たとえばの話なんだけど、「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」ということは、それぞれ、ちがった意味をもつものなんだよ。
ところが、ある人は、「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」は、おなじ意味だと思って、それぞれの言葉を使っているんだよね。
こんなレベルの人が、俺に説教をするなんておかしい。
これも、きちがいヘビメタ騒音が発生したから、こういうことになった。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、ずっとずっと、長い間、ヘビメタをでかい音で鳴らすことにこだわって、実際に、でかい音で鳴らしたから、こういうことが発生した。
きちがい兄貴が、実際に、現実世界で、きちがい感覚で、きちがいヘビメタ騒音を鳴らし続けなかったら、こんなことになってない。
どしうてかというと、ヘビメタ騒音の話に対する反応だからだ。きちがい兄貴がきちがい感覚で鳴らしたので、ほかの、ほとんどの人は、きちがい家族のきちがい騒音にさらされていないということになる。そういうことをするのは、まれな人なのである。
だから、ほんとうは、きちがい家族が、飛び切りにこだわって、しつこくしつこく鳴らす、騒音にさらされた人というのは、ごくまれなんだよ。
たいていのほかの人は、ぼくが経験したレベルの騒音を、経験していない。
経験していないのに、経験したつもりで、説教をしてくるのだ。
そりゃ、あれだけ鳴っていれば、影響をうける。
ところが、普通の騒音にさらされた人は、どうにかなるような騒音だったので、実際にどうにかなった。だから、「過去は現在に影響をあたえない」というようなことを、騒音関係で、言いたくなる。
けど、おなじレベルの騒音ではないのだ。
おなじ期間の長さではないのだ。ぜんぜんちがう。
一日のなかでも、きちがい兄貴が、きちがい感覚で鳴らした騒音は、影響がある。
人生のなかで、中学時代全部、高校時代全部、毎日、きちがい的にでかい騒音を聞かされ続けたら、それ以降の毎日に、影響がでる。実際には、高校を卒業したあとも、ずっと毎日、鳴っていた。しつこさがちがうのである。一部の人は、軽い騒音を想像して、「過去は関係がない」と言ったりする。ぼくが、「ちがう」と言っても、こいつらはこいつらで、認めない。
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あーー。「そんなのは関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「過去のことは関係がない」と言ったやつのことは、ほんとうに、ぶっとばしてやりたいな。ほんとーーーに、頭にくる。腹がたつ。こいつらはこいつらで、ぼくが頭にくることを、言ったつもりがないんだよね。「なんだ、こんにゃろう」「実際に過去なんて関係がない」なんて、ぬかしやがる。そういうやつがいた。ぶんなぐってやりたい。腹がたつ。
こういうことになってちゃうんだよな。もちろん、張本人のきちがい兄貴は、知らんぷりだ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音のことで、ぼくがほかの人ともめても、きちがい兄貴は、その場にいないわけだから、まったく、知らない。
きちがい兄貴に、ほかの人とのもめ事を説明しても、きちがい兄貴が、きちがい親父のような態度で、腹をたてて無視する。この無視がまた、特別な無視のしかたなんだよな。きちがい的な無視のしかたで無視をする。
きちがいヘビメタを鳴らされて、ずっと、ひどい目にあって、できないことが増えて、ほかの人と、もめているんだよ。それなのに、「こういうことがあった」ということを、きちがい兄貴に言うと、きちがい兄貴が、発狂的な感情になって、おこって、無視をするのだ。
いつもおなじだ。
小学六年生のころからずっと、ずっと、そういうことが続いていいわけがない。けど、きちがい兄貴の脳みそだと、そういうことになってしまうのである。これ、認めないんだよ。
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手短に言うと「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」と言う人は、ヘビメタ騒音の影響を無視するわけ。
きちがい兄貴も、ヘビメタ騒音の影響を無視するわけ。
そういうところが、「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」と言う人たちと、兄貴で、似ている。こいつらと兄貴は、ヘビメタ騒音の影響を無視するということにおいて、似ている。
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言霊主義者なのに、「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」と言う人たちがいる。この人たちは、矛盾に気がつかない。「言えば、言ったことが現実化する」と言っているのに「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」と言うのだ。
過去は関係がないなら、言ったという過去も関係がないということになる。過去は現在に影響をあたえないなら、言ったという過去の出来事も、現在に影響をあたえない。
完全に、矛盾している。
ところで、言霊主義者なのに、「過去はない」「過去は記憶の中にしかない」「過去は現在に影響をあたえない」と言う人たちに、いまの話をすると、「あげあしをとった」というようなことを言って、認めないのだ。「なんだ、こんにゃろう」という態度だ。
矛盾をあらためようとはしない。
どっちもまちがっているけど、「言えば言ったことが現実化する」ということをとるのか、「過去は現在に影響をあたえない」ということをとるのか、はっきりさせたほうがいい。こういうところで、矛盾を感じたあとに、悩まないのである。
ようするに、矛盾を指摘されたあとも「言えば言ったことが現実化する」ということも「過去は現在に影響をあたえない」ということも、ともに正しいと思っているのだ。
矛盾を感じてくれよ。
「単純なのが正しい」と言ってゆずらない。
俺がなんか、まちがったことを言ったと思っていやがる。こういう態度も、きちがい兄貴とちょっと似ているぞ。
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それから、エイリの性格が悪いから、あげあしをとってきたと思うのだ。いやーー。それ、ちがうんだわ。「エイリの性格が悪いから、エイリがあげあしをとった。自分は、エイリにあげあしをとられた」とこの人たちは、思うのだ。こいつらは、矛盾を指摘されると、「エイリは被害妄想がある」というようなことを言うけど、ヘビメタ騒音に関していうと、被害妄想ではないのだ。そして、「自分が問題のないことを言ったのに、エイリがあげあしをとってきた」と思うほうが被害妄想的だ。
ともかく、「言ったことが現実化する」と言ったあとに、「過去は関係がない」と言うのは、おかしい。矛盾している。矛盾は認めたほうがいい。そのほうが、考えが深まる。
精神世界の人は「なんでも感謝感謝」と言っているわりには、感謝しないのである。矛盾を指摘してもらったから、感謝しようとは思わないのである。
逆に、「性格のわるいやつに、あげあしをとられた」と思うだけで、相手が言ったことの内容について深く考えようとしない。矛盾について考えられるなら、「言えば言ったことが現実化する」ということが「言えば、すべての言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」ということと、意味的に等価だと言うことに気がついて、「言えば、すべての言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」という命題が偽であるということに気がつくことができるのだ。
証明は簡単だ。
「一秒以内に、むかし通っていた小学校の前に瞬間移動する」と言えば、約一秒後には、「すべての言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」わけではないということが、わかる。まあ、小学校に通っていなかった人は、「通うはずだったの小学校前に瞬間移動する」とか、あるいは、「スカイツリーの前に瞬間移動する」とか、あるいは「新宿駅構内のどこかに瞬間移動する」とかと言えば、いい。
「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」ということと「言えば、すべての言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」ということは、意味的に等価じゃないのである。
ところが、言霊主義者というのは、両者を区別なく使うのだ。
「言えば、すべての言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」ということは「言えば、言ったことが現実化する」ということと等価だ。
言霊主義者は「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という意味をこめて、「言えば、言ったことが現実化する」と、言ってしまう場合がある。
いやー。そんな意味は、こめられないのだよ。
言霊主義者は「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という意味で「言えば、言ったことが現実化する」と言う場合がある。「言えば、言ったことが、現実化する場合だってある」という文がもつ意味と「言えば、言ったことが現実化する」という文がもつ意味は、ぜんぜんちがうので、区別をしたほうがいい。