原因がはっきりしていることなのに、でっちあげの言霊的な理由を言われることは、いやな気分になることなんだよ。
原因がはっきりしているんだよ。
過去において、自分が「こういうことが起こる」と言ったから、起こったんじゃないんだよ。これ、わからないかな?
たとえば、言霊主義者のAさんがエアコン修理請負業をしていたとする。Bさんの家のエアコンがこわれたので、BさんがAさんに電話をかけたとする。Bさんが「エアコンがこわれてしまったんです」と言ったとする。
そのとき、Aさんが「なおると言えばなおるので、なおる」と言ってくださいと言って、電話を切ったとする。
これでは、Aさんは、エアコン修理請負業者として活躍できないだろう。エアコン修理で、おカネをかせぐこともできないだろう。
Aさんが、普段「言霊は絶対だ」とか「言霊の法則は宇宙の絶対法則だ」と言っていたって、現実的な問題には、現実的な対処をするのである。エアコンのこわれた部分を特定して、こわれた部分の部品を正常な部品にするというようなことをしている。
あるいは、もう、とりかえたほうがいと言って、古いエアコンを新しいエアコンにかえるようにうながしたりする。
ともかく、こういうことに関して、言霊的な提案はしないのである。どうしてかというと、Aさんが、じつは、言霊なんて信じていないからだ。自分にとって現実的な問題に関しては、現実的に物理的に対処しようとするのである。
「言霊法則は絶対だから、なおると言えばなおる」と言ったりしないのである。
言霊があると信じるというのは、神がいると信じるということと、似ている。これ、信仰の問題なのである。夢に関しては、「言えば、いつか、夢がかなう」と信じて、生きているのである。たとえば、Aさんは「言えば、いつか、夢がかなう」と信じて、生きているのである。しかし、エアコンの修理に関しては、言霊的な解決方法にたよらずに、物理的な解決方法で解決しようとするのである。 ほんとうは、矛盾しているのだけど、矛盾しているということに、気がつかなくてもすむ、詐欺的な説明がなされるのである。
「神に祈れば、なおる」ということと「言葉に言霊が宿っているので、なおると言えばなおる」ということは、大差がないことなのである。オッペケペおまじないが効くと思っている人が、オッペケペと言えば、なおると信じていることと、言霊主義者が「なおると言えばなおる」と信じていることは、大差がないことなのである。「おまじないの言葉を言えば、なおる」ということと「なおると言えばなおる」ということは、大差がないことなのである。
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CさんとDさんがいたとする。Cさんが言霊主義者だとする。Dさんの家のエアコンが、こわれたとする。Cさんは、言霊主義者なので、Dさんが「うちのエアコンがこわれると言ったから、エアコンがこわれた」と言って、Dさんのせいにするのである。
なら、Cさんが、「エアコンはなおる」と言えば、言霊の力によってエアコンがなおるのかというと、そうではないのである。Cさんは「電気屋やエアコン修理業者に頼めばいいだろ」ということを言うのである。
自分が「なおる」と言って、エアコンをなおしてやるなんてことはしないのである。どうしてかというと、そんな自信がないからだ。
どれだけ、「言霊は絶対だ」などと言っていたって、物理的こわれたら、物理的に対処するしかないということを知っているので、「なおると言えばなおる」などということは言わない。
しかし、Dさんが「こわれる」と言ったので、エアコンがこわれたのだということは、気楽に言うのである。
Cさんには、悪気はないけど、言われたほうは、相当にいやな気持になることを、言霊主義者であるCさんは、知ったほうがいい。
ほんとうは、Dさんが「このエアコンがこわれる」と言わなかったとする。それなのに、Dさんが「このエアコンがこわれる」と言ったから、言霊の力によってこわれたのだと、言霊主義者であるCさんが断言してしまう。
過去において「言ってない」ことを「言った」と言われることは、不愉快なことなのである。言霊主義者は、ちょっと、そういう無神経な決めつけについて、考えたほうがいい。