。 

●これ、一生、続いているんだぜ■騒音※2025/08/27 18:23

 理想は、理想。まあ、ぼくがほんとうにこまっている問題というのは、ほかの人には、わかりにくい問題なんだよなぁ。わかるわけがない。体験があまりにも特殊すぎる。体験から出てくる悩みなので、ほかの人にはわからない。そして、たとえば、理想の生活をするとなると、まずそこが、ネックになるのだ。けっきょく、決まった時間に起きて活動するということが決まっていると、それだけで、自殺したくなるので、いろいろと問題がある。今朝も、じつは、「例の雰囲気」がおそってきた。「例のつかれ」がおそってきた。ほかの人に、わかるわけがない。ヘビメタ騒音でしょうじた雰囲気だからだ。ヘビメタ騒音でしょうじたつかれだからだ。経験がないけど、推論で、わかってくれる人は、たしょうはいる。けど、その人たちの問題ではない。その人たちは、きちがい家族が、小学六年生のときから二五歳になるまで、きちがい的な音で、ヘビメタを鳴らしていたわけではない。ヘビメタは、ぼくにとって、一番きらいな音がつまっている音楽だ。ヘビメタが好きな人にはわからないことだ。その人たちだって、きらいな音はあるだろう。そのきらいな音が、あの至近距離で、あの時間の長さ、あの音のでかさで鳴っていたら、どうなるか? やっぱり、ぼくとおなじような効果があらわれると思う。心身ともに、ひどいことになると思う。これ、一生、続いているんだぜ。

やっぱり、「そんなのは関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「そんなの、鳴り終わったら関係がない」と言ったやつらを、ぶんなぐって、やりたいな。ぶんなぐってやりたい。どれだけ影響が出るか、こいつらは、まったくわかっていない。わかっていないということもわかっていない。本人は、わかっているつもりなのだ。「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だって苦労した」とみんな、言う。けど、そいつらは、普通に暮らせるだけの、体を維持している。普通に通勤通学できる身体を保持している。ぜんぜんちがうんだよ。ぜんぜんちがうから、保持しているだけだ。昨日も書いたけど、こいつらは、簡単に考えすぎる。ヘビメタ騒音の効果を、小さく見積もりすぎている。「そんなんじゃないんだ」ということを、どれだけ言っても、認めない。影響のでかさがわかってない。「ヘビメタ」という言葉も問題だ。深刻な感じがしないのだ。きちがい的な意地で、きちがい感覚で鳴らしてしまう、きちがい家族が、すぐ横の部屋で鳴らしていたら、どれだけこまるかわかっていない。こいつらだって、一番、苦手な音が、あのでかさで、あの至近距離で鳴っていたら、生活がめちゃくちゃになって、

睡眠時間の問題だって、こいつらは、俺とおなじレベルでは、経験していない。けど、「俺だって朝はつらい」と言いやがる。こいつらには、きちがい的な家族がいない。きちがい的な家族が、きちがい的な感覚で、毎日しつこく、すべての時間を使って、この世で自分が一番、きらいな音を鳴らしているわけではない。 

きちがい兄貴の感覚というのは、おかしいんだよ。そんなにいるわけがない。そして、きちがい兄貴が、意地を通そうとしたら、通せた環境というのも、レア中のレアなのだ。こんな、普通はないのだ。きちがい親父はきちがい親父だし、おかあさんは、きちがい親父とはまったくちがった意味で、普通の人ではないのだ。両方とも、普通の人からは、ずれまくっている。そして、近所の人も、うちから離れていたという点もあるのだけど、でかい幼稚園の横で、騒音耐性が強すぎるのである。でかい家が多いので、庭に余裕がある。そして、一番近い、東側の家は、当時空き地だった。これ、東側に引っ越してきた人たちにとってみれば、俺と、きちがい兄貴が、仲間に見えるのだ。「こっちには、うるさいと文句を言ってきたのに、あれがうるさくないのか」というような意見を、たぶんかかえていたんじゃないかな。これ、ありがちなんだよ。 

ともかく、きちがい兄貴が意地を通せる環境だったんだよな。近所の人が……近所といっても、ちょっと離れているのだけど、ドラムに夢中になった子どもがいた人がいたんだけど、うちに、「どうやって、しずかにさせたのか」ということを聞きにきたんだよね。しずかにさせてないからぁ。きちがい兄貴が引っ越したから、しずかになっただけだ。 

●「このくらいならだいじょうぶだ」■言霊※2025/08/26 22:42

言霊主義者で、思霊主義者で、過去否定論者である、Aさんが、ジムに行って、開脚のための器具をいじっていたとしよう。

開脚のための器具で、左右の足を固定して、ハンドルを回すと自助に、足の角度が広くなっていくというものだ。ハンドルを回しすぎて、股間がいたくなったとする。

その場合、言霊主義者なのに、「股間がなおる」と言って、股間のズレをなおそうとしないのである。股間がいたくなったとしよう。「股間はいたくない」と言って、股間のいたみをけそうとしないのである。

「自然に、なおるのをまつしかない」などと言うのである。

しかも、股間がいたくなる前に、「股間がいたくなる」と言っていないことに気がつかないのである。

言えば言ったことが現実化するので、股間がいたくなる前に、股間がいたくなると言っておかなければならないのだ。けっきょく、言うことで、なおすこともできない。

しかし、「言うことでなおすことはできない」ということを、認めないのである。

人には、「いたいと言うから、いたくなる」「いたくないと言えば、いたくなくなる」などと自信をもって言ってしまうのに、自分のことだと「むりそうだ」と思って、言いもしないのである。

「なおると言えば、なおる」と人には言うけど、本人は、病院に行ったり、自然になおるのをまったりする。

「一秒以内に、なおる」と言えば、一秒以内になおるのである。もし、なおらなければ、言霊理論がまちがっているということになるのである。

ところが、「一秒以内になおる」と言って、なおすことが、できないにもかかわらず、人には「なおると言えばなおる」「言霊は絶対だ」など言ってしまうのである。

こんなやつ、ばかりだ。

ハンドルを回すとき、「このくらいならだいじょうぶだ」と思っていたのである。思ったことが現実化するなら、だいじょうぶであったはずなのだ。

ところが、思霊理論がまちがっているので、物理的な力が加わって、股間がいたくなったのである。

「だいじょうぶだ」と思っていたのに、股間がいたくなったのである。

思ったことが現実化するわけではないのである。

ところが、ほかの人には「思ったことが現実化する」と言ってしまうのである。「いたくなると思うから、いたくなる」と言ってしまうのである。

「いたくなると思ったことが、いたくなることを引き寄せたのだ」と言ってしまうのである。

過去否定論者は、「過去は関係がない」と言い「過去は現在に影響をあたえない」というわけだけど、自分が、一倍速で経験したことについては、足を広げる機器で、足を広げすぎて、股間がいたくなったと思っているのである。

えーーっ?

過去は関係がないのじゃないの?

過去は現在に影響をあたえないんじゃないの?

過去が現在に影響をあたえないのであれば、どうして、股間がいたくなったのだよ?

過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえないのだろ。

それだったら、過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえないので、股間はいたくないのである。股間がいたいなら、過去の出来事が、現在の状態に影響をあたえたということになる。

自分が一倍速で、経験したことなら、「これこれこういうことが起きて、こうなっている」と思うことができるのである。まさしく、過去の出来事が現在の状態に影響をあたえると思っているのである。

ハンドルを回しすぎた……という過去の出来事が、股間がいたくなるという過去の出来事を引き起こし、現在、股間がいたいと感じているのである。

自分のことなら、この通り、ちゃんと、過去の出来事に原因があると思っているのである。

ところが、ひとごとだと、「過去はない」とか「過去は関係がない」とか「過去は現在に影響をあたえない」とかと言い出す。

「過去はない」というのが、どういう意味なのか、ぼくには、わからないけど、ともかく、そんなことを言うのである。

もうひとつ「過去は記憶の中にしかない」というような言い方がある。これは、「過去は記憶の中にしかないから、現在の状態に影響をあたえていない」と言いたいのである。

いや、あたえているでしょ。

Aさん、ご本人だって、ちゃんと、「ハンドルを回しすぎて、股間がいたくなった」と思っているわけだよ。

そして、ハンドルを回しすぎたというような記憶がなくなったとしても、股間がいたいままなのだ。もちろん、自然に治癒するまでの時間は、いたいということだけどな。

たとえば、Aさんの記憶を操作して、ジムに行った記憶や、ハンドルを回しすぎた記憶を消去したとする。その場合、股間のいたみもきえるかというと、きえないのだ。記憶を消去すれば、物理的な股間のずれ?も修正されるのかというと、修正されないのだ。

記憶を消去しても、股間がもとの状態にもどらない。

けした記憶に対応した出来事が発生する前の状態にもどらないのである。記憶をけしても……。

過去が記憶の中にしかないものなら、どうして、物理的な股間のズレが発生しているのか? 

股間がズレている状態になっているのか?

過去は、記憶の中にしかないから、現在の状態に影響をあたえないという考え方がまちがっているということに、気がついてくれ。過去において、発生した出来事は、実際に発生した出来事なので、現在に影響をあたえるのだ。

*     *     *

「理屈じゃねぇーーんだよ」といったやつのクチに、アンパン、つめこみたい。あんパン、くって、だまってろ。 

2025年8月25日月曜日

●こんなの、普通の家で育った人に、わかるはずがない■騒音※2025/08/25 19:48

このさき、どうするかな?

俺が理想している「やる気」が出てこなくてもいいから、そこそこ、普通の「やる気」が出てきてくれないかな。

重たい気持ちになるのは、ダニで作業員の人を苦しめてしまうというようなことなのだ。できれば、刺されてほしくない。ビニール製の防護服やレインコート上下を着れば、抱きかかえるように布団を持ち上げたとしても、刺されないとは思う。

けど、なんか、ゴミ処理場所に行ったあと、作業をしなければならないらしく、そのときに刺される可能性はある。だいたい、防護服?やレインコートを着たまま、車の座席にすわると、車の座席にダニがつく可能性がある。

きちがい親父が、さなかを出す前は、ほんとうに、ネズミなんて一匹も入ってこなかったのだ。

あとで考えると、いろいろなところに、隙間があるのだけど、隙間があるにもかかわらず、一匹も、ネズミがはいっこなかった。ネズミがはいってくるようになったのは、親父が、一日に二三時間、粕漬の魚をテーブルの上に置くようになってからなのだ。

一カ月間ぐらい、そういうことをしていたら、ネズミがはいってくるようになった。

普通はやらないことだし、「部屋中がすごいにおいになるから、魚を冷蔵庫に入れてくれ」と言われたら、冷蔵庫に入れようと思うものなのである。

ところが、言われたら、きちがい感覚が爆発してしまう。

きちがい的な意地で、否定して、絶対に、自分が思った通りに、一日に二十三時間近く、魚を出しっぱなしにしようと思う人なのだ。こんなの、普通はありえない。

「におわないよ!!におわないよ!」と真っ赤な顔をして、絶叫している姿を、ほかの人にも見せたい。

だって、実際に、見ないと、信じてくれない。

どういう意地でやっているか、ほかの人は、理解してくれない。

ほかの人は「そんなのは、くさいから、やめてくれ」と言えばいいでしょと思っている。

ところが、一筋縄ではいかないのだ。普通のことが通用しない。きちがいスイッチが入ってしまうと、きちがい的なことに、こだわってこだわってこだわって、こだわって、絶対に、なんだろうが、自分が思ったことを、やるということになる。

やり続けるのである。

絶対の意地でやり続けるのである。これだって、兄貴のヘビメタ騒音と似たようなところがあるのだ。普通の人が、絶対にやらないことを、きちがい的な意地で毎日やる。修正が効かないのである。「やめてくれ」と言ったら、きちがい的な意地でやりきるのである。やりきろうとするのである。

殺さないと、実際にやってしまうのである。

これ、きちがいの感覚だと、意地を通してやったことになっていないのだ。これも、きちがい的でおかしい。おかしいのだけど、つねに、普通に、そうなのだ。そうなっているのだ。

きちがい兄貴ときちがい親父はそういうところで、まったく一緒で、きちがい黄な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定する。でっ、自分の行為で、相手がこまっているということも、きちがい的な意地で否定して、まったく気にしないのだ。こまるんだよ。

どうせ、やったことを認めないことなのだから、本人は、意識的にはこだわっているつもりがないのだ。

けど、やったことを認めないというのは、一〇〇%の意地で、一〇〇%自分が思った通りにやりきったときに、発生することなのだ。

ともかく、普通の人とは、ちがうのだ。だから、普通の人は、きちがい親父やきちがい兄貴のことについて、普通に誤解をするのである。「そんなんじゃないんじゃないの」「ちゃんと言えばわかってくれるよ」と普通の人は、思うし、そのように、言うのである。

ところが、きちがい兄貴の脳みそも、きちがい親父の脳みそも、ここに書いた通りの脳みそで、絶対の意地で、聞かないのだ。「絶対の意地で聞いてやらなかった」ということも、絶対の意地で認めないということになる。

「絶対の意地で聞いてやらなかった」ということを認めるのがいやなのである。

だから、何度も言うけど、ネスト構造が成り立っている。こまるんだよーー。こまる。

きちがい親父の自分が原因になって出している魚のにおいに対する態度と、きちがい兄貴のヘビメタに対するとい態度が、まったくおなじなのである。

きちがい兄貴が、たとえば、きちがいヘビメタをものすごい音で鳴らしているとき、俺が兄貴に、「やめてくれ」と言ったとする。

そのときの、認めたくない気持ちと、「俺がどれだけ言っても、やめてくれなかった」ということを認めたくないときの気持ちが、まったくおなじなのである。

だから、猛烈に、こまるんだよ。兄貴は、きちがい的な意地で、弟の人生を破壊するようなことを、毎日、やり続けた。

けど、「やり続けたつもりがない」のである。これがまったくないんだよ。

そして、ほんとうに、きちがい的にでかい音で鳴らしていたのだけど、でかい音で鳴らしていたというつもりもないわけ。どうして、つもりがないかというと、「ものすごくでかい音で」鳴らしたかったからなのだ。「でかい音で、鳴らしている」というとをちょっとでも認めたら、自分がしずかにしなければならないような予感がするのである。

そういう予感がするときは、スイッチが入ってしまって、絶対に、認めないのである。これが、無意識的な過程だから、本人は、ほんとうに気がついていないのである。

やられている側からすると……兄貴は、きちがい的な意地でやっているのだから、きちがい的な意地でやっているということがわかっているはずだ……と思ってしまうのだけど、ほんとうに、ほんとうに、まったく、わかってないのだ。

わかってない状態で、生活して、生きている。そういう存在なのだ。こんなの、普通の家で育った人に、わかるはずがない。

これから、親父の話ではなくて、兄貴の話をしようと思う。普通の家で育った人は、ヘビメタ騒音の被害を認めないのである。実際に自分がやられたことがないから、わからない。想像の話だから「自分なら平気だ」と思って、「そんなのは関係がない」と言う。

ところが、ぎちゃぎちゃに、関係があるんだよ。

どれだけ無視して、どれだけ影響をうけないように、はりつめた気持ちで生きていても、やられているから、体が被害をうけている。精神が影響をうけている。

この「辛抱状態」に関する理解が、普通の人たちには、これまた、まったくまったく、ないのである。この辛抱状態を軽く考えて、自分なら影響をうけないで、鳴ってないときのように普通に行動できると思っているのだ。

そして、たとえば、鳴ってないときのように、夜に眠って、朝起きるということができると思っているのだ。そりゃそうだろ。

「辛抱状態」のときは、『影響をうけない状態』なのだから、そう思って当然だ。

ところが、辛抱状態のときも、影響をうけているのである。

どうしてかというと、きちがいが、至近距離で、自分のきらいな音を、世の家ではありんないようなでかい音で鳴らし続けているからだ。

*     *     *

きちがい兄貴の頭の構造によって、きちがい兄貴が、無視してやり続けたことが、ぼくの人生に影響をあたえている。ぼくの毎日に影響をあたえている。

一般人の頭の構造というのもある。一般人の頭の構造によって、きちがい兄貴にやられた特殊な騒音の影響があるということを、認めないのである。

もちろん、自分のところまで、きちがい兄貴の騒音が聞こえるわけではないので、きちがい兄貴の騒音が、ぼくにあたえた影響を認めないのである。一般人の頭の構造によって、『影響はない』と判断してしまうのである。

この判断も、なかなか、くつがえらない。

言霊主義者は、言霊主義者の頭の構造によって、影響を無視した上に、言霊的なことを言うのである。 

●よそのやつから、なめられるということが、決まっている■騒音※2025/08/25 16:19

きちがい兄貴の、きちがいヘビメタで、いつも、いつも、切羽詰まった状態なのに、きちがい兄貴が、いつも、いつも、決まった量」やるのである。決まった時間鳴らすのである。

これ、ほんとうに、きついことなのである。

どれだけがんばっても、日常が破綻してしまうのである。どれだけ、ヘビメタ騒音の影響をうけないようにしようとしても、一〇〇%の確率で、一〇〇%の量、うけてしまうのである。

一倍速で経験している俺にとっては、そういうことでしかないのである。

ところが、一倍速で経験したことがない人たちにとっては、ぼくが、ただ単に「泣き言を言っている」ようにしか見えないのである。一倍速で経験したことがない人たちにとっては、ぼくが、ただ単に「ネガティブなことを言っている」ようにしか見えないのである。

こいつらだって、自分がきらいな音で、おなじことをされたら、めちゃくちゃに腹をたてて、つかれはてる生活になるのに、それがわからない。

わからないから、涼しい顔で、あるいは、ドヤ顔で「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことが起こる」などと言う。

わからないから、すずしい顔で、あるいは、ドヤ顔で「過去は関係がない」「過去は現在の状態に影響をあたえない」「鳴り終わったら関係がない」などと言う。

ただ単に、きちがい家族の騒音を毎日毎日、聞かされる状態じゃないから、そういうふうに言っていられるだけなのに、えらそうなんだよな。

「自分だったら、鳴らされても、影響をうけないでくらせる」「自分だったら、鳴らされても、それくらいできる」と思っているのだ。

きちがい兄貴が、へんなんだよ。

きちがい兄貴が、普通の人なら絶対にやらないことをやっているんだよ。だから、普通の人は、きちがい兄貴のような人間にやられたことがないんだよ。どうしてかというと、きちがい兄貴のような家族が、いないからだ。

ただ単に、きちがい家族がいないから、やられていないだけなのに、自分が優れていると思っているのだ。自分は、エイリさんより優れているから、そんなことがあったとしても、影響をうけずに、普段とおなじことができると思っているのだ。

だから、なめられる。きちがい兄貴が、きちがいモードで、普通の人がやらないようなことをやるということから、やられていない人間になめられるということが発生する。

これ、不可避なのである。どうしてかというと、鳴っているからだ。

やられないと、どれだけつらいかわからないのだ。やられないと、できなくなるということがわからない。鳴ってなければ、できることが、できなくなるということが、鳴ってないから、わからない。

わからなければ、自分の考えが正しいということになる。だから、なめてくる。きちがい兄貴が俺の言っていることを無視して、頑固に鳴らした時点で、よそのやつから、なめられるということが、決まっているのである。

普通の人は、きちがい兄貴のような音で鳴らしたくても「迷惑だ」と思って、実際には慣らさない。鳴らしたって、試しに鳴らすだけで、そんなに長い時間鳴らさない。ところが、きちがい兄貴は、きちがいだから、普通の音だと思って、鳴らしてしまう。

ずっとずっとずっと、鳴らしてしまう。

普通の音で鳴らしていると思っているから、どれだけなにを言われても、そのままの音で、意地になって、鳴らし続ける。普通の人なら、「迷惑だ」と思って、鳴らせない音を、ずっとずっと、鳴らし続ける。

だから、ぼくの一日が、普通ではない騒音漬けになる。そして、普通の人は、きちがい家族が鳴らすきちがい騒音を、一日に、一分も経験したことがないので、普通の騒音だと思って……こっちからすれば「あたまがおかしいこと」……を言ってくるのである。

こっちからすれば「むりなこと」を言ってくるのである。こっちからすれば「現実的ではないこと」を言ってくるのである。

こっちからすれば「妄想に満ちたこと」を言ってくるのである。

こいつらに、「そんな音ではない」「そんなんじゃない」「ちがう」とどれだけ言っても、こいつらはこいつらで、認めないのである。自分なら平気だ……と思ったまま、俺に説教をする。

説教をされて、不愉快な気持になって、家に帰ってくると、家に近づいた時点で、きちがい兄貴のきちがい騒音が聞こえるのである。どれだけ、家に近づきたくないか? わかるか? わかるわけがないか? 家のドアを開けると、雪崩のように、きちがい騒音が落ちてくるのである。ふってくるのである。どれだけつらいか、わからないだろう。

小学六年生のときから、そんな生活で、影響をうけないわけがないだろ。精神的に、身体的に影響をうけないわけがない。ところが、こいつらは、俺のをことヘビメタ騒音のことで、下に見ているので、俺の言うことを認めないのである。

「影響をうけないと言えば、影響をうけないですむ」という前提でものを言ってくる。

「気にしなければ、影響をうけないですむ」という前提でものを言ってくる。

「こだわらなければ、影響をうけないですむ」という前提でものを言ってくる。

この態度が、きちがい兄貴が鳴らしているときの態度と、一兆分の一ぐらい似ているのである。きちがい兄貴が鳴らしているときの態度というのは、こいつらの態度を一兆倍ぐらい頑固にしたものだ。頑固さが似ているのである。

こいつらはこいつらで、『影響をうける』ということを頑固に認めないのである。

だから、俺の一日というのは、きちがい兄貴の頑固なヘビメタと、世間の人の頑固な否定のループになる。繰り返し繰り返し、毎日毎日、そういうことが発生してしまう。

俺にとって、この世界というのは、そういう世界だった。
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2025年8月24日日曜日

●なに、若い女性の側に立ったようなことを言っているんだよ■言霊※2025/08/24 17:14

東大を卒業した若い女性が、仕事についていけずに、自殺したとしよう。

この場合、若い女性なので、同情される。言霊主義者まで、同情して「上司の態度に問題がある」「会社の姿勢に問題がある」というようなことを言い出す。

けど、これが、五〇代の中年男性だったら、同情なんてされない。

「そんなのはあまえだ」「あまえてんじゃねぇーよ」と言われておしまいだ。

あえて『女の子』と書くけど、『女の子』と『中年男性』のちがいは、でかい。

言霊主義者は「できると言えばできる」「できないと言うからできないんだ」と言って、働かせようとするのである。「できるできると言って、努力すればいい」ということになってしまう。

これ、ただ単に、若い女の子か、中年男性かのちがいなんだよ。

しかも、「禿げ散らかした中年男性」というような容姿を含む形容がなされると、いかにも『バカにしていい』という雰囲気ができあがる。

言霊主義者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司のような考え方をもっているんだよ。努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司のような考え方をもっているんだよ。

言霊主義者や努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司の側に立っているんだよ。言霊主義者や努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司とおなじ考え方をもっているんだよ。

言霊主義者や努力論者が、自殺した若い女性に同情するのは、こっけい。

ちなみに、自殺した若い女性も、言霊理論はまちがっていると言いきることができなかったのである。自殺した若い女性も、努力論がまちがっていると言いきることができなかったのである。

ようするに、本人の行動の基準が、言霊理論や努力論で、できあがっていたのだ。否定できない。自分の行動の原理になっていた。

だから、無限に努力しなければならない状態になっていたのである。

*     *     *

つけたしておくと、「過去は関係がない」ということになると、若い女性が入社以来がんばってきたということが、関係がないことになるのである。入社以来、がんばってきたから、つかれがたまっているわけね。その「つかれ」も関係ないことになるのである。

過去は関係がないので、がんばり続けることによってしょうじた「つかれ」も関係がないということになる。

さらに言ってしまうと、「過去はない。未来もない。今現在しかない。今現在に集中すればいいんだ」ということになると、やはり、「がまんして、目の前の作業に集中すればいい」ということになってしまうのである。「がまんして、今現在やっている作業に集中すればいい」ということになってしまうのである。

*     *     *

言霊主義者や過去否定論者が言っていることは、上司が若い女性社員に言ったことと、おなじなんだよ。

どうして、急に、自分は、女性社員の味方だというようなふりをし始めるのか?

どうして、急に、「上司の発言には問題がある」「会社の態度には問題がある」ということを言い始めるのか?

おまえらが、普段、人に言っていることだろ。

ひょっとして、まったく、自覚がないのか? 

*     *     *

「過去は関係がない」ということは、その女性が、入社した時から、ずっとやってきたことが関係ないということになるのである。ずっとやってきたことで、つかれはてていても、関係がないということになるのである。

そして、たとえば、「むりだ」とか「できない」と言えば、ネガティブな発言をしたということになるのである。

ネガティブな発言をするから、ダメなんだということに、なってしまうのである。言霊主義者や過去否定論者の頭のなかでは、事実、そうだということになってしまうのである。

「元気だ元気だ」「できるできる」とポジティブな発言をしなければならなくなるのである。

過去の出来事や、過去の行動は、その人のからだに影響をあたえる。「過去は現在に影響をあたえない」なんてことはないのだ。

過去において、実際に起こったことは、現在の状態に影響をあたえるのだ。

これ、たぶん、ほんとうに、自覚がないんだよ。

自殺して、ニュースなったとする。そうすると、若い女性が、どれだけがんばってきたのかということも、報道される。そうすると、自分が普段、ほかの人に言っていることは忘れて、若い女性に同情するようになるのである。

たとえば、顔写真が載っていたとする。そして、その女性がかわいいタイプの女性だったとする。そうすると、「かわいそうだ」と思うのである。

いちおう、こういうことになると、その女性について考えることができるようになるのである。「頑張り屋さんだった」「努力家だった」ということが、いちおう、報道されるので、報道されたことを信用する人たちは、信用してしまう。この女性が、頑張り屋さんじゃなかったということではない。

問題なのは、権威がある報道機関によって報道されれば、事実になるということだ。普段、相手の言うことは、無視してしまう人が、受けとりやすい状態になる。

相手の物語を、報道だから、認めてしまうのである。

普段、自分が、直接、言われたら、やはり、上司のような発言をするのである。一倍速で経験したことは、わかるということを言ってきたのだけど、報道の説明を聞いたり、週刊誌の説明を読むことは、本人が、自主的に一倍速で体験したことなのである。

相手の話を聴いているときは、相手の話の背景がわからないのである。

ようするに、相手の言っていることは、認めないで、「元気だ元気だと言えばいい」「過去は関係がない」と言ってしまうのである。

まあ、ここらへん、微妙なんだよな。

能動的に背景を理解しようとしたということと、対象が若くて、かわいい女性だということが、重要なんだよ。

こいつらは、たぶん、自覚がない。

普段、自分が、上司のような発言をしているということに、気がついていない。

「どんだけつかれていたって、元気だ元気だと言えば元気になる」とほかの人には言うのである。「つかれるまでの過去は関係がない」と思っているので「過去は関係がない」と言うのである。

能動的に背景を理解する動機がない場合は、言霊主義者は、言霊主義的なことを言い、過去否定論者は、過去否定論者的なことを言うのである。

*     *     *

もうひとつ、つけくわえると、実際に、自殺したあとだということが、たぶん重要なんだろう。

たとえばの話だけど、その若い女性が生きていて、自殺する前に、言霊主義者に相談をしたら、言霊主義者は、上司のようなことを言うのだろう。

そして、過去否定論者も、彼女のつかれを否定して、上司のようなことを言うのだろう。

死んでしまった人のことだから、同情的になれるのだろう。

死ぬ前に、相談されたら、言霊主義者と過去否定論者は、彼女の上司とおなじようなことを言うということが、想像できる。

自殺したから、悲劇ということになっているけど、自殺する前なら、「ネガティブなことを言っているにすぎない」ということになるのである。

「泣き言を言っているにすぎない」ということになるのである。

「できない」とか「つかれた」というのは、ネガティブなことでりあり、言霊主義者や過去否定論者は、「目の前の人」は「ネガティブなことを言っている」と認識するのである。

言霊主義者と過去否定論者は、普段は、そのように認識するのである。けど、自殺したあと、メディアが報道したということになると、「悲劇」として認識することができるのである。

だから、突然、若い女性の側に立ってしまうのである。

言霊主義者と過去否定論者は、普段、上司の側に立っている。上司とおなじ発言をしている。上司のように、若い女性の発言を否定して、はねのけている。

「たいしたことじゃない」と認識して、「元気だ元気だと言えば元気になる」「できるできると言えばできる」「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことが起こる」「気にしないようにすればいい」「こだわるから、だめなんだ」「過去は関係がない」「今現在に集中すればいい」と言っているはずだ。 

*     *     *

なに、若い女性の側に立ったようなことを言っているんだよ?

おかしいだろ。

*     *     *

なんで、報道機関が「過去の話」をすると、それは、重視するんだろう……。過去否定論者の話なんだけど、報道機関が、自殺の背景を説明するために過去の話をすることがある。過去否定論者は、「過去は関係がない」と考えるのだから、無視すればいいのに、報道機関が「過去話」をしたときは、無視しないのだ。こんなのは、おかしい。

過去否定論者は、言霊主義者のように、矛盾を感じていないのである。

なんかの事件が起こったとする。過去否定論者は、その事件を犯した人の生い立ちを、雑誌の記事で読むと、「過去は関係がない」とは考えないで、「そういう過去が、犯罪者の心理に影響をあたえたのだろう」と思うのだ。

過去は、関係がないんじゃないのか?

過去は、現在に影響をあたえないんじゃないのか? 

言霊主義者は、本人があたりまえだと思うことに関しては、別に、言霊の力でそうなったとは、考えないのである。それとおなじように、過去否定論者は、報道機関が説明する過去に関しては、「過去は関係がない」とは、考えないのである。おかいだろ。こんなのは、おかしい。 

●「くるしみつづけろ」というメッセージ■言霊※2025/08/24 15:59

自己責任論において、自分を対象とした自己責任論と、他人を対象とした自己責任論があるように、言霊理論においても、自分を対象とした言霊理論と、他人を対象とした言霊理論がある。

自分を対象とした言霊理論も、他人を対象とした言霊理論も、言霊理論自体は、おなじなのである。ただ、対象がちがうのである。対象のちがいは、大きな結果のちがいをもたらす。

自分を対象とした言霊理論は、自己暗示のような言葉の力があるので、有益な場合もある。もちろん、有害な場合もあるのだけど、有益な場合もある。他人を対象とした言霊理論は、有害でしかないのだ。

他人を対象とした言霊理論というのは、「くるしみつづけろ」という呪いの言葉にしかならない。

これは、悪魔の装置なのだ。

もっと、厳密にいうと悪魔の「社会装置」なのだ。

他人を対象とした自己責任論も、けっきょくは、「くるしみつづけろ」「おまえがわるい」というメッセージを送りつけているのである。なので、これも、悪魔の「社会装置」なのだ。

他人を対象とした努力論も、「くるしみつづけろ」というメッセージを送りつけているのである。他人を対象とした努力論も、悪魔の「社会装置」なのだ。

他人を対象としたカルマ論も「くるしみつづけろ」「それで当然だ」「こういうあつかいであたりまえだ(自分や社会がおまえをこういうふうにあつかうのは、あたりまえだ)」という社会的なメッセージを含んでいる。

ようするに、他人を対象としたカルマ論も「くるしみつづけろ」というメッセージなのだ。

他人を対象とした思霊理論も、「くるみしつづけろ」というメッセージを送りつけているのである。

言霊理論の場合は、「言い方が悪かったから、現実化しない」ということになり、思霊理論の場合は、「思い方が悪かったから、現実化しない」ということになるのである。これは、最初から、決まっている。

どっちも、環境を無視したおまじないなので、効力がないことは、はっきりしている。

つまり、言われてやった人は、失敗するようにできているのである。

うまくいく場合だってある」と食いさがるかもしれないけど、それは、「言ったあと」「思ったあと」に、おまじないとは、まったく関係がない別の理由で、そうなっただけなのである。

それを、「おまじないのおかげてこうなった」とほんとうの理由を無視しているだけなのだ。

この場合は、すでに、自分を対象とした言霊理論や、自分を対象とした思霊理論になっている。

言われた他者が、やった時点で、言われた他者の視点にうつっている。言われた他者自身からすれば、自分を対象とした言霊理論になっている。

たいていの場合は、失敗するけど、たまたま、ほかの理由で、言った通りになったり、思った通りになったりする場合はある。

けど、それは、言霊理論が正しいということの証明にならないし、思霊理論が正しいという証明にもならないのだ。努力論の場合も、環境が悪ければ、たいていの場合、失敗するようになっているのである。

そして、くるしみ続けることになるのである。努力論においては、成功した場合でも、くるしみ続けることになるのである。名前だけ店長は、その日一日、努力することに成功したのである。

努力をしてやり遂げたのである。成功した。

しかし、それを毎日一五年間続けて、体が悪くなったのである。限界をむかえたのである。名前だけ店長は、一五年間毎日、努力することに成功し続けてきたのである。

けど、そのあいだじゅうずっと、くるしかったのである。他人を対象とした努力論だと「もっと続ければいいじゃないか」ということになるのである。

2025年8月23日土曜日

●たいていの人は、デフォルトで、理解しないのである■騒音※2025/08/22 22:32

 あまりにも特殊な人にやられ続けたので、ほかの人が理解できないのである。ほかの人の「理解する枠」を超えたことが、起こったのである。

どうしてかというと、きちがい兄貴が、きちがい兄貴だからだ。

これ、俺だって自分の兄のことを、きちがい兄貴とは呼びたくない。

しかし、やったことがひどすぎる。

そして、これは、毎日毎日やったことなのだ。当然、積み重なれば、影響がでかくなる。積み重なった悪影響を、改善することができなくなる。

ところが、ほかの人には、きちがい家族がいないので、ぼくがされたことが、どういうことなのか、わからないのである。

どうしたって自分の枠内で、理解しようとする。そうすると、やられたことがないことに対する理解なので、ズレてしまのである。兄貴が特殊すぎるので、うちの兄貴のようなことをする人がいない。ほかにはいない。

だから、ほかの人は、兄貴のような家族とは、一緒に住んだことがないのである。一生のなかで、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んだことがないのである。だから、兄貴のような家族に、やられたことがないのである。

だから、やられると、どういうところにまで、影響が出るのかということについて、考え違いをしてしまうのである。

そして、他人のことは他人のことだから、基本的に関係がないわけである。他人が、あることでくるしんでいても関係がないわけである。自分がくるしいわけじゃないからだ。

兄貴がやったことは、騒音という、だれもが経験することなのだけど、兄貴のやり方が異常なので、異常な騒音にくるしむことになったのである。

けど、異常な人が鳴らす、異常な騒音が毎日続いたことがない人が、大半なので、この人たちは、きちがい的な家族がもたらす異常な騒音を経験していないのである。何度も言うけど、他人のくるしみなんて、いたくもかゆくもないのである。

だから、「こうすればいい」と、頭がおかしいことを言うことができる。

もう、これ、兄貴が、普通の人がやらないことを、十数年間という長期間にわたってやったときから、決まっているのだ。そんなの、実際にやられなければ、理解できるはずがないことだ。

だれだって、つかれたことはあるけど、きちがい家族によって、つかれたことは、少数者しか経験していないことだ。

そして、うちの場合、きちがい兄貴の感覚や、きちがい兄湯のやり方が、ほんとうにきちがいなので、ほかの人にはわからないということになる。ほかの人というのは、きちがい家族と一緒に住んでいないほかの人という意味だ。

すべての人とは言わないけど、たいていの人は、デフォルトで、理解しないのである。

ネガティブなことを言うことは、悪いことで、ポジティブなことを言うことは、いいことだということになっている。なっているとする。

その場合、実際の個人差というものを、ガン無視して、そういうことを言っているわけである。個人の環境なんて、月とすっぽんだ。個人の環境なんて、ぜんぜんちがう。環境がもたらすことを、無視することはできない。

しかし、これに関しても、「無視がデフォルト」なのだ。無視して当然。無視して、ものを言って当然だということになる。

環境が悪い人……多くの悪い条件をかかえている人に……「言えば言ったことが現実化するので、ポジティブなことを言えばいい」と言うこと自体が、ポジティブなことか、ネガティブなことかというと、ネガティブなことだ。

これがわかってない人たちがいる。

これがわかってない人たちが、いっーーーぱいる。

一見ポジティブに見えるけど、相手の条件を無視しているという点で、すでに、ネガティブなのである。相手の条件を無視した助言というものは、もう、言った時点で、ネガティブなことをしたということになるのである。

どうしてかというと、相手の条件を無視したからだ。 

● ほんとうは、「言うこと」に「魔法のような力」は、ない■言霊※2025/08/23 5:22

ほんとうは、「言うこと」に「魔法のような力」は、ない。宿っていない。そんなチカラは、「言うこと」に宿っていない。

けど、あたかも、「宿っている」ように言うのである。

もちろん、嘘だ。しかし、嘘がたくみなのである。

だから、例から、全体について言うような言い方で言われると、全体性があるということを信じてしまう人たちが、続出することになる。

そして、やっかいなのは、こういう嘘を言うことが、ポジティブでいいことだと思われていることなのである。人をだますことは、よくないことなのに、「ポジティブでいいことをした」と、思うようになっている。

言霊教祖が、言霊信者を量産するとき、言霊信者になる人たちをだましているのだけど、その行為は、いい行為だと言われるのである。こんなのは、ない。

嘘を言って、人をだましている。

「いい結果になる」のだから、いいじゃないかと思うかもしれないけど、「いい結果になった」と思う人と、悪い結果になったと思う人が出てくる。

いい結果になったという思う人は、だまされたあと、自分をだましきって行動をしたことにより、自分の主観的な範囲では、いいことが起こったと思った人なのである。

しかし、そういうことがたとえ、発生したにしろ、だまされたことにはかわりがないのである。言霊教祖が、嘘を言ったということにはかわりがないのである。

そして、「いいことがあった」と思う人たちが、今度は、言霊教祖のようなことを言う人になって、他の人をだますようになるのである。

この人たちは、言霊教祖のように、セミナーをして、カネをもらうわけではない。善意で、「教えてあげる」だけだ。

しかし、言霊理論には嘘があり、言霊理論を口にするときに、相手の条件をガン無視するので、いいことをしていないと言える。

しかし、この人たちは、理論的に物事を考えることが苦手なので、そのことに、気がつかない。自分で自分に一〇〇%詐欺をして、相手にも、一〇〇%詐欺をすることになる。

この人たちは「言えば言ったことが現実化する、こともある」ということと「言えば言ったことが現実化する」ということの区別がついていない。

悪意はないのだろうけど、自分に対しても、人に対しても、一〇〇%詐欺をすることになってしまう。 

そして、助言をするほうに、悪意はないのだろうけど、「条件をガン無視されること」を言われると、腹がたつ人が一定数いる。条件が非常に悪い人たちや、複数の悪い条件をかかえている人たちだ。この人たちは、日常のいろいろなことで、こまっているのだけど……、

それは、言霊的な解決方法では解決しない。

どうしてかと言うと、言霊的な解決方法というのは、人をだますためのまちがった解決方法だからだ。言葉の力がいい影響をあたえることはあるかもしれないけど、それは、言葉の力であって、言霊の力ではない。

そして、実行できるという点で、環境が実行できる環境なのである。実行できる状態だから、実行できるだけなのである。「できるできると言って、がんばって勉強したから、資格試験に受かった」とする。

『受かったのだからいいじゃないか。できるできると自分を鼓舞して、勉強をしたのだから、いいじゃないか』……と思うかもしれない。

けど、それは、言霊の力ではないのである。言霊の力で、資格試験に受かったわけではないのだ。ここらへんも、誤解をしている。

こういうことを、言霊思考の『成果だ』と思っている人たちがいる。

けど、それは、単なる勘違いだ。

そして、まさしく、言霊があるから、自分の身にこういうことが鵜こったのだと思っている人がいるけど、それも、勘違いだ。言霊の力ではなくて、言葉の力だ。

そして、それは、実際の行動をサポートしただけなのである。この場合、実際に勉強をしたという行動を無視することはできない。

資格試験に受かったのは、実際に、勉強したからだ。

もちろん、内部環境として、自分の才能などが影響している。複数の内部的な条件が、悪いと、勉強しても、合格しない。

「言霊のおかげで、資格試験に受かった」と思っている人は、実際に、自分が行動したということを、言霊のせいにして、無視している。

せいぜいのところ、言葉の力を使って、勉強するという行動を続けたということなのだ。

自己暗示の力はあるし、自己暗示が自分の行動に影響をあたえることはある。

しかし、言葉による自己暗示は、言葉の力だ。言霊の力じゃない。言えば言ったことが(言霊の力で)現実化するのであれば、「試験に受かる」と言ってしまえば、試験に受かるのだ。言霊の力で試験に受かる。一〇〇%の確率で、試験に受かる。

だから、言霊の力を信じているのであれば、勉強する必要がないのだ。言えば言ったことが現実化するので、「受かる」と言ったら「受かる」のだ。「受かる」と言ったのに、受からないなんてことはないのだ。受かると言っても、受からないかもしれないと思って、勉強をするという行動をするのは、言霊の力を信じていないからなのである。

そして、お決まりの、言葉の力を言霊の力だと思うコースに突入する。

これ、勘違いだから……。

ほんとうは、内部環境が満たされていて、実際に行動したから、そうなったのである。ようするに、受かったのである。言霊の力なんて、一切合切関係がないのである。

*     *     *

内部環境や外部環境なんて、一切合切関係なく、ただ「言ったか言わなかったか」で、結果が決定されてしまうなんて、おかしいと思わないのか?

現実を見ればわかるだろう。

内部環境も外部環境も関係がないというのが、現実を無視した考え方なのだ。実際には、特に外部環境と「成功」の関係がある。相関関係が高い。そして、ほんとうは、因果関係もある。因果関係のことは、横に置いておくとして……相関関係が高いということから、目をそらせるにはどうしたらいいのか?

相関関係が高いということから、目をそらせるには、「言ったことが現実化する」ということにしておいたほうがいいのさ。

内部環境がめぐまれていないやつ……外部環境がめぐまれていないやつ……どっちも恵まれていないやつ……そういうやつらが、「言ったことが現実化する」「これが正しい」と思ってくれれば、特権的に外部環境がめぐまれているやつは、徳をすることになる。

そして、内部環境に関しては、じつは、外部環境がよければ、それにつれて、内部環境もよくなる傾向がある。内部環境がよければ、外部環境がよくなる場合もあるけど、ちょっと特殊だ。

外部環境がダメで、内部環境がいい場合は、外部の人から、「内部環境がいい」と認識されなければダメなのだ。特殊な才能があるから、特殊な才能を伸ばしたほうがいいと考える、外部の人が出てくるかどうかがカギになる。

ともかく、めぐまれないやつらが、「言ったことが現実化する」と思って、格差に目をむけないほうが、支配者階級にとっては、いいことなんだよ。 

 

 

2025年8月22日金曜日

●「こういう方法でがんばればいいんだ」■騒音※2025/08/22 11:24

 どのみち、鳴りはじめたら、どれだけなにをしてもダメだったんだ、ということが、よくわかる。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、あれをずっと鳴らしたら、こっちが、どれだけ気にしないようにして、がんばっても、だめだったんだということが、よくわかる。けど、他人は、この部分がないわけだ。実際に、一日もやられてないから、わからないのだ。俺が、長年、毎日ずっと、がんばっていたということが、まったくまったく、わからない。そして、一日ずつ、つもっていく感覚も、わからないのだろう。わかるわけがない。だから、「元気だ元気だと言えば元気になる」「俺だって、騒音ぐらいあった」と言うのだろう。これ、わかってないから、言う言葉なんだよ。わかってないから言う言葉だということも、わかってない。これがまた、言霊主義者のように、どれだけこっちが、理論的に説明しても、ダメなのだ。相手は、わからない。相手は、相手の感覚でものを言う。だから、何度も言うけど……きちがい兄貴が鳴らし始めた時点で、こういうことを言う相手とは、決裂しているわけ。ヘビメタ騒音の影響をガン無視する相手とは、言いあらそいになることが、きまっている。絶対に、わかりあえないことが、決まっている。『影響をうけないことは可能だ』ということを言う人は、ぼくの、敵なんだよ。敵にならざるをえない。そして、相手だって、俺のことを不愉快なやつだと思うわけ。「なんだ、こんにゃろう」という気持になる。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、こっちが言うことを無視して、鳴らし続けた時点で、決まっている。 

この人たちは、実際にやられていないので、実生活の感覚を無視してしまうのだ。どうしたって、やられれば、不可避的に影響をうけるという部分を蒸してしまう。不可避的に影響をうける」という必然性を無視してしまう。どれだけ、なにを言ったって『影響をうける』のだ。「影響をうけない」と言っても、影響をうける。この人たちは「影響をうけない」と言えば、影響をうけないと思っているのだ。けど、それは、空論だ。実際に、影響をうけて暮らしていないから、わからないだけだ。どういう時間があるかわからないのだ。そして、相手が、がんばってきた期間を無視してしまう。相手が、どれだけがんばったかを無視してしまう。期間の長さを無視してしまうというのは、問題がある。これ、ほんとうにまったくわかっていないんだよ。実際に、影響をうける。そして、影響をうけた状態で、辛抱して、がんばっている時間の長さを無視してしまう。影響をうけた状態で、辛抱して、がんばっている期間の長さを無視してしまう。実際に、影響をうけるていないので、本人が、無理解な言葉を発しているときは、それこそ、自分が正しいことを言っていると思っているのだ。つまり、『影響なんてない』と思っているのだ。これが、耐えて、耐えて、耐えて、がんばってきた人をどれだけ愚弄したことか、わかっていない。そりゃ、『影響なんてない』と思っているわけだからな。愚弄するな。侮辱するな。がんばっているときの……ものすごくいやな感覚を無視して、ものを言っている。それだけで、相手を愚弄している。相手を侮辱している。わかってないんだよな……。相手がものすごくいやな環境のなかで、がんばってきたということを無視してしまうので、相手が、これから、「こういう方法でがんばればいいんだ」ということを言ってしまう。「できるできると言ってがんばれば、それで問題解決なんだよ。自分だって、騒音はあったけど、そうやって頑張っている」と言うわけ。いやーー。ぜんぜん、ちがうレベルの騒音について語っているということがわかってない。わかっていないのは、こいつらが、「こういう方法でがんばればいいんだ」ということを言っているということから、わかる。こんなのは、わかっていないから、言っているだけなんだよ。経験していないから言っているだけなんだよ。こいつらは、ほんとうに腹がたつ。もちろん、こういうことの原因をつくったのは、きちがい兄貴だけどな。こういうやつらから、こういうことを言われる原因をつくったのは、きちがい兄貴だということだ。こいつらは、経験がないから、わかっていないだけだ。実際に、こいつらのまわりには、きちがい兄貴のような家族がいないのである。その家族が、きちがい的な意地で、ほかの誰も鳴らさないような騒音を鳴らし続けるということがなかったのである。だから、実際にそうされると、どれだけがんばっても、こういう状態になる……ということがわかってない。こういう状態ですごした、すべての時間を無視して、「こういう方法でがんばればいいんだ」ということを言う。わかってない。……わっかっていない。わかっていない。

こいつらは、一日中続く、身体感覚を、無視している。一日中、続く、身体感覚を、無視するな。無視しているということにすら、気がつかないんだろうなぁ。その、無視しているということに気がつかないというところも、きちがい兄貴に似ている部分があるんだよなぁ。ほんとうに、腹がたつ。ほんとうに、いやなやつらだな。 

相手の身体感覚を無視して、妄想的なことを言っているということが、わかっていない。そりゃ、前提に妄想があることだから、妄想的なことなんだよ。まちがっていることなんだよ。「理論的にまちがっている」ということを説明しただけで、こいつらが、おこりだすということも、決まっている。それじゃあ、うまくいくはずがない。きちがい兄貴が、こいつらが理解できないことをやっている。こいつらは、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んでいないから、きちがい家族の影響をうけたことがない。こいつらが経験したいやなことというのは、きちがい家族にやられたことじゃないのだ。もう、そこからしてちがう。きちがい家族に、毎日やられることによって発生した、特殊な身体感覚がわかっていない。自分のこととしてわかっていない。自分のこととしてわかっていないので、軽く考えたり、無視して、妄想的な提案をする。現実的な提案だと思っているのだ。いやーー。妄想的な提案でしょ。相手の状態を……相手の身体感覚を……無視している。無視しているということも認めないで、腹をたてるというのか? いや、普通に腹をたてているみたいだな。自分が相手の身体感覚を無視しているということがわかっていない。自分が妄想的なことを言っているということがわかっていない。これ、妄想的なことなんだよ。むりなことなんだよ。身体感覚がわかっていないから「むりなことじゃない」と思っているだけだ。 

*     *     *

たとえば、一五年間、過酷な労働に耐えてきた「名前だけ店長」の身体感覚を無視して、「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と言うのは、ひどいことなのである。なんでこれがわからないかな? 「俺だって苦労した」とひとこと言えば、名前だけ店長とおなじレベルの苦労をしてきたということになると思っているみたいだけど、これも、ちがう。名前だけ店長の身体感覚を無視している時点で、おなじような苦労はしていないということがわかる。 「過去は現在に影響をあたえないので、今現在に集中してがんばればいい」ということになってしまう。いやーー。過去は現在に影響をあたえるでしょ。どうして、そういう「アタオカ理論」を口(くち)にするんだ?

一五年間、毎日やってきたということを、無視しているのである。そりゃ、毎日、三時間しか眠れないなら、つもるものがある。疲労と言えば、疲労なのだけど、名前だけ店長の身体感覚を無視しているのである。言霊主義者なら「つかれると言うから、つかれる」「つかれないと言えば、つかない」というような言葉が、続くわけ。過去否定論であって、言霊主義者である人いるから、 「過去は現在に影響をあたえない」「つかれると言うから、つかれる」「つかれないと言えば、つかない」と連続して言う場合もある。自分だってつかれている」のだから、「つかれているからできないというのは、いいわけだ」とか「つかれているからできないというのは、あまえだ」と言うことだってできるのだ。「できると言えば、できるのに、できないと言ってあまえている」と言うことだってできるのだ。けど、こんなことを言うやつらが、名前だけ店長と同レベルのつかれなんて、経験しているわけがないのだ。ほんとうに、夜郎自大。「アタオカ理論」で、人をせめるのはやめろ。

同レベルの経験をしたことがないから、相手の身体感覚を無視できる。相手の身体感覚がわかってないから、頭がおかしいことを言うことができるだけ。無理なことを言うことができるだけ。ただ、それだけ。普段、自分がどういう生活をしているのか、まったくわかっていないのだ。 

*     *     *

ヘビメタ騒音が鳴り始めたということは、そのときから、俺が、全力で頑張って、むりなことをしているということになるということが、わかっていないのだ。「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と思っているので、どれだけ長く、毎日、ヘビメタ騒音が続いても、ぼくのからだが、やられる前のからだとおなじだと思っている……。そういうところがある。相手の身体感覚を、無視する。無視したということにも、気がつかない。どれだけの長さ、ぼくが、くるしい条件下でがんばってきたかということを、無視してしまう。何度も言うけど、無視したということにも、気がつかない。 

●いやなやつが、次から次へと登場することになるのである■騒音※2025/08/21 18:51

ヘビメタ騒音というハンディがあると、いやなやつが、次から次へと登場することになるのである。

きちがい兄貴は、特殊なんだよ。ほかの人が、絶対に、家ではやらないことをやっている。

しかも、きちがい兄貴本人が、「ほかの人が家では鳴らさないような音で、鳴らしている」という自覚がない。やったっていいことをやっているつもりしかないのである。

だから、こまる。

特殊な家族による、特殊な騒音だから、ほかの人が、経験したことがないような騒音なのである。

だから、鳴らされたあと……眠れなくなるということがわからない。

これの一部は、きちがい兄貴の態度に対するいらだちも、関係している。そりゃ、そうだろ。普通の人が、工事で、音を鳴らしているわけではないのである。ぜんぜん、ちがう。

こういう文脈や、音を鳴らす人の認知が、騒音に対するいらだちに、影響をあたえるのである。

どれだけ、「そんなにでかい音で鳴っているとこまる」ということを(きちがい兄貴に)言っても、きちがい的なモードで、まったく、認めないのだ。

これは、いちおう、騒音というのは、迷惑なものだということがわかっていて、自分の騒音に関して認めないというような態度ではなくて、「騒音」なるものが、自分にとって(兄貴にとって)まったく、わからないものだからわかないという態度だ。

「騒音で不快になったことがまったくないやつの態度」なのだ。騒音に反応する脳みそがまったくないやつの態度なのだ。ところが、きちがい兄貴は、騒音で不快になったことがあるやつなのだ。

きちがい兄貴だって、苦手な音はあり、苦手な音だと、うるさく感じて不快になるのだ。普通のうるさい音にも、ちゃんと反応するのである。

だから、「騒音」というものがどういうものか、わかっているのでる。

ところが、それに対応する……騒音に対応する脳みその回路がそもそもないというような感じで、無視する。この無視のしかたが、特別なのだ。

ほかの人だと、自分がどれだけやりたくても、そういうところまではずれていないので、「騒音は不快だ」ということがわかっている状態で、拒否するわけだろ。「しずかにすることを拒否するわけだろ。

ところが、きちがい兄貴の場合、ほんとうに、わかってない状態になる。実際には、もちろん、きちがい兄貴は、自分が音を騒音だと感じることがあるのである。けど、まったくそういうことがないというようなところまで、ズレて、まったく認めないのだ。

まったく認めないやつというのは……こっちにとっては……腹が立ってしかたがないやつなのである。

そういう、腹が立ってしかたがないやつが鳴らしている、きちがい騒音なんだよ。ものすごくでかい音なんだよ。よその家では、あんな音では鳴ってないんだよ。

そういう、きちがい的なやつが、「あたりまえだ」と思って鳴らしている騒音。そういう、きちがい的なやつが、「悪いことをしているわけではない」と思って鳴らしている騒音。そういう、きちがい的なやつが「迷惑をかけてない」と思って鳴らしている騒音。腹がたつだろ。腹がたつ。

あの音のでかさで、あの至近距離で、自分がきらいな音を、強制的に、何時間も何時間も聞かされたら、眠れなくなる。鳴り終わったあと、眠れなくなる。

これが、わからないやつらがいる。そいつらが、「自分だったら眠れる」と思ってくそを言ってくるのである。そういうことになってしまう。

きちがい兄貴が、きちがい的な基準で、きちがい的な意地で、きちがい的な感覚で、きちがい騒音を鳴らさなかったら、こいつらになめられることもないのだ。

過去否定論者は、過去は関係がない」と言って、何時間も何時間も、強制的に、自分のきらいな音を、ものすごい怨霊で聞かされたということの影響を認めないのである。

「過去は関係がない」からだ。

けど、こいつらだって、おなじことをされたら、やっぱり、眠れなくなるのである。もちろん、照明はできない。そして、こいつらの家族が、きちがい兄貴のような家族ではないから、そういうこと……俺とおなじことを経験しないのである。

こいつらは、人生のなかで、俺とおなじ騒音……きちがい兄貴の態度で鳴らす、きちがい的な騒音を経験していないのである。きちがい的な家族が、きちがい的な感覚で鳴らし続ける騒音というのを、経験していないのである。

こいつらは、夜郎自大な性格だから、これたま、「自分なら平気だ」と思って、くそを言うのである。ほんとうに、頭にくる。頭にくる。 

2025年8月21日木曜日

●「勝つ」と言って一〇〇回負けても、それは、無視なのである■言霊※2025/08/21 6:43

言霊主義者というのは、ニュートラルな状態で「楽しい楽しい」と言ったら、なんとなく楽しく感じたというようなことが、一回発生したら、言霊理論は正しいと思ってしまう。

けど、言霊理論を否定されて、腹がたっているときに、「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならないということは、無視してしまうのである。「勝つ」と言って、パチンコ屋に行って、勝ったとする。そういうことが一回あれば、言霊主義者は言霊理論は正しいと思ってしまう。「勝つ」と言って、パチンコ屋に行って、負けたときのことは、ガン無視したり、忘れてしまうのである。「勝つ」と言って、一回勝てば、そのことは覚えているけど、「勝つ」と言って一〇〇回負けても、それは、無視なのである。

パチンコ屋に行って、勝ったとき、「腹がたつ腹がたつ」と言っても、腹がたたないのである。言霊理論を否定されたときのように、腹がたつかというと、腹がたたない。

どれだけ、「腹がたつ腹がたつ」と言っても、うれしいことが起こったら、腹はたたないのである。

事前に発生した出来事が感情に大きな影響をあたえているからなのである。

「言霊」の力ではなくて「言葉」の力によって、自分の感情をかえることができると言ったって、言葉の力よりも、実際に起こったことのほうが、大きな力をもっているのだ。

言霊主義者だって、そのことは、体験してわかっているはずなのである。ところが、言霊理論は正しいということに意識が集中していると、言霊理論は正しいということを証明するようなことばかりに目がいって、言霊理論がまちがっているということを証明することは、無視してしまうのである。

そして、言霊主義者が、「言霊理論は正しいということを証明するようなこと」だと思っていることは、じつは、まったく、言霊理論が正しいということの証明にはならないことなのである。

言霊主義者は「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」という文の意味が、よくわかっていないから、「それだけ」で「言霊理論が正しいということが証明された」と思ってしまうだけなのである。

2025年8月20日水曜日

●認めないというところでは、きちがい兄貴と言霊主義者は、似ている■騒音※2025/08/20 23:39

 麻婆豆腐をつくるために、一階の台所に、豆腐をとりに行って、二階に戻ってきたら、右腕をダニにさされていた。一匹のダニなんだろうけど、数か所刺した。連続的に、ぷちぷちぷちっと、刺すタイプのやつだ。こういうのでも、おちこむのーーー。おちこむのーーー。もう、死にたくなるようなところもある。まあ、「もう死ぬか」と思うのは、一瞬だけどね。「こんなことで死ぬのはバカらしい」と思って、かゆさに耐えるわけ。どこで刺されたかわからないんだよな。冷蔵に手を伸ばしたときに刺されたのか、それとも、二階にあがってきて、鍋の中に入っている、ゆで卵を、外に出したとき、刺されたのか、わからない。

もう、きちがい親父がやったことの、影響をうけるのがいやだ。魚を出しっぱなしにして、部屋中を、ネズミ好みのにおいに染める……。やめろと言っても、何十日もやめない。ネズミ対策工事をしようと言っても、「俺がネズミシートで捕まえるからいい」と言って、ネズミ対策工事をさせないようにする。どっちも、親父がやりそうなことなんだよな。いかにも親父がやりそうなことだ。こっちは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音だけで、死ぬほどこまっている。いまも、こまっているんだよ。体力がないし、睡眠回路も壊れたまま治らない。

ここで書くべきではないけど、ちょっとだけ書いておく。はっきり言ってしまうと、言霊主義者の態度が、きちがい親父の態度やきちがい兄貴の態度と「似ている」のである。似ているんだよ。ヘビメタ騒音でつかれるということを認めないわけ。ヘビメタ騒音で、不可避的にこまるということを認めないわけ。きちがい兄貴、きちがい親父、言霊主義者、みんな、ヘビメタ騒音で、不可避的にこまるということを認めない。言霊主義者にとっては、俺がヘビメタ騒音で寝不足になり、どれだけこまっていても、「元気だ元気だと言えば元気になる」と思っている。言えば、元気になるのだから、言って、がんばればいいということになってしまう。言えば、解決できる問題なのだ。ところが、元気だ元気だと言っても、きちがいヘビメタ騒音にやられて、つかれはてているので、元気になれないのである。言霊主義者にとっては、ヘビメタ騒音のつかれや、ヘビメタ騒音からしょうじる寝不足という問題は、言えば、すぐに解決できるような「些細な問題」でしかないのである。こまっていると言ったって、たいして、こまってないことになる。「元気だ元気だ」と言えば、解決できる問題だからた。過去否定論者も、きちがい兄貴やきちがい親父のように、きちがいヘビメタ騒音の影響を認めないのである。「鳴り終わったら関係がない」「ヘビメタ騒音なんてそんなのは関係がない」と言いやがった。「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と言いやがった。 こいつらにとっても、ヘビメタ騒音なんていうのは、たいした問題じゃないのである。ヘビメタ騒音でどうしても、眠れなくなるということや、どうしても体が影響をうけてつかれはてるということは、簡単に無視できることなのである……。こいつらにとって、簡単に無視できることなのである。ところが、こいつらが無視したとしても、ヘビメタ騒音でしょうじたつかれや、ヘビメタ騒音による睡眠不足はある。影響がある。睡眠回路がこわれたと表現しているのだけど、睡眠回路が、もとのように働かないのだから、働かないあいだ、影響をうけているのである。ところが、そんなのは、関係がないのである。どうしてかというと「過去は関係がないから」だ。

腹がたつだろ。言霊主義者は、うちの兄貴のように、非常識な音で、こだわってこだわってこだわってこだわって、長時間にわたって、ずっと騒音を鳴らし続けるということはないのだろう。だって、そういうやつは、うちのような特殊な場所じゃないと、つまはじきにされて、相手にされないからな。そして、やりたくても、やるなと、説得されたら、やらないというような常識的なところがある。ところが、きちがい兄貴は、きちがいなんだよ。そういう部分がまったくない人間なんだよ。そういう部分が、まったくない人間による騒音だということを、言霊主義者は無視しやがるのである。過去否定論者は無視しやがるのである。

ヘビメタ騒音の影響を認めないというところでは、きちがい兄貴と言霊主義者は、似ている。ヘビメタ騒音の影響を認めないというところでは、きちがい兄貴と過去否定論者は、似ている。 似ているんだよ。言霊主義者の頑固なところを、一兆倍すると、きちがい兄貴の頑固な態度ができあがる。言霊主義者は、兄貴よりも、一兆分の一しか、頑固じゃないけど、それでも、一兆分の一は、似ているのである。過去否定論者もおなじ。

●「そんなに、怒り狂っているような親だったら、絶対に文句を言う」■騒音※2025/08/20 17:52

 あーあ。俺の人生は失敗だったのか。もちろん、きちがいヘビメタが鳴っていた。きちがいヘビメタの影響がでかい。これ、みんな、鳴り終わったら関係がない」とか「俺だって騒音ぐらいあった」とかと言うけど、ちがうんだよね。きちがい兄貴が特殊で、きちがい兄貴の感覚が特殊で、きちがい兄貴の行動が特殊だったから、ほかの人は、ぼくと同レベルの、家族が鳴らす騒音を経験していない。家族が鳴らすということが、重要なのだ。これ、まったく、考慮されないけど、家族が鳴らす騒音だということは重要だ。もう、かつて書いたから、書かないけど、重要なのだ。とてつもなく、悪い影響をあたえる。「家族なら静かにしてくれる」と勝手に思ってしまうやつもいるし、家族だと、訴えにくいのだ。そして、俺はあのとき、未成年だった。そして、きちがい親父はきちがい親父だった。きちがい兄貴によるヘビメタ騒音の問題を解決しようと思わなかったのだ。きちがい親父が、きちがい親父の感覚で、きちがい兄貴を野放しにした。これも、「そんなに、怒り狂っているような親だったら、絶対に文句を言う」と普通の人は考えてしまうのだけど、きちがい親父の行動は、普通の人にはわからない。もう、きちがい親父は、きちがい兄貴に注意できる状態じゃなかったけど、注意をしようとまるで思わなかったのだ。そして、実際に、俺が家族会議を開いたときに、ぼそっと、しずにしてやれ」と言っただけで、それ以外の注意はしなかった。家族会議だって、これは、俺が高校三年生の時の家族会議なのだけど、きちがいヘビメタ騒音が鳴り始めたのは、俺が小学六年生のときだ。小学六年生のときから、高校三年の受験全前日まで、一回も注意をしたことがなかったのだ。そして、家族会議なんだけど、きちがい兄貴が家族会議の席に着きたくないのはあたりまえなのだけど、きちがい親父も、家族会議の席に着きたくなかったやつなんだよ。中学三年の受験のときは、家族会議すら、開けなかったんだよ。これ、「家族で話し合えばいい」と言っているような人には、まるでわからない光景なんだよな。まるでわからないことなんだよな。そして、じゃあ、高校三年二カ月前まで、兄貴に注意をしてくれなかった」ときちがい親父に言ったら、きちがい親父が「注意した!!注意した!!」とおこって絶叫するのだ。この態度……。きちがいだからできることなんだぞ。そして、「注意した!!注意した!!」とおこって認めない態度と、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしているときの態度がおなじなのだ。おなじ脳みそのしくみから出てくることなのだ。自浄作用なんてあるわけがないだろ。親父がまともなことを言うなんてことはないんだ。「家族で話し合い」なんてできないんだよ。けど、一回でも、家族で話し合うことができたんじゃないか」と言うわけ。けど、それまでの六年間と半年間ずっとずっとずっと、毎日鳴らしているのに、毎日、家族会議を開けなかったいうことを忘れてはいけないのである。あーー? きちがい兄貴が、家族会議の席に着きたくなかったから、どれだけ言っても、家族会議を開けなかったのである。きちがい親父だって、「家族会議なんて、しらないよ」という態度で、ガン無視だった。きちがい兄貴を席につけるように、努力していたとき、きちがい親父が席につこうとしなかったのだ。きちがい兄貴だけではなくて、きちがい親父にも、話し合いの席につくように、交渉しなければならなかった。交渉すると、自分にとって、いやなことはいやなことだから、きちがい親父は、おこって、席につこうとしないんだよ。親父にしてみれば「注意させられる」ということが、いやなことでしかたがないことなんだよ。けど、きちがい親父が、自分は、交渉の席につきたくないと思っているというとがわからないのだ。即物的に、きちがい的おこって、おしまいなんだよ。実際に、裁判をするから、協力してくれと、親父に言ったとき、「裁判なんて、できるわけがないだろ!!」と荒れ狂っておしまいだった。俺が、小学六年生のときだ。そういうやつなんだよ。兄貴だって、もちろん、自分が鳴らしたいのに、制限をされる交渉なんか、したくないわけ。全部、自分が好きなように鳴らしてあたりまえだと思って、実力行使で鳴らしているやつが、わざわざ、自分の行動が制限されるような可能性がある交渉のテーブルにつくわけがないだろ。これも、きちがい兄貴は、きちがい兄貴の嫁さんに、俺がこまっているということを、知らなかったと言っているんだよね。こういうレベルの発想なんだよ。自分の気持ちがまったくわかってない。自分が頑固にやりきったことがまったくわかっていない。きちがい兄貴も、きちがい親父も、自分が頑固に頑固にやりきったことが、まったくわかってないわけ。けど、「予感」として、自分の行動が制限されるようなことは、「予感」であったとしても、発狂してはねのける性格なんだよ。「予感」として、自分がやりたく言こと、自分にって不都合なことは、予感の時点で、発狂して、はねのけてたんだよ。実際、きちがい兄貴も、きちがい親父も、おなじやり方で、発狂してはねのけていた。ともかく、六年以上、毎日、交渉の席に親父がつこうとしなかったんだよ。その、高校三年生の時の『回(かい)』だって、そうだったんだよ。なかなか、テーブルの席につこうとしなかったんだよ。

●「三秒以内に、自分の身長が一〇センチ伸びる」■言霊※2025/08/20 9:33

たとえば、「三秒以内に、自分の身長が一〇センチ伸びる」と言ったとしよう。

もちろん、言霊の力によって、三秒以内に、自分の身長が一〇センチ伸びることはない。

しかし、たとえば「三年以内に、自分の身長が一〇センチ伸びる」と言った場合はどうか。伸びる場合もある。そして、たとえば、「自分の身長が一〇センチ伸びる」と言った場合はどうか。伸びる場合もある。

言霊主義者というのは、たとえば「自分の身長が一〇センチ伸びる」と言ったら、実際に一〇センチ伸びた。だから、言霊(理論)は正しいと思ってしまう人たちなのだ。

これは、「言ったあと」延びただけだ。言霊の力でのびたわけではないのである。言霊の力でのびたのなら、「三秒以内に、自分の身長が一〇センチ伸びる」と言っても伸びるはずだ。

けど、伸びないのである。言霊の力でそうなったわけじゃないのに、言霊主義者が、言霊の力でそうなったと思っているだけなのである。そして、言ったあと、言った通りになったとしても、言霊理論が正しいとは言えないということがわかっていないのだ。

だから、気がつかないうちに一〇〇%詐欺をしてしまう。これ、理論的に物事を考えられないだけなのだ。

さらに言ってしまうと、自分が言っていることの意味がわかってないだけなのだ。

それだけならよいのだけど、問題なのは、「かえられないことについて、言霊でかえられる」と言い張ることなのである。

根拠は……この場合……自分は「自分の身長が一〇センチ伸びる」と言ったら、実際に伸びたということだ。これが、言ったことすべてに成り立つと思っているのだ。たまたま、言ったあと、一〇センチ伸びただけだ。

内部環境を……言うだけで……好きなようにかえられるわけではないのである。

ところが、内部環境を……言うだけで……好きなようにかえられるということを言うのだ。

蚊の脳みそだってかえられないのに、自分の内部環境を言うだけで自由にかえられるなんてことを言うわけ。まあ、内部環境という言葉は使わないけどね。

それに対応した脳内の神経ネットワークが、言うだけでつくれるかというと、つくれない。言っただけで、自分の内部環境を自由にかえられるわけではない。そして、言霊主義者だって、それを知っている。言霊主義者だって、自分の内部環境を自由にかえられるわけではないということを知っている。

だから、「いつか」という言葉でごまかして、時間をかせぎ、成長を待たなければならないのだ。成長は、体(からだ)のしくみによって発現するのである。ところが、自分が言ったから、こうなったと、原因をごまかして、理解してしまう。

けっきょく、誤解をしているだけなんだよ。

2025年8月19日火曜日

●そして、結果は、人間としての感情を呼び起こすのである■言霊※2025/08/18 20:25

たとえば、ある小学校で、子どもを一〇〇人集めて、サッカーのうまさを競わせたとする。

そうすると、とりあえず、「うまい・へたの順番」ができあがる。まず、「うまい・へたの順番」ができあがるということが重要なんだよ。

サッカーのうまさに価値があるのかどうかは、別にする。

この「うまい・へたの順番」というのは、じつは、内部環境から出てくるものなんだよ。

内部環境というのは、ここでは、その子どもの、体力、俊敏性、ボールへの反応速度、身長、体重、ルールの理解、他者の動きを把握する力などだ。

環境というのは、条件の束だとぼくは言ってきたわけだけど、内部環境というのは、その個人の、条件の束なのだ。才能と言ってもいいのだけど、才能と言いあらわせることも、けっきょくは、内部環境なのだ。

内気な性格とか、勝気な性格というのも、サッカーのうまい・へたに影響をあたえるだろう。遠慮がちな性格なのか、遠慮しない性格なのかということも、サッカーのうまい・へたに影響をあたえる。

基本的なことは、その子の内部環境で決まってしまう。

あとは、外部環境があるのだけど、それは、どういう家に生まれて、どういう人たちと一緒に暮らしているかというようなことだ。どういう学校に通って、どういう教育をうけているかというようなことだ。

これ、一番から一〇〇番まで、順番をつけられると、自己イメージに影響が出る。

そして、上位一〇%はすぐれていて、下位一〇%は、劣っているという、客観的な評価がつきまとうことになる。自分が劣っているところを、みんなの前で見せるのは、はずかしいことだ。

いっぽう、みんなの前で、自分がすぐれているところを見せるのは、そこそこ、誇らしいことだ。

けど、これにも、いろいろとあって、きちがい的な親に育てられると、すぐれているところを見られるのもいやだというような気持ちが生まれることもあるのだ。

まあ、それは、きちがい的な親という外部環境が影響をあたえていることだ。

下位一〇%の子どもが、恥をかかされるので、サッカーなんてやりたくないと言ったとする。
そうすると、言霊主義者が「ネガティブなことを言うから、サッカーがへたなんだ」と思ってしまうのだ。

順番がちがうんだよね。

言霊主義者は、すべての環境を無視して、ただひとつ「言ったかどうか」ということを問題にする。「ネガティブなことを言ったから、サッカーがへたくそなんだ」と決めつけてしまうのである。

そして、たとえば、上位一〇%の子どもが、「サッカーは楽しい」「サッカーをやっていると楽しく感じる」と言ったとする。

そうしたら、言霊主義者は「サッカーについてポジティブなことを言うから、サッカーがうまい」と思ってしまうのだ。

順番が逆なのだけど、言霊主義者は、「環境」「条件の束」を無視してしまうので、結果から出てきた発言に注目してしまう。

そりゃ、サッカーが楽しいと感じた子供は、そのあとも、サッカーをやりやすいし、サッカーが楽しくないと感じた子供は、そのあと、サッカーをやらないだろう。やらされるとなると、ネガティブな感情が生まれるだろう。

それで、当然だ。

人間というのは、そういうふうにできている。

こうなると、言霊主義者が、さらに誤解をする土台ができあがる。

蚊の場合とおなじだ。

「ポジティブなことを言って続けるからうまくなる。ネガティブなことを言ってやめてしまうからへたくそなままなんだ」というようなことを言うのである。もとの、才能というのは、ガン無視なのだ。

これ、言霊主義者は、正しいことをしていると思っているかもしれないけど、こういう外野が、条件が悪い人にあたえる影響は、悪い影響だ。

いい影響なんて与えていない。言霊主義者というのは、個人がもっている内部環境を無視してしまう。そして、人間として当然の心の流れを無視してしまう。原因と結果をごちゃまぜにしてしまう。

つねに、ネガティブなことを言ったか、ポジティブなことを言ったかということに、注目して、まちがった結論を導き出してしまうのだ。

体格、才能、容姿といった内部環境を無視するべきではない。

内部環境というのは、個人の内なる条件の束だ。影響をあたえないわけがないだろ。なんで、個人の内なる条件の束を無視して、言ったかどうかに注目するのだ。個人の内なる条件の束が、結果に圧倒的な影響をあたえることになる。

そして、結果は、人間としての感情を呼び起こすのである。

結果について、そりゃ、感じることがあるだろう。感じたことを言葉で表現したとする。

そうしたら、言霊主義者が、その言葉だけを取り上げて、言葉が、結果をつくったと、アホなことを言うのである。筋違いのことを言うのである。


●だから、みんなわからない■騒音※2025/08/18 23:05

体(からだ)ごと包まれる形で、あのひどい音を聞かされるということが、どういうことなのか、わかってない人たちばかりなのだ。

その人たちが「俺だって騒音ぐらいあった」と言う。ぜんぜん、ちがうのに、まったくわかってない。まーーーったく、わかってない。あの至近距離の音が、どれだけ、強烈かわかってないのである。

ほんとうに、振動がくる。固体振動だ。気が気じゃないのである。

だれに言っても、あの空間は、わからない。

「ちょっとうるさい」というレベルではないのだ。そして、ヘビメタの音が、ほんとうに、俺にあわないのだ。猛烈に、あわない音なんだよ。

学校で、俺みたいに、家族のヘビメタ騒音を聞かされている人はいなかった。きちがい兄貴が、きちがいだから、程度というものがわかってないのだ。自分が思いっきり鳴らしたかった、思いっきり鳴らした音が、しずかな音だと思ってしまうのだ。

こういうところに、きちがい的なずれがある。

だから、みんなわからない。みんな、誤解をする。誤解をする。

そして、ともかく、毎日続いたということが、ほかの人とぼくのちがいをうみだしている。みんな「たいしたことはない」「ヘビメタ騒音なんて関係ない」「過去は関係がない」と言うけど、みんな、わかってないやつらなのだ。

こんなことを言うわけがないだろ。おなじことをやられたやつが、こんなことを言うわけがない。やられてないから、言っているだけだ。ほんとうに、失礼なやつらだ。ほんとうに、ぶんなぐってやりたい。 

2025年8月18日月曜日

●「例」が勘違いだから、もうその時点で、相手にするべきではない■言霊※2025/08/17 17:54

「蚊は刺さない」と言えば、「蚊が刺さないようになる」かということについて、ちょっと書いておく。いちおう、蚊と言ったらメスの蚊のことだとする。

「蚊は、自分のことをささない」とどれだけ「うまく」言ったって、蚊の本能的な行動がわかるわけではないのだ。

言霊主義者は、「蚊は刺さない」と言ったあと、蚊がいない部屋に行って、蚊に刺されなくなったら「蚊は刺さない」と言ったから、言霊の力によって、蚊が刺さなくなったと思うのだ。言霊主義者がやっていることは、こういうことだ。

ちゃんと、手品のタネがある。

何度も言うけど、言霊主義者は、「言ったあと」と「言ったから」の区別をせず、「言霊の力」と「言葉の力」を区別しないので、言霊理論を信じているだけだ。

かならず、トリックがある。

「だましポイント」がある。

なにか、例をあげて、法則性があることを説明したとする。「例」から「法則性のある全体」という流れがある。

部分から、全体への流れがあるのだ。

言霊の説明は、「例」が勘違いだから、もうその時点で、相手にするべきではないのだ。かりに、例が勘違いによるものではなかったとする。その場合だって、「部分」から「全体」への説明には、注意をしたほうがいい。

その全体は、その部分を含んでいるかもしれないけど、その全体は、それ以外の部分も含んでいるかもしれないからだ。

「例」にからくりがあるということだって、言霊主義者にどれだけ、丁寧に説明しても受け入れてくれない。「例」に嘘がない場合だって、ほんとうは、理論的には、部分において、そのことが成り立つからといって、全体において、そのことが成り立つとは限らないのだ。

これも、説明しても、(言霊主義者は)受け入れてくれないのである。

「なんだこんにゃろう」「言霊は正しい」と言って、俺に対して、恨みをもつことになる。たいていの言霊主義者にとっては、そういうことを説明した俺が、いやな人間になるのである。

ぼくの経験の範囲だと、すべての言霊主義者がそういう反応をした。

手短にいうと、「蚊は人間を刺さない」と言っても、蚊の本能をかえることができない。「蚊は人間を刺さない」と(だれか言霊主義者が)言ったあとも、蚊は、本能にしたがって行動するのである。言霊主義者が「蚊は人間を刺さない」と言っても、蚊の本能行動をかえることができないのである。

蚊の脳みそを、かえることができないのである。なので、「蚊は人間を刺さない」と言っても、条件がそろえば、蚊は、本能にしたがって行動をして、人間を刺すのである。これが、わからない。

言霊主義者は、言霊の力で「なんでもできる」ようなことを言うけど、本当は、言霊の力では「なにもできない」のだ。

そりゃ、言霊の力で、蚊の脳みそをかえることができないのとおなじで、なにもできないのである。言霊主義者が「言霊の力でなんでもできる」と思っているのは、「言ったから」と「言ったあと」を勘違いして、「言葉の力」と「言霊の力」を勘違いしているからだ。 

2025年8月17日日曜日

●影響のでかさをガン無視するのである■騒音※2025/08/17 17:37

 鳴っているあいだの状態も、なり終わったあとの状態も、みんな、勘違いしてしまうのである。みんな、うちのきちがい兄貴が鳴らすような騒音を、毎日、一倍速で経験したことがないから、勘違いしてしまうのである。ほんとうに、こまる。きちがい兄貴が、ほかの家では絶対に鳴らせないようなでかい音で鳴らすから、こうなる。そして、きちがい兄貴のこだわりや、きちがい兄貴の意地が、ほかの人には、わからないのである。わからない。一緒に暮らしていなければわからない。そして、普通の家には、きちがい兄貴のような家族がいないので、実際に、きちがい兄貴のような家族が、きちがい的なこだわりで、きちがい的な意地で、ずっと騒音を鳴らしきるということが発生しないのである。こっちが、どれだけ言っても、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、こちらが言っていることを認めず、こちらにはまったく迷惑をかけてないと思ったまま、きちがい的な意地で鳴らしきるのである。何度も言うけど、普通の人は、ぼくが経験したような騒音を、一倍速で、体験していないのである。だから、それが、どういうことなのか、根本的に、わかってない。わかってないと、『関係がない』と言うのである。「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「そんなのは関係がない」「過去のことは関係がない」といいやがるのである。そいつらは、ヘビメタ騒音なんて鳴ってたって、自分は影響をうけないと思っているのだ。実際、ヘビメタが好きな人はそうなのかもしれない。けど、自分がヘビメタを聴きたくないときに、ガンガン鳴っていたら、ヘビメタが好きな人だって、文句を言いたくなるかもしれない。ともかく、ヘビメタが好きな人は、この世で一番嫌いな音楽がずっと鳴っているところを想像すればよいのである。この世で一番嫌いな音楽がずっと鳴っている空間というのが、どれほど、くるしい空間か、日常的に経験してみろ。しかも、うちのきちがい兄貴は、ほかの人が、家のなかでは、鳴らさないような音で、鳴らしているのだ。これは、目の前に、大きな幼稚園があるということも、あるていど関係しているかもしれない。うちだけではなくて、何軒も、大きな幼稚園と接しているのである。だから、ある程度、騒音には寛容になる。騒音に寛容な人しか住めない。けど、言いたかったのである。文句を言いたかった。ヨソの人が、文句を言いたくなるような音で鳴らしていた。そういうことについて、ほかの人は、誤解をするのである。「そんな音でずっと鳴らせるわけがない」と言ったりする。この人たちにしてみれば、ぼくは、嘘つきか妄想系の精神病者なのである。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で鳴らしている。それで、ぼくがこまっている。なのに、よその人のうち、約四割が、俺のことを、嘘つきだとか、妄想系の精神病者だと思うのだ。そして、騒音を軽く考える人は、「そんなのは関係がない」と、まっさきに言うのである。影響のでかさは、ガン無視だ。影響のでかさをガン無視するのである。影響はないと思っているのだ。あるんだよ。けど、こっちが、そういうことを考えている人たちに、どれだけ説明しても、やはり、影響があるということを、その人たちは、認めないのである。こういう構造が成り立っている。だから、きちがい家族が、きちがい家族しか鳴らさないような騒音を、頑固に頑固に鳴らしたとすると、その騒音を聴きたくない(別の)家族は、ものすごく、こまった立場になるのである。

●嘘を信じて、有害な助言をするようになる■言霊※2025/08/17 14:31

言霊主義に目覚めた底辺の人は、概念的には、自分も含めて底辺のやつは、ダメ人間だと思うようになるわけ。

どうしてかというと、「底辺のやつは、ネガティブ言葉を使うから、底辺なんだ」と思うようになるからだ。

その人が、自分の客観的な「地位」を、考えた場合、自分は底辺に属すると考える場合、その人も含めて、言霊理論によって、一括処理で、ダメ人間にされてしまうのである。不幸な人と書いたけど、底辺の人でもおなじだ。

ようするに、言霊思考を受け入れてしまうと、社会的なピラミッドを肯定するようになり、自分が「下」である場合は、自分が「下」であるという意識をもってしまうのである。その場合、一度は、スポイルされたということになる。

そりゃ、自分で、自分のことを「下」の存在だと思うのだから、そうなる。

しかし、そこでは、とまらないのである。

基本的に、人間は夜郎自大なところがあるので、自分だけは、ちがうと思うのである。言霊理論を知った自分は、言霊理論を知らないやつよりは、「上」だと思うようになるのである。

だから、言霊主義者は、言霊理論を知らない人に、「言霊について教えてやろう」と思うようになる。

これは、まあ、上から目線であって、ともかく、言霊理論を知っている自分は、言霊理論を知らない一般人より、上だと思うようになるのである。

もう、ここらへんも、決まっていることだ。

やっぱり、宗教みたいなところがある。

宗教のわるい部分が、言霊主義にも組み込まれている。

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たとえば、大学が偏差値でランキング化されるとする。頭の中に、大学ヒエラルキーができあがる。これを、受け入れるかどうかの問題はある。あくまでも、業者の試験で序列化されただけなので、受け入れないということも、個人的には可能だ。

多くの人が、大学ヒエラルキーを受け入れた社会があるとする。まあ、ヒエラルキーと書いたけど、イメージとしては、ピラミッド構造があるというイメージだ。ピラミッドを平面的に見て、上のほうが、上流、中間が中流、下のほうが下流だ。上辺、中辺、底辺という言い方があんまり、しっくりこないのだ。

しかも、上辺(じょうへん)というのは上辺と書いてう「うわべ」と読む場合もあり、「うわべ」のほうが「じょうへん」よりも、よく使われるので、上辺、中辺、底辺という言い方は、統一性がないのである。「底辺」という言い方は一般的だけど、「上辺」や「中辺」という言い方は、あんまり一般的ではない。まあ、いいや。「底辺」と書くと、上流や中流という言葉を使いにくくなるのだけど、しかたがない。「下流」だと、これまた、いやなんだよなぁ。こまったな。

まあ、ともかく、書きたいことは、かわらない。

言霊思考には、「ポジティブ」「ネガティブ」というヒエラルキー観がある。

それが、そのまま、「人間の格」のヒエラルキーになってしまうのである。

言霊信者は、言霊教祖を尊敬してしまうわけだけど、言霊信者にとって、言霊教祖は、相当の上位者で、いい人だということになる。

言霊信者にとっては、言霊教祖は、性格がいい人だということになるのである。そして、たとえ、ネガティブなことを言っている人は、性格が悪い人だということになってしまうのである。

こういう、ヒエラルキー観ができあがってしまう。

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ほかの人よりも、蚊に刺されやすい状態でくらしている人がいるとする。

この人が、人並みの愚痴頻度で、愚痴を言っても、言霊主義者は、この人のことを「愚痴ばかり言う悪い人だ」と思うようになるのである。劣悪な環境で、蚊に刺されているだけなのに、性格が悪いと思われてしまうのである。

言霊主義者は、エス・オー・エスのサインをガン無視して、説教し始めるのである。もちろん、「愚痴ばかり言っている悪い人にいいことを教えてあげる」というような態度になる。

そして、言霊の力で、蚊の問題を解決することができないので、けっきょく、「かゆい」と言うことさえ、封じるということになる。けっきょく、「おまえの言い方が悪い」ということになって、蚊に刺される状態がずっと続くのである。あるいは、蚊に刺される状態が続きやすくなるのである。

もちろん、蚊に刺されやすい家に住んでいる人は、自分で、蚊の問題を解決しなければならないのだけど、言われることが、これなんだよ。

名前だけ店長が、これ以上、労働を続けるのは苦しいと言った場合だって、言霊主義者は、エス・オー・エスのサインをガン無視して、説教し始めるのである。

そして、その説教は、けっきょく、名前だけ店長が、くるしい労働をし続けることに、寄与するのである。

「できるできると言って、我慢すればいい」「楽しい楽しいと言って、我慢すればいい」「元気だ元気だと言って、我慢すればいい」というのが、言霊主義者の提案だからだ。

じゃあ、そういうことを言う言霊主義者が、上流なのかというと、そうではない場合が多い。下流だって、まるで、ブラック社長のようなことを言うのである。下流で、サービス残業をする側なのに、ブラック社長の言霊理論に賛成してしまうのである。

下流の側の人間が「できるできると言って、我慢すればいい」「楽しい楽しいと言って、我慢すればいい」「元気だ元気だと言って、我慢すればいい」と思って、サービス残業をしてしまうのである。

これは、ブラック社長にとっては、都合がいいことだけど、言霊主義者ではない下流の人にとっては、迷惑なことなんだよ。 

ともかく、言霊主義者にとって、条件が悪い人のエス・オー・エスは、単なる愚痴なのである。そして、言霊主義者は、条件の悪い人を、性格の悪い人だと見下して、有害な助言をするようになるのである。

言霊主義者の条件が、たいしてめぐまれていない場合もそうなる。

底辺に属する言霊主義者も、言霊主義者として、他の底辺に属する人を、見下して、役に立たないばかりか、有害な助言をするようになるのである。

一度でも、言霊教祖の言葉を信じてしまうと、嘘と真実の区別がつかなくなり、嘘を信じて、有害な助言をするようになるのである。

●言霊を信じてしまうと、自動的に、不幸な人を見下すようになる■言霊※2025/08/17 13:01

基本的なことを言ってしまうと、言霊を信じてしまうと、自動的に、不幸な人を見下すようになるのである。

どうしてかというと……言霊主義者にとっては……不幸な人というのは、ネガティブ言葉を使っている人だからだ。

「不幸な人は、ネガティブ言葉を使っているから不幸なのだ」とか「不幸な人は、ネガティブ言葉を使っているから、不幸なことが、いっぱい、まいおりる」ということになってしまうのである。

まあ、「不幸な人は、ネガティブな言葉を使うから、ネガティブな出来事を引き寄せてしまう」ということになるのである。

言霊主義者は、そのように認識してしまう。言霊主義者の頭のなかでは、……あくまでも、言霊主義者の頭のなかではということなのだけど……そうなってしまうのである。

そういうふうに、見ると、そういうふうに見えるということだ。

だから、「ネガティブな言葉を使っているのはダメ人間だ」ということになる。

ある言霊主義者が、社会的には、底辺層に属していても、やっぱり、「不幸な人は、ネガティブな言葉を使うから、ネガティブな出来事を引き寄せてしまう」と思ってしまう。

自分も、客観的にみれば、ダメ人間層に属しているのだけど、それでも、ほかの人のことに関しては、「ネガティブな言葉を使っているのはダメ人間だ」と思ってしまうのである。

だから、これは、別に、エリートの考え方ではないわけ。

普通の人や、底辺の人が「ネガティブな言葉を使っているやつは、ダメ人間だ」「ダメ人間は、みんな、ネガティブな言葉を使っている」「ネガティブな言葉を使っているから、ダメ人間なんだ」と思うようになってしまうわけ。

だから、「ネガティブな言葉を使わないようにしよう」と思うわけなんだけど、ネガティブな言葉を使わなくても、環境がもたらすことがあるわけ。

きちがい的な親と一緒に住んでいれば、きちがい的な親が、きちがい的なことをしてくるわけ。ブラック工場に勤めていれば、ブラック工場の上司や同僚が、いろいろなことをしかけてくるわけ。

そいつらは、そいつらで、動いている。

別に、だれか言霊主義者が、ネガティブな言葉を使わないようにしても、蚊が刺してくるように、迷惑なことをしてくるわけ。

ようするに、環境が問題なので、ネガティブな言葉を使うとか、使わないということで、環境がもたらすものをかえることができないわけ。

うすい毒ガスのなかで呼吸をしていると、どれだけ、「ガティブな言葉を使わないようにしても、うすい毒ガスの影響をうけるわけ。

毒ガスという物質と、体を構成する物質との間の相互作用があるわけ。それ……その相互作用は、ガティブな言葉を使わないようにする意志とは関係なく、進行するんだよ。

まあ、毒ガスにやられて倒れると、「ネガティブな言葉を使わないようにしよう」というような意識的な思考も、なくなるわけだけどな……。

環境と書いたけど、たとえば、毒ガスは、毒ガス条件であるわけ。だから、条件がもたらすものが、物質的なボディ(体)に影響を及ぼすわけ。これは、人間の脳みそというボディにおいても、おなじことが成り立つ。こういう物理的な反応を言霊の力で、かえるということができないんだよ。

けど、言霊主義者は、自動的に……言霊(の力)でかえられると思っているわけ。

ともかく、言霊的な解決方法は、有効ではないんだよ。

環境が普通の状態であれば、ストレス対抗期間範囲内で、体のしくみに基づくものなら、気分的な影響を、あたえることができるけど、それは、あくまでも、ストレス対抗期間範囲内のことだし、体のしくみに依存したものだ。

いちおう、ストレス対抗期間内かどうかということや、体のしくみに依存したものかどうかということは、体の内部のことなんだよ。

体の内部には、たしょうの影響をあたえる場合もあるということだ。これは、意志の問題だし、気分の問題だ。内部の状態について、普通の身体を通して、影響をあたえているだけなのである。外部環境は、別に、かえられるわけではないのだ。

言葉は、身体という内部環境に、多少の影響をあたえる場合もあるけど、この影響をあたえるチカラに、言霊はかかわっていない。

あくまでも、言葉の力だ。

言葉は、外部環境に影響をあたえる場合もある。AさんとBさんがいたとする。AさんがBさんを説得して、Bさんがなにかをやったとする。この場合、言葉がBさんの行動に影響をあたえたということになる。なら、言霊があるということになるかというと、ならないのである。

あくまでも、言葉の力であって、言霊の力じゃない。 

2025年8月16日土曜日

●一秒間で、憤死してしまうほど、腹が立つ■騒音※2025/08/15 23:11

  きちがい兄貴が、ほんとうに、すべての時間、最大限の音で鳴らしてしまうのである。

「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」と言っているのに、やめてくれなかった。

きちがいだから、「こんな音で鳴ってたら、こまる」というのが、わからない。

自分がやりたければ、「普通の音」なのである。

あんなにでかい音で鳴らして、普通の音で鳴らしていると思っている。そこがきちがいなんだよ。きちがい親父とおなじように、自分にとって、不都合なことは、ガン無視だ。

普通の感覚器をもっていれば、どんな嘘つきだって、絶対にわかることがわかっていない。わからない」ということを、人質にとって?鳴らしまくる。「わからない」から、悪いことをしているわけではないということになってしまう。

「わからない」から「そんなことはしてない」ということになってしまう。これが、あいつらのやりかだ。きちがい兄貴ときちがい親父のやり方だ。自分がやりたかったら、絶対にわかることでも、認めないのである。認めないから、そうしているわけではないということになってしまう。でかい音で鳴らしているということを認めなければ、でかい音で鳴らしているということにならないのだ。こんなの、きちがいしかできないことなんだよ。ほんとうにきちがいだから、意識的には、芝居をしているつもりがないんだよ。だから、あたりまえだと思って鳴らすし、どれだけ「でかい音で鳴らすな」と言っても、でかい音で鳴らし続ける。本人は、意識的には、でかい音で鳴らしているつもりがないのだけど、無意識的には、でかい音で鳴らすことに……命がかかっているのである。一秒だってゆずりたくないのである。一秒、ゆずらなければならなくなったら、一秒間で、憤死してしまうほど、腹が立つのである。一秒間、自分がゆずって、ほんとうに静かにしてやらなければならないということになったら、腹がたって腹がたって腹がたって、しかたがない状態になるのである。だかし、発狂して、やめてやらないということになる。おこって、おこって、おこって、一秒間だって、やめてやらないのである。けど、本人は、こだわって鳴らしているつもりがまったくないのだ。本人は、でかい音で鳴らすことにこだわっているつもりがまったくないのだ。まーーーったくない。そういうきちがいなんだよ。

●ひとごとなら、見下すのである■言霊※2025/08/15 18:51

神様がいると思うことは、重要なことだ。別に否定しない。しかし、人の条件を無視して、人に言霊的なアドバイスをすることは、悪いことだ。

なんで、アドバイスをすることが悪いことなのかと思うかもしれない。基本的に、人の条件を無視するということ自体がよくないことだ。そして、そうなっている物理的な原因に注意を払わないということは、よくないことだ。

言霊主義者は、不幸な人を、不幸なことばかり言っている悪人だと思ってしまうのである。初期値がこれなんだよ。

そして、役に立たない助言をする。

そして、助言通りにしても、うまくいかなかったということを言われたら、「言い方が悪いから、ダメなんだ」と言うのである。不幸なことばかり言っている悪い人の言い方が悪いから、言ったことが現実化しないということを(言霊主義者が)言い出すのだ。

言葉には、言霊が宿る……と考えることは、別にいい。「言霊の神様」に、お願い事をするのも、別にいい。「言霊の神様」が自分のねがいをかなえてくれると思っていても、別にいい。

問題なのは、助言をしてしまうことと、不幸な人は不幸なことを言ったから不幸なんだと考えることだ。

言霊を信じている人のうち、どれだけの言霊主義者が、「不幸な人は不幸なことを言うから不幸なんだ」と考えないのか?

どれだけの言霊主義者が、「不幸な人は、ネガティブな言葉を使うから、不幸なんだ。不幸になるんだ」と考えないのか?

まあ、こころのなかで、 「不幸な人は、ネガティブな言葉を使うから、不幸なんだ」と考えることは、別にいいとしよう。

けど、それを、口(くち)に出しちゃあ、だめだよ。

これは、ひどい言葉だぞ。ネガティブなんてものじゃない。

「不幸な人は、ネガティブな言葉を使うから、不幸なんだ」という言葉は超・ネガティブな言葉だ。

ほかの人を、悪く言っていることに気がつかないのかな。

そして、じつは、悪く言う根拠が、でたらめなのである。まあ、言霊主義者なのだから、「悪く言う根拠が、でたらめだ」とは思わないよなぁ。

これ、じつは、事実を無視して、勘違いしているだけなのである。人のことを、悪く勘違いするようになっているんだよな。特に、不幸な人を、悪く勘違いすることになっている。

これ、やっぱり、誘導されている。悪魔が人間を支配をするときに、有効な手段なんだよなぁ。

問題なのは、不幸な人も、他人に関しては「不幸な人は、ネガティブな言葉を使うから、不幸なんだ」と考えてしまうところだ。

不幸の程度や、不幸の分野がちがえば、人は、人につめたくなれるのである。

悪い条件がもたらしたことなんて、ガン無視だ。

言霊を信じている人は……「その人が、ネガティブなことを言うから、不幸になった」……と考えてしまう。

支配者階級のことは、ほめているのである。

これは、疑似できなカースト制度なのである。

「カルマ論の前世で悪行をした」ということを、「ネガティブなことを言う」ということに、置き換えているだけなのである。

カースト制度上位の人は、前世でいいことをしたから、カースト制度上位なのだということになってしまう。そして、カースト制度下位の人は、前世でわるいことをしたから、カースト制度で下位なのだということになってしまう。カースト制度が正しいと信じている人のなかでは、そうなるのである。

ちょうどおなじことが、言霊的な階級制度にも成り立ってしまう。問題なのは、言霊的な階級制度において、下位の人も、言霊的な階級制度で下位の人を見下してしまうということだ。ひとごとなら、見下すのである。

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因果関係を逆転させる発想というのは、ほとんどの、精神世界の人がもっている発想だ。ほとんどの言霊主義者が、因果関係を逆転させる発想をもっている。

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カースト下位に生まれたとする。その場合、前世で悪いことをしたから、カースト下位に生まれたのだということになる。けど、前世で悪いことをしたという妄想的な決めつけは、じつは、事実カースト下位に生まれたから、発生することなのだ。妄想を信じる人の頭の中に発生してしまう。

言霊の場合も、実際に、不幸な出来事がしょうじたから、不幸な出来事がしょうじたということを言うのに、不幸な出来事がしょうじたと言うから、不幸な出来事が生じるようになったのだということになる。

事実不幸な出来事がしょうじたのだから、不幸な出来事がしょうじると言ったということになってしまうのである。ようするに、愚痴を言うから不幸な出来事がしょうじるとか、ネガティブなことを言うから不幸なことがしょうじるということになる。

言霊主義者のなかでは、自動的にそうなってしまうのである。

しかし、言ってない場合があるし、言った場合でも、言霊の疫病神が、言ったことを現実化したわけではないのだ。

 

 

 

 

 



 

 

2025年8月15日金曜日

●これは、だましポイントのなかで、重要なだましポイントだ■言霊※2025/08/15 10:31

ネガティブな言葉を使わなくても、ネガティブな条件があるなら、不幸な状態になるのである。ところが、ネガティブな条件を無視してしまうので、対立がしょうじるのだ。言霊主義者が、不幸な人の条件を無視して、不幸なのは、その人がネガティブなことを言ったから、不幸になったのだと思っているから、対立がしょうじるのである。

元気だ元気だと言ったら、元気になったような気がするということが、言霊理論が正しいという根拠になっている言霊主義者がいたとする。

ところが、元気だ元気だと言ったから、言霊の力によって、元気になったような感じがしたのではないのだ。

「自己暗示」というように、これは、言葉の力で、元気になったような感じがしているだけだ。「言霊の力」で、元気になったような感じがしたわけではなくて、「言葉の力」によって元気になったような感じがしただけなのだ。

こういうところで、勘違いをしているのである。

もともとが、勘違いなのである。

自分のことなら、内臓が機能不全になって、元気ではなくなった場合、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならないということがわかるのだ。ところが、他人のことだと、それがわからなくなってしまう。絶対に、言霊(理論)は正しい」と思っているので、ひとごと、であれば、内臓が機能不全になって、元気ではない場合も、「元気だ元気だ」と言えば、元気になるということになってしまうのである。

ほんとうは、いくつかの系列があるのだけど、二系列に限って言っておこう。たとえば、「元気だ元気だ」と言うと、元気になったような感じがするというのは、アファメーション・身体感覚系統だ。

自分の身体感覚や、自分の気分に関係することで、言葉を使った自己暗示によって、そのような気分、もしくは、そのような状態になったと思う系統だ。

それとは別に、「神様系統」があるのである。

まったく別の系統なのだ。

このふたつが(言霊主義者の頭のなかで)まじっているから、問題が発生する。

神様系統は、不思議な力によって、問題が取り除かれるという妄想的な信念に関係している系統だ。ようするに、これは、ただ単にそういう感じがすると言っているわけではなく、ほんとうに、超物理的な力によって、問題が取り除かれるはずだと言っているのである。

「元気だ元気だ」の例を使って説明すると、内臓が機能不全になって、元気がなくなった場合、内臓が機能不全の状態から、もとの機能している状態になるから、元気になるということになる。

内臓を修復するのが、言霊の神様なのである。

だから、これは、気分がするだけではなくて、ほんとうに、物理的な修復がなされるタイプだ。

もちろん、言っただけでは、修復がなされないのだけど、内臓が物理的に修復されるような出来事を引き寄せることができるという信念があるのである。ただ単に、信念があるだけで、ほんとうは、言霊にはそんな力はない。

けど、そういう力があると信じているのだ。

これは、超物理的な力で、魔法のような力だ。

そういう便利な力によって、内臓が修復するのだ……と信じている。

何度も言うけど、この神様的な力というのは、「元気だ元気だ」と言ったら、自分が元気になったような感じがしたというような言葉の力とは関係がない。

言霊という、カルトワードがかかわっているので、両者を区別しないようになっているだけだ。

基本的に、「元気だ元気だ」と言ったら、元気になったような感じがしたというのは、身体感覚系のことであって、この身体感覚系のことが、自分の外側にある「神様の力」の証明になるという考え方は、完全にまちがっている。まったくちがうことについて、述べているのである。

そして、アファメーション・身体感覚系のことが、外部にある神様の力の証明になると考えること自体がおかしいことなのだ。

これ、だましがある。

完全にちがうことについて述べているのに、「言霊」というおなじ言葉を使っているので、そういう能力が言霊にはあるということになってしまうのである。

けど、だまされている。

これは、だましポイントのなかで、重要なだましポイントだ。
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不幸の種類や不幸の分野や不幸の度合いが、人によってちがうので、他人の不幸には、鈍感になることができるのである。鈍感になると、「ネガティブな言葉を言ったから、そうなった」という考え方が支配的になるのである。

言霊を信じている人だと、そうなる。自動的にそうなる。

実際に不幸な人は、不幸なことを言っている悪い人なのである。言霊主義者のあたまのなかではそうなる。そして、だれかが不幸なら、それは、その人が不幸なことを言ったからいけないのだということになってしまうのである。

「かゆいかゆいと愚痴を言うからかゆくなる」というようなことを、書いたけど、まさしく、こういうことが、すべての不幸なことについて、発生するのである。

ようするに、そこそこ、不幸な人でも、他人の不幸に関しては、鈍感になって、言霊思考をしてしまうのである。不幸の種類や不幸の分野や不幸の度合いがちがえば、理解力がなくなり、その対象となる人が、不幸なことを言ったから、不幸になったのだと決めつけてしまう。

こういう状態が、言霊信仰から、導き出されてしまう。

言霊信仰が、こういう態度を、つくりだしてしまう。そうなると、「人が人に対してオオカミになってしまう」のである。特別にしあわせではなくても、相手が抱える特別な不幸を経験していなければ、相手が抱える特別な不幸は、言霊理論を使って、せめることができる、不幸になってしまうのである。


 現実の条件が押し出してしまう不幸というのはある。ところが、現実の条件を無視して、その人が言ったから、そのような状態が発生したのだと考えてしまうのである。

ちょっとでも、分野がズレれば、自分が一倍速で体感したこと以外のことについては……つまり、他人の身に起こったことについては、「言った」ということが理由になってしまうのである。

言わなくても、言霊主義者のなかでは、そうなってしまうのである。

そして、結果として言った場合は、結果として言ったわけだから、「言ったということになる。そうしたら、言霊主義者は、言ったからそうなったと確信してしまう。よけいに確信してしまう。

自分のことなら、「蚊に刺されたからかゆくなった」と考えることができる言霊主義者は、他人のことだと「かゆいと言ったから、かゆくなった」と考えることしかできなくなってしまうのである。

そうなると、かゆいと言ったのは、その人だから、その人が悪いということになってしまうのである。その人が不幸なのは、不幸な条件があるからではなくて、不幸なことを言ったから、不幸なんだと決めつけてしまうのである。

もちろん、不幸なことを言った人が悪いということになるのである。

そして、ポジティブなことを言えば、不幸な条件からもたらされることは、解消されることになるのである。ところが、これが、嘘なのだ。

かゆいと言わなくても、蚊が家の中にたくさんいるという条件をかかえている人は、かゆくなるのだ。「かゆい」と言わなくても、蚊に刺されるという物理的な問題が解決しない。実際に、その問題をうみだしていること……には、言霊は影響をあたえない。

これは、「元気だ元気だ」と言えば、自分が元気になったということとは、ちがうことなのである。

外側に……言霊という神様を想定して、言霊という神様におねがいをすれば、一〇〇%の確率で、神様がねがいをかなえてくれるということを言うわけだけど、残念ながら、一〇〇%の確率で、言霊の神様は、ねがいをかなえない。

どうしてかというと、「言霊の神様」なんていないからだ。

彼ら……言霊主義者が、「言霊はある」……と思ったのは、元気だ元気だと(自分が言ったら)元気になったような気がしたからだ。

あとは、言霊主義者の頭のなかでは……「明日は雨がふる」と自分が言ったあと、雨がふったから、言霊があるということになっている……。これも単なる誤解だ。「言ったあと」と「言ったから」の区別がついていないから、誤解をしてしまう。

言霊があるということは、言葉に宿っている神様がいるということになるのである。自分の体感関係のことは、じつは、自分の外側に……「言霊の神様」がいるということの証拠にはならない。

しかし、体感関係のことが、「言霊」があることの証明になってしまっているのである。基本的に言って、証明にはならない。証拠にもならない。

だから、言霊主義者というのは、ここらへんのことを誤解しているにすぎない。

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「人が人に対してオオカミになってしまう」と書いたけど、「人が人に対して悪魔になってしまう」のである。言霊理論を信じることによって、「人が人に対して悪魔になってしまう」のである。

2025年8月14日木曜日

●未来のことなんて気にしないのだから、そうなる■過去※2025/08/14 10:54

「過去否定論者」というのは、基本的に……自分が言っていることの意味がわかっていない。

過去否定論者が言いたいのは、「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」とかということではない。

ただ単に、「過去のことは気にしないようにする」ということなのだ。

だったら、「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」とかと言わなければいいのに、「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」とかと言ってしまう。

さらに、「過去はない」と言ってしまう。

これ、過去否定論者・本人も、どういう意味で「過去はない」と言っているのか、よくわかってないのだ。この人らは、格好をつけて「過去はない」と言っているだけで、自分が言っていることの意味がわかっていない。

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「未来はない」というのもおなじだ。「未来のことは気にしないようにする」という意味なのだ。「未来はない」ということと「未来のことは気にしないようにする」ということは、まったくちがうことなんだよ。

けど、それがわかっていない。

「未来はない」という言葉を「未来は存在しない」という意味で言っているとする。その場合、「未来は存在しない」ということが、どういうことなのか、言っている人自身が、よくわかっていないのだ。

だから、この人たちと、「時間」について話してもむだだ。

「過去はない。未来もない。今現在しかない」とか「今現在に集中すればいい」とかという言葉をだれがはやらせたのか、知らないけど、迷惑な話だ。

これ、相当にいい言葉だと思っている人たちが、いるみたいだけど、かなり高い確率で起こる出来事を気にしないというのは、あんまりいいことではないぞ。

起こることがわかっているのに、気にしないようにするなんて、おかしいじゃないか。

これ、「やくざの鉄砲玉」と似ているところがある。まあ、「やくざの鉄砲玉」の場合は、計画されたことだから、未来のことを考えている。しかし、出たとこ勝負みたいなところはある。鉄砲玉の役をやった人は、高確率で死んでしまうわけだから、……自分が死んだあとのことは……自分には関係がないということになる。

「とりあえず、集中して、やりきって、あとのことは知らない」ということだ。

「どんなことが起こっても、気にしない」という覚悟でやりきるということだ。

未来のことなんて気にしないのだから、そうなる。

「今現在に集中すればいい」という言葉の意味は、「将来どういうことが起こるのかということは、気にしないで、目の前のことをやればいい」という意味になる。

「未来はない」のだから、どうだっていいのだろう。

いやーー。一〇〇%の確率で、よくないことが起こるなら、気にしたほうがいいぞ。

九〇%の確率でも、気にしたほうがいい。

ともかく、高い確率で、よくないことが起こることがわかっているなら、気にしないよりも、気にしたほうがいい。

自分が「今現在」夢中になってやっていることが、将来の自分に悪い影響をあたえるなら、やらないほうがいい。

それから、まわりの人だっているんだからな。それを忘れるな。

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「未来はない」と言っているのに、自分がしあわせになりたいやつがいるんだよな。「未来はない」と言っているのに、「未来の自分がしあわせになったほうがいい」と思っているわけだ。とことん、矛盾している。

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「今現在しかない」と夢中になって、ある店の「こってりラーメン」を食べたとする。でっ、毎日それを繰り返したとする。期間の長さによるけど、一年以上続ければ、かなりの高確率で、糖尿病になると思う。

未来の自分のことは考えなくていいのか?

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「今現在に集中すればいい」という助言の場合、「どういうことに集中するのか」ということは、関係がないことになっている。

「いいことに集中するのだ」ということになっている。

「自分がいいと思うことに集中するのだ」ということになっている。

けど、いまはいいけど、繰り返しやると、将来の自分に悪い影響をあたえることだってある。

それから、自分はいいことだと思っているけど、まわりの人は、迷惑だと思っているかもしれない。

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「将来」のことは考えなくていいのだ。

どうしてかというと「今現在しかない」からだ。「未来はない」からだ。

ある意味、「今さえよければ、あとのことはどうでもいい」という考え方なのだ。

ある意味、「自分が目の前のことに夢中になっていれば、まわりの人のことなんてどうでもいい」という考え方なのだ。

「未来はない」「今現在しかない」のだから、破滅的な行為だって、「今現在に集中してやればいい」ということになってしまう。

「そんな、意味で、『未来はない』『今現在しかない』と言っているわけではない」と言うかもしれないけど、「そんな、意味」を含んでいる言い方になっているんだよ。

勝手に、「そんな意味は含まれていない」と考えるべきではない。

「そんな意味は含まれていない」と過去否定論者が言う場合は、「今現在に集中している時間」が毎日続くと思っているのだ。けっきょく、未来はあると思っているのだ。「未来はない」と言っているけど、未来があると思って、行動している。

2025年8月13日水曜日

●ひとごとだと思って、否定するな■過去※2025/08/13 18:09

たとえば、午後一時から午後九時まで、休みをとらず、働いたとする。

目の前の作業に集中していたので、「今現在」に集中していたのだ。

午後九時に作業をやめたとする。午後九時ぴったりを含めるのかどうかということが問題になってしまうのだけど、とりあえず、午後九時ぴったりは、作業時間に含めないとする。

午後九時〇分一秒においては、午後一時から午後九時までは、過去になっているのだ。

「今現在」ではない。

しかし、午後一時一〇分のとき、午後一時は過去ではないのかというと、まちがいなく、過去だ。

「今現在」と表現されている時間は、約八時間の幅をもつ時間だということになる。ようするに、時間帯なのである。

たとえばの話、「今現在に集中すればいい」と言っている人は、八時間という幅をもった時間帯のことも、「今現在」と表現しているのである。

さて、約八時間、作業に集中してきたことは、午後九時〇分一秒の状態に影響をあたえるのではないかと思えるのである。

そりゃ、人間の体(からだ)だからね。約八時間、ぶっ通しで、飯も食わずに作業をしたということは、そのあの状態に影響をあたえる。

午後九時〇分一秒のからだは、先行する約八時間の作業(労働)によって、午前一時の状態とは、ちがった状態になっている。言葉であらわすとすると、「つかれた状態」になっている。

過去において、自分がしたことが、今現在の自分の状態に影響をあたえているのだ。どうして、「過去は関係がない」とか「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかと言うことになってしまうのか?

これも、自分のことなら、「八時間、目の前のことに集中して作業をしたので、つかれた」と感じることなのである。

しかし、俺が、ヘビメタ騒音に一三時間さらされて感じたつかれは、『関係がない』ということになってしまうのである。一三時間鳴ってたって、鳴り終わったら関係がない」ということになってしまうのである。

こいつらは、俺を励ますつもりで「過去は関係がない」とか「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかと言って、ヘビメタ騒音の影響を完全に否定するけど、それは、ひどいことだ。

「過去は関係がない」とか「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかという「意見」はまちがっている。まちがった意見だ。

さらに、「過去はない」とか「過去は記憶の中にしかない」とかということも言うけど、これも、失礼な話だ。

どういう意味で「過去はない」と言っているのか、よくわからないのである。たぶん、「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」という意味で「過去はない」と言っているのだろう。たぶん……。しかし、こういう別の意味をってしまう表現を使わないでほしいんだよなぁ。できれば……。

「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」と言いたいなら、「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」と言ってほしいんだよなぁ。

「過去はない」って、どういう意味で言っているのか、気になってしまうだろ。

これ、「過去はない」と言っている人自身が、自分自身が「過去はない」という言葉にどういう意味を込めて「過去はない」と言っているのか、わかってないんじゃないかと思う。

ようするに、「過去はない」と言いきると、なんか自分が格好いい感じがするから、「過去はない」と言っているだけなのではないか。

「過去はない。未来もない。今現在しかない」ということを言う場合、「過去は存在しない。未来も存在しない。今現在しか存在しない」という意味で言っているのなら、存在するということを意味が問題になる。

「存在する」ってどういう意味で使っているの?

「時間」の話なんだよ。その時間になにか物理的なものが存在したということを言っているわけではないんだよ。

なんで、「今現在」だけは、存在していると言いきることができるのか、疑問を感じる。感じるだけだけどな……。

*     *     * 

まあ、主観的な話だと、「今現在」の時間が長くなったり、短くなったりしてしまうのだ。午後九時四〇分に、ラーメン屋に到着して、注文をして、ラーメンを食べ始めたとする。

当然、二口目を食べているときは、一口目を食べたのは過去だということになる。

今現在に集中して、ラーメンを食べた場合、食べ終わるまでは、「今現在」が続いてしまうようなことを言っているけど、ちゃんと、時間が流れているので、一秒前のことは、一秒前のことだということになる。

一秒前は、過去なのである。

そして、一秒前の出来事は、過去の出来事なのである。

けっきょく、ラーメンを四〇分で、食べたとする。その場合、「今現在」は四〇分間の長さをもつということになる。

そりゃ、目の前のことに集中して、ラーメンを食べたのだからそうなる。

目の前のことに集中してという表現を、今現在に集中してという表現にかえると、今現在に集中して、ラーメンを食べたということになる。

言っておくけど、ラーメンを食べ終わった状態というのは、ラーメンを食べるまえの状態とはちがう。「今現在」が四〇分間続いたって、「過去の出来事」の影響をうけるのである。

過去にしたことによって、ラーメンどんぶりの状態もちがってしまうし、おなかのなかの状態もちがってしまう。

「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とは、言えない。

「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」という意味で「過去は関係がない」という言葉を使うなら、「過去は関係がない」とは言えない。

過去は関係がある。

なんで、自分が腹いっぱいラーメンを食べたら、腹がいっぱいになったと感じるのに、俺がヘビメタ騒音にさらされ続けてつかれたということは、認めないんだ。

まあ、自分のことではないから、認めないんだろうなぁ。

しかも、「過去は関係がない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかと言うことで、俺が不愉快な気持になっているということも認めてくれないのだ。

過去否定論者は認めてくれない。

過去否定論者と言霊主義者はかぶるところがあるのだけど、めちゃくちゃな前提で、めちゃくちゃなことを言って、ぼくを傷つけている。

まあ、ヘビメタ騒音の影響を否定されるということは、ぼくにとって、不愉快なことなんだよ。必然的に、不愉快になる。

どうしてかというと、影響がでかいからだ。影響はあった。

いきなり、影響のでかさを否定するな。

きちがい兄貴が、至近距離で、よその家では絶対に鳴らせないようなでかい音で、ずっと、ガンガン鳴らしたので……ぼくは、影響をうけた。

この部屋にいる以上、耳をふさいだって、耳栓をしたって、影響をうけた。鳴っているあいだも、鳴り終わったあとも、影響をうけた。ひとごとだと思って、否定するな。

*     *     *

大盛ラーメンを、二杯、食べて、腹がいっぱいになったとき、「過去は関係がない」とか「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」とかと思うのか? 

ラーメンを食べたけど、まだ腹がすいているから、餃子を頼もうと思ったとき、「過去は関係がない」とか「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえないい」とかと思うのか? 

「過去は関係がある」とか「過去は現在に影響をあたえる」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」とかと思っていないと思うのか?

本人のことに関しては、「過去は関係がある」とか「過去は現在に影響をあたえる」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」とかと思っているんだよ。

「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」と思っているから、「腹がいっぱいになった」と感じることに疑問をもたないのだ。「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」ので「腹がいっぱいになった」と思うのだ。

「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」と思っているから、「まだ腹がすいているから、餃子を頼もう」と感じることに疑問をもたないのだ。「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」ので「まだ腹がすいているから、餃子を頼もう」と思うのだ。

 

●言霊は、絶対に自分の望みを却下しない、神様みたいなものなのである■言霊※2025/08/12 13:56

言霊を信じて、なにかを言うことは、神様におねがいをするということと、ほとんどおなじ意味をもっている。

神様におねがいをした場合、神様がおねがいを聞いてくれるかどうかは、神様次第だということになる。

しかし、言霊の場合は、言っただけで、ねがいがかなえられる……のである。

ようするに、神様を介在させずに、自分の発言だけで、神様から「イエス」を導き出すことができるのだ。

ようするに、神様におねがいをする場合は、神様が自分のおねがいを却下する場合があるのだけど、言霊の力を信じて、自分のおねがいを言う場合は、言霊という神のような力をもつものには、自分のおねがいを拒否する権利がなく、かならず、承諾されるということになっているのである。

*     *     *

たとえば、「元気だと言えば元気になる」と言うことについて考えてみよう。「元気だと言えば元気になる」ということが、言霊の例として語られることが多いのだけど、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、「元気だ元気だと言えば元気になったような感じがする」という意味で、体の調整範囲のことになる。

つまり、体のしくみに依存したものなのだ。そして、体は物理的な存在だし、体のしくみは原子や分子の運動を含めた物理的な運動によって成り立っているのだ。

まず、元気だと言うことに関しても、「元気な状態」というものがどういう状態かということを、「体感」として知っているのである。

「元気だという言葉」と「身体感覚」の連合ができあがっているのである。

そして、このことは、元気ではない状態にも成り立っている。「元気ではない状態の身体感覚」と「元気ではない」という言葉の連合ができあがっている。

元気ではない状態の代表例として、つかれた状態というものがあるとする。

この場合、「つかれたと言うから、つかれるのだ」ということが、言霊理論として成り立ってしまうのである。

だから、つかれたときは「元気だ元気だ」と言えば、元気になるということになるのである。言霊主義者の頭のなかでは、そうなる。

しかし、これは、言ってみれば、通常の範囲内で、そういう気分がするということを意味しているにすぎない。

前にも説明したが、まず、体のしくみが成り立っているのである。

そして、体というのは物理的な存在であり、体のしくみも(臓器を構成する物質と)体の中にとりこまれた物質の、物質的な相互作用によって成り立っているのである。

臓器が本来持っている機能を発揮できないときは、どれだけ元気だと言っても、元気にならないのである。

なんかの病気になったとする。その病気になると、内臓のいくつかが、機能を停止するとする。そういう場合は、「元気だ」と言っても、元気にならないのである。

「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、普通に体が成り立っている状態で、普通に体が機能する状態で、「元気だ元気だ」と言えば、元気になったような気がするということなのだ。

ほんとうに物理的に、内臓がダメになっているに、「元気だ元気だ」と言うと……身体のしくみとはまったく関係がない……言霊の力によって、内臓が修復されて、元気になるということではない。

*     *     * 

言霊主義者の頭のなかでは、言霊というのは、言った言葉に宿っているということになっている。なので、言った言葉が現実化するという場合は、時間制限をつけて言えば、時間制限内に現実化するというとになる。

三秒以内に現実化すると言えば、三秒以内に現実化するのである。

内臓のいくつかが物理的に損傷しているとする。なので、元気ではないとする。

その場合、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならないのである。

物理的な損傷が、なおって、物理的な臓器が、本来の機能をとりもどさなければならないのである。もちろん、言霊主義者が、自分のどういう臓器が、損傷しているので、こうなっているということを知っている場合は、当然、自分のその臓器が、みるみるうちに、もとの状態にもどると言えば、もとの状態にもどるということになるのである。

しかし、言霊主義者においても、三秒以内に、もとにもどるというのは、信じられないことなので、そのようなことは、言わないのだ。

ようするに、言霊主義者だって、「言ってもダメそうなときは、言ってもダメだ」と判断しているのである。

*     *     * 

ちなみに、言霊主義者本人が、言わなければならないというルールもない。だから、いくつかの内臓が機能を停止して、元気ではない状態になったとき、本人が「元気だ元気だ」と言えない場合、だれかほかの人が「誰だれさんは元気になる」と言ってあげればいいということになる。

だれかほかの人が「だれだれさんは、三秒以内に元気になる」と言えば、言葉に宿っている、言霊の力によって、三秒以内に元気になるのである。

だから、言霊理論が正しいなら、どんな病気も、すぐになおししてしまうことが可能なのだ。

そもそも、言霊理論だ正しいなら、「これ以降、人間は病気にならない」と言えば、人間は病気にならないということになる。だったら、医療技術なんて必要がない。

「元気だ元気だ」と言っても、元気にならないから、医療技術が発達したのである。

そして、多くの言霊主義者が「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っているのに、実際に自分が「重い病気」になったら、「元気だ元気だ」と言うことによって、その病気を治そうとはしないのである。

人間のからだのしくみとして免疫機能がある。なので、いちおう、放っておいても病気が治ることはある。重い病気だって、なおることがある。

けど、これは、体のしくみが成り立っているからなのである。

基本的に、物理的な出来事なのである。そして、「元気だ元気だ」と言うことによって、元気になるような感じがするというのも、神経や脳を含めた物理的な存在が引き起こしていることなのである。神経や脳には、物理的なしくみが成り立っているのである。

ある言霊主義者が、なんかの病気になったとする。ある言霊主義者のことをAさんということにする。Aさんが病気になったので、Aさんは「元気だ元気だ」と言ったとする。そうたら、病気がなおったとする。

その場合、Aさんは、言霊があるということを確信してしまうし、言霊理論が正しいということを確信してしまう。

しかし、体のしくみによってなおっただけだ。

病気になるときも、物理的な運動によって、病気になったのだし、病気がなおるときも、物理的な運動によって、病気がなおったのだ。言霊や言霊の力が、介在する余地がないのである。

言葉の力は、たしょうは影響をあたえる場合がある。

しかし、これも、物理的な身体が成り立っていて、その身体に物理的なしくみが成り立っているから、影響をあたえる場合があるだけなのだ。

これ、別に、「言霊の力」があることの証明にはならない。まあ、言霊主義者は「元気だ」と言ったら、病気がなおった例をあげて……「だから、言霊がある」と言い……「だから、言霊理論は正しい」と言うわけなのだけど……。

だいたい、言葉を発するということ自体が、物理的なことなのである。

言葉を発するような身体が成り立っていなければ、言葉を発することすらできないのだ。重たい病になって、「元気だ元気だ」と言ったあと、元気になった場合も含めて、言霊は関係がない。免疫機能によって、なおっただけだ。

これは、言ったあと、ほかの理由で、言ったことが現実化しただけなのである。別に、言霊の力が、病気をなおしてしまったわけではない。

ここで想定されている言霊の力というのは、じつは、外的な力なのである。自分の力ではなくて、外的な力なのである。自分以外に属する力なのである。

言霊と言っているけど、これは、神様が言葉に宿っていて、言葉を言うと、言葉に宿る神様が、ねがいをかなえてくれるというようなことなのだ。

それと、「元気だ元気だと言ったあと、元気になったような感じがする」ということは、まったくちがう。

そして、「元気だ元気だ」と言ったあと、体のしくみによって元気になった場合は、言霊の力によって、元気になったわけではないのだ。

*     *     *

ともかく、言霊というのは、言霊主義者にとって「神様」みたいなものなのである。そして、言ったことが言霊によって現実化されるということになると、言霊自体には、言ったことを現実化させないという選択肢がないということになるのである。

つまり、言霊は、絶対に自分の望みを却下しない、神様みたいなものなのである。

そして、言霊主義者は、「言ったことが、言霊の力によって現実化する」という言葉の意味が、「すべての言ったことが、言霊の力によって一〇〇%の確率で現実化する」という言葉の意味と、等価だということがわかってない。これは、理論的な話だから、否定してもむだだ。ここに、まちがいがある。理論的なまちがいは、認めなければならないのである。

しかし、「難しいことはいいんだ」「簡単なのが正しい」「理屈じゃねーーんだよ」「絶対にあっている」と言って、理論的にまちがっているということを認めないのである。

この反応の背後には、「神様みたいなものだ」「神様のような力がある」という思いがあるからなのではないかと思う。そして、言霊主義者ではなくても、人間はほとんどの人が、このような感覚をもっている。だから、理論的にまちがっているということを指摘されても、理論的にまちがっているということを認めたくないのである。

言霊主義者にとって、言霊というのは、自分のねがいをいつでも聞いてくれる神様みたいなものなのだ。言霊という神様が、自分のねがいを、却下することはないのだ。だって、「言った内容」が言霊によって現実化するのだから、言霊は、言われた内容を現実化することを、自分(言霊)の判断で、却下することができない。

却下されることがないのである。

言ってしまえば、それで、ねがいがとおるのである。自分が言ってしまえば、「言霊の神様」はねがいをかなえるしかないのである。

そういう、便利な存在なのである。言霊主義者にとって、言霊というのは、自分のねがいを(言っただけで)なんでもかなえてくれるような便利な存在なのである。

そういう便利な存在だから、手放せないのである。理論的にまちがっているということを言われてたって、理論的にまちがっているという指摘は、認めずに、はねのけて、自分が(言葉でねがいごとを)言ってしまえば、「言霊の神様」は、ねがいをかなえてくれると思ったままなのである。

言霊理論は、言霊主義者にしてみれば、まちがっていたって、便利な考え方なのである。そんな便利な考え方を、まちがっているということを認めて、手放したくはないのである。

そういう気持が、ものすごく強いのである。……言霊主義者は……。

問題なのは、言霊の神様を言霊主義者が信仰していることではなくて、言霊主義者が、相手の状態を無視して、相手の条件を無視して、言霊的な提案をすることなのである。言霊主義者は、まったく気にしていないけど、これは、失礼なことなのである。

まあ、わかるわけがないか。

「言霊理論は正しい」と思っているのだから、「言えば、言っただけで解決できる」と思っているのである。ところが、言ったって解決できないことは、たくさんある。

不幸な条件が不幸な出来事を発生している場合は、不幸な出来事の影響を、(その人が)うけている。だから、過去の出来事は関係がある。過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえないわけではないのだ。

そして、言霊主義者は、ほかのスピリチュアルな理論を信じている人が多いので、「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」というようなことを言うのである。

「言ったことが、現実化する」と言ったあとに「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」と言って、自分で矛盾を感じないのだ。

ほんとうに、こまったなぁーー。ほんとうに、こまる。

2025年8月12日火曜日

●言霊主義者は、自分が、行動したということを、無視してしまう■言霊※2025/08/12 12:44

たとえば、「過去も未来もない。今現在しかない」というような言い方がある。これは、じつは、時間論なんて関係がないのである。

この人たちが言いたいのは、「目の前のことに集中すればいい」ということなのである。

「今現在しかないから、今現在のことに集中すればいい」と言えば、格好がつくけど、この人たちが言っていることは、時間論とは、まったく関係がないことなのである。

たとえば、食事をしたあと、皿を洗っているとする。その場合、皿を洗うということに集中すればいいということなのである。ものを食べているときも、ものを食べることに集中すればいいということなのである。

つまり、目の前の作業に集中すればいいということなのである。時間論とは関係なく、普通の意味で「いま、やっていること」に集中すればいいということなのである。

「今現在」の意味について、これらの人と、話し合ったってしかたがないのである。「過去」の意味について、これらの人と、話し合ったってしかたがないのである。未来の意味について、これらの人と、話し合ったってしかたがないのである。

時間論じゃないから……。

*     *     *

それから、ものを食べることに集中すればいいと言った人が、言霊主義者だとする。

この言霊主義者は、咀嚼が完全に物理的な出来事であるということを忘れてしまっている。どうして、咀嚼することが成り立っているのかということを、まったく問題にしていないのである。

ものを、口(くち)のなかに放りこんで、上下のあごを、うまく上下に動かせば、咀嚼できる。「口(くち)のなかのものは、歯によって、つぶされる」「口(くち)のなかのあるものは、歯によって、分断される」と事前に言わなくてもいいのである。

この過程は、言霊主義者にも、物理的な過程として意識されているのである。言霊なんてことが、関係しない出来事なのである。

しかし、かむことが困難になったら「私はかむ」「私はかむことができる」と言い出すかもしない。普通にできることは、言霊の助けを借りなくてもすむことなのである。

だから、普通にやっていることは、普通にやってしまい、言霊のことなんて、まったく意識にのぼらない。言霊主義者ですら、そうなのである。

*     *     *

皿を洗うことだって、言霊主義者は、水を流しながら、たわしと皿をこすり合わせれば、汚れが落ちると、普通に思っている。

言霊なんてことは、言霊主義者だって、考えていないのである。まーーったく、考えていないのである。

あたりまえのことは、あたりまえのことだから、特に、言霊について考える必要がないのである。

皿を洗うことだって、物理的な出来事なのである。

物理の法則は成り立っているけど、言霊の法則なんて、成り立っていない。言霊主義者だって、普通に、皿を洗うことを受け入れているけど「言えば言ったことが現実化する」のであれば、いちいち、物理的な法則に合致した運動をする必要がないのである。

そんなのは、「皿がきれいになる」と言えば、それで、皿がきれいになるので、まったく問題がないのである。

「〇・一秒以内に、皿が、きれいになる」と言えば、それだけで、〇・一秒以内に、皿がきれいになるのである。

食事の用意だって、物理的な法則に合致した運動をする必要はない。「〇・一秒以内に、自分の食べたい料理が、目の前に出現する」と言えば、自分の食べたい料理が、目の前に出現するのである。

言霊主義者が、こういうことをしないのは、「言ったって、現実化するわけがない」と普段は考えていることの証拠なのである。

「言ったって、言っただけでは、現実化しない」ということがわかっているから、自分で、食べ物を用意しようと思うのである。そして、料理をしたり、ただ単に過熱して、料理と呼ばれるものを用意して、食べるのである。

*     *     * 

言霊主義者が、なんらかの冷凍食品を電子レンジを使って、加熱したとしよう。電子レンジのしくみに、言霊的なものがかかわっているかというとかかわっていないのである。電子レンジに、あたためたいものを入れて、スイッチを押せば、たしょうの時間で加熱が完了する。

しくみを知らないとにとっては、魔法のような力だ。

しかし、しくみを知っていれば、完全に、物理的な作用によって、冷凍食品があたためられるということが、わかるのである。魔法は、関係がない。言霊も、関係がない。

魔法の力も、言霊の力も関係なく、電子レンジ庫内のものが、あたたかくなるのである。

言霊主義者が、冷凍食品を温めるとき、冷凍食品に向かって、「あたたかくなれ」と言っているわけではない。「あたたかくなれ」と言ったって、あたたかくならないことを知っているから、そんな、アホな行為をしないのである。

ときどき、「あたたかくなれと言っただけで、あたたかくなったらいいな」と思って、冷凍食品を指さして、「あたたかくなれ」と言うかもしれないけど、あたたかくなることは、そんなに、期待していない。

物理的な世界では、物理的な力を使って、あたためなければならないということを、知っているから、たいていの場合は「あたたかくなれ」と言うことで、あたためようとはしないのである。

しかし、その言霊主義者も、ほかの人には「言霊は絶対だ」「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」と言ってしまうのである。

*     *     * 

どこかの、ファミリーレストランで、AさんとBさんが、ハンバーグランチを食べながら、言霊のことにいて話していたとする。Aさんと、Bさんが食べているハンバーグランチは、言霊の力によって提供されたものではないのである。

物理的なものであり、物理的な運動の結果、あたためられて、すぐに食べられるようにされたものなのである。

「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」とAさんが言っているときも、物理的な法則が成り立っているのである。言うことができるということは、物理的な運動の結果なのである。

そして、Bさんの耳に、Aさんの言葉が届くというのも、物理的な運動の結果なのである。そのあと、BさんがBさんの感覚器で、音を感覚して、そのあと、感覚を電気的な信号に置き換えて、脳内で処理するのである。

これも、全部、物理的な運動の結果なのである。

ようするに、言霊なんてものは、一切合切、関係がないのである。

言霊の力なんて、一切合切作用していないのである。

現実の世界は、物理的な力のみが、作用している世界なのである。

言霊主義者は、言葉を発することができると言うことに、なんの疑問も感じないけど、言葉を発生することができるというのは、たいへんなことだ。

そして、そこには、連続的な運動が成り立っている。言霊主義者が、物理的な世界において、物理的に会話ができるということだって、言霊の力で成り立っているわけではないのである。

言霊主義者は、自分があたりまえだと思っていることについては、特に、言霊の力を感じない生き物なのである。あたりまえじゃないことについては、「言霊の力でそうなっているかもしれない」と考える生き物なのである。

*     *     *

たとえば、言霊主義者が「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくろう」と思ったとする。そして、実際に行動して、自分で「世界に一枚しかない自分だけの皿をつくった」とする。

その場合、言霊主義者は、「自分が、世界で一枚しかない自分の皿をつくる」と言ったから、「世界で一枚しかない自分の皿をつくることができた」と考えるのである。

まあ、いまの場合、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくろう」と思ったとは、書いたけど、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言ったとは書いていない。

けど、ともかく、言霊主義者は「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言ったということにして、言ったことの結果として、「世界で一枚しかない、自分だけの皿ができたのだ」と思うのだ。

ほとんどの言霊主義者が「細かいことはいいんだよ」と考えているみたいなので、細かいことはいいとしよう。

しかし、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言ったかどうかということは、細かいことじゃなくて、重要なことなのではないか。「言ったことが、現実化する」と言っているのだから、とてつもなく重要なことだと思うけど、どうなのだろう。

*     *     * 

言霊主義者は、自分が、行動したということを、無視してしまう。

これも、でかいことだ。

実際に、行動したから、「世界で一枚しかない、自分だけの皿」をつくることができた。実際に行動しなかったから、「世界で一枚しかない、自分だけの皿」をつくれなかったのである。

たとえば、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言っただけで、世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくるために、それに関連するすべての行動をしなかったなら、「世界で一枚しかない、自分だけの皿」をつくることはできなかったのである。

言霊主義者は「その過程」で「自分がしたすべてのこと」を無視してしまうので、「言ったからできた」と思うことができるのである。

いやーー。言っただけではないでしょ。

行動をしたのでしょう。

なんで、行動は全部無視してしまうのか?

実際にやったことを無視してしまうなんて、おかしい。

2025年8月10日日曜日

●性格のせいにしてしまう■言霊※2025/08/10 7:33

たとえば、おカネがあると考えているポジティブな人のところには、「おカネが集まってくる。おカネがない」と言っているネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく、などと言って性格のせいにしてしまう。

ほんとうは、生まれた家の差で、だいたいのことが決まるのに、その差は、ガン無視なのである。遺産の差で、運用資金が決まってしまう場合だってあるのに、そういう場合は、無視しているのだ。

そして、おカネの集まる人はポジティブだから、おカネが集まるというような話をするのである。ネガティブな性格だって、相当な遺産を相続したら、運用資金が(相当に)あるということになる。

けど、遺産による運用資金の差は、ガン無視して、おカネをもっている人の性格とおカネをもっていない人の性格の差にしてしまうのである。

「おカネがある」とポジティブな発言をしている人のところは、おカネが集まってきて、「おカネがない」とネガティブな発言しているのところには、おカネが集まってこないというような話にしてしまうのである。

根本的には、条件の差をガン無視するところから、はじめて、性格の差(ポジティブかネガティブかという性格の差)が、おカネの差(おカネがあるかないかの差・どのくらいおカネをもっているのかの差)をつくっているということにしてしまうのである。

*     *     *

ポジティブだとおカネがはいってきて、ネガティブだとおカネがはいってこないというような「カネの格差・性格原因論」は、ブラック社長が名前だけ店長を搾取するときに使う言霊理論と、あるていど関係しているところがある。

手短にいうと、「カネの格差・性格原因論と「カネの格差・言霊努力論」が、循環しているところがある。単純に言うと、まわっている。

基本的には、ブラック社長というのは、カネのことに関しては、ポジティブなのである。言霊理論を使って、どうやって、カネを稼ぐかということについて、熟知している……ところがある。

ブラック社長は、名前だけ店長のような人を、無休で働かせることによって、おカネを得ているのである。

いっぽう、名前だけ店長は、どれだけ働いても、おカネがないままなのである。

そりゃ、搾取されているからそうなる。正当な労働対価をもらっていないから、そうなる。けど、離れたところから見れば、ブラック社長はポジティブだから、おカネがあり、名前だけ店長はネガティブだからおカネがないということになってしまうのである。

名前だけ店長は、一所懸命に働いているのである。超過して働いているのである。つかれはてたからだ無理やり動かして働いているのである。

つかれはてたからだを無理やり動かして働いているから「もう無理だ」とネガティブなことを言うようになるのである。

ところが、この状態も一五年間と長い間、固定化されているので、名前だけ店長が、つねに、「むりだむりだ」とネガティブなことを言っているということになってしまうのである。

いっぽう、搾取するほうのブラック社長は、「できると言えばできる」とポジティブなことを言っているということになってしまうのである。

性格ということを問題にするなら、ほんとうは、ブラック社長は、悪い性格なのである。誠実ではないということになる。

ところが、おカネがあるほうが性格がいいということになっているのである。

ポジティブな人のほうが性格がいいということになっているのである。名前だけ店長は、愚痴を言っているネガティブな性格だから、おカネがないんだということになってしまうのである。

ところが、名前だけ店長は、誠実な性格なのである。そして、努力家なのである。ものすごい努力をしているのである。

だから、この点でも「努力をすれば成功する」という法則性があるような文は、まちがっているということになる。

言霊理論というのは、「できると言えばできる」というようなところで、努力論になってしまうのである。努力論につながってしまう。

どれだけつらい労働をしても、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのだから、自分で自分のご機嫌を取って、つらい労働に耐えればいいんだということになってしまう。

そして、つらい労働に耐えているときだって、「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなるのである。

実際の、出来事とは関係なく、「楽しい」とひとこと言えば、楽しくなるのだから、どれだけ、くるしくても、つらくても、「楽しい」とひとこと言えば、楽しくなるのである。……こんな、アホな理論が、正しい理論としてまかり通っている。

どこかの社長が、「どれだけくるしくても、一日の終わりに、楽しい楽しいと言うんだ」というような話が、美談として語られるのである。「みんな、社長の真似をして、一日の終わりに、楽しい楽しいと言いましょう」ということになってしまう。

そうやって、名前だけ店長が、仕事を断りにくい状態ができあがるのである。

言霊理論と努力論は循環しているところがある。「ポジティブな人はいい人でネガティブな人は悪い人」という理論や「ポジティブな人のことろにはおカネが集まってきて、ネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」というような理論が、触媒となって、言霊理論と努力論の循環速度を、はやめているところがある。

言霊的な思考だと「ポジティブな人はいい人でネガティブな人は悪い人」という理論は、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」ということになる。だから、これは、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」と言い換えることができる。

「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」という理論は、言霊的な思考から生み出される理論なのだけど、「言霊理論と努力論の循環」をブーストしてしまうのである。

「ポジティブな人のことろにはおカネが集まってきて、ネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」というのも、言霊的に加工すると「ポジティブなことを言う人のことろにはおカネが集まってきて、ネガティブことを言う人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」 ということになる。

まあ、「おカネについて、ポジティブな人のことろにはおカネが集まってきて、おカネについて、ネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」と加工することもできる。ところが、この理論は、生まれた家の格差や相続の格差を無視しているのである。

そして、ポジティブな性格のブラック社長は、いい人で、ネガティブな性格の名前だけ店長は、悪い人だということになってしまうのである。

実際には、ブラック社長は、悪い性格なので、無償で名前だけ店長を働かせることができるのである。

無償で、長時間、過酷な労働をおしつけても、まったくこころにいたみを感じない人が、性格のいい人になってしまう。

そして、「もう無理だ」「もうできない」「つかれた」「つらい」とネガティブなことばかりを言っている名前だけ店長は、性格が悪い人だということになってしまうのである。これに、疑問を感じないのがおかしい。

さらに言ってしまうと、じつは、名前だけ店長は努力をしているのである。涙ぐましい努力をしている。性格だって真面目なのである。

ところが、成功していない。社会的に成功していない。社会的に成功しているのは、他人をこき使うことにたけている、ブラック社長なのである。「成功する」ということの意味は、人それぞれにちがうけど、単純に割り切って考えると、おカネをもっている人は社会的に成功していると言えるのである。

そして、地位が高いほうが、地位が低い人よりも、社会的に成功していると言えるのである。ブラック社長は、名前だけ店長よりも、おカネがあり、その点で成功していると言える。

そして、ブラック社長は、名前だけ店長よりも、地位が高くその点で成功していると言える。努力をしている名前だけ店長は、成功していないのである。「努力をすれば成功する」というのは、まちがいだということになる。

努力をせず、人に違法労働をおしつけて、なにも感じないブラック社長は、成功しているのである。ようするに「努力をしなくても、成功することはある」のである。

まあ、人に違法労働をおしつける努力はしているけどなぁ。そして、この「人に違法労働をおしつける努力」には、「言霊理論」がかかわっていることを、忘れるべきではない。

けっきょく、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」という理論が正しいなら、ブラック社長はいい人で、名前だけ店長は悪い人だということになってしまうのである。もちろん、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」という理論は、正しくない。まちがっている。 

●言葉の力があるから、言霊の力があるということになってしまう■言霊※2025/08/03 12:14

言霊主義者が、ところどころで、言霊の力と言葉の力を区別せずに、説明してしまうので、言葉の力なのに、言葉の力があるから、言霊の力があるということになってしまうのである。

誤解なのだけど、この人たちの頭のなかではそうなる。言霊主義者の頭のなかでは、それは、言葉の力ではなくて、言霊の力だということになっているのである。

だから、言葉の力であるような例をあげて、「言霊はある」というようなことを言ってしまう。

例では、言葉の力について説明しているのだけど、けっきょく、言葉の力と言霊の力の区別をしていないから、「言霊があることの証明だ」と思ってしまうのである。

もちろん、言葉の力と、言霊の力を分けて考えていないから、ただ単に、まちがえただけなのだけど、言霊主義者は、それで、言霊があるということの証明ができたと考えてしまうのである。


●「いたいという言葉」と「いたさの感覚」の連合■言霊※2025/08/09 9:29

たとえば「元気だと言ったら、元気になる(元気になったような感じがする)」という身体感覚があるとする。

これが、言霊主義者にとって、言霊理論が正しいという根拠になってしまうのである。

「いたいと言うから、いたくなる」「つらいと言うから、つらくなる」「かゆいと言うからかゆくなる」というのも、身体感覚が関係しているのである。

「楽しいと言うと、つまらなくても、たのしくなる」という言霊思考も、このうちのひとつだ。

じつは、言霊主義者が、「言霊理論が正しい」と思う、根拠になるようなことというのは、非常に、かぎられている。

とりあえず、「元気だ元気だと言えば元気になる」「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「つらいと言うから、つらくなる」というような、自分の感情に関係するものを言葉・感情関係といっておこう。

そして、「いたいと言うから、いたくなる」「かゆいと言うからかゆくなる」「眠たいというから眠たくなる」というような、自分の身体感覚に関係するものを言葉・身体感覚関係といっておこう。

何度も書いているけど、いたいと言ったって、いたくならないことのほうが多い。いたいと言ったって、いたくならない人のほうが多い。

「いたいと言うから、いたくなる」の場合も、一〇〇%詐欺が成り立っていて、あたかも、一〇〇%の確率でいたくなるようなことを言っているけど、ほんとうは、ちがう。

たいていの場合は、いたいと言ったっていたくならないのである。

しかし、言霊主義者は、言ったことが現実化すると思っているので、それに沿った身体感覚をうみだしやすいのである。まあ、暗示だ。自己暗示の世界なのである。

自己暗示に関していうと、これまた、言葉による自己暗示であって、言霊はまったく関係していない。言霊という超・物理的な力によって、いたくなっているわけではないのである。

つまり、言霊主義者は、言霊(の力)によって、その身体感覚がしょうじていると思っているのだけど、言霊(の力)は、一切合切関係がない。言葉の力と、言霊の力を混同している。

そして、このような身体感覚がしょうじる場合は、その身体感覚を、事前に経験していなければならないのである。

いたさを感じたことが一度もない場合は、「いたい」と言っても、いたくならないのである。

自己暗示力が強い人でも、事前に「いたさ」を感じていなければ、「いたさ」の感覚を暗示で再現できないのだ。

これは、言葉より先に、体験があるということを、意味している。

いたい感覚が、まずさきにあって、あとで、この感覚を「いたい」という日本語で表現するのだということを、学習するのである。学習していなければ、「いたいという言葉」と「いたさの感覚」の連合はできあがらないのだ。 痛覚神経に問題があれば、いたさを感じないわけだけど、もともと、いたさを感じないのであれば、「いたい」と言っても、いたさは感じない。

「いたい」と言うと、超自然的な言霊の力によって、痛覚神経の問題がなおって、いたさを感じるようになるわけではないのだ。

まず、「言葉と身体感覚の連合」ができあがってなければならないのである。

それから、いたくないときに、いたいと言って感じるいたさというのは、ほんとうに理由があるいたさとは、ちがうもなのである。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんが、Bさんの背中を鉄バットで、たたいたとする。Bさんが、鉄バットでたたかれたときに感じるいたさは、Bさんが、いたくないときに「いたい」と言って感じるいたさとは、ちがうのである。

Bさんが、特別に自己暗示がうまい人でなければ、「いたい」と言っただけでは、いたさを感じないことのほうが多い。そして、たとえば、背中の状態が、鉄バットでたたかれるまえとは、ちがうのである。

実際に、たたかれた場合は、その強さにもよるけど、骨が折れたり、たたかれたところがはれたりする。

「いたくない」と言っても、いたいのである。

いたさが、しばらく持続する。

何度も言うけど、実際に身体的な変化がある。「いたい」と言っただけで感じるいたさの場合は、「いたくない」と言えば、いたくなくなるし、いたさが持続することはない。

そして、骨が折れるとか、たたかれたところがはれるという身体的な変化がしょうじない。

「いたい」と言うことで感じる「いたさ」は、あくまでも、「いたいような気がする」といった「いたさ」なのだ。暗示がとければ、すぐになくなってしまうようないたさなのである。

しかも、「いたい」と言っただけで、実際に、いたさを感じる人は、かなりの少数派だ。

言霊主義者は、「言霊の力でそうなる」と言うけど、ほんとうは「言葉の力で、そうなったような気がする」だけだ。

 *     *     *

 言霊主義者は、言霊の力でそうなったと思っているのだけど、じつは、言葉の力でそうなったような感じがしているだけだ。言霊の力で、いたくなるわけではなくて、言葉の力で、いたくなったような感じがしただけだ。

2025年8月9日土曜日

●そういう屈辱が、きちがいヘビメタ騒音には、ついているんだよ■騒音※2025/08/09 18:22

あーー。午後六時二六分か。きちがいヘビメタが、すごい音で鳴っていた。きちがいヘビメタが、すごいんだぁーー。空間をこわすんだぁーー。脳みそをこわすんだーー。

ホシオメタシスをこわすんだーー。こわすんだーー。こわすんだーー。だれも、わかってくれない。だれも、わかってくれない。

ほとんどの人が……「そんなの関係がない」と言う。 「鳴り終わったら、関係がない」と言う。学校から帰ってきたあと、約七時間鳴らされたら、そりゃ、次の日に影響があるって……。

約七時間鳴らされたあと……自分が、この世で一番嫌いな音を、ガンガンガンガン、ずっと……あの至近距離で鳴らされ続けたら、眠る時間になっても、眠れないという状態になる。

眠れな状態になるということがわかってないから、「鳴り終わったら、関係がない」と言う。

ちゃんと、七時間の影響をうけて、眠れない状態になっている。

ちなみに、午後一〇台の音は、たしょうさげていたけど、それでも、ぼくの部屋では、爆音なんだよ。午後一一時一〇分に鳴り終わったって、午後一一時一〇分から眠れるわけじゃないのである。

ところが、「そんなの、関係がない」「鳴り終わったら関係がない」「過去は関係がない」と思っているやつらは、眠れると思っているのである。

自分なら眠れる……そういうふうに、ドヤ顔のバカたちが思っているのである。このドヤ顔のバカなやつらに、眠れないということでバカにされるのである。

平日、約七時間の騒音が、それを約束しているのである。

どれだけ、強く、耳をふさいでも、きちがいの音が、がんがんがん、耳に入ってくる。脳みそに入ってくる。完全に除去しないと、勉強ができない状態なのに、それが、ドヤ顔のバカにはわからない。

そして、この点でも、ドヤ顔のバカにバカにされるのだ。

そういう屈辱が、きちがいヘビメタ騒音には、ついているんだよ。

標準でついているわけ。

もちろん、きちがい兄貴は、認めない。

だいたい、きちがい兄貴は、きちがい兄貴の友だちが「こんなでかい音で鳴らしたことがない」と言っているような音で鳴らしているのに、ぜんぜん、でかい音だと思っていないのだ。

ここのところが、きちがい親父とそっくりなのだ。きちがい兄貴のこの態度と感覚は、きちがい親父の態度と感覚と、まったく、おなじなのだ。

そして、このふたりが、ほかの人は、ぜんぜんちがうのだ。

ほんとうに、きちがいという言葉をつけて説明しないと、ほかの人がわからないレベルで、ずば抜けている。きちがい感覚がすごいのである。

ほかの人は「ちゃんと言えばわかってくれる」「家族なんだからわかってくれるでしょ」とも、思っているのだけど、ぜんぜん、ちがうのだ。



 

 

 

●エイリのうちでは、むりなことになってしまうんだよ■騒音※2025/08/09 14:06

背中をダニに刺されたので、敷布団をかえた。敷布団の防ダニ敷布団シーツは、そのまま、はがさないで、すてることにした。新しく、防ダニ敷布団シーツを買った。防ダニ敷布団シーツをこのあいだ、熱湯消毒後・洗濯をしておいてよかった。防ダニ敷布団に、防ダニ敷布団シーツをかけた。いちおう、これで、今日も眠れる。

しかし、どうするか? どのみち、作業員の人が、ダニにさされると思うんだよな。あっちの人が、自分で刺されないような装備をしてくるように、言おうかな。バルサンを何回たいても、けっきょく、ガスがまわらないところがある。それから、ゴミ捨て場に持って行ったあと、あるていど処理をして捨てなければならなものもあるかもしれないのけど、その作業中に刺されるかもしれない。

これ、粗大ごみ回収業者の人に頼むのが、いやなんだよ。けど、ぼくには処理できない。親父がやったことなんだよな。だから、酒糟のついた魚を一日に二十三時間出しているような、アホなことはしないでくれと言ったのに、親父が、こだわり続ける。そういうことで、俺に迷惑をかけるな。ほんとうにずっと、これなんだよ。幼稚園の頃から、かたちをかえて、ずっとこれなんだよ。酒糟のついた魚がほんとうに、くさいのだけど、「くさいだろ」と俺が親父に言うと、親父が「におわないよ!!!」「におわないよ!!!」「におわないよ!!!」と絶叫するのである。親父の臭覚は正常なんだよ。ところが、認めると、自分が片づけなければならないことになるから、認めない。けど、それが、意識してやっていることではなくて、無意識的にやっていることなんだよな。「くさいということを、認めたら、自分が酒糟のついた魚を片づけなければならなくなる……。それは絶対にいやだ」という気持があるんだよ。自分としては、ずっと、魚を出しておきたいんだよ。きちがい親父がどうして、そう思うのかは別にして、自分が我慢させられて、相手の言うように動かされるとなったら、きちがい的な意地で、否定するんだよ。まさしく、相手の言う通りに動かないための「否定」なんだよ。この否定は、命がけの否定だ。これ、「認めたら、死ぬ」という、無意識的な命令があるような状態なのである。命にかけて、否定しなければならないのである。けど、その過程が、認識されていないのである。「認めたくないから、絶対に認めない」ということになっているのだけど、本人は、まったくわかってないことなのである。本人は、かたちのうえでは、ほんとうに、におわないから、におわないと言っているという状態になっているのである。やっかいなんだよな。ほんとうは、魚をずっと出しておきたいと思っている。自分のやり方を通したいと思っている。そして、それが、まず、自分に認識されていないことなのである。「ここで、おれたら、死ぬ」というような気持ちもあるのである。ところが、「ここで、おれたら、死ぬ」というような気持ちがあるということも、本人には、よくわからないことなのである。ともかく、「認めたくないから、絶対に認めない」という状態になってしまうのである。これが、意識的にやっていることなら、わかるのだけど、無意識的にやっていることだから、いろいろとへんな話になってしまうのである。だから、こういうことがわかってない人だと、「そんなことはない」と言い、「お父さんだって、ちゃんと話せばわかってくれるよ」なんてことも言うのだ。ちなみに、兄貴のエレキギターもまったくおなじなんだよ。よその人にはわからないけど、でかい音で鳴らしているということを、絶対の意地で認めないのだよ。兄貴の友達が「こんな音で、鳴らしたことがない」と言うようなでかい音で鳴らしているのだけど、きちがい兄貴は、「でかい音で鳴らしている」という、認識も気持ちもないわけ。兄貴の友達に、兄貴が言われてもわからないわけ。なおさら、俺に言われたら、もっとわからないんだよ。これ、おやじとおなじところで、親父とおなじしくみで、スイッチが入ってしまう。これが、やっかいなんだよ。ちなみに、兄貴の友達は、ヘビメタが大好きで、ヘビメタを「家で」鳴らしているわけ。その人が、「こんなにでかい音で(自分の家では)鳴らしたことがない」と言うようなでかい音で鳴らしているんだよ。その、兄貴の友達は、ヘッドホンをしていたのか、それとも、普通に、鳴らしていたときがあるのか、よく知らないけど、普通の人の感覚なら、そうなんだよ。ヘビメタが好きな人だと、昨日書いたように、「なんだ、こいつ」というような態度になるときがあるんだけど、俺は、別にヘビメタが好きな人すべてを否定しているわけではないんだよ。「なにが、ヘビメタ騒音だ!」と言ったやつは、ほんとうに、ぶんなぐってやりたいけどな。いつも、いつも、俺が誤解される。ネガティブなことだけど、こんなもの、き近い家族と住んでいたら、きちがい家族と住んでいない人とは、「量」がちがうんだよ。はじめから、量がちがう。俺は、条件と言っているけど、普通の人とは「量」がちがいすぎるのである。これだって、ほかの人から(俺が)悪く言われるわけだから、俺にとって、マイナスの出来事だ。「量」とか「条件」を無視して、ほかの人が、むりなことを言ってくるのである。けど、ほかの人は、むりなことを言っているつもりがないのである。きちがい家族と一緒に住んでいるという条件の重さが、ほかの人には、わからない。わからないから、むりなことではないのである。自分のうちでは、むりなことではないので、むりなことではないのである。ところが、エイリのうちだと、むりなんだ。家族がちがうから。親父と兄貴のふたりが、きちがいだから、ちがうんだよ。むりなことになってしまうんだよ。ふつううちでは、むりなことじゃないことなのだけど、エイリのうちでは、むりなことになってしまうんだよ。

●そら、みろ! かゆいと言うからかゆくなるんだ■言霊※2025/08/09 4:37

 たとえば、蚊に刺されることをAだとする。「かゆい」と言うことをBだとする。蚊が多いうちに住んでいる人は、Aが起こったあと、Bが起こり、Bが起こったあと、別のAが起こるということになる。

たとえば、A(1)B(1)……A(2)B(2)……A(3)B(3)……A(4)B(4)……A(5)B(5)ということが、連続的に起こったとする。括弧のなかの数字は、第何回目かを意味するとする。

その場合、言霊主義者は、言ったことが現実化するという思考のパターンがあるので、「かゆい」と言ったから、「かゆくなる」と考えてしまう。

ようするに、言霊主義者はA(1)を無視して、B(1)A(2)……B(2)A(3)……B(3)A(4)……B(4)A(5)と考えてしまうのである。言霊主義者は、最初の原因を無視して、「かゆい」と言ったことを最初の原因だと思い、以降、勘違いを繰り返していくのである。

実際に、連続して起こっていることだと、「そら、みろ! かゆいと言うからかゆくなるんだ」と言霊主義者は思ってしまうのである。連続しているから、B(1)がA(2)を引き寄せているように思えるのである。

B(1)がA(2)の原因になっていると、言霊主義者は考えてしまうのである。

しかし、B(1)は、A(1)の結果なのである。

まあ、ほんとうは、蚊に刺されることをAだとして、蚊に刺されたからかゆく感じることをBだとして、かゆいと感じたから「かゆい」と言うことをCとしたほうがよかったんだけど、それだと、ちょっと逆にわかりにくくなるかと思って、AとBだけにしておいた。

ほとんどすべての言霊主義者は、自分の身に起こったことなら、A(1)がB(1)に対応していると思うのである。

どうしてかというと、実際に、自分が蚊に刺されて、その部分がかゆくなったということを、時系列に、自分のこととして経験しているからだ。

他人のことだと、理解度が低くなるので、時系列的な出来事の順番を逆にして考えてしまうのである。

自分のことなら、たいていの場合、言霊思考にならないのだけど、他人のことだと、すぐに、言霊思考になってしまうのだ。

事柄が連続して(繰り返し)起こっている場合、言霊主義者が、上記のような説明を聞いて、納得することは、ほとんどない。たとえば「かゆいと言うから、かゆくなる。

実際に、かゆいと言っているじゃないか。実際にかゆいと言って、実際にかゆくなっている。言霊(理論)は正しい」と言って、認めないのである。たしかに、「かゆい」と言っているけど、順番がちがう。

順番のちがいは、でかい。

自分のことだと、蚊に刺されたあと、蚊に刺されたのでかゆくなったと思うのに、他人のことだと、かゆいと言うから、蚊に刺されてかゆくなったと思ってしまうのである。連続して、同種類のことが発生している場合は、特に、誤解をしてしまう。

たいていの場合、多くの言霊主義者は誤解をしているということを、認めない。

 

●どうして自分だけこうなったのかわからない場合■言霊※2025/08/08 8:55

 言霊主義者も、自分が蚊に刺されたときは、蚊に刺されたあと、かゆくなったと思うのである。

「あたりまえのこと」に関しては、順番をひっくり返さないのである。

言霊主義者において、順番をひっくり返す機会と、順番をひっくり返さない機会と、どっちが、多いかというと、たぶん、順番をひっくり返さない機会のほうが圧倒的に多いと思う。

言霊主義者も、普段は、言霊的ではない思考をしているのである。

じゃあ、どういう機会に、言霊思考になってしまうのかということについて、ちょっとだけ言っておこう。

もう、すでに述べたことだけど、言霊主義者が、言霊的な思考になってしまうのは、自分の夢や希望に関するや、他人の身に起きたことに関することだ。

しかし、悪霊のようなものを想定している場合もあるのである。

「かゆくなる」と言ったから、実際に蚊がとんできて、自分を刺したというような悪霊思考も、たしかに、あると思う。

「かゆい」と言うから「かゆくなる」と、意識的な部分では、思っているわけだけど、それが、悪霊思考に結び付くのである。

ようするに、ネガティブなことを言ったから、それに対応する物理的な出来事が、発生したと考えるところも、あるのではないかと思う。

一のケース。蚊に刺されたからかゆくなった・蚊に刺されたあと、抗原抗体反応によってかゆさ感じた……と普通に考えることができる場合。一倍速で経験している「自分のこと」なら、通常は、言霊思考が出てこない。言霊思考にならない。

二のケース。「かゆい」と言ったから、蚊に刺されてかゆくなるということが発生した。「かゆい」と言ったから、「かゆい」という言葉の言霊が、蚊を連れてきて、蚊が自身をさすということが発生して、かゆくなった……と考える場合。つまり、悪霊思考になる場合。

三のケース。「かゆい」と言ったから「かゆくなった」と考える場合。身体の反応。「元気だ」と言えば元気になるとか、「楽しい」と言えば楽しくなるというような身体反応とおなじ。自分のからだが『思い込み』で反応するケース。

悪霊思考になる場合は、ジンクスを気にしている状態に近い状態になっていると思われる。これは、たぶん、「あたりまえだ」と思えないことに関して、言霊主義者が考える場合に出てくる考え方なのではないかと思う。

普通の「あたりまえのこと」は、言霊主義者においても、あたりまえのことだと理解して、言霊思考にはならないのである。

「どうして自分だけこうなったのかわからない場合」というのは、「あたりまえではないことが起こった」ということだから、悪霊思考になる余地がある。いいことに関しては、たぶん、夢がかなうというようなこととおなじなのだろう。悪いことに関しては、悪霊思考になるのではないかなぁ……と思う。 

 

2025年8月8日金曜日

●ほんとうに、すべての人間関係を、騒音が破壊した■騒音※2025/08/08 18:51

いやーー。まじ、つかれた。このあいだ、ちょっと作業に集中しただけで、体が、ぼろぼろになった。体調が、いちじるしく、悪い。

いろいろな、いやなことを思い出す。

ほんとうに、みんな、長期ヘビメタ騒音について誤解をしている。「誤解をしている」ということを説明しても、みんな、わかってくれない。長期ヘビメタ騒音以降、ほんとうに、生きているのがつらかった。どうやっても、つらいんだよ。騒音でつらい。騒音後遺症でつらい。

ほんとうに、すべての人間関係を、騒音が破壊した。

「なにがヘビメタ騒音だ!!」と言ったやつを、ぼくは、ゆるさない。

たぶん、本人は、ヘビメタが好きなんだろうけど、こいつの態度といったらない。

なんか、俺が悪いことをしていると思っているやつがいるんだよな。

なんで、ヘビメタ騒音の説明を(俺が)したとき、兄貴じゃなくて、俺が悪いと思うのか、ちょっとわからないところがある。

こいつらの、考えることは、ほんとうにゆがんでいる。

これ、たぶんだけど、ヘビメタが好きなやつだけじゃないんだよ。

兄貴が悪いことをしたのに、俺が悪いことをしたと誤解するやつが、多数、いる。こいつらの考え方は、ほんとうに、ムカつく。

ああっ。まあ、俺が嘘を言って、兄貴のせいにしていると思っているんだろうな。これ、自分がきちがい家族の騒音を浴びたことがないから、そういうふうに思うのだろうけど、ほんとうに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、でかい音で鳴っていた。でかい音で鳴らすことに、命がかかっていたので、ずっと、でかい音で鳴らしていた。これが事実だ。

俺が嘘を言っていると思うやつは、俺の性格が曲がっていると思っているんだよ。俺が「嘘を言う性格だ」と思っている。そいつらが、嘘だと思う根拠は、「そんなことがあるはずがない」という根拠なんだよ。きちがい兄貴の異常なやり方について、疑問をもっているわけ。きちがい兄貴が、そんな音でドカスカ鳴らしているのに、ほかの家族が、文句を言わないのはおかしいと思っているわけ。けど、常識的に考えればそうなるのだろうけど、うちは、きちがい親父が作った家なんだよ。ぜんぜん、基準がちがう。

こいつらの、悪意に満ちた誤解というのが、ほんとうに、こたえた。こいつらはこいつらで、自分の第一印象をかえない。自分の判断をかえない。自分が考えたことが正しいと思ったままだ。

説明したって、かわりゃあ、しないんだよ。

つぎつぎに、俺の説明を誤解していく。

きちがい兄貴が気ちがい兄貴でなければ、こんなことにならなかった。きちがい親父がきちがい親父でなければ、こんなことにならなかった。誤解されなかった。俺が、きちがい兄貴がやったことや、きちがい親父がやってやったことで、誤解されることがなかった。

ところが、俺の人生というのは、こういう誤解のオン・パレードなのである。

●歳をとるということの影響を認めている■過去※2025/08/07 20:15

「過去は現在の状態に影響をあたえない」と思っている人を「過去否定理論者」と呼ぶことにする。

歳をとった多くの過去否定論者が「歳をとったら、風邪をひきやすくなった」とか「歳をとってつかれやすくなった」とか「歳をとったら、急に体調が悪くなることが多くなった」とかと……「普通に」……言うのである。

過去は現在の状態に関係があると思っているのである。

たとえば、ある過去否定論者が八〇歳だとする。その場合、約八〇年間生きてきたという過去がある。長い間生きてきたので、老化して、風邪をひきやすくなったと言うのである。

歳をとるということの影響を認めている。

過去が現在の状態に影響をあたえていると思っているのである。自分のことについては、この通り、過去は現在に影響をあたえていると思っているのである。普通に、過去について考えて、過去の影響について考えるのである。

ところが、ひこどことになると「過去は現在の状態に影響をあたえない」と言い始めるのである。おなじような表現に「過去はない」という言い方がある。

「過去はない」ということと「過去は現在の状態に影響をあたえない」ということは、まったくちがうことなのである。「過去はない」ということは「過去は現在の状態に影響をあたえない」こととはまったく、ちがう意味内容をもっているのである。

ところが、多くの過去否定論者が「過去は現在の状態に影響をあたえない」という意味で「過去はない」と言うのである。指摘すれば、「そんなのは、アバウトでいいんだ」と言いやがる。こんなやつらと、まともな議論なんてできるわけがないだろ。

*     *     *

過去否定論者の多くが、エイリの身に起きたヘビメタ騒音の影響を認めないのである。「ヘビメタ騒音の影響なんてない」という意味で「過去は関係がない」と言うのである。「ヘビメタ騒音の影響なんてない」という意味で「過去はない」と言うのである。ヘビメタ騒音の影響なんてない」という意味で「過去は現在に影響をあたんない」と言うのである。……こいつら、ほんとうに、頭にくる。腹がたつ。

自分の身に起こったことに関しては、ちゃんと理解しているのである。過去の出来事が現在の状態に影響をあたえると思っているのである。自分のことであれば「こういうことがあったから、今現在こうだ」と普通に考えることができるのである。

過去否定論者も、自分のことに関しては、過去の出来事が現在の状態に影響をあたえていると思っているのである。ところが、ヘビメタ騒音に関しては、『影響はない』と言いきるのである。俺の身に起きたことに関しては、この通り、へんな確信を持ってしまうのである。 

●自分のことであれば、出来事の順番をまちがえない■言霊※2025/08/08 6:53

これ、もう、何回も言っているのだけど、言霊主義者は、出来事の順番を勝手に入れ替えてしまうのである。

腹がいたくなったから、「腹がいたい」と(わたしが)言ったとする。そうすると、言霊主義者は「腹がいたいというから、腹がいたくなる」と言ってくるわけだ。

腹がいたくなったあと、「腹がいたい」と言ったのである。腹がいたくないのに、突然、腹がいたいと言って、そのあと、実際に、腹がいたくなったわけではないのである。

言霊主義者は、腹がいたくなったという出来事と、腹がいたいと言ったという出来事の順番を入れ替えてしまうのだ。

ところが、言霊主義者自身に起こったことについては、順番を入れ替えないのである。自分のことだと、腹がいたくなったあと、腹がいたいと言ったということが、わかるのである。

一倍速で、自分で体験したことだから、順番をまちがえないのである。

ところが、「ひとごと」だと、勝手に順番を入れ替えてしまうのである。

しかも、自分が……言霊主義者が、勝手に順番を入れ替えたということについて、無知なのである。まったく、気がついていないのである。

これが、こまるんだよ。

こんなの、ケンカをうっているようなものなのだけど、言霊主義者本人は、まったくケンカをうっているつもりがないのである。

言霊主義者は、「腹がいたい」と言うから、腹がいたくなったと、本気で、思っているのである。相手の身に起こったことは、こういうことだと、確信しているのである。

だから、『いたいと言うからいたくなる』という言霊的な思考を相手にぶつけるわけである。

「自分の考え方は正しい」と、言霊主義者は思っているのである。

「いたいと言うから、いたくなる」と言霊主義者は、本気で思っているのである。

この、自分のことであれば、出来事の順番をまちがえないけど、他人のことになると、出来事の順番を逆転させてしまうということに、言霊主義者本人が、気がついていないのである。

*     *     *

「いたいと言うから、いたくなる」「かゆいと言うからかゆくなる」「つかれると言うからつかれる」というようなことを、言霊主義者は他人に言う。これらのことは、「言ったから、言ったことが現実化した」という思考の型に一致しているのである。自分のことでなければ、そういうふうに考えてしまうのである。

2025年8月7日木曜日

●こんなに文明がすすんでいるのに、まったく、しあわせではない■騒音※2025/08/07 10:35

こんなに文明がすすんでいるのに、まったく、しあわせではないというのは、こまったことだ。

まあ、ぼくの不幸は、きちがい家族によって発生したものなんだけどなぁ。これが、どれだけつらいか。どれだけ影響があるか? 

●言霊主義者は「言ったって、言ったことが現実化するわけがない」と思って暮らしている■言霊※2025/08/07 6:57

言霊主義者が、「歳をとったら、風邪をひきやすくなった」とか「歳をとってつかれやすくなった」とか「歳をとったら、急に体調が悪くなることが多くなった」とかと言うのである。

自分が一倍速で体験していることに関しては、言霊思考なんて、まったく出てこないのである。こいつらは、人には「言えば、言ったことが現実化する」「言霊は絶対だ」などと言うけど、自分が普段、一倍速で体験していることについては、一切合切、言霊なんて出てこないのである。

言ってみれば、言霊主義者は「言ったって、言ったことが現実化するわけがない」と思って暮らしているのである。

「自分は歳をとらない」と言えば、歳をとらないのである。「自分は老化しない」と言えば、老化しないのである。「自分は死なない」と言えば、死なないのである。「病気にならない」と言えば、病気にならないのである。

自分が一倍速で体験していることに関しては、なぜだか、「言霊なんて嘘だ」という態度で暮らしているのである。

「言ったって、おカネが出てくるわけがない」と思って、かぎられたおカネをどう使うか考えているのである。

おカネが出てくると言えば、おカネが出てくるんじゃないのか?

突然、体調が悪くなることを気にしている?

「元気だ元気だ」と言えば、元気になるんだろ。言ったことが、現実化するんだろ。なんで、体調が悪くなることを気にしているんだ? どうして、歳をとると、体調が、突然、悪くなることがあるんだ?

そんなの、言えば、解決だろ。

「一秒以内に、体調がよくなる」と言えば、一秒以内に、体調がよくなるんじゃないのか?

言霊主義者諸君! 君たち、自分が人に言っていることを意識したときある?

目を輝かせて「言ったことが現実化する」「言霊は絶対だ」と、人には言ってたでしょ。言ってたじゃーーーーあ、あーーーりませんかぁーーーー。

「言い方が悪いから、現実化しないんだよ」……。「元気だ元気だとこころをこめて言えば、元気になる」……。「言い方が悪いんだよ」……。「元気になるまで、何度でも言えばいいじゃないか」……。

*     *     *

「歳をとったら、風邪をひきやすくなった」と言うから、風邪をひきやすくなるんだよ。

「歳をとってつかれやすくなった」と言うから、つかれやすくなるんだよ。

「歳をとったら、急に体調が悪くなることが多くなった」と言うから、急に体調が悪くなることが多くなるんだよ。

「歳をとる」と言うから、歳をとるんだよ。 

「歳をとる」と言わなければ、歳なんかとらない。 

2025年8月5日火曜日

●「おカネがある」と言えば、言っただけで、おカネがある状態になる(5)■言霊※2025/08/04 11:31

たいていの場合、言霊主義者が……「死ぬと言うから、死ぬ」「死なないと言えば、死なない」と思っていないということは、重要だ。

たいていの場合、人間が死ぬのはあたりまえだと思っているのである。たいていの場合、あたりまえだと思っていることについては、どれだけネガティブなことを言っても、「のろい」にならないのである。

たいていの場合、ネガティブなことを言ってしまったから、ネガティブなことが発生するのではないかという「危惧」がうまれない。たいていの場合、ネガティブなことを言っても、あたりまえだと思っていれば、「のろい」のような機能がなくなるのである。

けど、死ぬことはともかくとして、なにかの、のろいで死ぬということはありえると思っているのである。のろい自体で死ぬことや、のろいが別のことを引き起こして死ぬことについて考えるのである。

その場合は、ネガティブなことを言ったということが、重要なことになる。

たとえば、のろいが病気の原因になって、病気になって死ぬということがありえると思っているのである。けど、病気の原因は、物理的な原因なのである。原子とか分子というレベルで、変化が起こっていて、その変化が病気を引き起こすのだから、病気の原因は、物理的な原因なのである。

しかし、言霊主義者は、言霊の力が、その物理的な原因を「ひきおこす」原動力になると思っているのだ。そして、のろいのトリガーが、言霊主義者にとっては、ネガティブな発言なのだ。

しかし、たいていの場合、その言霊主義者も、あたりまえだと思っていることについては、ネガティブな発言をしても、まったく、心配しないのである。

言霊主義者も、言霊とは関係なく、人間は死ぬと思っているのである。「死ぬと言うから、死ぬ」のではなくて、人間が死ぬ動物だから、死ぬと思っているのである。

あるいは、すべての生命体が死ぬ存在であるから、人間も死ぬだろうと思っているのである。何度も言うけど、それは、言霊とは関係がないことなのである。

「人間が死ぬ運命にある」ということは、言霊とは関係なく、言霊主義者によって、肯定されてしまうことなのである。ようするに……言霊ではない!!!……別の力が働いていると、言霊主義者が思っているということなのである。 

*     *     *

言霊主義者が、ガラスのコップを落としたとする。そして、ガラスのコップが割れたとする。言霊主義者は、ガラスのコップを落とす前に「ガラスのコップが落ちる」と言わなかった。

言霊主義者は、「ガラスのコップが割れると」と言わなかった。

ところが、言わなかったことが現実化したということには、まったく関心をしめさないのである。普通に「ガラスのコップが落ちて割れた」と認識してしまうのである。

そして、「ガラスのコップが落ちた場合、ガラスのコップだから!!割れる可能性がある」と普通に思っているのである。

これは、「一〇円玉が落ちたら、一〇円玉が落ちた」と思うのとおなじだ。

言わなくても、事柄が発生するのである。そして、言わなくても、事柄が発生するということを、言霊主義者が自然に受け入れているということを意味している。

*     *     * 

「ガラスのコップを落としたら、ガラスのコップが割れる」と言ったから、ガラスのコップが割れたと考える場合について考えてみよう。

これは、物理的な考え方が、言霊的な考え方に内包されている場合なのである。

この場合は、言霊の力によって物理的な現象が発生するということになる。ようするに、言霊の力が、物理的な力よりも、上位の力であって、その上位の力が、物理的な力を発生させていると考えているのである。

けっきょく、言霊主義者が、帰納的に関係を理解する場合は、言霊の力が、物理的な力を引き起こして、そうなると思っているところがある。

帰納的にというのは、経験から、そう思うようになったということだ。言霊主義者も、経験によって「あたりまえだ」と思うようになったのである。

物理的な世界で生きているので、物理的なことに関しては、複数回おなじようなことを経験するので、その複数の経験を通して「あたりまえだ」と思うようになったのである。

ガラスのコップを落としても、割れない可能性があるのだけど、割れる可能性もある。

ガラスのコップを落としたら、ガラスのコップが割れたということを、言霊主義者が、経験すると、それが、あたりまえだと思うようになるのである。回数が多ければ多いほど、「それであたりまえだ」と思うようになる。

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普段は、「死なないと言っても、人間は死ぬ」と思っている言霊主義者がいたとする。

たいていの場合は、「あたりまえのこと」に関しては、言霊的思考ではなくて、現実的な思考になる。

問題なのは、言霊主義者が、言霊思考をしていないということについて、無頓着なことだ。

言霊主義者は、本人が「あたりまえだ」と思うことに関しては、言霊思考をしていないのである。

けど、「言霊は絶対だ」「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」とかたく信じているのである。普段から、かたく信じている。

だから、ほんとうなら、矛盾を感じなければならないのだけど、矛盾は感じないことになっている。

「死なないと言っても、人間は死ぬ」と思っている言霊主義者が、なんらかの理由で、自分が、遠くない将来において、死ぬと思った場合は、「死なないと言えば死なない」と言霊思考になることがあるかもしれない。

その言霊主義者のなかで、現実度や切迫感がかわったのである。

たぶんだけど、希望に関することは、いつかかなえばよいわけだから、切迫感がなく、現実感が小さいのである。このような場合は、言霊思考になるのである。現実的で、細かいことに関しては、普通に、非・言霊思考になるのである。ところが、自分の命が、ほかのはっきりとした理由によって、なくなるのではないかと、現実的に思える場合は、逆に、最後の神頼みで、思考が言霊思考になるのではないかと思う。

ともかく、無意識的に、切り分けている。本人は、矛盾に気がつかない。普段から、じゅうぶんに言霊主義的な行動をして、言霊主義的な考え方をもっていると、言霊主義者は、確信しているのである。ところが、すぐに対応しなければならないような、現実的なことに関しては、言霊思考なんて、出てくる余地がないのである。言霊主義者は、一倍速のことに関しては、あたりまえのように、言霊思考を無視して暮らしているのである。 

2025年8月4日月曜日

●「おカネがある」と言えば、言っただけで、おカネがある状態になる(4)■言霊※2025/08/04 4:00

「ネガティブな言葉だ」と言霊主義者が考えていることについては、言霊の力というのは、怨霊の力とおなじような意味をもつのである……と書いたけど、もうちょっと、言っておこう。

言霊主義者というのは、自分が納得していることについては、普通に、「ネガティブなこと」を考えるのである。そして、あたりまえだと思っている。

たとえば、言霊主義者が歯の定期検診に行ったとする。これも、ほんとうは、おかしいことだ。

「自分の歯は、いつまでも、じょうぶだ」と、ひとこと、言えば、それで、いつまでも、じょうぶな歯を手に入れることができるのである。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と言えば、だいじょうぶなのである。

自分が知らないうちに、虫歯になっているとか、歯周病が進行しているということは、ないのだ。

「自分は、一切合切、病気にならない」と、ひとこと言えば、虫歯や歯周病を含めた「病気」にはならないのである。あるいは、「自分は、いつまでも健康だ」と、ひとこと言えば、「いつまでも健康」でいられるのだ。

なんで、心配する必要がある。

なんで、知らないうちに病気になってしまうということがあるんだ?

定期検診に行くということは、「病気になっていることがありえる」と思っているからなのだ。

「ネガティブなこと」を考えている。

「ネガティブなこと」を考えているから、病気を早期発見して、はやいうちに、手を打ったほうがいいと思っているのだ。

歯の検診だけではなくて、すべての健康診断について、おなじことが言える。

なんで、わざわざ、健康診断を受けるのか?

「ひょっとしたら、自分が気がつかないうち、なんかの病気になっているかもしれない」と思っているからだ。あるいは、思ったからだ。

会社で健康診断があるという場合は、ちがうけど、そもそも、「一〇〇億円、自分の口座に振り込まれる」と言えば、一〇〇億円振り込まれるのだから、会社に行ってカネを稼ぐ必要がないのだ。……言霊主義者の場合、そうなる。

これも、「稼がないと、生活ができない」とネガティブなことを考えたあと、会社と雇用契約を結んでいるのだ。「おカネがないとこまる」とネガティブなことを考えて、それに対処するために、カネを稼ぐために会社に行かなければならないと考えているのだ。

「カネがある」と言えば「カネがある状態」になるんじゃなかったのか。

「稼げる」といえば、稼げるんじゃないのか?

月に一〇〇万円稼げると言えば、言っただけで、言霊の力によって、月に一〇〇万円稼げるようになるんじゃないのか?

「稼がないと、たいへんなことになる」とか「稼がないと生活ができない」と考えるは、おかしなことなのである。

なんで、そういうネガティブなことを考えるんだ?

稼がなくても、「カネが出てくる」と言えば、カネが出てくるんだよ。言ったことが、現実化するんだよ。

人には、「カネがあると言えば、カネがある状態になる」「カネがないと言うから、カネがない状態になる」と言うけど、自分は「稼がないと、生活できない」と考えて、会社と雇用契約を結ぶことを考えるのである。

おかしいじゃないか。

言霊主義者というのは、自分の現実的な問題に関しては、言霊的な問題解決なんて、まったく期待していないのである。

言霊ではどうにもならないと考えて、現実的な解決策を模索するのである。

人には、あたかも、「言えば解決できる」ということを言うけど、自分のことになれば、「言えば解決できる」と思わずに、現実的な解決策を模索するのだ。

しかも、その矛盾に気がついていないのだ。

これ、気分次第なんだよ。

自分のことを、自分が考えている場合には、普通に、ネガティブなことも考えているのだ。「こうなると、いけないから、こうしよう」と思っている。

「病気になっていると、こまるから、健康診断に行こう」と思っている。「病気になっていること」があると思ってるのだ。ネガティブなことを考えている。

「自分は気がついていないけど、すでに病気になっていたらこまる」とネガティブなことを考えているのである。

「病気になると思うから、病気になる」「病気にならないと思えば、病気にならない」というのが、普段の、言霊主義者の主張なら、やっていることが、矛盾しているのである。

人には 「病気にならないと思えば、病気にならない」と言うけど、自分は「病気になっていると、こまるから、健康診断に行こう」と思って、健康診断をするために、病院に行くのである。

人に言っていることと、自分がやっていることが矛盾している。しかも、普通のことに関しては、まったく疑問に思わないのだ。

「あたりまえだ」と思っていることに関しては、「ネガティブなこと」を考えているのに、「ネガティブなことを考えた」という、主観的な気持がないのだ。

つまり、「ネガティブなことを考えた」という認識がない。

「病気になっているとこまるから、早期発見して対処しよう」と思っているのに、自分が「病気になっているとこまる」と思っているということが、わかってない。

「病気になると思うから病気になる」という理論が……言霊主義者の頭のなかに……成り立っているなら、「病気になっている」と思うべきではないのだ。

「自分がすでに病気になっている」と考えることは、ネガティブなことなのに、普通の思考のなかでは……つまり、自分のなかで……あたりまえの思考をしているときは……ネガティブなことを考えたことにならないのである。

じつは、言霊主義者がやっていることというのは、つねに、矛盾していることなのである。

ところが、言霊主義者が本人の矛盾に気がつかないのだ。

気がつかないから、言霊理論の矛盾を指摘されると、おこる。

「言ったことが現実化する。これが正しい」と言うのである。

けど、言ったあと、普通に、「健康診断に行こう」と思うのである。

これは、おかしなことなんだよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。