たとえば、ヘビメタのことを「かくしている」場合、なんか、やばいことを、かくしている状態になるのだ。弱点みたいなものだ。あるいは、知られたくない情報だ。たとえば、無職である人が、無職であることをかくしているとする。その場合、無職であるということを知られたくないという意識がある。そういう意識があるから、特定の会話をさけようとする。この場合、嘘をつくつもりがない場合は、訊かれたら、無職だということにしているとする。「聞かれたくないなぁ」と思いながら、会話をするということになる。それとおなじようなことが、ヘビメタ騒音にも成り立ってしまう。ほかの人に、ヘビメタ騒音のことを言っても、ほかの人にヘビメタ騒音のことを言わなくても、「へんな態度」がうまれるのだ。「なにかをかくしている態度」が、発生する。そして、無職だということが発覚?した場合、あるいは、無職だということを自分で言った場合、相手の態度は、あんまりいいものではなくなる。日本では、無職というのはけしからん存在だからだ。
ヘビメタ騒音自体が「見えないスティグマ」のようになってしまうところがある。そして、それで、こまるのは、ぼくだけなのだ。無職でも、学歴でも、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃなんだけど、ほかの人は知らない。いろいろな不都合な状態がしょうじるわけだけど、ほかの人は、ヘビメタ騒音のことは重視しない。「話がおかしい」と思ってぼくが言っていることを疑うやつが約四割。「そんなの関係がない」と思ってぼくのことをバカにするやつが約六割だ。こいつらは、「ヘビメタ騒音で無職になることはない」と思っているわけだ。こいつらは、「ヘビメタ騒音が鳴り終わったら、眠れるはずだから、眠れなくなるなんていうのは、いいわけだ」 と思っているわけだ。だから、「ヘビメタ騒音でどうしても遅刻をしてしまう」ということを認めないわけだ。だから、「ヘビメタ騒音で通勤通学ができなくなる」ということを認めないわけだ。しかたがなく、言った場合がこれだ。そして言わない場合は、「(エイリは)特に理由がないのに無職である人だ」ということになる。この人たちにとっては、そうなのだ。だから、言うにしろ、言わないにしろ、スティグマになってしまうのである。言わない場合は、見えないスティグマ。言った場合は、見えるスティグマだ。
けど、この人たちは、「不可避的にそうなる」ということがわかっていない。どれだけ、眠い状態で起きて、無理をして学校に通っていたかということを、無視しやがるのだ。こいつらは、経験がないので、「なんでもないことだ」と思っているのである。こいつらは「俺だって朝はつらい」と言う。こいつらは「俺だって眠れない夜はある」と言う。けど、ちがうんだよ。毎日、あのきちがいヘビメタが、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴っているような状態でできあがる、状態とはちがう。「俺だって朝はつらい」と言う場合、つらさにおいて、別のことを言っているのである。まったく別のことを言っているのである。けど、「ちがうんだ」と言えば、相手は腹を立ててしまうのである。 「俺だって眠れない夜はある」と言う場合も、普通の状態で、一日、眠れない夜を経験するのと、きちがいヘビメタ騒音で、毎日、眠れない夜を経験するのは、ちがうことなんだよ。けど、これも、「ちがうんだ」と言えば、相手は腹を立ててしまうのである。ぼくの経験の範囲で言うと、そういうことになる。
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ともかく、ヘビメタ騒音で、つねに、立場が悪くなるのである。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音が、毎日、連続していたとということが、でかいことなんだよ。「関係がない」と言うやつは、繰り返しの効果も無視してしまうのだけど……。
ヘビメタ騒音が鳴ってから、学校でも社会でも、つねに、立場が悪い状態なのである。こんなの、やってられるか。ほんとうに、ヘビメタ騒音が、毎日ずっと鳴っていなかったら、こんなことになっていない。きちがいヘビメタ騒音が鳴っていなかったころだって「眠れない夜」はあった。けど、ちがうんだよ。ヘビメタ騒音が鳴り始めてからの「眠れない夜」と、ヘビメタ騒音が鳴っていなかったころの「眠れない夜」はおなじ「眠れない夜」でも、ぜんぜんちがうんだよ。きちがいヘビメタ騒音を長期間にわたって毎日経験していない人は、きちがいヘビメタ騒音が鳴り始めてからの「眠れない夜」の深刻さが、まるでわかっていない。ほんとうに、わかっていない。けど、そいつらが、ヘビメタ騒音が鳴っている場合の「眠れない夜」と「ヘビメタ騒音が鳴っていない場合の「眠れない夜」はちがうのだということを、認めることがないのである。俺が説明したって、こいつらの頭のなかでは、エイリが言っている「眠れない夜」と自分が経験した「眠れない夜」は同程度のものだという考え方がぬけない。どれだけ説明したって、こいつらはこいつらで、自説にこだわる。ヘビメタ騒音の「眠れない夜」だろうが、自分の「眠れない夜」だろうが、おなじだと思ったまま、すごすわけ。こっちの立場が低ければ、あっちは「なんだとぉ」とおこるんだよ。ぼくの経験の範囲で言うとそういうことになる。
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ちなみに、「受け止め方をかえればいいんだ」と言っている人であって、なおかつ、エイリが言っている「眠れない夜」と自分が経験した「眠れない夜」は同程度のものだという考え方をもっている人は、自分の受け止め方をかえないのだ。エイリにあわせて、あるいは、エイリの言っていることにあわせて、自分の受け止め方をかえればいいのに、自分の受け止め方をかえない。「そんなのは、たいしたことじゃない」と言い、「受け止め方をかえればいいんだ」と言う。こんなやつばかりだよ。この世は、こんなやつばかりだった。