2025年11月27日木曜日

●「うちでは、おさえなくてもいい」■騒音※2025/11/27 8:11

 それにしても、このさき、どうするかな?

なんか、動きたくないんだよなぁ。

けど、外壁その他が劣化しつつあるので、問題がある。リフォームは、むりだ。新しい家を買うしかない。新しいと言っても、中古だけど……。しかし、どうする?

なんか、ほんとうに、動きたくない。たとえば、電車に乗って内見に行くことを考えると、なえる。考えただけで、なえる。めちゃくちゃに、憂鬱になる。

ヘビメタ騒音期間中に、入学試験を受けに行ったときの気持ちになる。破滅感があるんだよな。それを、押しのけて、無理をして行動しているのだけど、無理をして行動すると、そのぶん、やはり、「憂鬱のもと」がたまるのである。

その場合「楽しい楽しい」と言ったって、楽しくなるわけではない。実際に、騒音が鳴っていたということと、騒音の影響を受けて眠れない状態で……つまり、一睡もできない状態で……試験を受けに行ったということが重要なんだよ。

出来事と関係なく、どこかに、自分のこころがあって、そのこころが、自分の発言に対応した気持ちをもつわけではないのだ。

どこかに、出来事と関係がない、無傷のこころがあるという考え方は、まちがっている。

出来事の影響を受けた「こころ」しかない。

ところが、ニュートラルな状態を考えて、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と思ってしまう。実験をするときは、ニュートラルな状態なのだ。こころは、比較的にいって、中立的な状態だ。

ものすごくこまっている状態で、ものすごくショックなことがあった状態ではない。

きちがい家族に、こころを、かきむしられたあとではない。

けど、きちがい家族と一緒に住んでいる人は、日常的に、こころを、かきむしられるのである。きちがい家族は、きちがい的な自分勝手さを発揮して、自分の気持ちのまま行動するので、きちがい家族のまわりにいる人は、こまるのである。

どうしたって、きちがい家族の影響を受ける。どうしたって、きちがい家族がやることの影響を受ける。だから、きちがい家族と一緒に住んでいる人は、きちがい家族と一緒に住んでいない人にくらべて、こまっているときが多いのである。時間的にも長い。こまる頻度も、高い。

実際の「こまる回数」も、多いのである。

きちがい家族のタイプによるけど、タイプに関係なく、普通の家族よりは、きちがい家族のほうが、迷惑行為を夢中になってやる傾向がある。

だいたい、俺が兄貴のことを「きちがいだ」と言っているのは、兄貴がやったことで、こまっていたからなのだよ。

そして、兄貴が、注意をすれば、ごく基本的なことを認めて、改めてくれるような正常な人だったら、そもそも、きちがい兄貴などとは、言っていないのだ。

きちがい兄貴は、ヘビメタ騒音で、こっちの気持ちをかきむしるようなことをして、かきむしるような行為をしているということを、絶対に認めなかった。普通の人なら、わかることなのである。

ところが、きちがいだから、うまい具合にわからなくなっている。

そして、これは、「うちだから」起こったことだ。きちがい兄貴のような人間だって「よそ」では、正常な人間として行動しているのである。

だったら、うちにいるときも「自分がおかしい」ということかわるかといえば、わからないのだ。ここら辺も、普通の人が、ごく普通に、誤解するところなのだよな。

よそでも、じつは、よく見れば、自分勝手な行動をする傾向があるのだ。けど、「うちにいる」ときほど、ひどくはない。おさえがきいている状態だ。けど、うちだと、おさえがきかなくなってしまうのである。

しかし、じゃあ、「うちでは、おさえなくてもいい」とはっきり自覚してそうしているのかというと、そうではないのだ。たとえば、きちがい親父は、親戚のうちにいるときは、うちにいるときのように、きちがい的な理由で、子供にいかりをぶつけるということがなかったのである。

けど、きちがい親父が、それを意識して、使い分けていたかというとそうでないのである。けど、注意深い人は「あのひと、へんだよ」と思ったりする。これは、なんらかのトラブルがあったときそう思うわけで、たいていの人は気がつかない。

 説明しにくいことなのだけど、いちおう、短縮形で説明しておく。

ぼくが、おばあちゃんの家で、「親父が家でこういうことをする」と言ったことがある。そうしたら、おばあちゃんは、「親の悪口を言う子供は悪い子供だ」という反応をしたのだ。

「親の悪口を言うなんて、よくない」と言ったのだ。きちがい親父がうちでやっていることが、まるでわかっていないのだ。「子どもは、子どもだから、善悪の区別がつかずに悪いことをすることがある」「だから、親である、親父が、エイリを注意したのだろう」と勝手に解釈してしまう。

そのとき、おかあさんが、「エイリちゃんが言っていることが正しい」「うちでは、夫は、ひどい原理で動いている」「頭がおかしい理由で、ケチをつけて、いつも怒り狂っている」ということを言ってくくればいいのに、だまっているのだ。

あとで、家に帰ったとき、ぼくがおかあさんに「おばあちゃんは、お父さんのことがわかっていない」というようなことをぼくが言ったら、おかあさんは「おばあちゃんは、そうだよ」と言ったのだ。「ぼくが(無根拠に)お父さんの悪口を言っている」と思っている。

実際に、お父さんは、いつもひどいことをする」というようなことを言いたかったわけ。当時、幼稚園生ぐらいのときだから、「無根拠に」というようなことは言わなかったけど、そういうふうに言いた気持ちがあった。

これ、おばあちゃんの解釈だと、ぼくが、親父の行為を誤解しているという解釈なんだよな。どうして、誤解しているかというと、ぼくが(当時)幼稚園生ぐらいの子どもだったから、誤解をしているということなのだ。ようするに、おばあちゃんの解釈だと、親父は、おこるべきことでおこっているという解釈なんだよな。

それが、エイリはおさない子どもだからわからないという解釈なんだよ。

きちがい親父が、きちがい的な理由でおこっていたことは、あきらかなのだ。「うち中にいる人」にとっては、あきらかなことなのだ。

けど、よそのうちの人には、あきらかなことじゃない。小さな子どもが言えば、小さな子どもだからわからないと思ってしまう。小さな子どもだから、親がおこった理由がわからないだけなんだという解釈だ。「小さな子どもだから、親がおこった理由がわからないだけなのに、親がおこったということを悪く言っている」という解釈なのだ。

こんなの、ない。

けど、おかあさんが死んだあと……おばあちゃんとちょっとだけ話をしたのだけど、そういうことがあったということは、何十年もまえのことなので、おばあちゃんは、まったくおぼえていないような様子だった。

たぶん、おぼえていない。

けど、ぼくは、何十年もまえのことだけど、おぼえている。こういうことは、よくあることなんだよな。相手は、忘れちゃってるけど、ぼくはおぼえているということが、よくある。

なんだか知らないけど、記憶に強く残るタイプなのだ。めちゃくちゃにいろいろ、相手が忘れてしまたっことを、おぼえているのである。

エピソード記憶の記憶力が高すぎてこまっているよ。

2025年11月25日火曜日

●日曜日や祝日なら、体を休めることができるという前提■騒音※2025/11/25 6:41

ネットスーパーの注文をしたのだけど、はやくも、後悔している。キャンセルするかどうか迷っている。配達の時間帯としては、昼間の一二時から午後二時までの時間帯を選択した。

いまは、まだ、眠たくないけど、午前九時ぐらいか眠たくなる感じがする。昼間の一二時までは、起きていられるけど、午後二時はきついかもしれない。

けど、どのみち、明日もおなじようなことになるので、明日にずらしてもおなじだ。しかも、明日にずらすとなると、睡眠時間が、うしろにずれてしまうのである。大きく大きくずれてしまうのである。八時間ぐらいずれてしまう。

そして、この八時間も、ドロドロで気持ちが悪い時間なのだ。普通の状態でずれるわけではなくて、ものすごく悪い状態でずれることになる。時間を決めるとなると、こうなってしまうのである。

これは、後天的なもので、ヘビメタ騒音生活八年目あたりから、こうなった。ほかの人は、理解してくれないけど、人生のマイナスになっている。まあ、ほかの人が理解しないというのはわかる。けど、ヘビメタ騒音で本当にそうなる。

自分で時間を決められる場合でもこうなってしまう。前投稿で、ヘビメタ騒音と学校にはさまれると書いたけど、ヘビメタ騒音と学校にはさまれた結果が、これだ。

ほんとうに、人は理解しない。「だらしないやつだな」と思うだけなのである。

「面倒なやつだな」と思うだけなのである。必然性なんて、理解しない。

けど、じゃあ、ヘビメタ騒音と学校にはさまれた七年間は、どうなるのだ。

これ、どうしたって、ヘビメタを六時間以上、あびたあとは、眠れなくなる。もちろん、これも、証明ができない。実験ができない。

すべての人で、そうなると言いたいけど、多くの人がそうなるというところまでゆずっても、ぼくが言っているだけのことになってしまう。

人間を主語にして、「人間は、ぼくとおなじ生活をすれば、睡眠回路が壊れてこういう状態になる」と言いたいわけだけど、証明ができない。ほんとうに、……多くの人が、みんな……経験していないことなのだ。

だから、実際に、ヘビメタ騒音にさらされて、一日が眠れなくなるということがわからない。きちがいヘビメタ騒音のことを無視する人は、ぼくが、さぼっていると思ってしまうのだ。ぼくがたるんでいるから、時間に遅れると思ってしまうのだ。

そういうことまで含めて、ヘビメタ騒音を実際にあびてしまうと、どうしても、そうなってしまうのだ。これ、意志の問題じゃないのである。

逆に、「時間を守ろう」「眠れ」と、思えば思うほど、眠れくなってしまうのだ。けど、じゃあ、「時間を守らなくてもいい」「眠れなくてもいい」と思えば、眠れるかというとそうではないのだ。

けっきょく、そういう思いとは関係なく、きちがいヘビメタを浴びてしまったということが影響を与えているのだ。日曜日は一三(じゅうさん)時間以上、ヘビメタ騒音を、至近距離であびせられるのである。だから、休みの日が、休みの日ではなくて、特につかれる日になってしまう。こういうことも、ほかの人にはわからない。まったくわからない。

俺が普通に、日曜日に休んでいると思っているのだ。体を休めていると思っているのだ。「体を休められる日があるのに、それを休むための日として使わないのは、エイリの責任だ」ということになってしまう。けど、日曜日も、祝日も、夏休みも、冬休みも、春休みも、体を休められる日ではないのだ。こういうことだって、「日曜日や祝日に体を休めればいいのに、そういうことをしないで、さぼっている」と思われてしまうのだ。「日曜日や祝日なら、体を休めることができるという前提」が、こういう人たちの「思考の前提」にある。こういう人たちが、気づかずに、そういう前提で話をしてしまうのである。

こういう人たちが、気づかずに、そういう前提で物事を考え、エイリのことについて判断してしまうのである。こういう人たちに、「ヘビメタ騒音が鳴っているから、日曜日も祝日も、体を休めることができない」ということを言ったって、たいていの場合は、むだだ。

ぼくの経験の範囲で言えば、すべての場合において、むだだったのだ。「どんなに騒音が鳴ってたって宿題ぐらいできる」と言った人もおなじなのだけど、自分の考えを、かえようとしない。

ぼくが「ヘビメタ騒音中で、宿題をすることができない」ということを言っても、この人たちは、認めない。そんなこと、認めないのだ。「できるはず」なのだから、「エイリがわるい」「エイリが、言い訳をして、さぼっている」ということになってしまう。

これは、「努力をすれば成功する」と同系列の誤解だ。

ほんとうは「、人間は、ぼくとおなじ生活をすれば、睡眠回路が壊れてこういう状態になる」といいたいけど、一〇〇%詐欺にならないように「人間は、ぼくとおなじ生活をすれば、睡眠回路が壊れてこういう状態になると思う」と言っておく。

「できるはずなのだから、エイリがわるい」というような考え方に触れたとき、ものすごく、腹が立つんだよ。やるせない思いがする。むなくそ悪い気分になる。生きている心地がしない。

きちがいヘビメタ騒音が強烈で、ほんとうにそうなるのに、きちがい家族がいない人が、そうなるということを理解しない。その人の常識のなかでは、「そうならない」のである。

じゃあ、どうして、その人たちが「そうならない」と考えてしまうかというと、経験がないからだ。この人たちにとってみれば、人の話を聴いて、頭のなかで考えたことでしかないのだ。

実際に、自分が鳴らされたとしても、自分ならだいじょうぶだ」と考えてしまうのである。「それは、考えただけだから、そうなんだよ」と言いたくなるけど、言ったって、相手が認めることは、たぶんないだろう。

多くの場合で、実際に、相手は認めなかった。ぼくの経験の範囲だと、自分の考えを改めたのは、ゼロ人だ。まったく、いない。

「できるはずなのだから、エイリがわるい」と思った人が、「実際にやられていないから、わからないだけだ」ということを認めたことが、ない。

みんな、ぼくの説明を聴いたあとも、「自分ならだいじょうぶだ」と思ったままなのである。これは、ようするに、「自分よりも、エイリが弱いから、ダメなんだ」ということになる。

きちがい兄貴のような家族が、この人たちにはいないのである。きちがい的にでかい音で鳴らして、でかい音で鳴らしているということを、耳が正常なのに、認めないようなきちがい家族がいないのである。

そして、ほかの家族も、けっきょく、その家族が、よそのひとがやらないようなきちがい行為を毎日やりづけることを黙認してしまう。

きちがい親父なんて、支援している。黙認しているだけではなくて、支援している。お母さんは、「こまった。こまった」と言っているだけなのである。

2025年11月24日月曜日

●「エイリがちゃんと言わなかったからダメなんだ」■騒音※2025/11/24 21:31

いろいろと、動きたくない気持ちがある。この「動きたくない気持ち」の程度というのが、ほかの人にはわからないんだよな。

ヘビメタ騒音で、「動きたくない気持ち」の度合いがたいへん強いのだ。ものすごく、動きたくないのだ。

もう、動くことを、想像しただけで、ヘタってしまうのだ。

これは、きちがいヘビメタ騒音の中で、動いてきたからこそ、しょうじた症状だ。たとえば、引っ越しのために不動産屋に行かなければならないとする。時間の約束をして、約束の時間通りに、物件に到着するということが、めちゃくちゃに困難なことなのだ。

どうしてかというと、きちがいヘビメタ騒音にやられながら、学校に通ったからなのである。じゃあ、通わずに、ヘビメタ騒音にさらされっぱなしだったら、よかったのかというと、そうではないのだ。

そうではないのだけど、ヘビメタ騒音と学校にはさまれた感じになる。これ、ヘビメタ騒音が鳴り終わったら関係がないと考えている人には、まったくわからないことなのだけど、じつは、鳴っているときだけ問題があるというわけではないのだ。

鳴っているときだけつらいわけではないのだ。

けど、実際に、きちがいヘビメタ騒音と学校にはさまれた状態で、暮らしたことがない人には、逆立ちをしてもわからないことなのだろう。その人の人生を考えるなら、わからないほうが幸せだ。けど、わからないからといって、ぼくをバカにしてくるなということは、言っておきたい。こいつらがみんな、「騒音で音(ね)をあげるエイリは自分よりも弱い」と思って、傲慢な発言をしてくるのだ。

「無理解発言」をしてくるのだ。この、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する人の発言というのは、ぼくを、いらつかせる。

もう、ほんとうに、ぶんなぐって殺したいぐらいには、腹が立つ。こいつの態度は、きちがい兄貴の態度と似ている。「ヘビメタ騒音なんて関係がない」と思っている時点で、こいつらは、だめだ。

ヘビメタ騒音の影響を過小評価した時点で、こいつらは、だめだ。

まあ、鳴り終わったら関係がないと言っているのだから鳴っている間は関係があると思っているわけで、その点は、きちがい兄貴とは違う。きちがい兄貴なんて、鳴っている状態でも、関係がないと思っているやつだからな。

そのきちがい思考が、なおらない。

あんなでかい音で鳴らしたら、こまるにきまっているだろ。きちがい兄貴が、きちがいヘビメタ以外の音を、あの音のでかさで聞かされたら、めちゃくちゃにおこるよ。自分だってこまるのに、それがわからない。普通の人は、相手のことを考えて、そういう音では鳴らさないのだ。自分がやられたらいやなことを、しないようにしている。ところが、きちがい兄貴はきちがいだから、それがまったくわからない。自分がやりたくなったら、やりたいわけで、やりきる。「しずかにしろ」と言われたら、自分が邪魔されたということだけを考えて、きちがい的な意地でやりきろうとする。それだけなのだ。相手がこまっているということは、どれだけ言われたって、まったくわからないままなのだ。まったく、なにも伝わっていない状態なんだよ。そして、自分が相手をはねのけて、自分の意地を落としてやりきることができれば、ほんとうに、相手のことなんて気にならないのだ。頭のなかに、相手のことがまったく入っていないのとおなじだ。これ、「しずかにしろ」と言われたということ自体が、「ないこと」になっている。そういうレベルの無視のしかたなのである。これは、兄貴がそうしようと思ってやっていることではなくて、兄貴の頭だとそうなってしまうということだ。相手がこまっているということが、まったくわからないということは、兄貴が意識してやっていることではないのである。だからこそ、問題なのである。これがわかってないやつが多すぎる。それに、自分がやりきれば、相手が「やめてくれ」「しずかにしてくれ」と言ってきたことが、まったく関係がないことになってしまって、記憶の中から完全に消えてしまうなんてことは、普通は、ありえないんだよ。相手がいやがっているということが、ほんとうにわからないんだよ。きちがい親父が、「ハンダゴテを買ってくれ」と言われて、買ってやりたくないから、親父のハンダゴテを、物置からもってきて「これを使え」と言ったときとおなじなんだよ。相手が、どれだけ「このハンダゴテじゃだめだ」と言ったって、「つかえるつかえる」と言って、使えなということを認めない。どうして認めないかというと、認めてしまったら、自分が新しく買うハンダゴテのカネを出さなければならなくなるからだ。兄貴が、きちがい的にでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているということを認めないのも、でかい音で鳴らしているということを認めてしまったら、自分がしずかにしなければならないからなのである。絶対に、でかい音で鳴らしているということを認めずに、やりきるのである。けど、それがまた、普通の人なら、でかい音で鳴らしているということがわかっているけど、芝居をするということになる。ところが、きちがい兄貴は、芝居をしているわけではないのである。都合よく、聴力が落ちるのである。ヘビメタ騒音に関しては、ほんとうに、物理的にどでかい音で鳴らしているのに、しずかな音で鳴らしていると認知しているのである。これが、きちがいでなくてなんだ。おなじなんだよね。認めてしまったら、自分が、ほんとうにゆずらなければならなくなることは、事前に、無意識的に、削除されているのである。だから、意識には登らない。意識的には、ほんとうにしずかな音で鳴らしているつぬなのである。問題がある音で鳴らしているつもりというは、ないのである。これが、十何年も毎日続いた。きちがい兄貴側の「脳みその問題」なのだ。きちがい親父だって、はんだ小手が使えなかったぞ」ということをどれだけ言われたって、「つかえるつかえる」と一回目とおなじ状態で荒れ狂って、おしまいなんだよ。相手が、恥をかいたということなんて、まったくおかまいなしなんだよ。ハンダゴテ事件については、もう書いたことなので、省略する。普通の人の場合、まだ、ハンダゴテ事件のほうがわかるのである。兄貴がそのハンダゴテを、学校に持っていったら「こんなの、使えるわけがないだろ」と先生に言われて恥をかいたということは、普通の人にとって、まだ、わかりやすいことなのである。「おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪かったから、お父さんがわからなかっただけだろ」と先生に言われて、兄貴がくやしい思をするということは、まだ、普通の人にとっても、わかることなのである。普通の人は、いちおう理解できることだ。けど、きちがいヘビメタ騒音に関しては、おなじことを普通の人がやるのだ。しかも、説明されたって、理解なんてしないのである。

ともかく、よその人は、きちがい兄貴のしくみや、きちがい親父のしくみを理解しないのである。

だから、きちがい家族にやられた側をせめるのである。

きちがい家族にやられた側の能力不足だと思ってしまうのである。「うまく説明することができなかったから、相手がわからなかっただけだ」というのは、間違った解釈なのである。

けど、普通の人が、自分の解釈を「間違った解釈だ」と認めることがないのである。

 けど、まだ、ハンダゴテ事件のほうが、きちがいヘビメタ事件よりも、わかりやすいのである。

普通の人にとってわかりやすい部分があるのである。普通の人は、きちがい兄貴の性格なんてガン無視で、まるで俺の説明力がないようなことを言ってくる。

「おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪かったから、お父さんがわからなかっただけだろ」というのが「おまえ(エイリ)の説明のしかたが悪かったから、お兄さんがわからなかっただけだろ」ということに、かわるだけなのである。

けど、それでも、一般人にとっては、ヘビメタ騒音のことよりも、ハンダゴテ事件のことのほうが、わかりやすいことなのである。

一般人は、ほんとうに、きちがい兄貴の性格を理解しない。「エイリがちゃんと言わなかったからダメなんだ」と思っているやつ、おおすぎ。

「ちゃんと説明すれば(お兄さんだって)わかってくれるはずだ」と思っているやつ、おおすぎ。

●安定した「自分の解釈世界」「自分の常識世界」をこわしたくない■騒音※2025/11/24 3:27

きちがい兄貴は、きちがいだからまったく気にしなかったけど、本当にすごい騒音だった。

ほんとうに、すごい騒音だった。

これ、ほんとうに常識はずれな音なんだよ。

普通の人は、やろうと思わないことなんだよ。

どれだけ、思いっきり鳴らそうと思っても、ブレーキがかかる。

けど、きちがい兄貴は、きちがいだから、ブレーキなんてかからずに……きちがい親父とおなじ圧力で……きちがい親父とおなじしくみで……きちがい親父とおなじ頑固さで……きちがい親父とおなじしつこさで、やる。

きちがい兄貴が、きらいな音を、あのでかさで、ぼくが鳴らしたら、きちがい兄貴が、一分で血相をかえて怒鳴り込むようなでかい音なんだよ。

けど、自分が鳴らしたいので、きちがい親父とおなじしくみで……でかい音だということを無視するのである。でかい音で鳴らしたいから、でかい音だということを無視する。

でかい音で鳴らしたいから、それを優先して、でかい音で鳴らしているということを、意識的には認めないということになる。

この頑固さがすごいのだ。

でっ、普通の人というのは、そういう頑固な人と……きちがい的な意味で頑固な人と……一緒に暮らしているわけではないから、それがわからない。そういうことをされると、どれだけ、頭にくるか……腹が立つかわからない。

「そんなのはへんだ」と思う人は、俺が嘘を言っていると思うわけ。そうなると、そいつらの頭のなかで、俺(エイリ)嘘を言う悪い人間だということになってしまうわけ。

あるいは、「そんなのはへんだから、エイリが本気で言っているなら、精神病だ」と思ったりするわけ。そうすると、そいつらの頭のなかでは、ぼくが(妄想を言う)精神病者だということになってしまうわけ。

現実と妄想の区別がつかない状態で、妄想を事実だと言っている人だということになってしまうわけ。そいつらの頭のなかではそうなんだよ。

これは、きちがい兄貴が意図したことではない。けど、きちがい兄貴が、よその人の考えをこえて、自分がやっていることを無視してやってしまうと、結果としてそういうことになるのだ。

これは、きちがい親父がやったことでも、成り立っている。

普通の人が、きちがい親父のことを誤解するのである。きちがい親父が、意図してやっているわけではないのだけど、きちがい的な感覚で(相手の言っていることを無視する)となると、そうなるのである。よその人が誤解をするようになるのである。「そんなことが、わからないはずがない」と思うわけ。

「だいの大人が、そんなことを理解できないはずがないから、(お前の)説明のしかたが悪かったんだろ」と思うわけ。世間の人は、きちがい行為をする側の人間をたてて、きちがい行為をされたほうの人間を軽蔑するのだ。

きちがい行為をしているのは、きちがい兄貴やきちがい親父なのに、まるで、俺の説明がへたくそだから、相手がわからないだけだというような解釈をする。「ちゃんと言えば伝わるよ」というのが、普通の人の感覚なのである。

この場合、普通の人は、きちがい兄貴を普通の兄だと勝手に前提しているのだ。この場合、普通の人は、きちがい親父を普通の父だと勝手に誤解しているのだ。

でっ、この誤解は、その人にとって「ここちがいい誤解」なので、なかなか、エイリが言うことを認めないのである。こいつらにしてみれば、エイリが、お父さんや、お兄さんを誤解しているということになってしまうのである。

「ここちがいい誤解」と書いたけど、自我を再編する必要がない誤解なので、ここちがいいのである。

いちいち、ぼくの説明に合わせて、安定した「自分の解釈世界」「自分の常識世界」をこわしたくないのだ。

きちがい兄貴のような兄がいる人やきちがい親父のような父がいる人というのは、絶対的な少数派だ。

少数派すぎて、カウントされないような少数派だ。常識的な人たちからは、無視されている存在なのである。うちのきちがい親父のような父は、いないと考える人にとっては、うちのきちがい親父のような父にこまらされる人もいないということになるのである。

そりゃ、おちのきちがい親父のような父は、いないので、うちのきちがい親父のような父にこまらせられる人もいないということになるのである。そいつらのあたまのなかでは、そうなるのである。

おなじことが、きちがい兄貴にも成り立つ。

そうなると、ぼくが、きちがい兄貴のヘビメタ騒音について説明しても、「そんな人はいないから、そんことはない」ということになってしまうのである。

●人生なかったなぁ■騒音※2025/11/24 1:30

 気分も体力も復活することを夢見ていたのだけど、復活しそうもない。あいかわらず、暗いトンネルのなかを、辛抱して進んでいるような状態だ。

ともかく、気楽になって、復活してくれればいいのだどなぁ。

はぁーー。そう思っているけど、なんか、いろいろと、ちがう。

ちがいすぎる。

傷が深いんだなぁ。

ぜんぜん、復活しない。

ほんとう、最後のネズミ事件で、精神エネルギーも肉体エネルギーも吸い取られたわぁ。けっきょく、きちがい的な兄ときちがい的な父にやられて、死ぬのか。人生なかったなぁ。

2025年11月23日日曜日

●夢がひどい夢ばかり■騒音※2025/11/23 22:55

夢がひどい夢ばかり。いろいろと、無理なんだよな。ぼくは、あがいた。あがいたんだ。精いっぱい、努力をした。努力をしたんだ。あの状況のなかで……。

あの状況がどういう状況かわかっていないやつが、わかったようなことを言うのは、腹が立つ。腹が立つ。 

●ものすごく、くやしい体験■騒音※2025/11/22 23:36

 きちがい兄貴のやり方が、あまりにも異常なので、ほかの人が理解できないのだ。

きちがい兄貴の感覚も、きちがい兄貴の態度も、きちがい兄貴の認識も、まったく、理解できない。「よその人」は理解できない。

そして、実際に、きちがい家族によって、「よその人」が経験することがない騒音を、毎日鳴らされた場合の……しんどさがわからない。「よその人」は、わからない。「よその人」は影響のでかさがわからない。

どれだけ、いろいろなことに影響が出るか、経験的にわかっていない。よその人から、「そんなのは関係がない」と言われることだって、ものすごく、くやしい体験なんだよ。

ものすごく、いやなことなんだよ。へこむことなんだよ。むなしさを感じることなんだよ。

いかりがわいてくることなんだよ。「そんなのは関係がない」と言っているやつらには、まったくわからないことだ。

きちがい兄貴に対するいかりもあるし、「そんなのは関係がない」と言ってくるやつらに対するいかりもある。

きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度で、きちがいヘビメタを鳴らしているということは、ぼくに、勉強することができない状態を突きつけてくるということなんだよ。突きつけてくるということを、きちがい兄貴は、きちがい感覚で無視しているわけ。そして、実感のない「よその人」も「きちがい兄貴が突きつけてくる」という部分を無視しているわけ。

きちがいだから、やることを、きちがい的な意地でやってしまうんだよ。そして、きちがいだから、やり方がひどいのだ。夢中になってやる。しつこさや、細かさが半端じゃないのだ。まさしく、狂人でなければできないしつこさで、鳴らし続けるし、狂人でなければできない細かさで、ヘビメタを鳴らすのである。

「影響」あるよ。「影響」……ある。みんなわかっていない。

実際に、経験していないから、ほんとうに、あの音のなかにいるときの状態というのがわからない。鳴り終わったあとの状態というのがわからない。実感のない「よその人」にはわからない。実際にやられていない「よその人」にはわからない。

毎日、自殺レベルで落ち込むのである。鳴り終わって、四時間経過したとき、どういう状態になるのか、「よその人」はわかっていない。

「鳴り終わったら関係がない」なんて言うのやつは、死んでしまえばいいと思うほど、あたまにくるよ。ものすごく、くやしい気持ちになる。

鳴り終わっあと、四時間、五時間、ずっと、ずっとずっと、冷え切って、自殺をしたい気持ちになるのである。体を動かそうとしても動かせず、なおかつ、眠ってしまうわけにもいかず、くるしい状態で横と他割っているのである。

どうして、眠ってしまうわけにはいかないのかと言うと、眠れないのだ。

これも、どれだけ、俺の意識的な脳みそが、「眠れ」と言っても、全体的な脳が、拒否して眠れないのである。

どうして、全体的な脳が拒否してしまうかというと、先行してヘビメタ騒音の影響を受けているからだ。脳は、ヘビメタ騒音に包まれているので、ヘビメタ騒音の影響から、自由ではない。

2025年11月18日火曜日

●鳴り終わったあとも、生活体力をむしばむのだ■騒音※2025/11/18 5:35

 たとえば、はんだごて事件は、兄貴と親父間のもめごとだったんだけど、よその人は、最後の最後まで、親父のしくみがわからなかったんだよな。

だから、よその人中では、「ちゃんと言えば伝わるのに、兄貴がうまく説明できなかった」ということになる。

この場合、親父の名誉は、たもたれてしまうのである。よその人は最後まで誤解をしているわけ。お父さんは、ちゃんとした人で、ちゃんと説明されれば、「そのはんだごてが使えない」ということを理解できるはずだということになっているわけ。

「兄貴の説明がへたくそだから、父親(親父)が理解できなかったのだ」と……よその人は、最後まで思っているわけ。この場合、兄貴の名誉回復は、最後までないわけ。

これとおなじことが、ヘビメタ騒音でも起こるのだ。俺(弟)がうまく説明できなかったから、お兄さんが理解しなかったんだということになっているんだよ……。

よその人の頭のなかでは。エイリが、うまく説明できなかったから悪いんだということになっているわけ。

ところが、ちがうんだよね。

けど、「ちがう」ということを、よその人は最後まで認めない。

そして、きちがいヘビメタが毎日連続した結果、通勤通学ができなくなったとする。実際そうなのだけど、これも、よその人は、認めないのである。

自分なら、ヘビメタ騒音級の騒音が、鳴っていても、通勤通学ぐらいできると思っているのだ。

だから、「できない」エイリをなめてくるわけ。自分ならできるのに、エイリだからできないと思って、見下してくるわけ。そういうのがセットなんだよ。

きちがい家族による騒音というのは、非常識な騒音なので、非常識な騒音の効果について、常識的な人は、考えることができないんだよ。

約六割の人は、みんな、「自分なら平気だ」と思っている。約四割の人は、みんな、エイリの話が嘘だと思っている。そういう認識のベースができあがる。

そして、たとえば、「ひきこもりに対する」偏見がある人だと、ひきこもりなら、コミュニケーション障害だと思っているわけ。

だから、順番が逆になるのだけど、コミュニケーション障碍者だから、お兄さんにうまく言えなかったんだということになってしまうわけ。

けど、きちがい兄貴のきちがい構造から出でいることなんだよ。兄貴・親父間のはんだごて事件は、親父側の「脳みその問題」なんだよ。それとおなじように、俺・兄貴間のヘビメタ騒音事件は、兄貴側の「脳みその問題」なんだよ。

問題行動をしているほうの問題なんだよ。

けど、その問題行動が、ほかの人には信じられない問題行動なのである。

だから、ほかの人は「補完」して考えてしまうのだけど……その「補完内容」が間違っているのだ。何度も言うけど、ぼくの説得力の問題ではなくて、兄貴の「脳みその問題」なのだ。ヘビメタ騒音問題が解決しなかったのは、ぼくの側の説得力の問題じゃない。

コミュニケーション能力の問題ではないのだ。けど、ほかの人は、まず、兄貴の「脳みその問題」がわからないので、エイリの側の問題だと思ってしまうのである。

そして、エイリが実際に、ひきこもっていれば……「エイリはひきこもりだから、お兄さんにうまく説明することができなかったのだ」と考えてしまうのだ。ヘビメタ騒音の結果、ひきこもりにならざるを得なかったのだから、エイリがひきこもった原因は、ヘビメタ騒音なのである。

だから、時間的に、さかのぼって考えているわけ。きちがいヘビメタ騒音が七年間つもって……ま、い、に、ち……つもって……ついに、通勤通学ができない体になったんだよ。

そして、日本だと無職でいると、友達関係が崩れる傾向があるのだ。その友達が、働きだすと、友達関係が崩れやすいのである。だから、定義的にひきこもりになりやすいのである。原因は、きちがいヘビメタ騒音なんだよ。

きちがいヘビメタ騒音にさらされて、睡眠不足になり、睡眠回路が破壊されたことが、第一の原因だ。第二の原因は、きちがいヘビメタ騒音にさらされて、生活体力がなくなったことだ。

これ、どうしても、「通勤して」働くことができない体(からだ)になるのである。

けど、これも、どうしても、働けない体になるということが、実際に、きちがい家族による「毎日の」騒音を経験しした人じゃないとわからないことなのだ。

生活体力というのは、不可避的に、削られていくのである。ヘビメタ騒音で、削られていく。意志に関係なく、削られていく。

そして、その過程も、ほかの人にはわからないことなのだ。経験していないからわからない。

どれだけ、強い意志をもって頑張っても、その頑張りが、疲弊につながり、その疲弊が、生活体力の「破壊」につながるのである。

けど、このプロセスも、実際に経験しないと、どういうふうに、生活体力が奪われるのかわからないのだ。これも、説明したって「自分なら平気だ」と思っている人間は認めない。実際に鳴っている間も、生活体力をむしばむし、鳴り終わったあとも、生活体力をむしばむのだ。

けど、鳴り終わったあとも、生活体力をむしばむ」と「経験がない人」に言っても、これまた、わからないのだ。必然性がわからない。そうなる必然性が、わからない。

わからないと、これまた、ぼくのことを、下に見るようになるのだ。「ヘビメタ騒音できなくなっている」ということが、思考力が人並みで、なおかつ、きちがい家族の騒音に毎日さらされるという経験がない人たちにはわからない。

2025年11月16日日曜日

●そんなことは、言えなくなる■騒音※2025/11/16 7:48

寝不足で、起きて、無理やり学校に行っていたのだけど、無理やり起きたときの、切羽詰まった感情が並じゃないのだ。動かない体を無理やり動かしているときの緊張感が並じゃないのだ。

そして、昨日ヘビメタ騒音が残っている。体に残っているんだよね。午前七時三〇分ぐらいというのは、眠ってから、二時間から三時間ぐらいしかたっていない状態で、くるしかった。

このときの体の状態やこのときのこころの状態が、普段動くときにも、影響を与えているのである。いまですら、そうだ。

めちゃくちゃに動きたくない時間というのがあって、このめちゃくちゃに動きたくない時間の状態は、きちがいヘビメタ騒音で学習してしまったものだ。

毎日続くのである。平日は毎日続いた。そして、日曜日も祝日も、けっきょく、朝からヘビメタが鳴っている状態で、くるしいのである。

でっ、ヘビメタ騒音が鳴っている「うち」に滞在している時間が、また、くるしいのである。この部屋にいる間、ずっとやられた。トイレに入っても、風呂に入っても、ずっとやられた。

いまでも、めちゃくちゃに動きたくない状態になるときがあるのだけど、それは、きちがいヘビメタの繰り返しでしょうじた状態だ。これが、経験的にわかっていれば、「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」なんて、言えない。

そんなことは、言えるわけがないのだ。この状態を経験していたら……この状態を何千日も、何万日も経験していたら、そんなことが言えるわけがない。「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」などと言えるのは、わかっていないからだ。

経験したことがないからだ。ところが、「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」などという本人は「俺だって苦労した」「俺だってつかれているときはある」「俺だって憂鬱なときがある」と言う。

これが、やっかいなんだよ。「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」などと言っている時点で、たいした苦労をしていないし、たいした憂鬱を経験していないし、たいしたつかれを経験していない。

ぜんぜん、ちがう。

けど、「ぜんぜん、ちがう」ということを言ったって、そいつは、認めない。

「なんだこんにゃろう」「自分だけ苦労したと思っているのか?」と言ってくる。

けど、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っているのだから、大した苦労なんて経験していない。そんなことが言えなくなる苦労がある。

「元気だ元気だと言ったら、俺は元気になった」とも、その人は言ったのだけど、「元気だ元気だと言ったら、俺は元気になった」と言っているのだから、毎日続くヘビメタ騒音のつかれと同等のつかれを経験したわけではないということが、あきらかだ。

そんなことは、言えなくなる。ぜんぜん、わかっていないから、言えるんだよ。

2025年11月14日金曜日

●こまるだけだよ■言霊※2025/11/14 18:55

 「『自分なら平気だ』と思って、エイリのことをバカにしているだけなのだ」と書いたけど、言霊主義者の場合は「できると言えばできる」ということが、つみかさなる。言霊主義者は、普通の人のように、「自分なら平気だ」と思っている。その上に、「できると言えばできる」という考え方がつみかさなる。たとえば、「眠ることができる」と言えば、眠ることができるし、宿題をすることができると言えば、宿題をすることができるし、勉強をすることができると言えば、勉強することができるということになる。「遅刻しないようにすることができる」と言えば、遅刻しないようにすることができるし、決まった時間に起きることができると言えば、決まった時間に起きることができるということになる。やらないのであれば、さぼっているだけだということになる。こういう素晴らしい解決方法があるのだから、こういう素晴らしい解決法を使って、問題を解決するべきだと考えるのだ。もちろん、相手が「できない」と言えば、「そんなのはいいわけだ」と言うことになっている。もちろん、相手が「やってみたけどできない」と言えば「あなたのやり方が悪いんだ」と言うことになっている。相手に助言をした場合は、自分が言っていることは正しいと思っているので、自分が言っていることが間違っているということは、認めない傾向が強い。ぼくの経験の範囲で言うと、すべての言霊主義者が認めなかった。事実、認めなかった。事実、自分の意見が間違っているということを認めなかった。こっちが、言霊理論について説明しても、納得することがなかったのである。もちろん、ぼくの経験の範囲で言えばということだ。

きちがい兄貴のような、ほかの人にはないハンディが生じている人は、こまるのである。言霊的な解決方法を提案されるとこまる。これ、こまるということも、言霊主義者にはわからないことなのだろう。必然的にこうなるという必然性を無視して、相手の条件を無視して、「言えば言ったとおりになる」ということを言うのだ。「言っても言ったとおりにならなかったぞ」ということを言われたら、「そんなのは、言い方が悪いから・言ったとおりにならないだけだ」ということを言うのだ。しかし、本人が「あたりまえだ」と思っていることに関しては、「言えば、言ったとおりになる」なんてことは、ガン無視して、生活しているのである。

ともかく、普通の人がヘビメタ騒音を理解していないのだけど、たいていの言霊主義者も普通の人が、ヘビメタ騒音のことを理解しないように、ヘビメタ騒音のことを理解しない。そのうえで、カルト的なことを言うのだ。条件が悪い人にとっては、これは、ゆるしがたいことなのである。条件が悪い人は、条件が悪いからこまっている。それを無視されると、それだけで、少しは腹が立つのである。さらに、わけのわからないカルト的な解決策を言われてもなぁ……。こまるだけだよ。 

●「自分なら平気だ」と思って、エイリのことをバカにしているだけなのだ■騒音※2025/11/14 17:34

 きちがいヘビメタにやられて、眠るべき時間に、眠れなくなっているのだけど、明日のことが気になるという状態を経験したことがないやつらに、とやかく言われたくない。ほんとうに、腹が立つ。そして、こういうことが毎日毎日毎日、続くと、ほんとうに、「何時何分に起きなければならない」と思っただけで、ヘビメタ騒音がなくても、眠れなくなってしまうのだ。そして、これは、治らない。この、「なおらない」ということまで、経験したことがない人が、「そんなのは、あまえだ」と言う。「なおらない」ということまで、経験したことがない人が、「そんなのは、関係がない」と言う。これ、ほんとうに、毎日毎日毎日やられると、必然的にそうなるのに、ぜんぜん、わかっていないのだ。たぶん、本人がそういう経験をしたことがないからわかっていないだけだろうと思う。ところが、こいつらがみんな……みんな……みんな……みんな……自分だったら、平気だという前提で、「そんなのは、関係がない」と言うのだ。エイリさんが、騒音に敏感だったから、そうなったという意見とおなじだ。これもちがうのである。ぼくは、普通の人よりも、騒音耐性があった。ぼくは、普通の人よりもずっと、騒音耐性が強かった。そのぼくの、生活を完全に破壊してしまうのが、きちがい兄貴のヘビメタ騒音だったのだ。これ、きちがいとしか言えないしつこさで、ずっと鳴らす。きちがい的な頑固さで、鳴らす。きちがい的な感覚が成り立っていて、きちがい的な意地で自分がでかい音で鳴らしているということがわからない状態で、ずっと、鳴らしきる。しらばっくれている状態が普通に成り立つのだ。こんな、腹立たしいことはない。これ、やられてみればわかるけど、構造的に腹が立つことなんだよ。まあ、こういう家族と一緒に住んだことがないから、こういうきちがい的なやつらが、どういう意地で、どういう感覚で鳴らすのか、まったくわかっていないだけなのだ。実際に、やられたことがない人は、わかっていないだけなのだ。

ほんとうは、こいつらも、やられたら、そうなると思う。「人間とはそういう生き物だ」と言い切りたい気持ちがある。けど、証明はできない。証明はできないけど、たぶんそうだと思う。これようするに、やられていないだけなのだ。自分がこの世で一番きらいな音を、大音響で鳴らされて、そのあと、眠るべき時間になって、眠れなくなるということを経験したことがない人が、「自分なら平気だ」と思って、エイリのことをバカにしているだけなのだ。こんなの、ない。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、ほかの人とはちがったことをしなければ、こんなことになっていない。

あーー。午後五時四八分か……。鳴っている感じしかしない。この部屋で、爆音で、きちがいヘビメタが鳴っている感じしかしない。こんな状態で落ち着けるわけがない。あんなきちがいの音につつまれて……囲まれて……脳みそを直接攻撃されて、時間通りに眠れるわけがない。時間通りというのは、きちがい兄貴の騒音が鳴っていなければ、だいたい、午後一一時ぐらいには普通に、眠りたくなる状態だったのだ。きちがいヘビメタ騒音が始まる前は……。だから、俺は、きちがいヘビメタ騒音が始まる小学六年生のときまでは、普通に、眠るべき時間に眠って暮らしていたのである。これは、エイリにはそういう能力があるということの証拠だ。別に、こいつらに劣っていたから、きちがいヘビメタ騒音の経験がないにもかかわらず、眠れない状態になったわけではないのだ。こんなの、ほんとう、くやしい。ほんとうに、頭にくる。

 

●持続時間と持続期間がちがう■騒音※2025/11/14 17:14

 きちがい兄貴が、きちがい感覚で、ヘビメタを思いっきりでかい音で鳴らすと、どうしても、影響を受けるのである。でっ、何回も言っているけど、何時間も何時間も鳴らされたあと、鳴り終わっても、副交感神経も交感神経も、数時間は影響を受けたままになる。これがわかっていないやつが、「鳴り終わったら関係がない」と言う。わかってないから、わかってない発言をするんだよ。こいつらの、ぼんくら発言はほんとうに、腹が立つ。こんなやつらになめられなきゃならなくなる。こいつらは、自分は影響をけないと思っているので、影響を受ける営利より自分のほうが、断然優れていると思っているのだ。ほんとうに、きちがい家族がいないから、きちがい家族の影響を、まのがれているだけなのに、くそふざけたことをいいやがって。本当に腹が立つ。

問題なのは、「決まった時間に起きなければならない」ということなのだ。これが、あせるのだ。いまでも、「決まった時間に起きなければならない」ということになると、眠れなくなり、くるしむことになる。こういうのも、きちがいヘビメタが数千日にわたって毎日続いたから発生したことだ。ところが、これも、『やられていない人』から見ると、俺がさぼっているようにしか見えないのだ。二時間、三時間ぐらいしか眠れない状態で毎日すごしていた。前期の七年間は学校に通っていたのだけど、学校に通うとなると、遅刻をしてはいけないということになる。けど、ほんとうに、午前四時か、午前五時ぐらいからしか、眠れない。「からだがさめるまで」眠れない。毎日、数時間のヘビメタ騒音で、眠れない状態になって、そのあと、午前午前四時か、午前五時ぐらいまで……「猛烈に苦しい体で」起きているということになる。これ、リラックスした、いい時間で、眠れないにしろ、横になっているから、すこしは、休息になって、体が楽なるという感じがするものではないのだ。この時間の苦しさが、わからないやつらが「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言うのだ。しかし、こいつらには、きちがい家族がいない。きちがい家族が、よその家ではありえない音で、ガンガン騒音を鳴らし続けるということがない。そういうことが毎日続く生活というものを経験したことがない。そういうことが毎日続く生活をしたことがないので、実際に、どういう体の状態になるか、わかっていないのだ。わかっていないから、ヘビメタ騒音の問題を軽く見て……軽く見ているつもりはないのだけど、軽く見て……「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言いやがるのだ。

「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言うやつから見れば、俺がさぼっているようにしか見えないのだ。「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言うやつから見れば、俺が言い訳をしているようにしか見えないのだ。

きちがい兄貴が、よその家では絶対にありえないことを、きちがい感覚でやり通してしまうと、よその人とぼくの間で、ぼくのみに起こったことに関する認知のちがいが発生する。この、認知のちがいも、言ってみれば、自然発生的で、不可避的な認知のちがいだ。ほんとうに、腹が立つ。きちがい兄貴にも、腹が立つし、わかったつもりになって、見下してくるやつにも、ほんとうに腹が立つ。こいつらは、「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言っているのだから、「騒音で苦しい」ということは、理解しているのだ。「朝、つらいことがある」ということは、理解しているのだ。しかし、程度がちがう。原因がまったく、ちがう。持続時間と持続期間がちがう。毎日……ほんとうに毎日続いたということが、重要なのに、ほんとうに毎日続いたということを無視して、無理解ぶりを発揮した発言を、理解しているつもりで言う。毎日続いたということの重要さがわからないのだ。毎日続いたということは、体に影響を与えるのである。一日だけそうだったこと、一週間だけそうだったこと、一か月間だけそうだったこと、一年間だけそうだったこと、一〇年間だけそうだったことは、それぞれ、ちがった影響を与えるのである。この影響のちがいを無視して、無理解ぶりを発揮した発言をする。しかも、「自分は、ちゃんと理解している」と思っているのだ。ぜんぜんちがう状態のことについて考えているのに、ぜんぜんちがう状態のことについて考えているとは思っていないのだ。「そういうことだろ」と思って、同一視しているのだ。これも、どれだけ、指摘しても……ぼくの経験の範囲だと……こういうやつらは、最後まで分の最初の意見をかえなかった。 

●見えないことなのだけど、そうなる■社会※2025/11/14 3:13

たとえば、某動画サイトには、ニート系の動画や五〇・八〇問題を扱った動画などがある。ニート系の動画の中で、悪いニートを扱ったとする。「こいつは、どうしょうもないやつだ」と、ほとんどの人が思うようなニートを出しておくのである。まあ、紙芝居系のアニメなんだけどね。そうすると、それを見た人は、例から、抽象的なイメージをもつことになる。そこに出てきた悪いニートのイメージがニートのイメージになるのだ。これは、別に「ニートを差別しろ」という内容の動画ではない。実際に、その動画の中で「ニートを差別しましょう」とは言っていない。しかし、悪いニートのイメージで、ニートが抽象化・一般化されてしまうために、いいニートが、被害を受けるのである。実際には、ニートのなかにもいい人たちがいて、その人たちには、問題がないのである。たとえば、いいニートは、例として出てきた悪いニートとは性格も考え方もちがうのである。しかし、動画を見て、ニートなるものについて、抽象した人は、「ニートなら、性格が悪い」と思ってしまう。例から、抽象化した人は、自分の頭のなかで一〇〇%詐欺を行い、自分の頭のなかで法則性詐欺を行ってしまうのだ。これとおなじことが、「無職」や「ひきこもり」にも成り立っている。悪い例から出発すると、よい人たちが、悪い人たちだと思われる土台ができあがる。しかも、別に「差別しましょう」と呼び掛けているわけではない。しかし、完全差別的なイメージができあがるのである。レッテルと属性の問題があり、その属性をもっている人は、その属性をもっている人だということになる。ようするに、無職の属性をもっている人は、たとえどんな人でも「無職」として認識されることになる。まあ、無職に関しては、いろいろと言いようがあるから、まだ、深刻ではないけど、「ひきこもり」だと、かなり深刻な問題になる。悪い例から出発すると、いい例を含めて、悪いレッテルをはられるのである。そして、差別しているほうは「それであたりまえだ」「そんなやつらいいわけがない」と思っているわけだから、別に、悪いとは思わないのである。たとえば、いい人を、悪い人だと思っても、別に悪いとは思わないということになる。だって、その人のなかでは、「ニートなら性格が悪い」ということになっているわけだから、そうなる。「無職なら性格が悪い」と思って、すべての「無職」に悪いレッテルをはっても、別に、悪いとは思わないのだ。「ひきこもりなら性格が悪い」と思って、すべての「ひきこもり」に悪いレッテルをはっても、別に、悪いとは思わないのだ。「自分は間違っていない」と思っているわけだから、悪いとは思わないわけ。

こういうことが、じつは、「思ったことが現実化する」「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思えば暗いことが起こる」というような考え方にも、成り立つ。これは、条件が悪い人に対する差別になる。悪いことが起こっている人は、悪いことを考えたから、悪いことが起こっているということになってしまうのだ。不幸な人は、不幸になることを考えたから、実際に不幸になっているということになってしまうのだ。これと、レッテルはりは、ほとんどおなじプロセスなのである。 「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思えば暗いことが起こる」というような、一見、差別的な考え方を助長するような言葉には見えない言葉にも、差別形成の役割がある。しかも、たとえば、「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思えば暗いことが起こる」のだから、自分は明るいことを考えようと思うこと自体には、悪いことが含まれていないので、やっかいなのだ。いいこととして、自分の中に取り入れて、いいことに使おうとする。けど、取り入れた瞬間に、不幸な人に対する差別心も取り入れてしまうのだ。これは、見えないことなのだけど、そうなる。

 

2025年11月13日木曜日

●悪い例からの抽象化という流れがある■社会※2025/11/13 23:15

基本的には、悪い例からの抽象化という流れがある。抽象化すると、今度は、すべての例において、抽象化したイメージ成り立ってしまうのである。たとえば、自業自得と思えるような例を挙げて、「すべては自己責任だ」と抽象化してしまう。そうすると、ほんとうは、その人には、責任がない場合も「その人の自己責任だ」と判断するようになってしまうのである。例(1)からはじめて、抽象化されたそれ(すべて)に進み、抽象化された(すべて)から、別の例(2)について考えるということになるのである。そうすると、ほんとうは、あてはまらない人まで、あてはまるように処理されてしまう。

たとえば、AさんとBさんとCさんがいたとする。Aさんが、ほんとうに自業自得であるようなBさんのケースを聞いて「すべては自己責任だ」と思ってしまう。ここには、飛躍がある。Bさんは、「自己責任」の対象になるかもしれないけど、Cさんは、自己責任の対象にならないかもしれないのだ。けど、Aさんは、一度抽象化しているので、「すべての例において、自己責任だ」と思ってしまう。そうすると、ほんとうは、Cさんには落ち度がない場合も、Cさんの責任だということになってしまうのである。Aさんにとっては、Cさんのケースも「自己責任だ」ということになってしまう。

Aさんは、抽象化によって、こまっている人がいたら、その人の自己責任だと思うようにしつけられてしまうのである。「すべては自己責任だ」という考えたを受け入れることによって、そういう状態になってしまう。「なんであれ」「自己責任」なのだから、無差別なのだ。個々の具体例について、考える前に、こまっている人の自己責任だと切り捨ててしまうのだ。切り捨ててしまう主体は、「すべては自己責任だ」という考えたを受け入れ人だ。一度、自己責任論を受け入れてしまうと、次からは、すべての人に対して、どんな場合でも、自己責任なのだと切り捨てる態度が発生するのである。

自己責任論は、このような人を量産してしまう。自己責任論を「はやらせた」側の根本的な目的は、これだ。一見正しそうな考え方が、無差別攻撃をする洗脳戦士を量産してしまうのである。その分だけ、社会が悪くなるのである。自己責任論を信じている人たちが、増えると、その分だけ、社会が悪くなるのである。多くの人たちにとって、済みにくい社会になるのである。自己責任論を信じている人たちは、じつは、自分自身の身に起きたことは、起きた理由をリアルタイムで知っているために、自己責任だとは思わない傾向が強い。自己責任論論者が、「たしかに、自分の自己責任だ」と思えることは、「特別に意識に上がったもの」だけなのだ。ようするに、「自己責任だ」と思いやすいことだけ、自己責任だと思っている状態で生活しているのだ。そもそも、意識に上がらないことは、自己責任がしょうじていても、自己責任だと思わなくて済むのである。そして、意識に上がることでも、自分が一倍速で経験したことだと、自分が一倍速で経験したことだから、認知もメタ認知も成り立っているのだ。認知もメタ認知も成り立っていることに関しては、時間の流れに応じた自分の側の気持ちというのがあるから、「これはこういう理由だから、自己責任ではない」という考え方が支配的になるのである。あるいは、そもそも、「自己責任だ」とか「自己責任ではない」とかということを考えずに、処理してしまう傾向がある。ようするに、当たり前のように「他人の責任」を追及するのである。このとき、たいていの場合は……「自分の自己責任論」と「自分がやっていること」の矛盾に、気がつくことがない。

●メタ認知が関係している■騒音※2025/11/13 11:59

 ぼくにとって、あのレベルのヘビメタ騒音というのは、めちゃくちゃな騒音なんだよ。騒音という文字では、あらわしきれないほど、不愉快な音なんだ。きちがい兄貴が、ヘビメタを思いっきり鳴らしたくなった。だから、思いっきり鳴らしても、良心の呵責?を感じないように、思いっきり鳴らしても、でかい音で鳴らしていないということにてしまったのだ。きちがい兄貴の脳みその問題だ。これ、きちがい兄貴の脳みその問題なのである。よその人には「なかなか」おこりえないことなのである。よその人の家族は、そういう脳みそを搭載している家族ではないのである。だから、よその人は、まずこういう状態がずっと続くということを経験していないのだ。けど、騒音自体は、経験したことがあるので、自分の騒音体験を思い浮かべて、騒音全体を考えてしまう。きちがい兄貴の騒音は特殊な騒音なんだよ。そして、そのきちがい兄貴の騒音が「ずっとずっと」毎日続く状態というのは、きわめて特殊な状態なんだよ。それが、ほかの人にはわかっていない。きちがい的な家族と一緒に暮らしたことがない人にはわからない。根本からわからない。

けど、家族とは暮らしているので、これまた、抽象的な意味で「家族」を想像してものを言ったり、自分の家族を想像してものを言ってしまうのである。でっ、これは悪意がないことなのだけど、こっちはこまることなのだ。たとえば、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは、しずかにしてくれる」という考え方をもっている人は、ぼくが言っていることを、否定するのである。現実は、どれだけ、ちゃんと言っても、きちがい兄貴はしずかにしてくれないのである。現実は、こうなのである。だから、 「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは、しずかにしてくれる」という考え方をもっている人は、ぼくが抱えている現実について、「勘違い」をしているのである。けど、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは、しずかにしてくれる」という考え方をもっている人は、自分の勘違いであるということを、認めないのである。ぼくが、それこそ……ちゃんと説明したあとも、自分の勘違いであるということを認めない。この人らの頭のなかでは、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは、しずかにしてくれる」という考え方が生き残っている。「家族とはそういうものだ」という考え方が生き残っている。あるいは、「人間とは、そういうものだ」という考え方が生き残っている。だから、「ちゃんと言わないのが悪い」という考え方も生き残っているのである。ぼくが、「うちの兄貴はちがうんだ」ということを、説明したあとも、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは、しずかにしてくれる」という考え方をもっている人は、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは、しずかにしてくれる」という考え方をもったままなのである。そして、もったままでも、まるでこまらないのだ。けど、こっちは、きちがい兄貴に、常にやられている状態なので、こまっている状態が続くのである。そして、こういう人たちに「エイリはちゃんと説明できないおとったやつだ」と思われたままになるのである。

でっ、「鳴り終わったら関係がない」という人たちにも、おなじことが成り立っている。基本的に言って、この人たちは、考えちがいをしているのだけど、考えちがいをしているということに気がつかない。そして、「鳴り終わったら関係がないのに、関係があると言っているエイリはバカだ」と思ったままなのである。影響があるということを、認めないままなのである。影響があるのに、影響がないという意味のことを言われて、不愉快な気持ちになるのである。この人たちは、自動的に「エイリは言い訳をするダメなやつだ」と思うわけだよ。そりゃ、関係がないことなのに、関係があると言って、ちゃんとやろうとしないやつだから、ダメなやつだと思うわけだよ。「ちゃんとやろうとしない」というのも、「ちゃんとやろうとすれば」できるという前提があるのだけど、ヘビメタ騒音でできないんだよ。どれだけちゃんとやろうと思っても、ヘビメタ騒音でできない状態なんだよ。これも、わかっていないわけ。こういうことに関する無理解ぶりを発揮した発言なんだよ。こいつらの発言は……。

たとえば、「鳴り終わったら関係がない」という人たちが「鳴り終わったら関係がない」という発言だけをしたとする。「ちゃんとやろうとすればできるのに、ちゃんとやろうとしない」というような発言はしていない。けど、前提として、あるんだよ。「鳴り終わったら関係がない」という人たちが「鳴り終わったら関係がない」と言わなくても、暗黙知的な推論が成り立っているということが、(こっちには)わかる。暗黙知的な推論と言ったけど、これは、メタ認知といってもいい。メタ認知が関係している。

この、発言の中には含まれていないけど、発言を構成する前提になっている考え方というのが、やっかいなんだよ。言ってはいないからね。けど、言う場合もあるわけ。けど、はっきりそう言った場合と、前提として成り立っているようだけどはっきりとは言わなかった場合は、ちがうんだよ。ちがうのだけど、こいつらの発言の前提は、ぼくがいま、のべたとおりの前提だ。こいつらは、まるでわかっていない。肝心なことがまるでわかっていない。けど、まるでわかっていないということが、わかっていないし、たぶん、生きているあいだ、そのままだ。

ぼくの経験の範囲だと、こういうことだったということだ。 

2025年11月12日水曜日

●自分が、普段、どういう思考をしているのか気がついていない■社会※2025/11/12 23:09

思い出の場所をめぐったって、ヘビメタ騒音でつらい思い出ばかりなのだから、意味がない。

破滅破綻の気持ちしかない。

当時もそうだったし、いまもそうだ。「いまもそうだ」というのが、問題だ。きちがいヘビメタが鳴っていて、普通の毎日がないと、破滅破綻するのである。

きちがいヘビメタ騒音で、自動的に、必然的に、破滅破綻するのである。どれだけ、修復しようとしても、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音の持続で、こころに、ぽっかり、穴があいている。

だいたい、「鳴り終わったら関係がない」と言っているやつらは、想像力が、なさすぎる。ほんとうに、夜郎自大で、自分のことしか考えられないんだよな。

そのわりには、普段、自分が自分の気持ちを制御しているわけではないということに気がつかない。言霊主義者が、普段は、言霊理論に従って思考しているわけではないのとおなじだ。

こいつら、自分が、普段、どういう思考をしているのか気がついていない。

自分の感情が、出来事によって、どういうふうに生成されるのかぜんぜんわかっていない。

つまり、実際の出来事によって、自分のこころがどういう影響を受けるのかぜんぜんわかっていないのだ。わかっていないから、あたかも、自分が、自分のこころを制御できるようなことを言う。

壮大な、勘違いなんだけど、夜郎自大な性格だから、わからない。

あるいは、幼児的万能感に支配されているから、わからない。

これ、場面場面がつながっていないのである。そのときの思考しかないのである。その場面の思考と、別の場面の思考が、食い違っている……あるいは、矛盾しているということに気がつかないのである。

自分が正しいと思っていることを否定されたぐらいで、「おこる」のに、自分は、自分の制御できると思っている。自分の感じ方を、自分で「意識的に」決定できると思っている。

そーーーだいな、勘違い。

「もう、いいかげんにしろ」と言いたくなる。

●ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、あんなことになっていないのだ■騒音※2025/11/12 20:36

 ともかく、さかまさんに言いたいのは、ヘビメタ騒音が鳴っていたということだ。ぼくが、小学六年生のときから、ヘビメタが鳴っていた。それは、さかまさんには関係がないことなのだけど、関係があることなのだ。きちがいヘビメタ騒音がつもっていなければ、あんなことになっていない。ほんとう、あんなことなっていないのだ。ぼくは、あの場所にいなかったし、家が建つぐらいの騒音は、平気だったはずだ。そして、家を建てるときの騒音は、一度、水に流して忘れてやったのだ。そのあと、きちがいヘビメタ騒音と、さかまさんの騒音がかさなった。あわさった。ともかく、きちがいヘビメタが鳴っていなかったら、あんなことになっていない。そして、「そっちだって、うるさい音で鳴らしていただろ。あれがうるさくないのか」と(さかまさんが)思っていると思うけど、きちがい兄貴が、きちがいだから、俺の言うことを無視して、鳴らしていた。もちろん、うるさいと思っているよ。これも、家族は、承認していると思われてしまうんだよな。きちがいが意地を通すと、いろいろなところで、問題が発生するのである。ともかく、さかまさんは、もうちょっとしずかにするべきだった。ともかく、きちがい兄貴が、すべての問題の根源だ。この問題に限って言えばということなのだけど……。きちがいヘビメタにやられていなかったら、きちがいヘビメタにやられて七年間、経過していなかったらあんなことにはなっていないのだ。親友との関係だって、ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、あんなことになっていないのだ。言霊主義者との関係だって、ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、あんなことになっていないのだ。一般人との関係だって、ヘビメタ騒音が鳴っていなければあんなことになっていないのだ。出版社の社長との関係だって、ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、あんなことになっていないのだ。

もう、ほんとうに、七年間毎日鳴らされて、つもっているときは、七年間毎日鳴らされて、つもっているわけだから、七年間毎日鳴らされなかった場合の状態とは、まるでちがう。

さかまさん、ここを読まないかな? 言いたいことは、きちがい兄貴が、悪いということだ。きちがい兄貴の騒音というものが、背後にあるんだよということは、さかまさんに、伝えておきたい。「おまえの家のことだろ」「おまえの家族のことだろ」と思うかもしれないけど、たしかに、俺の家族の問題なのだ。けど、つもっていた。きちがい兄貴の騒音がつもっていた。

あれは、限界だったぞ。

●だから、ぼくが誤解をされる■騒音※2025/11/12 13:56

 こいつらが考えている「ヘビメタ騒音の害」と、ぼくが日常的に感じている「ヘビメタ騒音の害」がちがいすぎるのである。けど、誤解をしているやつらは、誤解をすることで、ぜんぜん、問題がしょうじないわけ。こっちは、誤解されることによって、問題がしょうじる。ぜんぜん、ちがうのに、こいつらが実際には、「ヘビメタ騒音級の家族による騒音」を経験していないから、こいつらが、「日常生活の中で実際に経験した騒音」と、「ヘビメタ騒音級の家族による騒音」のちがいが、わからない。わからないから、「そんなことはない」と的場須麗奈ことを言ってくるようになるのである。じゃあ、どうして、こういう状態がしょうじたのかと言うと、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、すべてのことを無視して鳴らすからだ。本当は、でかい音で鳴らしているということを無視して鳴らしてしまう。聴覚が正常なら、いくら鳴らしたくても、感覚器をだますようなことはしないのである。普通の人は、やろうとしてもそんなことが出ない。ところが、きちがい兄貴は、ごく普通、その部分が、狂っている。だから、ぼくが誤解をされる。

こいつらのなかでは「そんな人はいない」ということになってしまう。家族が、そんなことを許すはずがない」ということになってしまう。けど、そうなんだよ。うちは、きちがい兄貴が、でかい音で鳴らすことができる環境だったんだよ。

そして、実際に経験してみれば、最低でも二か月ぐらい経験すれば、ぼくが言っていることが正しいということが、どんな、ぼんくら野郎にもわかるのである。ところが、ぼんくら野郎は、経験していないから、つたない想像力で、ヘビメタ騒音やヘビメタ騒音の影響を考えるしかないのである。つたない想像力しかもっていないので、「はずす」のである。けど、こいつらにとっては、それは、絶対に正しいことなので、エイリの言っていることが間違っているということになってしまうのである。特に、ヘビメタ騒音の影響については、こいつらは、みんな……本当にみんな……勘違いをしているのである。 「ヘビメタ騒音級の家族による騒音」について、間違った考え方をもっている。こいつらに、俺がどれだけ説明しても、こいつらはこいつらで、自分の考えを捨てない。

●こころがこわれないわけがないだろ■騒音※2025/11/12 4:45

 いま、とてつもなく、憂鬱だ。きゅーーっとした憂鬱を感じる。むかし、きちがい兄貴のヘビメタにやられていたころ、午前4時45分に、きゅーーっとした憂鬱を感じていた。感じないわけがない。どれだけ、ボロボロかわかっていないのである。きちがい兄貴も、普通の人も……つまり、よその人もぜんぜん、わかっていない。たとえば、この状態で、宿題ができあがっていなくて、学校に行くということが、憂鬱で、ない、わけが、ない。こういうことが、「ヘビメタ騒音のことを過小評価する人たち」はまったくわかっていない。こういう日が、何千日も続いていいわけがない。こういう日々の連続で、こころがこわれないわけがないだろ。それは、何千日も続いたから、こころが影響を受けて、こころが正常ではない状態になったということだ。どうして、実際に発生した出来事を無視するんだ? 「自分ならそんなのは平気だ」「自分なら大丈夫だ」「自分ならそんなことにならない」と思っている、やつらは、バカだ。こいつらには、きちがい兄貴がいなかっただけだ。きちがい兄貴が異常なのである。けど、「宿題もしてこないでさぼっている」「宿題をしないのに、いばっている」と言うのが、こいつらなのだ。そして、「俺だってつらいことはある」「俺だって憂鬱なことはある」と言う。そりゃ、あるのでしょう。けど、家族によるきちがい的な騒音経験はないんだよ。だから、それがどういうことをもたらすか、ぜんぜんわかっていない。「鳴り終わったら関係がない」「鳴り終わったら、眠れる」というのは、きちがい兄貴のような、頭がおかしい家族が鳴らす騒音を、毎日経験していないから、言えることなんだよ。こいつらも、ゆるしがたいやつらだ。ゆるがたい。ゆるがたい。ゆるしがたい。

●普通のやつらが、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する■騒音※2025/11/12 1:12

ともかく、普通のやつらが、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するのである。しかも、ぼくの説明を聞いたあとも、自分の意見をかえない。ようするに、過小評価したままなのである。約六割は、こんなやつらばかりだ。

この人たちの意見とはちがって、ほんとうに、影響を与える。不可避的に影響を与える。こいつらは、ほんとうは、なにもわかっていない。ところが、わかったつもりになって「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だって、苦労した」と言うのだ。ほんとうに、腹が立つ。こいつらは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するので、ぼくが、さぼっているだけなのだと思うのだ。『ちょっとやる気を出してやればできるのに、やる気を出さないでさぼっている』と思っているのだ。こんなやつら……。

 

●影響を受けるに、決まっているだろ■騒音※2025/11/11 5:56

 たとえば、「出来事に関係なく、自分の感情を操作できる」というような考え方をもっている人がいるとする。そうなると、きちがいヘビメタ騒音にやられて、身もこころも、めちゃくちゃになっている俺と、その人の関係が悪くなるのである。

ほぼ、自動的に悪くなる。

悪くなったということが、明示されていない場合も、明示されていないだけで、悪くなっているのである。関係が悪くなる。

ぼくにとって、「兄貴のヘビメタの音」というのは、たえがたいものなのである。鳴っているあいだ、強制的に、勉強ができなくなるし、強制的にこころがぐちゃぐちゃになるし、強制的に体(からだ)がつかれるのである。

この「いかりつかれ」というべきものは、鳴り終わった後の体の状態に影響を与える。眠れなくなってしまうのである。

感情がめちゃくちゃになる。

鳴っているあいだは、火のように燃えさかって、いかりに包まれるのだけど、鳴り終わった後は、今度は逆に、氷のように冷たくなって、動けなくなってしまうのである。

何時間も何時間も鳴らされているとそうなる。

日曜日なんて、一三時間以上、鳴らされるわけだから、月曜日がきらいなサラリーマンよりも、もっと、月曜日がきらいになってしまうのである。

でっ、「出来事に関係なく、自分の感情を操作できる」と思っている人は、ほんとうは、日常生活の中で、そんなことはしていないのである。これ、ようするに、「できる」と思っているだけなのだ。

実際には、この人たちは、自分が正しいと思っている考え方を、否定されただけで、おこってしまう。そうしたら、「楽しい」と言ったって楽しくならないし、「うれしい」と言ったってうれしくならないのである。

ようするに、操作できるわけではないのである。

出来事に対応した感情が発生している……。

この人たちにおいても、普通に、出来事に対応した感情が発生しているのである。そして、この人たちも、操作できるわけではないのである。

たとえば、言霊主義者が「出来事に関係なく、自分の感情を操作できる」と思っていたとすると、言霊理論を否定されても、おこらずに、楽しくなるということが可能なはずなのである。

ところが、否定した俺(エイリ)に対して、『負の感情』がしょうじるのである。そして、この負の感情は、けっこう長い期間、続くのである。「不愉快だ」という感情が続くのである。

自分の考え方を否定されたことが不愉快だし、そういうことを言ってきた、ぼくに対して、負の感情がしょうじるのである。これは、人間としてしかたがないことだ。

けど、あきらかに矛盾しているのだ。

普段、ほんとうは、自分の感情を制御できているわけではないのに、「自分の感情を制御できる」と思い込んでいる。「出来事に関係なく、自分の感情を操作できる」と言っているときは、そういう気持ちなのである。

ここらへん、夜郎自大な性格と表現してしまうと、問題があるかもしれないけど、夜郎自大な性格にはかわりがないのである。

この人たちは、ヘビメタ騒音は経験していないので、そう思っているだけなのである。

「ヘビメタ騒音に関係なく、自分の感情を操作できる」と思っているだけなのである。特に、その人が、ヘビメタという音楽分野が好きな場合は、そう思ってしまうのである。自分だって鳴らしているからさぁ。

けど、問題なのは、兄貴の鳴らし方なのである。

あれは、きちがいだ。あれは、おかしい。兄貴の友達のように、節度を守って、ちゃんと聴いているぶんには、いいのだ。けど、ちがう。

しかも、実際にぼくの部屋で暮らしているわけではない人は、どのくらいの音で鳴っているかわかっていないのである。兄貴が、非常識な人で、非常識な音を鳴らしてもなんとも思わない人だと、もう、その時点で、ぼくが、疑いをもたれるのである。

兄貴が、きちがい的にでかい音で鳴らすことにこだわって、なおかつ、きちがい的にでかい音で鳴らしていることを、無視していると、こういうことになってしまう。

自動的にこういうことになってしまう。

ものすごくでかい音で鳴らしたいから、感覚器的なレベルで、ものすごくでかい音で鳴らしていないということにしてしまうのである。

こういう強制書き換えがあるのである。

こういう強制書き換えで、得をするのは、きちがい兄貴なのである。

普通の音で鳴らしていると思ったまま、ほんとうは鳴らしてはいけないレベルのでかい音で鳴らし続けることができる体。良心の呵責なんて感じなくていいのだ。

ものすごくでかい音で鳴らしていたって、ものすごくでかい音で鳴らしていることになっていないので……本人は、ほんとうに、気にしないで鳴らせる。思いっきり鳴らせるのだ。自分が鳴らしている音のでかさを、気にしないで、鳴らせるのだ。思いっきり鳴らしたいから、感覚器は正常なのに、思いっきりでかい音で鳴らしているのに、普通の音で鳴らしているつもりになる。意識レベルの認知・認識は、普通の音なのだから、「問題はない」と考えてしまうのである。ところが、実際には、きちがい兄貴は、思いっきり、でかい音で鳴らしているのである。

だから、こういうことが、信じられない人は、ぼくがたとえ説明したとしても、信じない。そして、ぼくがこれを、冷静に説明できるようになったのは、一九歳ぐらいのときなのである。それまでは、「なんだか知らないけど、あにきはそうだ」「兄貴はものすごくでかい音で鳴らしている」ということしか、説明できなかった。心理的な機制なんて、説明できるわけがないのだ。きちがい兄貴の態度は、おかしなものだけど、おかしいとしか、言えないものなのであった。だから、ほかの人は、余計に信じない。

信じる約六割は「そんなの関係がない」と思って、信じない約四割は、「そんなのは、嘘だ」と思うのだ。こんなの、ない。こういう世間の常識的な意見とは、まったく関係なく、きちがい的な感覚をもっているきちがい兄貴が、自分のやりたい音で、常にガンガン、非常識な音で鳴らすというのが、あたりまえのことだった。

毎日、ずっとあたりまえのことなのだよ。影響を受けるに、決まっているだろ。

2025年11月11日火曜日

●少数だけど、いた■騒音※2025/11/11 21:41

そういえば、ヘビメタ騒音の経験がないのに、俺が言っていることを理解してくれた人たちがいた。少数だけど、いた。いたんだよなぁ。少数なんだけど……。

多くの人は、まったく理解してくれなかったな。無理解ぶりを発揮して、無理なことを言ってきた。

いま、午後九時四二分なのだけど、今の時間帯も、毎日、ヘビメタ騒音が鳴っていた。本当に、毎日だ。土日を含んで、毎日だ。祝日を含んで毎日だ。どんだけおいつめられるか、多くの人は、わかっていない。まーーったく、わかっていない。 

●こいつらの世界では「鳴っていない」ということになっている■騒音※2025/11/10 23:13

 ほんとうに、ひどいことなんだよ。きちがいヘビメタが鳴っている間だけではなくて、きちがいヘビメタ騒音が鳴り終わった後も、体がどろどろで、勉強することができない。

ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴っている時間、以外の時間も、ヘビメタ騒音で!!!ぼろぼろになる。

これ、ほんとうに、不可避的なことなのに、「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」「そんなの関係がない」と思っているやつらが、無理なことを言ってくる。

そいつらだって、おなじ状況で、ヘビメタ騒音ではなくて、そいつがきらいな音を聞かされ続けたら、鳴っているあいだも、鳴り終わったあとも勉強することができなくなるのに、それがわかっていない。

きちがい兄貴が、特殊な兄貴で、きちがい的な気持ちをもっている。

きちがい兄貴が、特殊な家族で、きちがい的な感覚をもっている。だから、ほかの人は、きちがい兄貴のような家族にやられることがない。

ほかの人の家族は、きちがい兄貴が持っている特殊な感覚をもっていないので、ヘビメタを鳴らすにしろ、きちがい兄貴のようには鳴らさないからだ。

ともかく、経験したことがないんだよ。

きちがい兄貴のような感覚の持ち主が鳴らし続けるような騒音を経験したことがない人たちなんだよ。

普通の人たちは、きちがい兄貴のような感覚をもっている家族にたたられたことがないやつらなんだよ。

だから、ほんとうは、わかっていない。

わかっていないから、「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」「そんなの関係がない」と思えるだけだ。

そして、これは、ほんとうに、勉強だけではないのである。遅刻や、体力に影響を与える。精神状態に影響を与える。不可避的な影響を与える。これも、勉強と同じように、まったくわかっていないやつらが、クソを言ってくる。

無理なことを言ってくる。

「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」「そんなの関係がない」という前提で、無理なことを言ってくる。

どうしてそういうことになってしまうかというと、きちがい兄貴がきちがい感覚の持ち主で、きちがい的な感覚で、きちがい的に、鳴らしたいと思っている騒音を常に鳴らしまくるからだ。

これ、きちがい兄貴がゆずってやったつもりの時間も含めて、ものすごい音で鳴っている。これも、信じないやつらがいる。

信じないやつらは、俺が嘘を言っていると思っているわけだ。

だから、「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」「そんなの関係がない」と考えているやつとおなじように、無理なことを言ってくる。

だって、「ほんとうは鳴っていない」と思っているわけだから、「できてあたりまえ」なのだ。

「ヘビメタ騒音でできない」ということを、認めない。こいつらは、認めない。こいつらの態度といったらない。

ほんとうに、非・道徳的な態度だ。こういうやつらが、一丁前に、道徳について語るのである。

けど、自分が、エイリたいして、非・道徳的なことをしているということがわからない。どうしてなら、こいつらの世界では「鳴っていない」ということになっているからだ。

「お兄さんのヘビメタ騒音とやらは、エイリが言うようには鳴っていない」という前提が……こいつらが生きているあいだ……くずれないからだ。

きちがい兄貴の騒音という話が嘘だと思っているので、いろいろとよこしまなことをしても、悪いことをしたとは思わないのだ。

「エイリが嘘を言っている」という前提で考えて、次々にあらぬ疑いをかけてくる。俺の行動や発言を、悪く解釈して、意地悪なことをしてくる。非・道徳的なことをしている。まあ、気づくことはないのだけど……。

ほんとうに、こいつらが考えているような世界ではないのだ。こいつらが、みんな、そろいもそろって、バカなんだよ。想像力がない。

俺が言っているレベルの騒音がずっと鳴っていたら、眠れなくなるということがわからない。眠れなくなったらどういうことになるのかわかっていない。

想像力がないから、ヘビメタ騒音中も、ヘビメタ騒音後も、勉強ができなくなるということを認めない。そして、鳴り終わった後、眠れなくなるということも認めない。

きちがい騒音が、ヘビメタ騒音中に与える『心的な影響』も、きちがいヘビメタ騒音が、ヘビメタ騒音後に与える『心的な影響』も認めない。

わかっていない。

そんなのは、簡単に制御できるものなのだ。実際には、制御できるものじゃない。どうしたって、いかり、不安、憂鬱が湧き上がってくる。

どれだけ、いろいろと気を張っていても、注意不足になる。 どうしたって、元気がなくなる。それを、どうにか元気づけようとすると寝不足状態で「ハイ」になったような感じになり、意識水準がさがっている状態で行動するから、いろいろと失敗する。

2025年11月10日月曜日

●身体もこころも、めちゃくちゃになる■家族※2025/11/10 18:01

どうするかな? どうするかな? ほんとう、こまったなぁ。ネズミ事件が、尾を引いている。ネズミ事件で、ぼくは、疲労した。そかして、このネズミ事件を引き起こした親父の態度が、ひどいのだ。ひどすぎる。これ、じつは、いかりと憂鬱に関係がある。なぐるのを我慢すると、こっちに、攻撃が向かって、体調が悪くなるのだ。身体もこころも、めちゃくちゃになる。身体もこころも、めちゃくちゃにする親というのはいる。

●その人は、ぼくの話を理解してくれた唯一の人だ■騒音※2025/11/09 17:19

日曜日の午後一時というのは、きちがいヘビメタが頑固に鳴っている時間だ。どれだけ言っても、やめてくれない。どれだけ言ってもやめてくれない状態が、もう、合計で四時間一〇分ぐらい続いている状態だ。

土曜日だって、ずっと鳴っていたのだ。

きちがい兄貴が眠るまで、ずっと鳴っているのだ。まあ、きちがい兄貴が歯磨きをするために、一階に行くタイミングまでずっと鳴っている。ほかの人にとっては、どうでもいいことなのだけど、……これ、……ずっと鳴っているということが、めちゃくちゃにくるしいのだ。

めちゃくちゃにきらいな音が、無視できない音のでかさで鳴っている。これ、考えることができない。勉強なんてどれだけやろうと思ってもできない。

だいたい、じゃあ、勉強をしないけど、しずかな時間をすごした場合と、勉強ができない状態で、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にかこまれて、きちがい的にうるさい時間をすごした場合をくらべると、勉強をしていないということでは、おなじだけど、つかれ方がぜんぜんちがうのだ。

こういう、つかれを無視する。こういう、不愉快な感情を無視する。こういう、いかりを無視する。こういう不安を無視する。

そりゃ、自分にとって大切なことをしようと思っているのに、つねに、きちがい兄貴が、よその家族が絶対に鳴らさないような音のでかさで、きちがい騒音を鳴らしているという状態だ。

ものすごい、音圧で鳴っている。これ、ぜんぜんちがう。みんな、騒音体験はある。耳が聞こえない人以外、ほとんどの人が、人生のなかで騒音というものを経験したと思う。

騒音を経験したことがない人のほうが少ない。けど、自分の家族による、きちがい的な騒音を経験した人は、めちゃくちゃに少ない。

ぼくが知っている範囲だと、ぼく以外に一人しかいない。その一人の人も、けっきょく、六か月間で、騒音自体が終了したわけで、一五年間続いてしまった僕とは、ちがう人生を歩んでいる。

その人は、ぼくの話を理解してくれた唯一の人だ。

これ、どれだけ親しくても、実際に、きちがい家族によるきちがい騒音をずっと聞かされた場合の生活というものを経験していない人は、ぼくの話を理解してくれないのだ。ひとりも、理解してくれない。みんな、自分の騒音体験をもとにして考えるから、ぜんぜんちがうことを考えてしまうのである。

2025年11月8日土曜日

●過去否定論者であるAさんの思考■過去※2025/11/08 13:06

 AさんとBさんがいたとする。Aさんは、過去否定論者で言霊主義者だとする。Bさんがあるとき、言霊理論は間違いだということをAさんに説明したとする。そのとき、Aさんは、Bさんにいかりを感じて、Bさんに「言霊理論は正しい」「言霊は絶対だ」と言ったとする。Aさんは、過去否定論者なので、過去の出来事は関係がないと普段は言っている。「過去の出来事は、現在の状態と関係がない」ということを、えらそうに言っていたのだ。しかし、実際には、Bさんが、Aさんが言っていることを否定したという出来事が発生したあと、Aさんに対する感情が変わったのだ。この出来事の前は、Bさんは、Aさんにとって「いい人」だったのだ。それが、自分(Aさん)が、信じていることを、Bさんが否定したので、Bさんに対して不愉快な感情が発生したのだ。つまり、過去の出来事は、現在の状態に影響を与えるのである。別に、このことだけではなくて、過去否定論者であるAさんの思考というのは、過去の出来事によって発生したことの影響を受けている。実際に、Aさんの身の上に発生した、出来事が、現在のAさんに影響を与えている。ところが、「過去は関係がない」と言って、過去の出来事が現在の状態に影響を与えるということを否定してしまうのだ。Aさんは、否定してしまうのだ。これだって、どこかで、「過去は関係がない」という考え方を吹き込まれた結果なのではないかと思う。吹き込まれたと書いたけど、過去のある時点で「過去は関係がない」という考え方に触れて、「その通りだ」と本人(Aさん)思ったのではないかと思う。Aさんが、独自に、過去の出来事について考えて「過去は関係がない」と思ったのかもしれない。その可能性はある。けど、その場合でも、Aさんがその過去の時点で、(もっと過去のこと)を考えて、「過去は関係がない」という結論に至ったということは、かわりがないのである。そして、過去のある時点で「過去は関係がない」と思ったということが、「過去は関係がない」と思っている現在のAさんの状態に影響を与えているのである。なので、過去は関係がある。

過去の出来事が本人影響を与える場合、影響の大きさというのは、もちろん、関係がある。本人が「影響がなかった」と思うことだってある。しかし、「過去は関係がない」とは言えないのである。「過去の出来事は現在に影響を与えない」とは言えないのである。なら、「過去は関係がある」と言えるかというと、たぶん、言えるのではないかと思う。しかし、「本人」の意識として「影響がないと思える過去の出来事」があるのは、事実である。なので、過去の出来事は、影響力の大きさに差があるということが、言えると思う。本人が、過去の出来事のうち、影響があると思っている過去の出来事は、影響がある過去の出来事であり、本人が、蚊の出来事のうち、影響がないと思っている過去の出来事は、影響がない過去の出来事である可能性がある。本人の意識とは関係なく、過去の出来事の影響を、受けているのではないかと、私は、思う。

いずれにせよ「過去は関係がない」とは言えない。「過去の出来事は、現在の状態に影響を与えない」とは言えない。 

●「一四歳の体にもどる」■言霊※2025/11/08 12:42

あーー。一四歳の体(からだ)にもどりたい。言霊主義者なら「一四歳の体にもどる」と言って、一四歳の体にもどってしまうのだろう。しかし、言霊主義者も、普通に歳(とし)をとっているように見える。よし、じゃあ、「一四歳の体にもどる」という言葉に宿っている、言霊の力を信じて、「一四歳の体にもどる」と言ってみよう。「一四歳の体にもどる」……。だめだ。一四歳の体になってない。よし、もう一度、「一四歳の体にもどる」「一四歳の体にもどる」「一四歳の体にもどる」……。だめだ。三回も言ったのに、一四歳の体にもどっていない。あーー。言霊主義者が言ってることは、嘘だったんだぁーー。言霊主義者は、嘘つきだったんだーー。嘘つきだ。嘘つきだぁーー。

言霊主義者は、「言い方が悪い」といいやがるんだよなぁ。じゃあ、自分がやってみろ。「歳をとったものだ」と言っていた言霊主義者を見たことがある。

言霊主義者は、自分が嘘を言っているという自覚をもって、自己責任感じたほうがいいよ。嘘を言ったという責任がある。もちろん、言霊主義者の責任だ。 

●その悪いことをした責任を、自己責任論者は、放棄している■社会※2025/11/08 12:19

  自己責任論というのは、「すべては自己責任である」ということになっているのだけど、他者の責任ついて言及している場合は、その他者の責任であるということを言っているということになる。「すべては、自分の責任」というわけではないのだ。

たとえば、AさんとBさんとCさんがいたとする。Aさんが自己責任論者だとする。ビーサンが、きちがい的な音でヘビメタを鳴らしている人だとする。Cさんが、Bさんの家族で、きちがい的な音でヘビメタを聞かされている人だとする。

責任の所在は、Cさんにあるのである。

非常識な音のでかさで長時間騒音を鳴らしているわけだから、Cさんに、責任があるのである。行為の責ということを考えると、行為の責任は、Cさんにあるということになるのである。

ところが、Aさんは、Bさんが、Cさんの騒音でくるしんでいるということは、AさんのAさんの自己責任であるとは考えないのである。「すべてが自分の責任であるから」BさんがCさんの騒音でくるしんでいることも自分(Aさん)の責任であるとは考えないのである。

そうではなくて、「すべてが自分の責任であるから」Bさんが(Cさんの騒音で)くるしんでいるのは、Bさんの責任であると考えてしまうのである。Aさんが考えてしまう。

ようするに、『やりがち』の世界だ。

どんな迷惑行為でも、やったやつではなくて、やられたやつの責任だということになってしまう。

ようするに、Aさんは、自動的に、Cさんの責任ではなくて、Bさんの責任を追及するということになってしまうのである。責任は、Cさんにあるのに、あたかも、Bさんに責があると断罪しているような状態になってしまう。

Aさんがそうやって、ほんとうは被害者であるBさんの責任を追及したということは、Aさんの責任なのである。これがわかっているやつが少ない。
 

ケースバイケースの、責任の所在ということを一切合切、無視しているので、被害を受けたら被害を受けた人の責任だということになってしまうのである。

自己責任論者になってしまった人は、一切合切の状況を考えず、ひたすら、被害者の責任を追及する人になってしまうのである。ほんとうに、被害者のほうが悪い場合もある。被害者に責任の所在がある場合がある。ところが、最初から、どのような経緯でどのようなことが起こったのかを無視して、ともかく、被害を受けたほうの自己責任だと、決めつけてしまうのである。そういう単純思考におちこんでしまうのである。

責任がない人の責任を追及するということは、悪いことなのである。

ところが、その悪いことをした責任を、自己責任論者は、放棄しているのである。これは、基本的に、本人が、責任を感じなければ、責任を感じないということを意味している。

なんのことかわからないかもしれないけど、けっきょく、「すべては自己責任」と言ったって、本人が「自分の責任である」と意識したことにだけ、「自己責任を感じる」ということを意味しているのだ。つまり、「すべて」ではないということを意味している。

「すべては自己責任」と言っているけど、自分が責任を感じたことに関しては、責任があると感じるということにすぎないのである。すべてではないのである。これなら、「すべては自己責任」と言わずに、普通に、自分の責任であることは、自分の責任であると認識する「普通の責任論」とかわりがないではないか。

責任を感じることを、事前に、選んでいるのである。「すべては自己責任」と言っているけど、「すべて」ではなくて、自分に責任があると意識にのぼったことだけにしか、責任を感じないのである。それなら、普通の責任論?となんらかわりがないではないか。

*     *     *

どんな状況で、どんな出来事が発生したかにかかわらず、やられたほうの自己責任だと決めつけるやつらが、いいことをしているとは、思えない。 

2025年11月7日金曜日

●まるで、リアルな問題じゃないのだ■騒音※2025/11/07 11:28

 ヘビメタ騒音で生活が破壊されたのだけど、その深刻さが、ほかの人にはわからないのだ。ヘビメタ騒音が鳴っていると、勉強することができないということがもつ意味も、ほかの人にはわからない。

不可避的に、ほんとうに、勉強すること自体ができないのだ。そして、単に、勉強すること自体ができないということだけではなくて、ガンガン鳴っているわけだから、切羽詰まった気分になるのである。

べつにさぼって、勉強をしたくないと思っているわけではないから、頭にくるのである。

そして、たとえば、宿題もできなくなるのだけど、宿題も……『やらないようにしよう』と思って、やらないようにしているわけではないから、不愉快になるのだ。あるいは、『自分は宿題をやらなくてもいい』と思って、『宿題をもっていかないという状態』をつらぬいているわけではないから、不愉快になるのだ。

そして、ほかの人が、けっきょく、『必然性』を理解しないので、宿題をやることをさぼっている」とみなすということは、やはり、腹が立つことなのだ。

こいつらの「みなし」をひっくり返すには、宿題をやるしかないのだけど、きちがい兄貴の特別なきちがいヘビメタ騒音がガンガン鳴っていると、宿題もできないのだ。

けど、何度も言うけど、「ヘビメタが鳴っているから、宿題ができない」と、ぼくが言っても、ほかの人は、「できなくなるという必然性」がわからないので、「ヘビメタが鳴っているから、宿題ができない」ということを認めないのである。

体験的に、自分の、一番きらいな音が、あのでかさの音で、横の部屋で、家族によって、鳴らされているということがわからないのだ。あの空間の中で、勉強なんてできるはずがないのだ。

そして、勉強すること自体ができないので、宿題もできないのである。宿題というのは、勉強することの一部だからだ。

ヘビメタ騒音は、学校に宿題をもっていくことができない「装置」のようなものなのだ。ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音が、あの音のでかさで、至近距離で鳴っていると、宿題ができなくなる。けど、ほかの人は、そういう状態で暮らしたことがないわけだから、「宿題ができなくなる」という必然性が、わからないのである。必然性が、まったく見えないのである。

ヘビメタ騒音と宿題ができないということの、関係性が見えないのである。こいつらにとってみれば……「鳴ってたって、宿題ぐらいできるだろう」というような感想をもってしまうのである。どうしてかというと、きちがいヘビメタ騒音級の騒音に、日常的に!!!さらされたことがないからだ。家族が鳴らす、至近距離の騒音にさらされたことがないからだ。そして、普通の家族なら、どれだけでかい音で鳴らしたいと思っていても、「説得されれば」「注意されれば」二、三日で、やめるのに、やめないということが、わからないのである。自分のこととしてわからない。どうしてかというと、普通の人は、 「注意されれば」やめてくれる普通の家族と一緒に住んでいるからだ。普通の人は、「注意されれば」やめてくれる普通の家族と一緒に住んでいるから、きちがい家族によるきちがい的な騒音という問題は、リアルな問題ではないのだ。「そんなのは、家族で相談すればいい(そうすれば解決する)」とか「そんなのは、お兄さんに言えばいい(そうすれば、お兄さんは、しずかにしてくれる」とかと思っているので、まるで、リアルな問題じゃないのだ。

2025年11月6日木曜日

●●こいつらはこいつらで、認めない■騒音※2025/11/06 22:01

 あの一日の連続が、どういうものなのか、みんな、わかっていない。どれだけ、つらいかわかっていない。時間が猛烈につらいのである。時間が……。時間自体が猛烈につらい……。あの毒騒音に囲まれた部屋で、生きるというのが、そもそも、つらいことだ。鳴らされている間勉強はできない。けど、「ならされていたって勉強ぐらいできる」と思ってるやつが、クソを言ってくる。みんな、「自分だって苦労した」「自分だって騒音ぐらいある」と言う。けど、ちがうんだよね。ぜんぜん、ちがう。まず、うちは、幼稚園が横にある。幼稚園児が帰ったあとも、近所の子供がきて、遊んでうるさい。幼稚園は、幼稚園児がいないときも、工事などをやっていて、うるさい。きちがい兄貴が、フォークギターを弾いていた。きちがい兄貴が、普通に、普通のステレオで歌謡曲を聴いていた。この、ステレオは普通のステレオで、音量も、普通の音量だったのである。ヘビメタ騒音は、異次元の騒音なのである。あんな音で、鳴らす人がいない。これ、みんな、わかっていない。みんな、ちょっとうるさい音が、一時間、二時間鳴っているだけだと思ってる。けど、ちがうんだよ。そもそも、音圧がちがう。何度も言うけど、きちがい兄貴以外、あんな音で鳴らしている人がいなかった。ぜんぜんちがうんだよ。それを、まるで、普通レベルの騒音で、俺が文句を言っていると思っている。こいつらの理解は、そういう理解だ。「ぜんぜんちがうんだ」ということを言ったって、こいつらはこいつらで、言霊主義者のように、認めないのである。こいつらの頭のなかでは、俺が、よくある、普通の騒音で文句を言っているということなのである。「ちがうんだ」ということを、どれだけ説明しても、こいつらはこいつらで、認めない。「自分だって苦労した」「自分だって騒音ぐらいある」と言って認めない。あとは、そんなのは、お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんは静かにしてくれるはずだ」というような思い込みがある。これも、「ちがうんだ」ということを言っても、みとめないんだよぁ。こいつらは、きちがい家族によるきちがい的な騒音……異次元の騒音を経験していないから、悠長なことを言える。「ぜんぜんちがう」と言っているのに、こいつらはこいつらで、認めない。

●「ゆずってやった」「ゆずってやった」「ゆずってやった」■騒音※2025/10/29 20:38

ほんとうに、きちがい兄貴が「きたないやつ」で、自分が「非常識なでかい音」で鳴らしたかった場合は、無意識的なレベルで嘘をついて、「普通の音で鳴らしている」と思って、「非常識なでかい音」で鳴らしてしまうのである。

そして、「うちの場合」そういう「脳みそのくせ」をもっている人間が兄貴だけではないのだ。親父も、おなじ「脳みそのくせ」をもっている。

これ、兄貴がヘビメタでやったことは、親父がほかのことでやっていたことなのだ。だから、「そういうやり方」は「うち」のなかでは、「なじみがある方法」なのである。

だから、「うちのなかでは、それであたりまえ」という……これまた、都合がいい無意識と意識が成り立ってしまうことになる。

そして、重要なのは、よその人が、兄貴の「脳みそのくせ」をまったく理解しないことだ。だから、よその人は「そんな音で鳴らすわけがない」とか「言えばちゃんとわかってくれる」とかと、考えてしまう。だから、ギャップがある。兄貴の「脳みそのくせ」と世間の人の「家族とはこういうものだ」という解釈の間に、ギャップがあるのである。

ちょっとでも、ほんとうにしずかにしなければならない……ようなことを言われたら、発狂してはねのけるのである。きちがい兄貴はそうなのである。

ちょっとでも、自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めなければならないようなことを言われたら、発狂して、はねのけて、それでおしまいなのである。

これは、親父の態度とおなじなのである。

これは、親父の反応とおなじなのである。

「やっているやつら」は、ぜんぜん、そんなことをしているつもりがないのである。これも、ほかの人がわかってくれないところだ。そして、くそおそろしいことに、当のきちがい兄貴がわかっていないのだ。自分はそんなことをしていないと、思っている。

けど、常にそうなるんだよ。

きちがい兄貴は、無意識的には、でかい音で鳴らしているということがわかっているので、「よそのうち」では、鳴らさないのである。

きちがい兄貴が、きちがい兄貴が「いま」住んでいるマンションで、当時とおなじ音で鳴らせるかというと、一分も鳴らせないのである。きちがい兄貴が「いま」住んでいるマンションで……やったら、一日で、問題になることなのである。

それが、「うち」では、何千日も問題にならなかった。親父はきちがいだから、これまた、普通の人とはちがう反応をしてしまうのである。

そして、それも、普通の人にはわからないのである。わからないことなのである。親父の、兄貴の騒音に対する反応というのは、奇妙奇天烈なものだ。普通の親でもないし、普通の人間でもないのだ。親父はくるっている。

けど、ほかの人にはわからないから、ぼくがへんなことを言っていると思うのである。

「ちゃんと言えばわかってくれるよ」という言葉が、どれだけひどい言葉なのか……俺にとってどれだけ、ささる言葉なのか……普通の人はわからない。「ちゃんと言えばわかってくれるよ」という言葉を、発する人は、わからない。わかるわけがない。 

*     *     *

きちがい兄貴なんて、よそのうち」では鳴らせない音で鳴らしていたということが、いまだに、わかっていないのである。

「よそのうち」と言っても、きちがい兄貴が「いま」住んでいるマンションは、「よそのうち」なのである。実家ではない家や実家ではないマンションや実家ではないアパートは、「よそのうち」なのである。

きちがい親父が建てた「このうち」以外の「住処」は、「よそのうち」なのである。よそのうちだと、普通にしずかにできるのである。普通に気をつかうことができるのである。

けど、「うち」だと、絶対に気をつかうことができないのである。一秒だって、ゆずってやってやるということができないのである。

一秒間でも、相手が言うとおりにゆずってやったら、憤死するような騒ぎなのである。

憤死するような意地なのである。悪いと思ってないんだよ。 本人が、そういう意地をもっているということに、まったく気がついていない。

本人が、そういう意地をもっているということに気がつかないということもセットで、やっていることなんだよ。絶対に、言われても気がつかない。どれだけ言われても気がつかない。

そして、うちの人に言われたら気がつかないけど、よその人に言われたら気がつくかというと、気がつかないのだ。よその人に言われたって、気がつかない。

実際に、自分が、自分の意地に従って……「ものすごくでかい音で鳴らしている」ということには、気がつかない。

そして、「ゆずってやる」問題が発生する。これも、意地悪をするつもりはないのだけど、きちがい的な意地で意地悪なことをするのである。

これも、どれだけ、悪意丸出しなことをやっても、本人は、「本当にゆずってやった」と思っている状態なのである。これ……。

ほんとうは、まったく、ゆずってない音で鳴らしているのに「ゆずってやった」「ゆずってやった」「ゆずってやった」と言い張る。そんなわけがないのである。きちがい兄貴がゆずってやった音というのは、よそのうちでは、絶対に一分間だって鳴らせない音なんだよ。

2025年11月5日水曜日

●まったく理解しない人■騒音※2025/11/05 20:54

あーあ。つまらない。この時間……。

いま、しずかでもしかたがない。

きちがいヘビメタが鳴っていたころ、毎日……この時間のように……しずかだったらなぁ。

みんな、ほんとうに、自分がきらいな音が、まったく理解しない家族によって、ずっと鳴らされている状態というのが、どういう状態のか、わかっていない。

わかっていないから、「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」「自分なら鳴ってたって勉強ぐらいできる」「自分なら、鳴り終われば、(普通に……鳴っていないときおなじように)眠れる」と思ってしまう。

そうしたら、「エイリがさぼっている」ということになってしまうのである。「エイリが勉強をしたくないから、ヘビメタ騒音でできないと言い訳をしている」ということになってしまうのである。

こういう、不名誉な評価が、必然的に発生してしまうのである。

普通の人の脳みその中に発生してしまう。

そして、それは、たいへん不名誉なことだから、きちがい兄貴に「やめろ」とさんざん言ってるのに、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、のりこえてしまって、きちがい的な方法でずっとずっと鳴らし続ける。

このきちがい的な方法を採用しているのは、ぼくが知っている限り、きちがい兄貴ときちがい親父だけなんだよ。そして、きちがい親父は、騒音を鳴らさなかった。別にきちがい親父が、ヘビメタを鳴らしていたわけではない。

言いたいことは、普通の人の家族が、きちがい兄貴のようには、好きな音楽を鳴らさないということだ。だから、きちがい兄貴の騒音問題のような問題が、発生しないのである。

交渉力も、コミュ力も関係なく、きちがい兄貴がもたらすような問題が、しょうじないのである。

ところが、これもまた、ぼく(エイリ)の、交渉力の問題、コミュ力の問題になってしまうのである。

普通の人の頭のなかで、「エイリの側の交渉力の問題だ」とか「エイリの側のコミュ力の問題だ」とかということになってしまうのである。

●ほんとうは、常識的な人が考えているような、苦労ではないんだよ■騒音※2025/11/05 11:52

なんか、叫びたい気持ちだなぁ。ちょっと、元気になった。もう、破滅破綻の気持ちなんだよな。ヘビメタという音楽が、ものすごく、いやなんだよ。あの音の中にいると、狂いそうになる。

そういう音が、きちがい家族によってずっとずっと鳴っている。

そりゃ、つかれるよ。そりゃ、不安になるよ。そりゃ、憂鬱になるよ。ところが、きちがい野郎が、「元気だ元気だと言えば元気になる」「俺だって苦労した」と言うのだ。はぁーー。なに、言ってんだよ。クソ野郎だな。

こいつらには、ヘビメタ騒音の破滅的な部分が見えていないんだよな。ヘビメタ騒音が鳴ってたって、たいしたことはないだろうと思っているわけ。

「自分の苦労と同じレベルの苦労なんだろ」と思っている。ところがちがうんだよ。

常識的な人にはわかないかもしれないけど、ほんとうは、常識的な人が考えているような、苦労ではないんだよ。ほんとうに、クソ野郎だな。

●兄のきちがい行為から生まれた、いろいろなことがいやだった■騒音※2025/11/05 11:53

夢を何本か見たのだけど、全部、切羽詰まった気分の夢なのだ。起きても、憂鬱だ。憂鬱度、高い。喉は、あいかわらず、かわくなぁ。あと、外壁のことが気になってしかたがない。狙っていた高めの中古住宅が売れちゃったので、へんなのしか残っていない。

このさき、どうしようかな。飯もうまくない。眠れるかというと、眠れないだろう。眠れない状態で、横になっていると、精神的に追い込まれる。そう。

なんか、追い込まれた気分なんだよな。もう、つかれたな。

この世のいろいろなことが、いやだった。

父のきちがい行為から生まれた、いろいろなことがいやだった。兄のきちがい行為から生まれた、いろいろなことがいやだった。

2025年11月4日火曜日

●「自分なら影響を受けない」という前提で、えらそうなことを言い始める■騒音※2025/11/04 22:03

あんなにやられて、「楽しい」と言ったって、楽しくなるわけがない。

それがわかっていないのだから、同レベルの体験をしていない。同レベルのきちがいストレス刺激が、同レベルの期間持続した生活をしたことがないということになる。

だいたい、「通勤して働ける」やつが、俺だって苦労したと、苦労を同レベル化して、えらそうなことを言ってくる……場合が多いのだけど、これ自体が、ヘビメタ騒音起源の「不愉快な体験」だ。

どれだけ不愉快か、当然、(俺に)(自分が正しいと思っていることを)言っているほうは、わからないわけだ。

どや顔で、「自分だって苦労した」と言うやつは、みんな、わかっていない。ほんとうに、これは、みんな、だ。ぼくの経験の範囲でいうと、「みんな」だ。

常識的な人、普通の人は、ほとんどの人がみんな……「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」という前提で、えらそうなことを言い始める。

「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、いいわけだ」「人間は働くべきだ」と言いやがる。

こんなやつらが、ぼくと、同レベルの経験をしたわけがない。何度も言うけど、通勤通学ができない体(からだ)になっている。

こいつらは、一日の範囲で考えて「自分なら平気だ」と思うわけだし、一生の範囲で考えて「自分なら平気だ」と思うわけだ。

ようするに、ヘビメタ騒音の影響を受けない体で生活することが可能だと思っているんだよ。

その言葉を、口に出すかどうかは別にして、そう思っている。

そうなると、俺があまえたことを言って、さぼっているということになってしまうのだ。そういうやつらの、頭のなかでそうなる。

こいつらは、ほんとうは、俺と同じレベルのことを経験していない。経験していないから、実際に影響を受けたことがなく、影響を受けるはずがないという前提で、的外れな発言をしているだけだ。

こいつらの的外れな発言で、ぼくが不愉快な気分になるんだよ。

こいつらは、きちがい兄貴のような家族といっしょに住んだことがない。だから、きちがい家族がもたらす、影響がどのようなものか、わかっていない。

わかっていないから、自分だった平気だという前提で、的外れな発言をしているだけだ。

*     *     * 

一日の中で考えても、ほんとうに、ひどいことなんだよ。あの音のでかさで、何時間も鳴らすということは、普通の家ではありえないことだ。普通の人はしないことだ。普通の人はやろうと思わないのである。けど、きちがい兄貴はスイッチが切れしていたので、やってしまった。普通の人とおなじような脳みその構造をもっていなかったからやってしまった。きちがい兄貴が、きちがい親父とおなじような脳みその構造をもっていたので、やってしまった。

よそのうちには、きちがい親父のような人間も、きちがい兄貴のような人間もいないんだよ。

だから、(よそのうちの人は)きちがい兄貴のような人間が鳴らす騒音というものを経験していない。

実際に経験していないから、普通の感情を維持して、普通の生活を維持できるだけなんだよ。

いくら、「つらい思いをした」と言ったって、普通の生活を維持できるようなつらい思いなんだよ。

ほんとうに、なにもわかっていないな。

こいつは、こいつらでなにもわかっていない。きちがい兄貴も、まったく、なにもわかっていないけどな。

ヘビメタ騒音の影響を無視するということに関しては、きちがい兄貴と普通の人はおなじなんだよ。理由はちがうけど、無視するという点だけは、おなじなんだよ。

無視すれば……「できるはずなのだから、さぼっているにちがいがない」と思うのだよ。クソおろかなやつらだ。 

きちがい兄貴のやり方が、きちがい的なやり方だから、普通の人が、ごく普通に、誤解をしてしまう。

当然、ほかの人は、きちがい家族にやられたことがないのである。

実際にやられたことがないから、『通勤・通学』ができる体を維持しているだけなのに……自分なら影響を受けないという前提で「クソ」を言ってくる。

ほんとうに、クソだな。

こんなやつらといっしょにいて、おもしろいわけがないだろ。

2025年11月3日月曜日

●兄貴が、フォークギターぐらいの音で、ヘビメタを鳴らしていたら■騒音※2025/11/03 21:15

 ヘビメタ騒音の記憶で、相当に、やばい。ほんとうに、いろいろなことがあった。そして、ほんとうに、いろいろなことがなかった。ヘビメタ騒音がなければ、経験できたいろいろなことが、なかったのだ。

きちがい兄貴が、ほんとうに、軽い気持ちで、ずっと、あの音を鳴らしていたことだ。ぼくが許せないのは、ほんとうに、軽い気持ちで、ずっと、あの音を鳴らしていたことだ。

これ、ほんとうに、こだわりつくして、でかい音で鳴らしていたのに、本人は……たぶん……フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりだったのだと思う。

こんなの、ない。

実際に、きちがい兄貴が、フォークギターぐらいの音で、ヘビメタを鳴らしていたら、ぼくの人生はこんなことになっていない。 

*     *     *

はやく、眠たくなって、眠りたい。ほんとうに、地獄のような人生だったな。

2025年11月2日日曜日

●どれだけおかしいことでも……信じがたいことでも、そうなんだよ■社会※2025/11/02 17:51

 俺がここでおこっていても仕方がないのだけど、他人が災厄をもたらすのである。

これ、きちがい親父から始まっている。人生の最初から、きちがい親父にやられている。もちろん、きちがい親父は、やったつもりなんてないんだよ。

これが、きちがい親父が、どれだけ、きちがい的な理由で、いかりくるっても、きちがい親父にとっては、きちがい親父が起こるだけの理由があると思っているのである。

それは、じつは、きちがい親父が、「よそのうち」にいたときに感じたいかりなのだけど、親父は、目の前の相手が、目の前の相手だから、「おこってあたりまえだ」と思っているんだよ。こういうタイプの人間が、父親だったら、人生の最初から、たたられるということになるんだよ。

感情的な事故が、ひどいんだよ。そして、きちがい親父とおなじ脳みその構造をもつきちがい兄貴が、「自分にとってだけ都合がいいかたち」で、ヘビメタを鳴らし始めた。これも、ほんとうは、本人の耳が悪くなるほどでかい音で鳴らしているのに、都合よく、でかい音で鳴らしていないと思っているのである。

頭がおかしいからできる芸当だ。けど、普通の人は、きちがい兄貴みたいな人がいないと思っているので、俺が嘘をついていると思ってしまうのである。

そういうことも含めて、きちがい兄貴が(きちがい兄貴の特殊な脳みそを使って)やってしまうことは、問題があることなのである。けど、その問題に直面しているのは、きちがい兄貴に「都合よく」やられている、俺だけなのである。

兄貴はやったつもりがないんだよ。

やっている最中から、やっているつもりがないんだよ。

それが、どれだけおかしいことでも……信じがたいことでも、そうなんだよ。「そうなんだ」としか言いようがない。きちがい的な父、きちがい的な兄と一緒に住んでいたら、それはそれは、ひどいことが次から次へと起こるということになってしまうのである。

そうなると、「蚊がありえないほど多い」家に住んでいるのとおなじ状態になるんだよ。普通の人は、普通のことを想定しているんだよ。

そして、「蚊に刺されない」と言ったら、蚊に(数時間)さされなかったという経験があると、「言霊は正しい」と思うようになるんだよ。

ほんとうは、抗原抗体反応が収まったから、かゆさがおさまったのに、「かゆくない」と言ったあとに、かゆさがおさまったら「言霊は正しい」と思うようになるんだよ。

そういう単純な誤解なのに、「言ったことが現実化する」「これが正しい」と思って、ゆずらなくなる。俺が、言霊理論は、理論的に間違っているということを言ったって、腹をたてるだけなのである。言霊主義者のことはおいておくとする。

ともかく、実際に「感情的な事故が起こる確率が、高い」のである。うちは、ほかのうちよりも、「感情的な事故が起こる確率が、高い」のである。

それは、メスの蚊がたくさんいる家のほうが、蚊にさされる確率が上がるのとおなじなのである。確率が高いということは、回数が多いということなのである。

ようするに、「愚痴を言いたくなる回数」が増えるのである。実際に、普通のうちに住んでいる人よりも、「愚痴を言いたくなる回数」が増えるのである。

いちおう、ほかの人に配慮して、「愚痴」と書いたけど、これも、ほんとうに、愚痴なのかどうかは、わからない。「愚痴」ではなくて、「事実の報告」かもしれない。

●最大限の『努力への圧力』がしょうじる社会■社会※2025/11/02 13:05

 たとえば、「努力をすれば(部長になることに)成功する」とする。一〇〇人の部長候補のがいるとする。部長の席はひとつだとする。

つまり、努力をしても九九人は、部長になることに成功しない。失敗する。そのような場合、「努力をすれば(部長になることに)成功する」ということが、どのようなことを引き起こすのかということだ。

九九人は失敗することが決まっているのである。

そして、九九人の敗者は、「努力がたりなかった人」という烙印がおされるのである。

たとえば、「努力をすれば(部長になることに)成功する」とする。一〇〇人の部長候補のがいるとする。部長の席は一〇〇席だとする。ようするに、一〇〇人の部長候補のうち、一〇〇人が部長になれる。

その場合、じつは、努力をしなくても部長になることに成功するということになる。

「努力をすれば(部長になることに)成功する」という共通意識は、努力競争への原動力にはならない。

けど、だれも、失敗しない。

ほんとうは、努力しなくても、一〇〇人中一〇〇人が部長になれる。この場合は、努力の程度は、それほど問題にならない。本人が、自己申告制で「自分は努力をした」と言えば、それですむ。

*     *     * 

これは、まったく思考実験なのだけど……たとえば、おなじ条件で、一〇〇人中一〇〇人が、成功するために!努力したとする。おなじ条件ということは、能力もおなじだということだ。

こんなことは、ありえないのだけど、思考実験だからそうだとする。

努力をする環境もおなじだとする。

努力をする気持ちの度合いが、成功するかどうかを決めるということになる……のかもしれない。けど、部長になれるかどうかというように、席の数が問題だ。

たとえば、一〇〇人中一人が成功するのであれば、やはり、九九人は成功しないのである。

まあ、こうなると、成功するの定義が問題になるだろう。

現実世界では、「成功する」ということの定義も、また、自己申告制なので、なんとでもいえる「余地」がしょうじる。

こういう、余地があるから、「努力をすれば成功する」という文言が、なんとなく、正しいそうな文言に聞こえるのだ。あるいは、聞こえてしまう人が多いということになる。

*     *     * 

たとえば、一〇〇人中一〇〇人が、成功することを求めて、各自において、最大限の努力をするとする。その場合、成功するための圧力が高くなるのである。

成功するための圧力が高い「社会」は、いい社会なのかどうかという問題がある。

また、各自の人生において、最大限の努力をするということが、しあわせを保証するのかどうかということが問題になる。

努力をすれば、成功するとする。その場合の成功というのが、一意に決まる成功だとする。そして、一意に決まる成功の定義にあてはまる人はひとりだとする。ようするに、ひとつしか成功者の席がない社会というものについて考えるわけである。

社会全体の人が、成功するために、最大限の努力をすることは、成功への圧力を高める。そして、社会の構成人数から一を引いた分だけの人が、失敗することが最初から約束されている。

その場合、成功するために努力をしてきた人たちは、しあわせなのだろうかという問題がある。

成功は、しあわせを保証しない。成功としあわせになることは、ちがう。

しかし、最大限の『努力への圧力』がしょうじる社会は、むしろ、人がしあわせになることを、さまたげるのではないだろうかと思うのである。わたしが、そう思う。 

●「努力をすれば成功する」という文の中には出てこないこと■社会※2025/11/02 10:14

まず、努力に関係なく、成功しやすい環境と、成功しにくい環境があるのである。成功しやすい環境だと、あまり努力をしなくても、成功するのである。

成功しにくい環境だと、相当に努力をしても成功しない場合がある。

努力という「変数」も、射程距離が短い場合には、影響する。

しかし、それは、射程距離が短い場合に限られる。ようするに、射程距離が短いというのは、日常生活の中で、可能な範囲にあるということだ。求めている成功が、日常の範囲内にあるということだ。

しかし、ここでも、たとえば、「努力をする」ということがどういうことなのか、ということを、一意に決められないという問題がある。そして、「成功する」ということも、一意には決められない。

なので、けっきょく、言葉の遊びにすぎないということを、頭のなかに銘記しておくべきなのである。努力という「変数」と書いたけど、ほんとうは、努力という言葉には、変数としての機能がない。

もし、努力の度合いを数学の変数のように考えると、失敗するのである。

ようするに、知らず知らずに間違った結論に至ってしまうのである。

「変数」としてあつかった場合も、言葉の遊びに過ぎない。

実際には、そのような法則性はない。だって、そうだろ。そもそも、変数にならないものを変数としてあつかっているのだから、法則性について語れるはずがないのだ。

それでも、わざわざ、「努力という変数」という言い方をしたのは、環境の条件のほうが、努力の度合いよりも、重要だということを言いたかったからなのだ。

環境の度合いの上に、普通の人が「努力の度合い」として考えることができるものが、「のっかって」いるとする。そういうイメージをもってくれるとありがたい。

たとえば、なんかのテストがあるとする。そのテスト対策をするかどうかということを考えたとする。そのテスト対策をすることを努力することだと、とらえたとする。

そして、一〇〇点をとった場合……「成功した」と言い、九九点以下の点数をとった場合……「失敗した(成功しなかった)」と言うとする。

その場合、そのテストに向けて「努力した」人がいたとする。とりあえず、Aさんだとする。そして、そのテストに向けて「努力しなかった」人がいたとする。とりあえず、Bさんだとする。

Aさんは、テストで一〇〇点をとったとする。Bさんはテストで六〇点をとったとする。その場合、「Aさんは、努力をしたから成功した」と表現することに、人々は抵抗を感じないのである。そして「Bさんは、努力をしなかったから成功しなかった」と表現することに、人々は抵抗を感じないのである。

こういう例を出されると「努力をすれば成功する」という文は正しいと思ってしまうのである。

しかし、たとえば、Aさんは、そのテストに向けて「努力」できる環境で努力したということがぬけているのである。そして、Aさんには、もともと、そのテストに向けて、努力をすれば……つまり、勉強をすれば、一〇〇点をとれるだけの才能があったという条件も、無視されているのである。

これは、Aさんの資質だ。

Aさんの能力だ。

Aさん脳みそでできる範囲のことだったから、テストに向けて努力(勉強)すれば、一〇〇点をとれたのだ。もともと、Aさんの脳みそでできる範囲ことでなければ、Aさんが努力(勉強)をしても一〇〇点をとなかったかもしれないのである。

そして、Aさんが、そのテストに向けて、努力をしなくても、一〇〇点をとれた可能性があるということが、問題になる。

「努力をすれば成功する」という文の中には、Aさんの能力に関する記述が、まったく、ない。

しかし、だれにでもあてはまることになっているから、Aさんにも、あてはまるということになっている。

この設定に関しても明言されることはない。

そして、Aさんがテストで一〇〇点をとった場合でも……Aさんが努力をしなくても、一〇〇点をとれた可能性を否定することができないのである。

これについても、一切合切、明言されることはないのである。

つまり、一切合切、言及されていないので、あたかも「ない」こととして、あつかわれているのだけど、ほんとうは、「そうである」場合がある。

ようするに、そういう場合は「ない」のではなくて、そういう場合も「ある」のだ。

「努力をすれば成功する」という文の中には出てこないことが、思考に、さまざまな影響を与えているのである。

例から法則性へと、思考が飛躍するとき、「努力をすれば成功する」という文の中には出てこないことが、思考に影響を与えている。

●●ライフハックを口にされた人が、おれる場合■社会※2025/10/31 11:49

 ライフハックを口にされた人が、おれる場合は、ライフハックを口にした人が、増長する可能性がある。確率は、非常に高い。ライフハックを口にされた人が、おれると、ライフハックを口にした人は、その人(ライフハックを口にされた人)に対して、横柄な態度になる可能性がある。確率は、非常に高い。だから、ライフハックを口にされたほうが、おれた場合も、ほんとうは、いいことが起こらない。これは、人の「増長スイッチ」を押すことになる。これが、いろいろな圧力を生み出すのである。まあ、おれたほうは、不愉快なストレスを感じることになる。

ライフハックがうまくいく場合というのは非常に限られているのだ。悪い条件が成り立っているところ、ライフハックなんてやったって、うまくいかない。悪い条件下では、ライフハックがうまくいかない確率が非常に高い。基本、ライフハックがうまくいく場合というのは、ライフハックがうまくいったと誤解しているときが多い。プラシーボ効果や時間の接近によって、理由を間違えたから、うまくいったと思っているだけなのだ。主体は、ライフハックをやってみた人だ。たとえば、引き寄せ法則というのは、法則ではない。けど、引き寄せの法則を信じた人が、古い雑誌を引き寄せようとしたら、うまく、引き寄せられたとする。その場合、引き寄せの法則は正しいと思ってしまうのだ。勘違いだ。ライフハックがうまくいったと思っている人は、勘違いをしているだけだ。 

 

●人の気持ちがわかっていないのは、言霊主義者だ■言霊※2025/11/01 16:37

たとえば、「言えば言ったことが現実化するから、言えばいい」と助言したとする。この助言は、根本的におかしい。「言えば言ったことが現実化する」という部分がおかしいのだ。しかし、この助言をする人が、善意で、その言葉を(相手に)言ったとする。その場合、「善意で言った」というのは、ほんとうのことなのである。しかし、善意で言ったからこそ、対立してしまう部分がある。善意で「助言してあげた」……善意で「いい方法を押してあげた」ということになる。けど、「言えば言ったことが現実化する」という部分がまちがっている。もし、言われたほうが、言われたとおりに、自分の希望を言ったとする。言ったのだから、現実化するはずなのである。ところが、現実化しなかったとする。そうすると、「言えば言ったことが現実化するから、言えばいい」と助言した人は、「相手の言い方」がまずかったから、現実化しなかったのだということを言い出すのである。けど、相手の言い方がまずかったから、言ったとおりにならなかったというのは、相手のせいにしているということになる。「言えば言ったことが現実化する」という部分は正しいのだけど、相手の言い方がへたくそだったから、言ったことが現実化しなかったのだと(言霊主義者は)言っていることになる。言霊主義者は、最初から、相手の条件を無視しているのである。相手の条件を無視して、どんな場合でも「言えば言ったことが現実化する」と言っているのである。これ、善意なのである。善意だから、問題がしょうじる。

言霊主義者は、相手が失敗することを考えていないのだ。どんな状態で、その言葉を言うのかということに関する想像力が欠如している。なので、「どんな状態で言っても、言ったことが現実化する」と本気で思っているのである。本気で思っているので、相手が「言われたとおりにやって」失敗することを考えていない。けど、「言えば、言ったことが現実化する」というのが、カルト的な妄想理論なので、むしろ、現実化しない場合のほうが多いのである。すくなくても、言霊の力によって現実化することは、ない。これに関しては、書いてきたので省略する。しかし、言霊主義者は信じている。

これ、言われちゃったほうが、被害を受けるというのがわからないかな?

言われちゃったほうが、不愉快な思いをすることのほうが多いのである。言霊主義者と同様の誤解をした場合だけ、不愉快な思いをせずに済むのである。つまり、言ったら、言霊の力とは関係なく、言ったことが現実化した場合だけ、不愉快な思いをせずに済むのである。

「善意で言っている」「助けてあげたいと思って言っている」というのが、ほんとうのことなので、逆に、言われた相手が不愉快な思いをすることになるのである。不幸な条件を背負っている人は、不幸な条件を背負っているから、不幸な出来事が発生するのである。「言えば、言ったことが現実化するので、言えばいい」と言われたときの気持ちというのが、(言霊主義者は)まったくわかっていないのだ。「言えばいい」と、不幸な条件下で苦しんでいる人が言われたときの気持ちというものを、「言えばいい」と言っいるほうは、わからない。

さきに、カルト的な前提で、へんなことを言ったのは、言霊主義者なのに、まるで、「言えば、言ったことが現実化するいう前提が間違っている」と言ったほうが、へんなことを言ったということになる。「理屈じゃねぇーーんだよ」と、まるで、人の気持ちがわからないような人に言うようなことを言う。言霊主義者が、 「言えば、言ったことが現実化するいう前提が間違っている」と言った人に言うのだ。まるで、人の気持ちがわかっていない、理屈屋みたいに言いやがって……。人の気持ちがわかっていないのは、言霊主義者だ。

*     *     * 

言霊主義者は「親切にしてやったのになんだ」とおこってしまう。いやーー。条件が悪い人の条件を無視するべきではない。悪い条件が、悪い「その出来事」を引き起こしている。条件を無視するべきではないのだ。言ったって、その条件がかわらなければ、あいかわらず、悪いことが引き起こされる。なんでなら、その悪い条件が、悪い出来事の「真の原因」だからだ。

 

2025年11月1日土曜日

●●みんながあんまりわからないこと■騒音※2025/10/28 6:50

 みんながあんまりわからないことなのだけど、ヘビメタ騒音空間というのは、ほんとうにひどい空間だ。

これ、ほんとうに、きちがい兄貴が、「非常識な音」で鳴らした。

きちがい兄貴が「やってはいけない音」で鳴らした。ここのところは、まず第一に認めなければならないのである。

しかし、ほかの人にとっては「エイリが言っているだけの話」だから、信じない人もいる。信じない人にとっては、「エイリが嘘つきだ」「エイリが人格障害者だ」ということになってしまうのである。どうしてなら、嘘を言っているつもりがあって、嘘を言っているのなら、嘘つきだし、嘘を言っているつもりがないまま、嘘を言っているのであれば、人格障害者だということになってしまうからだ。理論的にそうなるのである。まあ、「妄想系の精神障害者だ」という考え方も付け加えてもいい。ともかく、ぼくが嘘を言っていると思っている人は、ぼくに対して、あんまり、いいイメージを持たない。

そして、「鳴ってたって、たいしたことじゃないだろう」「鳴ってたって、宿題ぐらいできる」「鳴ってたって、遅刻しないで通勤通学することができる」と思っている人も、ぼくに対して、あんまり、いいイメージを持たない。

そして、さらに「そんなの、お兄さんに、ひとこと、しずかにしてって言えばいいのに、そんなこともできないのか」と思う人も、 ぼくに対して、あんまり、いいイメージを持たない。

きちがい兄貴のきちがい部分を理解していないと、ぼくのことを下に見て、きらいになるのだ。この人たちにとって、「見えにくい」兄貴のきちがい部分を理解することは、いいことではない。今までの考え方を、くつがえすことになるからだ。

きちがい兄貴のような人間がいる……きちがい兄貴のような精神構造をもった人間がいるということを認めることは、安定していた「自我」を、不安定にさせるものなのである。

そして、損得ということを考えると、「見えにくい」兄貴のきちがい部分を理解することは、損なことなのである。すくなくても、「この人たち」にとって、自我を不安定にさせるようなことを、あえてする理由は、なにもない。

「見えにくい」兄貴のきちがい部分を理解することで、得をしないのである。

そんなことを理解したって、よっぽど、心理学に興味がある人以外、得をしない。

なので、普通の人は、自我が不安定になることをさけて、理解しないのである。そんなことはしないのである。エイリの言っていることを理解してあげることが、得なことだとは思っていないので、理解しないのである。

エイリの話……というのは……自我を不安定にさせるものだから、聞いた時点で、不愉快な話なのである。

そりゃ、そうだろ。「きちがい兄貴」のような人がいないという考え方でつくった自我の基準が乱れるのはよくないことなのである。不快を感じることなのである。もちろん「きちがい兄貴」というのは、エイリの話に出てきた「エイリのお兄さん」のことである。

あんまり、わからないことだろうから、ちょっと付け足して書いておく。たとえば、泥棒がいない島にずっと住んでいて、ずっと、「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をもっている人がいたとする。

泥棒がいないので、泥棒という概念をどうとらえるという問題はある。しかし、とりあえず、泥棒ということがどういう意味を持っているか知っているとする。

けど、自分の島には、ひとりも泥棒がいないとする。

泥棒がいないので、家を出るときも、別にドアの鍵を閉めなくてもいいのである。島のみんなは、だれも、泥棒をしない。しつこくなるけど、そういう場合は、「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をもっているのである。

「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をもっている自我が、安定した「今の時点」の自我なのだ。

ところが、島から出て、どこかの都市に行ったとする。そして、その都市で、生活しているとき、実際に、泥棒に、はいられたとする。自分が「島にいるつもりで」家の鍵を閉めずに、外出したときに、泥棒に、はいられたのだ。

その場合、自己責任論者じゃなくても、「家の鍵を閉めずに外出するなんて、どうかしている」と考える人がいるだろう。自己責任論者じゃなくても「家の鍵を閉めずに家を出た人の、責任だ」と考える人もいるだろう。

つまり、このひとたち……島以外の土地に生まれたときから住んでいる人たちは、「泥棒はいる」「人は人のものを無断で奪う(場合が)ある」という考え方をもっているのである。

その場合、島に住んでいた人が、今後、盗まれないで生活するようにするには、「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をすてて、「人は人のものを無断で奪う(場合が)ある」という考え方に切り替えなければならないのである。

これは、意識的な認識を切り替える意識的な作業なのだけど、「いままで信じていたこと」をかえなければならないので、あんまり、いい作業ではないのである。

考え方の束が「自我」をつくっているので、「考え方の束」のうちの「ひとつ」をかえるということは、「自我」の一部をかえるということだから、不愉快なことなのである。

ようするに、必要性がないとやらないことなのである。今の安定している自我が、いいのである。

新しい情報に従って、今までの安定している自我(考え方の束)の一部を書き換えなければならないということは、あんまり、いいことではないのである。今の自我にとっていいことではない。

そして、一部を書き換えると、関連分野まで、影響を受けるのである。人にものを貸すとき、人は絶対に(貸したものを)返してくれると思っていたとする。けど、「人は人のものを無断で奪う(場合が)ある」という考え方に書き換えると、「貸したものを返さない人がいるかもしれない」ということになるのである。

だから、関連分野まで、考え方の変更を迫られることになるのである。なので、そういうことは、あんまりしたくないことなのである。

さらに言えば、関連分野との、矛盾ということについて、考えなければならなくなる場合がある。関連分野に関する「考え方」にも、変更を加える必要性が出てくるかもしれないのである。これは、安定した自我にとって、脅威なのである。まあ、脅威ではなくても、「不愉快に感じること」なのである。

その場合……たとえば、「エイリのお兄さんのような人がいる」という考え方は、自我を脅かすものになるのである。

自我というのは、「今の自我」のことだ。変更が必要なほど、切羽詰まった問題ではないので、書き換えないのである。

 「エイリのお兄さんが、エイリの言っているようにへんなお兄さんであり、へんなお兄さんのようなタイプの人は、この世に存在する」と新しい考え方を、受け入れて、「今までの常識」を書き換えることは、あんまりいいことではないのである。

彼らにとって、新しい考え方を受け入れる必然性があるのかというと、ないのである。なので、余計なことはしたくないので、エイリのお兄さんの話は信じないということになる。

●●そういう人生を歩みたかったということになる■騒音※2025/11/01 8:55

この世でできる、理想の生活というのは、なんなんだろうなぁ。

そりゃ、もちろん、ヘビメタ騒音がない生活……。ぼくの場合、ヘビメタ騒音がなかった場合の人生になってしまうんだよ。

理想の生活というのは、ヘビメタ騒音がなかった場合の「生活」になる。この「生活」というのは、「全生活」だ。生活、全部だ。

わけ、わからないかもしれないけど、生活の全部だ。けど、けど、けど……実際に、ヘビメタ騒音が発生してしまった。人生のなかで、ヘビメタ騒音が発生してしまった。すでに、発生してしまったのだ。

なので、ヘビメタ騒音が発生しなかった場合の人生というのが、架空の話になってしまう。架空の人生なのだ。普通の人の場合は、そんなことはない。

ヘビメタ騒音が発生してない人生を歩んでいるし、ヘビメタ騒音が(人生のなかで)発生しないことが、あたりまえだからだ。

だから、まあ、スタートラインがちがいすぎるんだよね。

というわけで、ヘビメタ騒音が発生してしまったのだけど……そして、ヘビメタ騒音がいったん発生してしまったら、もう、ヘビメタ騒音が発生しなかった場合の生活には、絶対に戻れないのだけど……。だけど……。だけど……。

理想としては、やはり、ヘビメタ騒音が発生しなかった場合の人生がいいわけ。そういう人生を歩みたかったということになる。

●●この圧力が、日増しに増すのである■騒音※2025/10/31 21:51

「起きて、時間通りにいかなければならない」というプレッシャーが、きちがいヘビメタ騒音が続くたびに、増大するということは、ほとんどの人が、わかっていない。

まじめだと、つむように、できているのだ。

ヘビメタ騒音……家族による長時間のしつこい騒音というのは、まじめな人が、つむように、できている。エイリがさぼってる」とか「エイリがさぼりたいから、あまえたことを言っている」と思っている人は、これがわかっていないのである。基本、きちがいヘビメタ騒音に、午後4時から午後11時までさらされたら、気持ちが、たいへんまずい状態になって、眠れなくなるのである。最初は、きちがいヘビメタ騒音で、眠れなくなるのである。ヘビメタ騒音が続くので、「起きなければならない」というプレッシャーが強くなるのである。きちがいヘビメタ騒音で(激しく興奮して)眠れなくなっているのだけど、眠れない状態が続くと「明日、ちゃんと起きなければならないから、眠らなければならない」というプレッシャー(圧力)が強くなるのである。この圧力が、日増しに増すのである。土日だって、鳴っている。土曜日、日曜日は、きちがい兄貴が家にいる時間が長くなるので、そのぶん、きちがいヘビメタが鳴っている時間が増えるのである。土曜と、日曜も、平日と同じように、午後4時まで鳴らすなということを、どれだけ言ったって、聞くわけがないのだ。きちがいが、きちがいの基準で鳴らす。あと、ヘビメタが好きな人には、どうでもいいことだけど、ほんとうに、心をえぐるほど、きちがいヘビメタの音が、響くのである。あれを無視して、普通の気持ちを維持して暮らすということはできないのである。鳴らされていれば、ほんらい、眠るべき時間が来たとき、すでに、長時間、鳴らされたという影響が体に残るのである。これを「鳴り終わったら関係がない」というやつは、まったくわかっていない。「普通の人」の「理解のレベル」というのは、こういうレベルだ。自分だって、経験すればわかるのに、経験していないから、こういうところで、筋違いのことを言うようになる。勘違いなんだよ。もちろん、その人にとって、一番嫌いな音が、ずっと鳴っていればの話だ。ヘビメタが好きな人の場合は、たしかに、ヘビメタが鳴っているということの影響を、たいして受けないし、ヘビメタが鳴っていたということの影響もたいして受けない。

2025年10月31日金曜日

●●ぼくの部屋では、ものすごくでかい音なのである■騒音※2025/10/31 7:41

 きちがい兄貴の態度があまりにも異常なので、ほかの人にはわからないということになる。そして、きちがい兄貴の感覚も、あまりにも異常なので、ほかの人には、わからないということになる。近所の人の反応は、よっぽど言いたかったけど、我慢したという感じかな。でかい幼稚園があるので、騒音に関しては、強い人が多かったのだろう。けど、これ、ほんとうは、きちがい親父に言いにくいから、言わなかったというのがあるんじゃないかな。きちがい親父は、兄貴の騒音のことで、言われたときがあったのだけど、きちがい的な反応をしておしまいだったからな。おかあさんには、(近所の人は)言いにくいよな。ほとんど病気で寝ているようなものだからな。きちがい兄貴と、近所の人があうことは、めったにないのである。めったにない。近所の人と兄貴との会話というのは、何十年間にわたって、ひとこともなかった。近所のうちが、この家から、ある程度、離れているので、どの程度の音で、きちがい兄貴のヘビメタが、聞こえていたのかわからない。この部屋を中心にして考えて、幼稚園の園舎の中にいる、子供たちの声ぐらいの音で聞こえていたのかもしれない。それなら、耐えられないことはない。しかし、ぼくの部屋では、ものすごくでかい音なのである。あんなの、無視しできるやつは、いない。あるいは、いたとしても、ごく少数だ。みんな、ひとごとなので、「影響はない」「自分なら平気だ」と考えてしまうのである。

●だから、ぼくが、言っているだけだということになる■騒音※2025/10/31 9:55

 ほんとうに、不利なんだよなぁ。自分だって、実際にやられてみなければわからなかったと思うけど、ほんとうに、できなくなる。けど、やられていない人は、「できなくなる」ということが、わからない。そして、その人たちが……みんな……ほんとうに、みんな……「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」「自分だって苦労した」と言う。この人たちは、あっている。たしかに、嘘は言っていない。けど、ほんとうの、騒音生活を経験したわけではない。この人たちが経験した騒音と、ぼくが経験した騒音はちがう。ほんとうに、自分が……この世で一番きらいな音を……あの音量で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も聞かされる生活というのを、したことがないのだ。まあ、ともかく、「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」「自分だって苦労した」というのは、ほんとうのことなのだけど、きちがい家族による、きちがい的な騒音が鳴っている生活をしたことがないというのも、ほんとうのことなのだ。「どういうふうに、できなくなるのか」ということが、経験していないから、わからない。この人たちのなかには「自分だった平気だ」「自分だったら、鳴ってたってできる」という気持ちがある。そういう気持ちがあるというのも、たぶん、事実なのだ。ようするに、自動的に過小評価するのである。「できない」ということを、自動的に認めないようになっているのである。だから、実際には経験していないから、わからないだけなのに、えらそうなことを、言うようになるのである。実際にやられたら、自分だってできなくなるのに、自分はできるつもりで、えらそうなことを言うのである。もちろん、えらそうなことを言っているつもりはない。「あたりまえ」のことを言っているつもりなのだ。当たり前のことだから、これも、否定されると、腹が立つのだ。「そんなの鳴ってたってできる」「そんなの、なってたって、やらなきゃだめだろ」という態度になるのだ。これも、自動的にそういう態度になる。

*     *     *

あと、ちょっと、行き過ぎた一般化についてちょっと言っておきたい。たとえば、ぼくは、一〇〇%詐欺ということについて、ずっと述べているのだけど、言霊主義者側の言い分、常識サイドの言い分として「おまえだって、一〇〇%詐欺をしているじゃないか」というのがあるかもしれない。というのは、たとえば、「実際に、俺(エイリ)とおなじことを経験したら、できなくなる」というのは、一〇〇%詐欺構文とおなじじゃないかという言い分だ。ようするに、主語が大きいのである。「人間というのは、あの騒音相当の騒音を毎日、経験したら、睡眠障害になる(とぼくは思う)」ということをぼくが言ったとする。ならない人もいるかもしれない。けど、ぼくは、そうなると思っている。「……とぼくは思う」ということを付け足すかどうかの問題だ。けど、ちょっとちがう側面もあるのだ。それは、実際には、だれも、ぼくと同じような騒音生活を経験しないだろうということだ。そして、たとえば、言霊主義者におけるような、「魔法感覚」は、幼児期を経験したことがある人なら、ほとんどみんな、経験したことなのである。これは、幼児的万能感といわれている万能感で、幼児期に人類が(ほとんど)みんな、もっている万能感なのだ。なので、多数派になる。幼児的万能感がある人たちが多数派なのだ。手短に言うと、ぼくにも、幼児的万能感はある。だから、「最後の神頼み」みたいな気持ちはわかる。だから、きちがい家族が鳴らすきちがい騒音がもたらす生活は、ほとんどの人が経験したことがないことだけど、幼児的万能感に支配された幼児期は、ほとんどの人が経験したことがある幼児期なのである。ヘビメタ騒音期間と幼児期は、ちがうのである。少数の例外というものをぬかせば、ヘビメタ騒音期間の生活は、ぼくしか経験したことがない生活で、幼児期の生活は、幼児期をこえて生き残った人は、経験したことがある生活なのである。だから、そこがちがう。そうなると、ぼくの立場からすると、「みんなもそうなる」と思うとしか言いようがないことになるんだよね。そして、みんなは、経験しないのである。たぶん、人生のなかで、経験しないのである。ヘビメタ騒音が始まったのが、小学六年生のときだ。当時、兄貴が高校一年生で、ヘビメタ騒音道具を買って、きちがい的な意地で、きちがい的なでかさの音で、騒音を鳴らし始めた。こういうことが、人生の中で起こらなければ、ぼくの人生はちがったものになっていたはずなのである。しかし、実際に起こってしまったので、「怒らなかった場合の生活」は、架空の生活になってしまうのである。あるいは、架空の生活になってしまったのである。

これも、何回も言うけど、実験して調べるわけにはいかないのである。どのくらいの人が、実際に、自分がこの世できらいな音を、あの音のでかさで、聞かされて、生活したら、睡眠障害になるかということは、絶対に調べることができないのである。どうしてかというと、そういう実験は、倫理規定に反するからだ。だから、ぼくが、言っているだけだということになる。

*     *     *

ちなみに、言霊主義者は、ぼくの経験の範囲で言うと……みんな……ほんとうにみんな……ヘビメタ騒音の効果を認めなかったのである。「の」が重複することになるけど、「ヘビメタ騒音」の「負の効果」を認めなかった。どうしたって、睡眠障害になるのに、睡眠障害になるということを認めないのだ。どうしたって、あれだけ長い間、きちがい騒音を浴びせられると、夜、眠るべき時間に眠れなくなるのに、そうなるということを、言霊主義者が(みんな)認めなかったのである。もちろん、ぼくの経験の範囲で言えばということだ。どこかに、「ヘビメタ騒音」の「負の効果」を認める言霊主義者もいるかも知れない。けど、その人が言霊主義者であれば、そんな負の効果よりも、言霊の力のほうが「うえだ」ということを言うはずだ。ようするに、そんなのは、言霊的な解決方法で、解決できる問題だということになるはずだ。だって、「言えば、言ったことが現実化する」ということになっているので、「眠れる」といえば、眠れるし、「騒音の影響を受けない」と言えば、受けない(ようになる)からだ。

ともかく、ここで言いたいのは、じつは「認めないということ」をさきにしているのは、言霊主義者だということだ。ヘビメタ騒音でそうなる……ということを、認めないのである。いうかどうかは別にして、言霊主義者は、「影響はない」と思っているのだ。ぼくが「影響がある」と言っているのだから、ぼくが言っていることを認めていない。そして、かりに「影響があるということ」を認めたにしろ、「そんなのは、簡単に言霊で解決できる問題だ」という意識を(言霊主義者は)もっているのである。

けど、言霊主義者は、ぼくの言っていることを否定しているつもりがないわけ。そんな気持ちはないわけ。だから、「言霊理論について、批判されたら、エイリが先に批判してきた」と思うわけ。 そうすると「なんだ、こいつは」と思ってしまうわけ。でっ、ここまで、きちがい兄貴と、言霊主義者のこの反応は、セットなんだよ。もう、決まっているんだよ。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、きちがい的なことをしたときに、決まっている。だって、よその家じゃ、だれもそんなことをしないわけだから、よその人は、経験して(その影響)を知っているわけではないということになる。経験的に影響がわからないので、過小評価したり、無視したりするのだ。これは、ぼくが言っていることを……否定しているということになる。だって、ぼくは、ヘビメタ騒音は影響があるということを言っているわけだから……。

常識的な人はたちは、さきに、「ぼくが言っていること」を否定しているのである。「そんなのは、お兄さんに、言えばいい」「お兄さんにちゃんと言えば、わかってくれるよ」というようなことを言う人も、ぼくが、きちがい兄貴について述べたことを否定しているのである。

きちがい兄貴が、よその人がわからないようなことを、うちでだけするから、俺が人から、誤解をされて、ひどい目にあう。 

●「元気だ元気だ」と言っているときの気分が、並じゃない■騒音※2025/10/30 8:44

たとえばの話なのだけど、「元気だ元気だと言えば、元気になるから、元気だ元気だと言おう」と思っているときの気分が、並じゃないのだ。もう、泣き出しそうな気分なのだ。

もう、たえられなくて、自殺しそうな気分なのだ。この、気分は、並じゃない。

悪い意味で並じゃない。きちがい兄貴のヘビメタが続いている。きちがい兄貴のヘビメタが続いて、めちゃくちゃな日々が続いている。そのなかで、「元気だ元気だ」と言って、自分をはげまそう、と意識的に思って、「元気だ元気だ」と言っているときの気分が、並じゃないのである。

死にたい気分なのである。突発的に、自分を包丁で刺しても、なにもおかしくない気分なのである。きちがいヘビメタ騒音が毎日続くというようなことを経験してない人は、「自分は元気だ元気だと言ったら、元気になった」と言うのである。

「だから、言霊理論は正しい」と言うのである。「言えば言ったことが現実化する」と言うのである。「だから、自分で励まそうとしないことはよくないことだ」と言うのである。

「自分の気分に責任を持つべきだ」と言うのである。「自分の気持ちは、自分で制御できる」と言うのである。

そして、その口で「俺だって、死にたいほど憂鬱なことはあった」と言うのである。「俺だって、ボロボロにつかれているときはある」と言うのである。「俺だって、朝はつらい」と言うのである。

いやーー。

自分で、矛盾に気がついていない。「ボロボロにつかれるまえに、元気だ元気だと言えばいいだろ」「言ったことが、現実化するのだから、ちょっとでもつかれを感じたら、元気だ元気だと言えばいい」「そうしたら、元気になる」「ボロボロになるまで、つかれることはない」「そもそも、自分はつかれない、ひとこと、言えば、つかれないのである」「自分はつかれないと言うことを思いつかなかったから、ボロボロにつかれることがあったのか?」と言いたくなる。

そして、「自分は憂鬱にならないとひとこと言えば、憂鬱にならないのだから、憂鬱になることもない」「言霊主義者なのに、自分は憂鬱にならないということを思いつかなかったのだろうか」「一回目、憂鬱になることがあっても、二回目からは、言霊の力によって憂鬱になることはないのではないか」と言いたくなる。

「俺だって、朝、つらいことはあると言うけど、それも、朝つらくならないと、ひとこと言えば、解決してしまう問題じゃないか」「朝、つらなくならないと言うことを、言霊主義者なのに、思いつかなかったのか」と言いたくなる。

ともかく、「元気だ元気だと言えば元気になる」「言霊(理論)は正しい」と言っている人が「自分だって、ボロボロに疲れることはある」「自分だって、死にたくなるほど憂鬱になることはある」と言うのである。

けっきょく、 「元気だ元気だと言えば元気になる」「言霊(理論)は正しい」と言っている人は、きちがいヘビメタ騒音下で「元気だ元気だ」と言っているときのぼくの気持ちが、まったくわかっていない。

わかっていないなら、ヘビメタ騒音生活がもたらすような「つかれ」を経験したことがないのである。

ヘビメタ騒音生活のある日、ある時間、「元気だ元気だ」と言った時の気分がわからないのであれば、ヘビメタ騒音生活がもたらすような、つかれを、経験したことがないということなのである。

けど、言霊主義者だって、「猛烈な疲れを感じることはある」のである。だから、言霊主義者だって「俺だって猛烈なつかれを感じることはある」と言う。

そして、これは、真実なのである。だったら、ヘビメタ騒音生活がもたらすようなつかれを、人生の中で、その言霊主義者が感じたことがないのである。だから、ちがう話をしているのである。

けど、おなじレベルのつかれだとみなして、言霊的な解決方法について語るのである。

でっ、言霊主義者は、言霊的な解決方法で、エイリの疲れ……ヘビメタ騒音のつかれも消すことができると思っているのである。同レベルのつかれを感じた自分(言霊主義者)が言っているのだから間違いがないと思っているのである。

元気だ元気だと言えば元気になる(誤)

自分は元気だ元気だと言えば元気になると思っている(正)

自分の場合、元気だ元気だと言ったら元気になっことがある(正)

言霊理論は正しい(誤)

言霊理論は正しいと思っている(正)

「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、間違いなのだけど、「自分の場合、元気だ元気だと言ったら元気になっことがある」というのは、嘘ではない。「自分は元気だ元気だと言えば元気になると思っている」というのは、意識的には嘘ではないのだけど、それは、普段、ほんとうにつかれたときは「元気だ元気だと言えば元気になると思っていない」ということに、気がつかないからなのだ。

「言霊理論は正しい」というのは、間違いなのだけど、「言霊理論は正しいと思っている」というのは、嘘ではない。

たとえば、ぼくが言霊理論を否定したときに、言霊主義者が腹を立てたとする。この言霊主義者が「うれしい」と言えば、うれしくなるのかという、問題がある。この言霊主義者が「楽しい」と言えば、本当に楽しくなるのかという問題がある。

言霊主義者は「どんなにつらいことがあったって、楽しいと言えば楽しくなる」と主張している。なら、自分が信じていることを批判されたとき、「楽しいと言えば楽しくなる」のかどうか。批判されるぐらい、なんだよ。

「どんなにつらいことがあったって、楽しいと言えば楽しくなる」のだろ。たいして、つらいことじゃないのに、言霊主義者は、腹を立てたままなのである。

たいていの言霊主義者は、言霊理論を批判されたとき、「楽しい」と言っても、楽しくならないのである。これが、現実だ。「だんなにつらいことがあったって」とか「どんなことがあったって」とか「どんな状態でも」とかというのは、本人が言っているときに、そういう気持ちになっているということを意味しているにすぎない。

実際には、言霊主義者だって、言霊主義者にとって、不愉快なことが発生すると、「楽しいと言っても、楽しくならない」のである。

「うれしい」でもおなじだ。実際に、言霊主義者にとって、腹が立つことがあり、言霊主義者が、腹を立てて当然だと思っているときは、「うれしい」と言っても、うれしくならないのである。

ただ、言霊主義者が鈍感だから、そのことに気がつかないだけなのである。「あたりまえ」だと思っているときは、言霊思考にならないのである。


2025年10月29日水曜日

●まじめだと、つむように、できているのだ■騒音※2025/10/29 19:38

「起きて、時間通りに行かなければならない」というプレッシャーが、きちがいヘビメタ騒音が続くたびに、増大するということは、ほとんどの人が、わかっていない。

まじめだと、つむように、できているのだ。

ヘビメタ騒音……家族による長時間のしつこい騒音というのは、まじめな人が、つむように、できている。

「エイリがさぼってる」とか「エイリがさぼりたいから、言い訳をしている」「エイリがさぼりたいから、ヘビメタ騒音でできないとあまえたことを言っている」と思っている人は、これがわかっていないのである。

基本、きちがいヘビメタ騒音に、午後四時から午後一一時までさらされたら、気持ちが、たいへんまずい状態になって、眠れなくなるのである。

最初は、きちがいヘビメタ騒音で、眠れなくなるのである。ヘビメタ騒音が続くので、「起きなければならない」というプレッシャーが強くなるのである。

きちがいヘビメタ騒音で(激しく興奮して)眠れなくなっているのだけど、眠れない状態が続くと「明日、ちゃんと起きなければならないから、眠らなければならない」というプレッシャー(圧力)が強くなるのである。

この圧力が、日増しに増すのである。

土日だって、鳴っている。土曜日、日曜日は、きちがい兄貴が家にいる時間が長くなるので、そのぶん、きちがいヘビメタが鳴っている時間が増えるのである。

土曜日と、日曜日も、平日と同じように、午後四時まで鳴らすなということを、どれだけ言ったって、(きちがい兄貴が)聞くわけがないのだ。

きちがいが、きちがいの基準で鳴らす。

あと、ヘビメタが好きな人には、どうでもいいことだけど、ほんとうに、心をえぐるほど、きちがいヘビメタの音が、響くのである。

あれを無視して、普通の気持ちを維持して暮らすということはできないのである。鳴らされていれば、ほんらい、眠るべき時間がきたとき、すでに、長時間、鳴らされたという影響が体(からだ)に残るのである。

これを「鳴り終わったら関係がない」と言うやつは、まったくわかっていない。

「普通の人」の「理解のレベル」というのは、こういうレベルだ。

自分だって、経験すればわかるのに、経験していないから、こういうところで、筋違いのことを言うようになる。勘違いなんだよ。

もちろん、その人にとって、一番きらいな音が、ずっと鳴っていればの話だ。ヘビメタが好きな人の場合は、たしかに、ヘビメタが鳴っているということの影響を、たいして受けないし、ヘビメタが鳴っていたということの影響もたいして受けない。

しかし、ヘビメタが好きな人だって、自分がきらいな音が、爆音でずっと鳴っていたら、腹が立つのだ。影響を、不可避的に受けるのだ。どれだけ、影響を受けないようにしても、鳴らされているから、影響を受ける。影響を受けないということができない。

耳をふさいだって、ものすごい音で鳴っているのがわかる。そういうレベルの爆音なのである。からだじゅうが、爆音で包まれている状態なのである。そんな状態が、一日に、七時間から一三時間続いて、いいけがない。眠る時間になっても、眠れない状態になる。

それを「俺だって眠れないときはある」という言葉で、同レベル化できるかというとできないのだ。毎日、きちがいヘビメタ騒音が鳴っているからだ。きちがい兄貴が、「関係がない人」として、ずっと、横の部屋で、鳴らし続けるからだ。きちがい兄貴の耳は、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で悪くなったのである。押し入れと壁のおかげで、ぼくの耳はまもられたみたいだけど、毎日、鳴らされて、本当につらかった。

どれだけ、眠ろうと思っても眠れなくなる。本人が一番こたえているんだぞ。

それを、まるで俺がさぼっているように言いやがって……。俺がバカだから、時間に遅れるということの意味がわからず、あまえたことを言っていると思いやがって……。

こういうきちがい連中、どうにかならないのかな。こういうきちがい連中に言っておきたいのは、「起きなければならない」というプレッシャーが、増大するということだ。こっちは、ふざけているわけではなくて、真剣なのである。

こっちは、さぼっているわけではなくて、真剣なのである。まるで、わかっていない。こういうやつらの知的レベルを疑う。人格を疑う。

実際にひどい目にあって困っているわけなのだから、そんな「のんきな話」ではないのである。これ、ほんとうに、「鳴り終わったら眠れる」と思っているんだよな。こういうきちがいもどうにかならないかな。

実際にひどい目にあっているから、こまっている。実際、鳴っていると、ほんとうに勉強することができないので、宿題もできないのである。だから、宿題をしないで学校に行くということになる。それだって、こまっている。

じゃあ、ヘビメタ騒音の中でできるかというと、できない。これが、ほんとうにできないのに、ほかのやつらは、ぼくにとってヘビメタという音がどういう音なのかわかっていないので、あるいは、きちがい兄貴の意地がわかっていないので、あるいは、きちがい兄貴が鳴らしている音が、ほんとうにでかい音だということがわかっていないので……「どれだけ騒音が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と思っているのだ。

エイリが宿題をやりたくないから、騒音がうるさくてできなかった」と言い訳をしていると思っているのだ。こういう、きちがい、どうにかならないのか? こういうきちがいが、下種な解釈をして、俺を不愉快にさせるのである。

*     *     *

まるで俺がさぼっているように言いやがって、ゆるせない。ゆるせない。ゆるせない。

あーー。ほんとうに、ヘビメタ騒音と世間の常識にはさまれて、くるしかった。くるしいだけの人生だった。 

●長い時間をかけて、うちくだいた■騒音※2025/10/29 13:49

そりゃ……兄貴の騒音がなければ……ぼくの人生は、あるていど思い通りになったと思う。その場合、専門分野でかなり活躍できたと思う。ところが、兄貴の騒音で、どうしても、活躍できなくなってしまったのだ。そして、「どうしても」というところが、ほかの人たちにはわからない。

そりゃ……ぼくにだって、希望はあった。しかし、長期騒音がうちくだいた。長い時間をかけて、うちくだいた。 

●普通に眠ることさえできなくなってしまうのである■騒音※2025/10/29 11:52

きちがい兄貴が以上で、ほんとうに、普通の人が鳴らさない音で、普通の人が鳴らさない時間の長さ、ずっとヘビメタを聴いている。

だから、横の部屋の俺はこまる。けど、こまり方」がほかの人にはわからないのだ。ほかの人には、きちがい兄貴のような家族がいないからだ。

けど、ほかの人も「苦労している」ということは、ほんとうなのだ。

しかし、その苦労というのは、ヘビメタ騒音が始まるまでの、ぼくの苦労と同レベルの苦労なのだ。ヘビメタ騒音は、異質で、異常な苦労なのだ。だから、ほかのひとは 、ぼくと同レベルの苦労をしていない。同レベルの苦労をしているなら、「できない」ということがわかるはずなのだ。

けど、「できない」ということがわからない。同レベルの苦労をしていないということが(ぼくには)わかる。そして、同レベルの苦労をしていないということは、有利なことなのである。これ、ほんとうに、ほかの人が絶対に理解してくれない、きちがい的なハンディが生じているということなんだよ。普通だったら、ありえないことなんだよ。

どれだけ、自分が思ったとおりに、ヘビメタをガンガン鳴らしたくても、鳴らせない環境ですごしている人たちばかりだから、鳴らせないんだよ。ところが、うちの場合は、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、きちがい兄貴の維持を通せば、通せる状態だった。そういう環境だったのだ。これも、ほかの人たちにはわかりにくいことだ。

そして、約四割の人が、「通せる環境だった」ということを否定しやがるのだ。なので、約四割の人にとっては、ぼくが嘘を言っているということになり、嘘を言っているわけだから、ほんとうは、エイリが言っているような騒音を(エイリは)経験していないということになってしまうのである。

経験していないのだから、ハンディもないのである。エイリが嘘を言っているのだから、エイリが言っているハンディも嘘なのである。

ところが、「できない」のである。

これ、どれだけ言っても、ほかの人にはわからないのだけど、できないのである。ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、できることができなくなるのである。その必然性が、ほかの人にはまったくわからないのである。

ほかの人にとっては、不可避的に「できなくなる」ということがわからない。このことが、実質、できなくなっているぼくと、ほかの人の間に「溝」をつくるのである。

そして、この「溝」に関しては、ぼくが感じている溝に過ぎないということになるのである。よその人にとっては「エイリというやつが、甘えたことを言っている」というようなことにしかすぎないわけだよ。

ところが、ほんとうに、きちがいヘビメタの連続で、できなくなるのである。

普通に眠ることさえできなくなってしまうのである。

2025年10月28日火曜日

●きちがい兄貴の騒音が鳴り始めてから、つらいことばかりだったよ■騒音※2025/10/28 15:14

 きちがい兄貴の騒音が鳴り始めてから、つらいことばかりだったよ。きちがい兄貴も、よそのやつも、影響を認めない。きちがい兄貴も、よそのやつも、どれだけ、影響を受けるか、わかっていない。どれだけ、がんばって、影響を受けないようにしても、影響を受けるんだよ。ものすごい、影響がある。影響を認めないで、妄想的な前提で、ものを言わないでくれないかな。

●●「エイリのお兄さんのような人がいる」■騒音※2025/10/28 6:50

みんながあんまりわからないことなのだけど、ヘビメタ騒音空間というのは、ほんとうにひどい空間だ。これ、ほんとうに、きちがい兄貴が、「非常識な音」で鳴らした。きちがい兄貴が「やってはいけない音」で鳴らした。ここのところは、まず第一に認めなければならないのである。しかし、ほかの人にとっては「エイリが言っているだけの話」だから、信じない人もいる。信じない人にとっては、「エイリが嘘つきだ」「エイリが人格障害者だ」ということになってしまうのである。どうしてなら、嘘を言っているつもりがあって、嘘を言っているのなら、嘘つきだし、嘘を言っているつもりがないまま、嘘を言っているのであれば、人格障害者だということになってしまうからだ。理論的にそうなるのである。まあ、「妄想系の精神障害者だ」という考え方も付け加えてもいい。ともかく、ぼくが嘘を言っていると思っている人は、ぼくに対して、あんまり、いいイメージを持たない。

そして、「鳴ってたって、たいしたことじゃないだろう」「鳴ってたって、宿題ぐらいできる」「鳴ってたって、遅刻しないで通勤通学することができる」と思っている人も、ぼくに対して、あんまり、いいイメージを持たない。

そして、さらに「そんなの、お兄さんに、ひとこと、しずかにしてって言えばいいのに、そんなこともできないのか」と思う人も、 ぼくに対して、あんまり、いいイメージを持たない。

きちがい兄貴のきちがい部分を理解していないと、ぼくのことを下に見て、きらいになるのだ。この人たちにとって、「見えにくい」兄貴のきちがい部分を理解することは、いいことではない。今までの考え方を、覆すことになるからだ。きちがい兄貴のような人間がいる……きちがい兄貴のような精神構造をもった人間がいるということを認めることは、安定していた「自我」を、不安定にさせるものなのである。そして、損得ということを考えると、「見えにくい」兄貴のきちがい部分を理解することは、損なことなのである。すくなくても、「この人たち」にとって、自我を不安定にさせるようなことを、あえてする理由は、なにもない。「見えにくい」兄貴のきちがい部分を理解することで、得をしないのである。そんなことを理解したって、よっぽど、心理学に興味がある人以外、得をしない。なので、普通の人は、自我が不安定になることをさけて、理解しないのである。そんなことはしないのである。エイリの言っていることを理解してあげることが、得なことだとは思っていないので、理解しないのである。エイリの話……というのは……自我を不安定にさせるものだから、聞いた時点で、不愉快な話なのである。そりゃ、そうだろ。きちがい兄貴のような人がいないという考え方で作った自我の基準が乱れるのはよくないことなのである。不快を感じることなのである。「きちがい兄貴」というのは、エイリの話に出てきたエイリのお兄さんのことである。

あんまり、わからないことだろうから、ちょっと付け足して書いておく。たとえば、泥棒がいない島にずっと住んでいて、ずっと、「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をもっている人がいたとする。泥棒がいないので泥棒という概念をどうとらえるという問題はある。しかし、とりあえず、泥棒ということがどういう意味を持っているか知っているとする。けど、自分の島には、ひとりも泥棒がいないとする。泥棒がいないので、家を出るときも、別にドアの鍵を閉めなくてもいいのである。島のみんなは、だれも、泥棒をしない。しつこくなるけど、そういう場合は、「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をもっているのである。「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をもっている自我が、安定した「今の時点」の自我なのだ。ところが、島から出て、どこかの都市に行ったとする。そして、その都市で、生活しているとき、実際に、泥棒にはいられたとする。自分が「島にいるつもりで」家の鍵を閉めずに、外出したときに、泥棒にはいられたのだ。その場合、自己責任論者じゃなくても、「家の鍵を閉めずに外出するなんて、どうかしている」と考える人がいるだろう。自己責任論者じゃなくても「家の鍵を閉めずに家を出た人の、責任だ」と考える人もいるだろう。つまり、このひとたちは、「泥棒はいる」「人は人のものを無断で奪う(場合が)ある」という考え方をもっているのである。その場合、島に住んでいた人が、今後、盗まれないで生活するようにするには、「人は、人のものを無断で奪ったりしない」という考え方をすてて、「人は人のものを無断で奪う(場合が)ある」という考え方に切り替えなければならないのである。これは、意識的な認識を切り替える、意識的な作業なのだけど、「いままで信じていたこと」をかえなければならないので、あんまり、いい作業ではないのである。考え方の束が「自我」をつくっているので、「考え方の束」のうちの「ひとつ」をかえるということは、「自我」の一部をかえるということだから、不愉快なことなのである。ようするに、必要性がないとやらないことなのである。今の安定している自我が、いいのである。新しい情報に従って、今までの安定している自我(考え方の束)の一部を書き換えなければならないということは、あんまり、いいことではないのである。今の自我にとっていいことではない。そして、一部を書き換えると、関連分野まで、影響を受けるのである。人にものを貸すとき、人は絶対に(貸したものを)返してくれると思っていたとする。けど、「人は人のものを無断で奪う(場合が)ある」という考え方に書き換えると、「貸したものを返さない人がいるかもしれない」ということになるのである。だから、関連分野まで、考え方の変更を迫られることになるのである。なので、そういうことは、あんまりしたくないことなのである。さらに言えば、関連分野との、矛盾ということについて、考えなければならなくなる場合がある。関連分野に関する「考え方」にも、変更を加える必要性が出てくるかもしれないのである。これは、安定した自我にとって、脅威なのである。まあ、脅威ではなくても、「不愉快に感じること」なのである。

その場合……たとえば、「エイリのお兄さんのような人がいる」という考え方は、自我を脅かすものになるのである。自我というのは、「今の自我」のことだ。変更が必要なほど、切羽詰まった問題ではないので、書き換えないのである。 「エイリのお兄さんが、エイリの言っているようにへんなお兄さんであり、へんなお兄さんのようなタイプの人は、この世に存在する」と新しい考え方を、受け入れて、「今までの常識」を書き換えることは、あんまりいいことではないのである。彼らにとって、新しい考え方を受け入れる必然性があるのかというと、ないのである。なので、余計なことはしたくないので、エイリの「お兄さんの話」は信じないということになる。

2025年10月27日月曜日

●●これが、不愉快なことでなくて、なんだ■騒音※2025/10/27 19:37

それから、これは、ほかの人には全くわからない感覚だと思うけど、たとえば……たとえば、言霊主義者とのやり取りの最中、ぼくは、「いやな光」にさらされているようなものなのだ。

悪い雰囲気になる。

どうしてかというと、実際に、ヘビメタ騒音が前の日も鳴っていたからだ。そして、ヘビメタ騒音でつかれはてているからだ。

これ「さらされている」感覚なのである。ヘビメタ騒音にさらされ続けて、昨日も眠れずに、弱っている体で、ヘビメタ騒音の影響を頑固に無視するやつと話をしなければならない。

これが、俺にとって、いいことであるはずがない。俺にとって、ヘビメタ騒音の有害さは、あきらかなものなのだよ。

けど、ほかの人たちにとっては、ぜんぜん、あきらかなことじゃない。だから、「そんなのは関係がない」と言う。「自分は鳴ってたって平気だ」という前提で、「元気だと言えば元気になる」と言う。

ヘビメタ騒音が本当に強烈で、音に包まれて、昨日、こまっていた。

そういう状態なのに、ヘビメタ騒音影響を否定するやつが、ヘビメタ騒音で、こまっている俺に、ヘビメタ騒音なんて関係がないということを言う。

これが、不愉快なことでなくて、なんだ。 

●「きいたはなし」なんだよ■騒音※2025/10/27 7:57

生活というのは、なにか、頭の中にあるものではなくて、実際の時間によって構成されるものなのだよ。

そして、きちがい兄貴が、全力で、全部の時間を使って鳴らすので、俺の「実際の時間」がヘビメタ騒音まみれのものになった。

ところが、ほかの人たちは、そうではないわけ。

「きいたはなし」なんだよ。ほかの人たちは、別に、「実際の時間」を汚染された人たちじゃないんだよ。

だから、「時間の持続」というものを軽く見る。特に、言霊主義者は「言ったことが、現実化する」という理論にこだわるので、すべてが、空想的な話になってしまうのである。

ようするに、「意識的になにかを言えば、その通りになる」という理論なので、意識的な発言こそが、すべてだということになってしまう。意識的な発言で「実際の時間」を構成することができると言っているのだ。

ところが、意識的な発言をして、意識的な発言通りの「現実」というのが「ない」。

ないんだよ。

意識的な発言をしたら、ヘビメタ騒音が実際に鳴りやんで、実際に鳴っていない生活ができるのなら、もちろん、言霊理論を支持できるのだけど、そうではなかった。実際は、ちがっていた。

どれだけ「ヘビメタがすぐに鳴りやむ」と言ったって、きちがい兄貴が、きちがい脳みその命令で、鳴らしていたので、「実際の時間」がヘビメタ騒音で汚染された。

ところが、何度も言うけど、言霊主義者にとっては、俺の「実際の時間」が汚染されたとしても、それは、ひとごとであって、自分の体験ではない。自分の時間は「きちがい家族」による「きちがい騒音」で、汚染されていないわけ。

だから、言わなくても、実際に、「汚染されていない時間」手に入れているわけだ。

そして、たとえば、「雨になると言ったら、雨になったので、言霊理論が正しい」ということを言うわけ。これは、理論的に、破綻しているのだけど、理論的に破綻しているということを説明しても、言霊主義者は納得しない傾向がある。

手短に言って、ぼくの経験の範囲だと、すべての言霊主義者が、ぼくの言っていることを理解せずに、腹を立てたのだ。

「実際の時間」というのがたいせつなのだ。

言霊主義者は「言えば言ったとおりになる」と言っているのだから、俺(えいり)と話した後、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのである。

ところが、言霊主義者にとって、俺との会話時間は、楽しいものではなかったのである。

だから、「実際の経験」がものをいうのだということを言っているのに、実際の経験よりも、意識的な発言のほうが重要だということを、言霊主義者は言うのである。

ようするに、ぼくに言霊理論を否定されて、くやしい思いをしたという実際の体験よりも、「エイリといる楽しい」という意識的な発言のほうが、重要だと言っていることになる。

「言霊理論は間違っている」と言えば、言霊理論にしたがって言霊理論は間違っていることになるのである。

だれが言っても、そうなるのである。

だから、言霊主義者がおれて、「エイリの言うとおりだ」と思って「言霊理論は間違っている」と言えば、言霊理論は間違いだということになるのである。もちろん、これは、言霊理論が正したった場合の話だ。

実際には、言霊理論は、「言霊理論は間違っている」という発言に関係なく、間違っているのである。

●「本気で思っていない」■思霊※2025/10/27 7:18

思霊理論がはやる状態というのは、どういう状態かというと、じつは、思い通りにならない状態なのである。条件によって、「思い通りではない」状態が成り立っている。思い通りではない状態なので、「思い通りにしたい」のである。

だから、まず、条件が欠乏を生み出し、本人が欠乏を意識している状態から、思霊理論が発生しているのである。なので、「なりたい」と思っている人は、「なりたい」と思っている人であって、今の状態では「なりたい自分ではない状態の人」なのだ。

その場合、思霊理論を採用すると、思っただけでなれるということになる。

条件は関係がないのである。

自分が強く思えば、思ったとおりの自分になれるのである。思うだけで、条件に関係なく、「なりたい自分になれる」のである。そういう、都合がいい理論なのだ。

では、どうして、「なりたい自分になりたいのか」というと、欠乏を感じているからなのである。その欠乏というのは、条件によって生み出され、持続している欠乏なのである。自分が頭の中で思いさえすれば、現実が「ついてくる」というような言い方をする。

現実を無視しているので、統合失調症患者の妄想みたいなものなのである。妄想を本気で信じれば、現実が、(妄想に)おいつくということを言っているのだ。ところが、何度も言うけど、現実と言うのは「ではない現実」なのだ。

どうして、「ではない」現実なのかというと、条件によって、過去から現在に至るまで「ではない状態」で暮らしてきたから、「ではない自分」がいるということになる。

ではない自分の現実は「ではない現実」なのである。なので、ほんとうは、本気で条件を無視するということは、本気で現実を無視するということになってしまうのである。

しかし、なかなか、現実を無視することはできないのである。ようするに、妄想のなかに没入することができないのである。それが、正常な人間のあり方なのである。

だから、妄想をしていれば……頭の中の思いだけを重視して、現実を無視すれば、現実には対応できなくなってしまうのである。現実に対応する必要があるので、「思っているだけの状態」にとどまるのである。思っているだけの状態にとどまるということは、「本気で思っていない」ということなのである。

「なかなかうまくいかない」のは当然だ。もともと、条件が重要だから、いまの姿になっている。条件が現実をつくりだしている。自分の頭の中のことが、現実として表れるには、条件を満たしていなければならないのだけど、条件が満たされていないから、頭の中のことが、現実として表れないのである。

けど、そうなると、「本気で思っていない」ということになるのだ。 

「本気で思っていない」という言い方について、ちょっとだけ、言っておく。これは、「努力をすれば成功する」の「努力が不十分」とおなじような機能を持つ言い方なのだ。

つまり、頭の中の思いが、現実のものにならなかったのであれば「本気で思っていなかった」ということになってしまうのである。たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんが思霊セミナー講師で、Bさんが受講生だったとする。Bさんが、Aさんの言うとおりにしたとする。けど、ビーサンの現実がかわらなかったとする。そうすると、Aさんが「本気で思っていないから現実化しない」と言うのだ。Bさんの「本気度がたりないから、現実化しなかったということになるのだ。こういう、レベルの話だ。

実際に現実化されなかったなら……脳内のことが、現実のものにならなかったら……思い方がだめなのだということになっているのである。これはもう、マニュアル化されている。こういう、詐欺的な部分が最初からあるのが、思霊理論だ。本当は、思ったことが、条件を無視して、思ったから、現実化するということはない。「思えば、思っただけで現実化する」わけではないのだ。ところが、この妄想理論を人に信じ込ませるためのいろいろな説明のしかたがある。最初は「思えば、思っただけで、現実化する」と言い、「思い方が悪かった」とか「本気ではなかったから現実化しなかった」ということを、後出しで言うということが決まっているのだ。相手が「思ったとおりになった」と言えば、「思ったことが現実化する」という自分の理論は正しいということを言い、相手が「思ったとおりにならなかった」と言えば、「本気で思わなかったから、現実化しなかった」と言うことが決まっているのである。この詐欺的なやり方が、最初から、決まっている。

しかし、問題のは、思霊セミナー講師が、自分自身をだましていて、詐欺的な行為をしているつもりがまったくないことなのだ。 

2025年10月26日日曜日

●●「必然性」を理解しない■騒音※2025/10/26 4:27

ごくごく、手短に言うと、「必然性」というものを理解しないのだ。理解の質が悪いのだ。理解の程度が低いのだ。だから、「必然性」を理解しない。きちがい兄貴が、どういう気持ちで、きちがいヘビメタを鳴らし続けたかということを、理解できないのは当然だ。あいつの発言や態度を総合的に考えると、やはり、悪いことをしているつもりがまったくないのだ。あれだけの音で鳴らして、まったく悪いつもりがない。これが、どれだけきちがい的なことか、普通の人は理解ができない。そして、普通の人の家族は、こんなことをしない。だから、普通の人は、自分の身をもって……きちがい家族がきちがい騒音にこだわったらどうなるか……ということを……経験していない。自分のみで経験していない。自分にとって「どうでもいいこと」だ。だから、わからない。このわからないというのは、わかる。けど、ぼくは、言葉で説明している。言葉で説明するしかない。そうなると、必然性がわからない人には、必然性がわからないということになる。その人たち……必然性がわからない普通の人たちは……自分の経験をもとにして、ぼくの説明について考える。ぼくが言ってるヘビメタ騒音とやら」について考える。ぼくが言っている「きちがい兄貴の騒音とやら」について考える。まず、自分の問題ではないというところが、重要だ。そうなると、自分にとっての騒音体験をもとにして、騒音の「効果」について考えるのだ。それは、一時的なもので、一時的に解決できるものなのだ。そいつらにとっては……普通の人たちにとっては、騒音というのはそういうものなのである。ずっとずっとずっと、毎日、きちがいの音にたたられるという経験がない人は、どうしても「かるめ」に考えてしまう。そして、言霊主義者が、言霊という考え方にこだわるように、普通の人は、「自分の考え」にこだわってしまう。そして、たとえば、家族というものこういうものだ」と考えている人は、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんはしずかにしてくれる」と思ってしまうのだ。この思い込みも……この考え方も……まちがっている。けど、まちがっているということを、この人たちは認めない。俺の説明を聞いたあとも「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんはしずかにしてくれる」と考えているのだ。そして、自分の考えを否定した「エイリとやら」に対して不信感を持つようになる。まあ、ぼくが言ったことを信じていないわけだから、そうなる。自分の考えというのは、自分の自我の一部なので、自我の一部を否定されるとなると、不愉快な感じが……それだけでしょうじる。だから、こいつらは、ぼくのことを「いぶかしく」思うのだ。でっ、これは、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんはしずかにしてくれる」に、しょうじることなのだけど、おなじことが、自分の騒音体験で、「きちがい兄貴の騒音」について考えた人にも、しょうじるのだ。きちがい兄貴が、きちがいで、きちがい行為を、当たり前のように繰り返すので、こっちには、普通の人が考えられない「障害」がしょうじる。これは、不可避的にしょうじる「障害」だ。ところが、「不可避性」を認めない人にとっては、エイリの問題にうつるのである。だから、こいつらは、ぼく(エイリ)のことを、これまた、必然的に、みくびってくるようになる。こいつらは、こいつらで、常識思考だからしかたがないのだけど……そして、きちがい兄貴のやったことが常識外のことだからしかたがないことなのだけど……必然性を理解しないで、ぼくを軽蔑してくるわけだ。そういうことが、しょうじてしまう。

たとえば、「人間は働くべきだ」と考えている人は、ヘビメタ騒音の話を聞いたあとも、ヘビメタ騒音で働けなくなるということを、認めない場合が多い。たいていの人は、「働けなくなる」という必然性を理解しない。必然性を理解しないと、エイリは働けるのに、さぼって働こうとしないという理解になってしまうのである。こいつらは、こいつらで、自分が老化したら、「もう、じゅうぶんに働いたから、今後は休もう」などと思って、無職になってしまうやつが多い。こいつらは、自分の理由については、必然性を認めているのだ。こういうレベルのバカばかりだ。ほんとうに、こういうレベルのバカが多い。「人間は働くべきだ」と言っていたのに、なんという、ていたらくだ。しかも、自分が無職になった後も、「人間は働くべきだ」という考え方を放棄しないのである。どれだけ、矛盾に満ちたバカか、わかる。自分の身に起こったことについては、「必然性」を認めるけど、エイリの身に起こったことに関しては「必然性」を認めないのだ。そして、それが正しい行いだと思っている。「(それで)あたりまえだ」と思っている。「(それで)あたりまえだ」という考え方が、無職になったあとも、消えないのである。そして、「無職になったあとも、消えない」ということについて、なんの疑問も感じない。これは、なんか、言霊主義者の鈍感さと似ているところがある。言霊主義者は、「あたりまえ」のことに関しては、言霊思考をしていないのだけど、「あたりまえ」のことに関しては、(自分が)言霊思考をしていないということに、言霊主義者は気がつかない。鈍感なのだ。自分の状態に鈍感。自分の思考に鈍感。自分の思考に鈍感ということは、ようするに、「自分の思考」の「矛盾」に鈍感だということだ。「の」の重複は気にしなくてもいい。

 

2025年10月25日土曜日

●●「自分なら平気だ」「影響を受けないことは可能だ」という前提■騒音※2025/10/25 1:09

ヘビメタで体面(たいめん)が、たもてない。女子とつきあうときもそうだった。きちがいヘビメタで、切迫感がある。ヘビメタ騒音全体が、ダメ人間強制ギブスみたいなもので、どうしても、ダメになってしまうのである。そうすると、体面がたもてない。面子(めんつ)がたもてない。格好悪いもいをすることになる。だ……か……らーー、しずかにしてくれと、あれほど言っていたのに、きちがい兄貴が、きちがい基準で、きちがいの音を鳴らし続けた。鳴らされてしまったら……ずっとさらされているわけだから、影響を受けないようにするということができないのだ。これ、実際にさらされたことがない人……自分のきらいな音に、あれだけ長い時間さらされたことがない人……には、わからないんだよな。俺のヘビメタ騒音の話を聞いて、自分なら平気だと思って、影響を受けないことは可能だという前提で、ものを言ってくる。たとえば、言霊主義者が、そうする。言霊主義者には、特に悪意がないのだけど、「言えば言ったとおりになるから、元気だと言えば元気になる」というような主張は、実際の影響を無視したものになるのである。けど、これ、言霊主義者が、どれだけ気にするかというと、気にしないのだ。俺が、影響を受けるということを言っても、「そんなのは関係がない」「影響を受けずに、勉強、できる」と言うわけ。何度も言うけど、俺に対して、悪意があるわけじゃないんだよ。言霊主義者が、俺に対して、悪意があるわけじゃない。ところが、「自分なら平気だ」「(ヘビメタ騒音とやらの)影響を受けないことは可能だ」という前提が、ものすごく、俺を傷つけるのだ。「そうじゃないんだ」ということを、どれだけ言霊主義者に言ったって、言霊主義者は、頑固に納得しない。「言えば言ったことが現実化する」「できると言えばできる」と言って、ゆずらない。言霊主義者だけではなくて、普通の人がそういう態度なんだよ。普通の人は、きちがいヘビメタ騒音……をやられない。どうしてかというと、普通の人の家族は、普通の人だからだ。きちがい感覚の持ち主ではないのだ。ヘビメタを鳴らす時だって、兄貴の友達のように、気を遣う。兄貴みたいに、きちがい的な感覚で、(本人の)耳が悪くなるような音で鳴らさない。ものすごくでかい音で鳴らしたいときはヘッドホンをして鳴らすわけだ。うちにいるきちがい兄貴は、ヘッドホンなんてつけない。どれだけ(ヘッドホンをつけるように)言われたって「感じが出ないからいやだ」という理由で、つけない。きちがい兄貴は、いま、マンションに住んでいるのだけど、マンションでは、かつて鳴らしていたように、鳴らさないんだよ。本人の(ヘビメタに対する)興味がなくなったということなんだけど、マンションで、あの音のでかさで鳴らせるかといったら、兄貴だってならせないんだよ。「うち」という特殊な環境だったから、ずっとずっと、気が済むまでならせた。一切合切、俺の言うことは気にしないからな。普通なら、絶対にわかることが、わからないんだよ。あれだけでかい音で鳴らされたら、家の人がこまるということは、たとえ、家の人に言われなくても、普通の人は、わかっているわけ。そして、でかい音で鳴らしたら、でかい音で鳴らしているということがわかる。このふたつを、きちがい兄貴が、ガン無視する。そんなのは、普通の人間だったら、できないことなんだよ。どうしたって、でかい音で鳴らせば、でかい音で鳴らしているということが、わかる。どれだけ強弁したって、でかい音で鳴らすと、迷惑がかかるということが、わかる。どうしてかというと、自分だって、騒音でいやな思いをしたことがあるからだ。きちがい兄貴の場合、自分が騒音でいやな思いをしたことがあったとしても、特殊な脳みその構造によって、自分が騒音でいやな思いをしたということを、うまく変換できない。自分が騒音で嫌な思いをしたことがあるから、これだけでかい音で鳴らすのは、相手(ひと)に迷惑をかけるからやめておこうという気持ちになれない。自分が「思いっきり」でかい音で鳴らしたいから、そうなる。無意識のレベルで、「相手に迷惑をかけるのはやめよう」という部分を、無視できるようになっているのだ。これが、催眠術のように強力で、催眠術にかかっている間、ずっと、気にしないのだ。自分が一五年間、ヘビメタを思いっきり鳴らして、自分が一六年目に、マンションに引っ越せば、普通に静かにするのだ。まあ、もう、一五年間、思いっきり鳴らして、ヘビメタに興味がなくなったというのもあると思う。けど、きちがい兄貴は、マンションに住んでいるときは、普通の人ととして、普通に相手(ひと)に気をつかっているのだ。うちでは、催眠術にかかって絶対に、ゆずらなかったのに、ほかのところに引っ越したら、気をつかうようになった。ほんとうに、頭にくる。だから、俺が、誤解をされる。そして、基本的に、よその人というのは、普通の人だから、自分自身に催眠術をかけて、気のすむまで、でかい音で鳴らしてしまうような「家族」と一緒に住んだことがない。だから、俺の言ってることがわからない。そして、実際に、自分で経験したことがないので、「自分なら平気だ」「影響を受けないことは可能だ」という前提で、俺に対してものを言うことができるのだ。できる状態を維持できる。言霊主義者は、「自分なら平気だ」「影響を受けないことは可能だ」という前提で、「言えば言ったことが現実化する」というのである。「眠れるといえば眠れる」「楽しいと言えば楽しくなる」「元気だと言えば元気になる」と言う。そう信じている。だから、別に、自分が信じていることを、言うことは悪いことではないとすると、俺に対して、自分が信じていることを言うのは、悪いことではないということになる。俺(エイリ)が、言霊理論を批判した場合、言霊主義者は「単純なのが正しい」「言霊理論に文句をつけるエイリが悪い」と本気で思うのだ。こまるんだよ。言霊主義者だけではなくて、ほかのライフハックを口にする人たちにも、おなじことが成り立つ。こまるんだよ。

2025年10月24日金曜日

●●これは、脳みその問題だから、どれだけ言っても、なおらない■騒音※2025/10/24 12:10

きちがい家族のきちがい的騒音にやられると、どれだけ、いい人でも、ほかの人とうまくいかなくなってしまうのである。でっ、これは、実際に経験しないと、どういうプロセスでそうなるのか、ほかの人にはわからないことだ。けど、もう、決まっているのである。どれだけ、性格がいい人でも、他人と、うまくいかなくなる。きちがい家族が、きちがい的な基準で、きちがい騒音を、毎日鳴らし続けると……どれだけ、性格がいい人でも、他人とうまくいかなくなる。けど、それが、わからないんだよ。ほかの人にはわからない。基本的に、誤解をされる。どんな人からも、誤解をされるのである。ぼくに対する評価がものすごく高くて、友達になりたいと思っている人でも、いろいろなことで、うまくいかなくなる。だいたい、相手からの評価が高いとわかっている場合、相手に、ヘビメタ騒音のことを言うべきか言わないべきかで、迷ってしまうのである。で、相手が本当に心配してくれても、基本、きちがい兄貴は、しずかにしない。相手が、心配して、きちがい兄貴に言いにきてくれたとしても、うまくいかないのだ。きちがい兄貴は、きちがい兄貴の基準で動いている。きちがい兄貴が、精いっぱい譲った音で鳴らせばいいと思ってしまうので、けっきょく、きちがい兄貴が、よその家ではありえな音で鳴らすということになってしまうのである。きちがい兄貴は、ものすごくでかい音で鳴らしているけど、ものすごくでかい音で鳴らしているという認識がない。そして、前にも書いたけど、「ゆずる」ということが、できないのだ。ほんとうに、自分が「損をする」かたちでゆずるということは、死んでも、いなんだよ。けど、「死んでもいやだ」という自覚もないんだよ。ゆずるとなったら、自分が好きなように譲るということになってしまうのである。そうなると、きちがい親父のように、相手にとって、まったく意味なことをして、ゆずってやったと思うことになるのである。兄貴が、そう思うようになる。兄貴中では「ゆずってやった」ということになっているから、「これ以上ゆずってやる必要はない」と考えて、きちがい的な音で鳴らし続けるのである。自分の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らし続けるのである。自分の耳が悪くなるような音で鳴らしても、「ゆずってやった」と本気で思っている状態で暮らしているのである。兄貴が暮らしている。で、これは、脳みその問題だから、どれだけ言っても、なおらない。 

●●兄貴が、まったく関係ない人として、鳴らし続ける■騒音※2025/10/24 6:28

 外壁のことも、東側の家のことも、全部、きちがいヘビメタ騒音が影響している。きちがい親父が、普通の人がやらないことをするんだよ。わざわざ、テーブルの上に、一日に二三時間ぐらい、魚を出すことにこだわってそうする。その結果、ネズミが入ってくるようになったのだけど、魚を出すことにこだわって、何か月もそうしたから、ネズミが入ってくるようになったということを認めない。これだって、普通の人の基準から考えてみれば、おかしなことなんだよ。けど、そうする。そして、入院したあとのことだけど、「テーブルの上に、一日に二三時間ぐらい、魚を出したから、ネズミが入ってきた」ということをぼくが親父に言うと、親父が「だしてないよぉ!!!だしてないよぉ!!!だしてないよぉ!!!」と絶叫するのだ。これも、親父にしてみれば、なんの悪気もないことなのだ。でっ、兄貴のヘビメタ騒音もそうなのだ。これ、俺がどれだけ(兄貴のヘビメタ騒音で、こまっていても)兄貴が、まったく関係ない人として、鳴らし続ける。本人は、まったくやったつもりがないのだ。入試の前に鳴らされれば、こまるということが、普通の人にはわかるのに、きちがい兄貴は、親父のように、まったくわからないのだ。わからなかったわからないわけで、ほんとうに、まったく関係がない人として、きちがいヘビメタを兄貴が満足できる音のでかさで、兄貴が満足できる時間の長さ、鳴らし続ける。こっちがこまっている」ということを、一切合切、認めないので、ほんとうに、やってないということになっているのである。きちがい兄貴の頭の中では、そんなふうになっているのである。だから、別に、俺をこまらせているつもりがないのだ。俺の勉強を邪魔しているつもりがない。邪魔しているつもりがないなら、どれだけやったって、邪魔していないのである。普通の人が、わかることが、まったくわからない。普通の人なら、言う必要がないことがある。言わなくたってわかっていることだ。そして、言えば、基本的なことは認めて、話をするのである。普通の人はそうなのである。ところが、きちがい兄貴は、まったくわかっていないのだ。本人がわかっていなければ、どれだけやったってやったことにならないんだよ。親父もおなじだ。でっ、親父や兄貴の、この特殊な脳みそのことが、ほかの人には、まったくわからないのである。この特殊な脳みそが、日常生活のなかで、どういうことをうみだすのか、ほかの人は、まったくわかっていない。兄貴のヘビメタ騒音で(俺が)こまっているということが、これまた、親父にはまったくわからないのだ。そういうところで、きちがい兄貴ときちがい親父の……頭の構造がおなじなのだ。よその人はよその人で、こういう頭の構造を持った家族と一緒に暮らすということが、どういう意味を持つのか、まったくわかっていない。よその人は、よそのうちの常識でものを考えるんだよ。そして、きちがい家族が毎日毎日やりきることについて、まったくわかっていない。きちがい家族に毎日毎日やられるということが、よその人の人生の中で、発生しなかったことだからだ。ほんとうに、はさまれている。ほんとうに、はさまれている。普通にはさまれていて、言葉で説明しても、よその人も、わからない。きちがい兄貴ときちがい親父は、きちがい兄貴ときちがい親父の……「脳みその構造」によって、わからないのである。「わからない」ということに関するしくみがちがう。ちがうけど、きちがい兄貴、きちがい親父、よその人が、それぞれ、俺の言っていることを、別の理由で理解しないのである。

●●これ、魔の時間で、マイナスの時間なのだ■騒音※2025/10/24 4:00

 実際にやられているときの感覚がわからないのだと思う。

あれが、一秒間続くだけで、どれだけ、つかれるかわかっていない。あれが、一秒間続くだけで、どれだけ、心理的に消耗するかわかっていない。いかりつかれてしまう。

ほんとうに、ピークなんだよ。いかりのピークがずっと続いている状態で、おこっている以外、なにもできない。休むことも、できないのだ。

だから、きちがい兄貴が鳴らしている地獄の時間というのは、必然的に休むこともできない時間なのだ。そして、当然、勉強もできない。勉強しようとすると、おぼえたところまで、わすれる。

これ、魔の時間で、マイナスの時間なのだ。

きちがい兄貴は、きちがい感覚で押し通したけど、普通の人は、そもそも、押し通さない。押し通すような感覚をもっていない。

自分が、きちがい的でかい音で鳴らさなければ気が済まない状態だと、きちがい的でかい音が、小さい音になってしまうのだ。

そして、この無意識的な過程に、きちがい兄貴自体が気がつかない。きちがい兄貴本体は、どれだけなにを言われても、小さな音で鳴らしているつもりなのだ。

そして、これが、きちがい親父とおなじなのだけど、「ゆずる」ということができない。これ、一秒だって、ゆずらないことに命がかかっているんだよ。

だから、ゆずるとなったら、本人の気持ちをまったく傷つけない程度、ゆずるということになってしまう。結果、ゆずらないということになってしまう。

けど、これも、本人は「ゆずってやった」と思っているわけで、「ゆずってやらなかった」とは思っていないのだ。こういうことが、普通に毎日成り立っている。

これも、きちがい親父と同じなんだけど、きちがい兄貴は、「いわれたとき」だけ、発狂してはねのけたら、なにも残らない人間なのだ。

これも、こういう人間が、近くにいない人には、まったく、わからないことなのだ。こういう人間が近くにいない人にとっては、ぼくの話が、ばかばかしい話に聞こえるのである。「そんなことはない」と思っているのである。

これも、ぼくの話を聞いたあと「そういう人もいる」ということにはならずに、ぼくの話を聞いたあとも「そんな人はいない」という気持ちのままなのだ。考えのままなのだ。

だから、現実と普通の人認知の間に溝ができる。ここにも、溝がある。 

*     *     *

思いっきりでかい音で鳴らしたいと思うと、小さな音で鳴らしていると思う魔法がかかってしまうのだ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴に、魔法をかけている。

そうすると、なにを言っても聞かない。言っておくけど、きちがい親父もまったくおなじだ。

こういう人間と、一緒の家に住んでいたら、どれだけこまるか、ほかの人にはわからないのである。

だから、溝ができる。認知の溝だ。 

*     *     *

小さな音だと思う理由(感覚する理由)が、大きな音で鳴らしたいという理由なのだ。こんなに、自分にとってだけ都合がいい魔法を、自分にかけてしまう。

そうしたら、もう、絶対に譲らない。一秒間だってゆずらないことに、命がかかっている。全生命をかけて、全存在をかけて、ゆずらない。

 ところが、「ゆずってやらなかった」ということにならないのだ。こんな、矛盾した状態がずっと続く。

*     *     *

やられたら、影響を受ける。ところが、ほとんどの人が、影響を認めないのである。どうしたって、これこれこういう症状が出る……ということを言ったって、やられていない人たちにとっては、そんなことはないので、「そんなのは関係がない」と言いやがる。

まあ、これ、今までさんざん書いてきたことだから、あんまり詳しく説明しないけど、一般人が、ヘビメタ騒音の影響を認めないで、ぼくに、説教をしてくるということだ。

説教の前提が「そんなのは関係がない」なのだ。

これは、ぼくにとって、非常に腹が立つことだ。

●騒音と言っても、騒音の質と量がちがうのである■騒音※2025/10/23 19:05

 絶対に伝わらない「個人的な感覚」というのがあるのである。

それは、実際に鳴っている間や、実際に鳴っていたあと、自分のうちにいるときの感覚や、実際に鳴っていたあと、ほかの場所にいるときの感覚によって、できあがったものだ。

実際に、そういう時間をすごしたので、そういう感覚ができあがったのだ。

これを、空虚な文字……言葉の連呼……でうめることができるかというと、できない。

たとえば、ほんとうに鳴らされて、ほんとうに眠れなくなり、ほんとうに、つかれているときに「元気だ」と言えば、元気になるわけではないのだ。

からだのほうが実際に体験した側の感覚に支配されているからだ。からだは、実際に発生したことよって、影響を受けている。

いっぽう、自分が「元気だ」と言うことは、たしかに、自分が実際に発生させたことなのだけど、実際に鳴っていたヘビメタ騒音の影響を、消し去るような効果がないのだ。

「元気だと言えば、元気になるはずだ」という考えは、こまっているから、発生するのである。つまり、実際に、ヘビメタにやられているから、発生する考えなのである。

その場合、ぼくが、自分のからだに命令をするわけだけど、その命令というのは、短時間に発せられた自分の声だということになる。

前日、前々日と、長時間鳴らされた場合は、実質的に、自分がその騒音のなかにいて……つまり身体全体がその騒音の中にある状態で……影響を受けているわけだから、ぼくが「脳みそで考えて」意識的に命令したこと以上の力を持っているのである。

こういうことすら、わからない連中が、「元気だと言えば元気になる」と強く主張してくるのである。

これは、そいつらにとっては、いいことであるかもしれないけど、ぼくにとっては、悪いことなんだよ。

そして、こいつらは、言霊思考が成り立っているから、言霊理論の間違いに気がつかないのである。これも、どれだけ説明したって、こいつらは、理解しない。

しまいに、「言ったことが現実化する。これが正しい」と言って腹を立ててしまうのである。

けど、そういうことがあった日だって、うちに帰れば、きちがいヘビメタが鳴っていたのである。きちがいヘビメタが鳴っているからこそしょうじたトラブルを経験したあと、家に帰ると、その根源であるヘビメタ騒音が鳴っているわけだ。

これが、どういうことなのか、「元気だと言えば元気になる」と言ったやつにはわからない。

「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」と言うけど、ちがうのである。

おなじレベルの騒音を経験したなら、そんなことは、言わない。「元気だと言えば元気になる」なんて、言わない。そんなのがすっとぶ経験を、何万回も、何十万回も、何百万回もしてきたのだ。

口が裂けてもそんなことは言えない。それが、わかる。

わかっていないのなら、経験していないのだよ。

これ、みんな、過小評価するけど、自分がこの世で一番嫌いな音が、すぐそこで、爆音で鳴っているということが、どういうことなのか、ぜんぜんわかっていないのだ。さらに、騒音の主(ぬし)が「家族だ」ということがわかっていない。

工事でどうしても音が出てしまうということではないのだ。騒音の主(ぬし)が、関係のない他人ではないのだ。家族なのだ。家族が、「しらんぷりで」ずっと、こっちがこまりきる音を鳴らしている。

どれだけこっち(俺)が言っても、あっち(兄)は、こっち(俺)がこまっているということを認めない。これがどういう意味を持っているか、普通の人はわかっていない。

そして、普通の人は……実際に、こういう家族がいて、こういう家族にこういうかたちでこまらされたという経験もしていない。

騒音と言っても、騒音の質と量がちがうのである。

家族にやられている。これが、わかっていないつが多い。こいつらみんな、ヘビメタ騒音……家族による騒音の効果(影響)を間違って見積もっている。間違って、小さく見積もっている。

だから、「そんなことじゃない」とここに書いたようなことを(誤解をしている人たちに)説明するのだけど、誤解をする人たちは……みんなみんな……(俺が言っていることを)否定するのである。

もちろん、みんなというのは、ぼくの経験の範囲で言えばということだ。誤解をしている人たちが、ぼくの説明を聞いてい、考えを改めことがないのである。

こいつらは、みんな、言霊主義者のように腹を立てるのである。こいつらは……。

2025年10月23日木曜日

●●「仲たがい」させることに、成功する■社会※2025/10/23 4:17

ライフハックの文言を考えた場合、まず、ライフハックの文言というのは、どういう場合でも成り立つことになっている。

ようするに、言われたほうの条件がどのような条件であったとしても、ライフハックの方法が有効に機能するということになっているのである。

そして、ライフハックを口にする人たちは、他人の条件を無視してしまう傾向がある。

「そんなのは、関係がない」と本気で思っているのである。このライフハックの文言が、そもそも、条件を無視した言い方になっているし、ライフハックの文言を口にする人は、みんな、そろって、条件を無視するのである。

ライフハックの文言を一〇〇%信じているということは、どんな条件でもその文言が成り立つということを信じているということになるからだ。

ともかく、ライフハックをはやらせた場合、ライフハックを口にする人たちと、条件が悪い人が仲たがいすることになる。

ライフハックをはやらせた場合、「仲たがい」させることに、成功する。

いままで、ライフハックを口されて、いやな思いをするほうのことを話してきたけど、今度は、ライフハックを口にして、おこってしまう人のことを話そう。

基本、自分のライフハックは正しいと思っているので、理論的に間違っているということを言われると、腹が立つのである。たとえば、言霊主義者は、言えば、言ったことが現実化すると考えているので、「元気だと言えば元気になる」というライフハックが正しいものだと考えている。

元気がなさそうな人に、「元気だと言えば、元気になる」と言うことは、親切なことで、よいことなのである。自分のライフハックが正しいと思っている人のことを、ライフハック信者と呼ぶことにする。

ライフハック信者は、自分の良心に従って、人を助けるために、ライフハックを、こまっている人に教えてやったのである。

これが、ライフハック信者側の、自己認識なのである。

だから、そもそも、助言をされたほうが、「その助言は役に立たない」ということを言ってくるということが、あんまり、頭の中にない。

「その助言は役に立たない」ということを言われた場合、「やり方が悪かったんだ」と助言をされたほうのせいにするのである。

どれだけ、そのライフハック信者が、普段「すべては自己責任」などと言っていても、けっきょく、現実的な場面では、「ひとのせい」にするのである。これは、重要なことだ。

まあ、「すべては自己責任」と考えていないライフハック信者もいるので、この話は、「すべては自己責任」だと考えるライフハック信者にのみ、適応できる話だ。

ほんとうは、たいていのライフハックには、法則性詐欺、一〇〇%詐欺、非・一意詐欺が成り立っている。だから、本質的に間違っているのだ。そして、言及されないにしろ、間違った前提でものを言っているのは、たしかなのだ。

背後に間違った前提があり、その間違った前提をもとにしたライフハック(命題)を口にするわけだから、そのライフハック(命題)は間違っている。

けど、ライフハック信者が、自分のライフハック(命題)が間違っているということを、認めることは、ほとんどの場合、ない。

ほとんどの、ライフハックを口(くち)にする人が、「なんだ! せっかく、いい方法を教えてやったのに、へんなことをいいやがって」とおこってしまうのだ。

ほとんどの、ライフハックを口にする人が、「なんだ! せっかく、いい方法を教えてやったのに、ネガティブなことをいいやがって」「だから、不幸なんだ」とおこってしまうのである。

これも、いろいろと、問題のある思考法なのだけど、ともかく、そういう人が多い。

2025年10月22日水曜日

●それぞれ、距離があるんだよ■社会※2025/10/22 16:53

たとえば、イエズス会の教えだけを考えるなら、イエズス会の教えは、道徳的なんだよ。しかし、道徳的な教えが、なぜか、奴隷貿易につながってしまう。単純な人は、教えが道徳的なら、教えを実践すれば、いい世界が広がるはずだと思ってしまう。ところが、教えを実践すると、悪い世界になるのだ。

これとおなじように、「努力をすれば成功する」というような、特に悪いことがないような教えが、悪い世界をつくりだしてしまうようなところがある。「いえば言ったことが現実化する」というような、特に悪いことがないような教えが、悪い世界をつくりだしてしまう。「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思うと、暗いことが起こる」というような、希望がありそうな教えが、じつは、希望がない世界をつくりだしてしまうのだ。

それぞれ、距離があるんだよ。あまりにも離れすぎているから、想像ができない。ようするに、単純な人は、どうしてそうなるのかということについて、無関心だし、そうならないと思っている。道徳的な教えと、その教えがつくりだす、悪い圧力の関係が、どうしても、わからないのだ。単純な人にはどうしてもわからない。わからないと、悪い圧力をかけるということを、実践してしまうことになる。

 

●特殊な悪い条件を抱えている人たち■社会※2025/10/22 14:13

 条件が悪い人というのは、悪い条件を抱えている。

ライフハックを口にする人たちよりも、悪い条件を抱えている。

これは、明らかなことだ。

ライフハックを口にする人たちも、「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」ということを、言う。そして、本気で言っている。嘘を言っているつもりなんてないのだ。

だから、その発言をしているとき、条件が悪い人と自分の「苦労」はだいたい、おなじレベルのものだと、仮定して発言しているのである。

ところが、ちがうのだ。

とくに、特殊な悪い条件を抱えている人たちは、まったく、理解されない。そして、その特殊な悪い条件というのが、家族にかかわる特殊な悪い条件だと、何段階も深いレベルで、まったく理解されない。

そして、たとえば、完全な人間なんていない。完全な人間なんていないのだから、だれだって、それこそ、自分の家族に不満を持っている。

だったら、特殊な家族と、普通の家族の間には、ちがいがないのかというと、あきらかに、あるのである。

けど、これまた、普通の家族と一緒に暮らしている人は、そのちがいを絶対に認めないのだ。とうしてかいうと、わからないからだ。

比較対象がないのである。

そして、実際に、きちがい家族と暮らしたことがないので、ほんとうの意味がわからない。「ほんとうの意味」はでかい。でかい。でかいんだよ。

ともかく、ライフハックを口にする人たちというのは、相手の悪い条件を無視している。最初から無視しているのだ。

しかし、無視しているということが、わからない。「条件なんて関係がない」ということになっているからだ。「どれだけなんとかでも、なんとかだ」というわけだ。

「どれだけつかれていたって、元気だ元気だと言えば元気になる」というようなことを言うわけ。「自分だってつらいときはある」「自分だって眠れなときはある」「自分だって疲れているときはある」とあわせて、言うわけ。

けど、意味合いがちがうんだよね。意味合いがちがう。ちがいすぎる。けど、ライフハックを口にしている人たちというは、ちがいを認めない。

*     *     *

ライフハックをはやらせた人がいたとする。まあ、人たちがいたとする。その人たちの真意はどこら辺にあるかというと、まず、バカな人たちを使って、条件が悪い人に圧力を加えさせるということが考えられる。

●ヘビメタ騒音の影響■騒音※2025/10/22 14:15

かなり、いやな気分になっている。

やっぱり、一日の中で、ヘビメタ騒音が与えていた影響がでかすぎる。

そして、けっきょく、経験してない人は、みんな、理解しない。

そりゃ、俺だって、実際にやられていなければ、想像でものを言うしかないので、想像でものを言っていただろう。その想像は、限られたものになっていたはずだ。

だから、やられていた俺が、そう増資でものを言っている俺と話したら、「おまえはわかっていない」と思うだろう。

まあ、そりゃ、「うるさい」と思っているというのは、わかるんだ。体(からだ)に対する影響だって、「ひとごと」としてはわかる。けど、「ひとごと」としてわかっているだけだ。精神に対する影響は「そりゃ、たいへんだね」というレベルのことしか感じないというのもわかる。

しかし、やられてしまったぼくからいわせてもらうと、ほんとうに、広範な範囲において、影響を受けるのだ。

その会話……今話していること……今話している気分だって……前日の「ヘビメタ騒音の影響」を受けている。三〇〇一日目なら、三〇〇〇日分の「ヘビメタ騒音の影響」をいやおうなしに受けている。

受けているんだよ。受けているということが、ぼくにはわかる。ダイレクトにわかる。けどほかの人には、わからない。

ヘビメタ騒音影響下で、いろいろな人とやり取りをするわけだけど、そのやり取りが、すべて、ヘビメタ騒音の影響を受けているのだ。そして、ほんとうに、悪い影響を与えるのだ。

ヘビメタ騒音が鳴っていない時間も含めて、ヘビメタ騒音の影響を受ける。ちなみに、「鳴り終わったら関係がない」と言っているやつは、ぼくの言っていることが、ほとんどわかっていない。

そして、こいつらがみんな……ほんとうに、例外なくみんな……「俺だって苦労した」「私だって苦労した」「自分だって苦労した」と言うのだけど、その苦労というのは、ぼくからみれば、たいした苦労じゃない。

それこそ、たいした苦労じゃない。

「鳴り終わったら関係がない」という発言が、ぼくにとって、どういう意味を持っているのか、こいつらは、ぜんぜん、理解していない。

こいつらには、いかりを感じる。ぶんなぐってやりたい。

こいつらが、みんな……ほんとうに、みんな……エラそうなんだよ。自分だったら、騒音なんてなり終わったらおしまいだ」「自分だったら、そんなに影響を受けていない」と思っている。思っているんだよ。

けど、こいつらだって、おなじことをされれば、おなじような反応が出るはずだ。精神においておなじような反応が出るし、肉体においておなじような反応が出る。

人間関係にも、おなじような反応が出る。

きちがい家族がいないから、きちがい家族がやることを……熱心にやることの影響を……受けたことがないというだけの話なのだ。

ともかく、この発言で、こいつらが、ヘビメタ騒音に関してどう考えているのかわかる。ほんとうに、なめくさっている。

ほんとうに、なめくさったやつらだ。ぶんなぐってやりたい。

●そもそも、そんなことになっていない。■騒音※2025/10/22 7:20

きちがい兄貴が全力で俺の生活を破壊した。全力で、俺の能力を破壊した。

実際、きちがい兄貴が全力で俺の人生を破壊したことになる。きちがい兄貴が、全力で、俺の人生を破壊した。

ところが、ほかの人には、これがまったく見えないのである。

きちがい兄貴がやったことというのは、うちでやったことだから、ほかの人には、関係がない。完全に、影響がない。ほんとうに、隣のうちに住んでいる同級生はいなかったので、学校に通っている人は、影響がなかったのである。

かりに、会社に通うとしても、そこにいる人たちは、ヘビメタ騒音の影響を受けたことがない人たちなのである。「の」の重複を無視して言うと、「うちの兄貴のヘビメタ騒音」の影響ということだ。

「ほかの騒音」の影響ではなくて、「兄貴の騒音」の影響ということだ。

兄貴の騒音に関してというと、騒音の影響を、ぼく以外の人は、受けていないということになるのである。

とくに、ぼくが毎日通うようなところにいる人たちは、実際には、受けていないということになるのである。

そして、ネットの知り合いに関しても、もちろん、「きちがい兄貴のヘビメタ騒音」の影響なんて受けていないのである。影響は、一切合切ないのである。

この人たちの体に、きちがい兄貴の影響が及んだことが一度もないのである。この人たちの生活に、きちがい兄貴の影響が及んだことが一度もないのである。これは、無視されがちなことだけど、重要なことだ。

そして、この人たちは、実際に、苦労をしている場合が多い。

「俺は苦労なんしていない」と言う人も、いるけど、多数派ではない。ほとんどの人が、みんな、「私だって苦労した」「自分だって苦労した」「俺だって苦労した」と言うのである。

この場合、「きちがい兄貴の騒音」が及ぼすような苦労は、一度もしたことがないけど、同レベルの苦労したことがあるということを言っているのだ。

この人たちは、そういうことを言っている。

けど、この人たちは、ほんとうは、ぼくと同レベルの苦労をしていないのだ。ぼくと同レベルの騒音生活をしたことがないのだ。

だから、「実際にやられると、どういうことになるか」ということが、まったくわかっていない。わかっていないのだけど、わかっているつもりなのだ。

だから、極限まで、ヘビメタ騒音の影響を小さく見積もる人たちなのである。

きちがい兄貴によるきちがい騒音が毎日、長時間続くということの影響を、無視しやがるのである。この人たち……俺にとって、他人である人たちの……大半の人が、 きちがい兄貴によるきちがい騒音を無視しやがるのである。

ところが、実際には、こういうことも含めて、きちがい兄貴によるきちがい騒音が影響していることなのだ。

だって、そうだろ。

きちがい兄貴が、きちがい感覚で……きちがい騒音を、鳴らさなかったら、そんなことになっていない。そもそも、そんなことになっていない。

2025年10月21日火曜日

●カルト的な前提が成り立っているということに、気がつかない■社会※2025/10/20 23:46

 ちょっとだけ言ってしまうと、宗教を「うすく」したのが、精神世界だ。そして、精神世界を「うすく」したのが、ライフハックだ。

ライフハックの文言は、じつは、精神世界の文言とおなじ問題を含んでいる。

宗教を「カジュアル」にしたのが、精神世界だ。そして、精神世界を「カジュアル」にしたのが、ライフハックだ。

ライフハックの文言は、じつは、宗教の文言とおなじ問題を含んでいる。

カジュアルになっている文だけ、問題がないと、ライフハックを(他人に対して)口にする人たちは考えている。「解決策」を教えてあげるつもりになっている。

だから、いいことをしているということになるのである。

ところが、ライフハックを口にする人は、みんな、相手の条件を無視しているのである。どうして、条件を無視しているということが言えるかというと、ライフハックの短い文が、条件を無視しているからなのである。

「XをすればYになる」というような構文で、表現できることは、条件を無視したことなのである。

そして、あまりにもカジュアルだから、宗教くささがないけど、宗教の考え方とおなじように、カルト的な前提が成り立っているのである。

ところが、ライフハックを口にする人は、カルト的な前提が成り立っているということに、気がつかない。ライフハックを口にする人は、「宗教なんて関係がない」「精神世界なんて関係がない」と思っているのである。

ところが、ライフハックを口にする人たちには、カルト思考が成り立っている。ライフハックの文言にも、カルト宗教とおなじように、カルト的な前提が成り立っているのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。