結果から、妄想的な原因を勝手につくりだしているだけなのだ。
「言ったから、そうなった」というのは、不幸なことがしょうじる確率がたいへん高い人にとっては、迷惑な理屈なんだよ。
だって、不幸なことがしょうじたのは、不幸な環境のせいだからだ。ほんとうに、自分が悪くなくても、不幸な出来事がしょうじることがある。
ところが、そういうことを、理解せず、不幸になると言ったから、不幸なことがしょうじたと考えるのが、言霊主義者なのである。
言ってなくても、言ったことにされてしまう。「不幸になる」と言わなくても、「くるしい」と言えば、くるしいことがしょうじたということになってしまうのである。
Aというくるしい出来事が、Aという時刻にしょうじたとする。Bというくるしい出来事がBという時刻にしょうじたとする。Aという時刻は、Bという時刻よりも、時間的にまえだとする。ある人、アルファさんがAという時刻に生じた、Aというくるしいことについて「くるしい」と言ったのに、言霊主義者は、くるしいと言ったからBというくるしいことがしょうじたと、決めつけてしまうのである。
これが、屈辱でなくて、なんだ?
これが、誤解でなくてなんだ?
「くるしいこと」以外にも「ネガティブなこと」という言い方がある。「ネガティブなことというところまで範囲をひろげると、誤解をしやすくなるのである。範囲がでかいわけだから、個別性を離れて、「ネガティブなことがしょうじた」と言いやすくなる。
しかし、考えてみろ。個別性を離れたところで、もう、出来事の原因についても、個別性を離れてしまうのである。
Aという出来事とBという出来事はちがう。ちがうのに、Aという出来事が発生した結果、アルファさんが「くるしい」と言ったから、Bという「くるしく感じる」出来事が発生したと言ってしまうのだ。
言霊主義者が決めつけてしまう。
しかし、アルファさんは、「Bという出来事が発生する」とは言ってない。言っていないという設定だ。実際、Bというくるしい出来事が発生するとアルファさんが言わなかったのに、Bというくるしい出来事が発生したということにしておく。
そういうことは、たくさん、あるからな。
現実世界でおこっていることを考えた場合、条件が悪い人は、悪い出来事を経験しやすいのである。たとえば、きちがい的な家族と一緒に住んでいる人は、悪い出来事が発生しやすい。
そして、「言ったから」発生したわけではないことについても、言霊主義者によって「言ったから発生した」ということにされてしまう。これだと、「やられたほう」が常に、「言ったから」不幸な出来事を呼び寄せたという子になってしまうのである。
やられたから、「くるしい」と言ったのに、「くるしい」と言ったから、別のくるしいことが発生したということになってしまうのである。責任転換。クソ思考。
そうやって、やられたほうのせいにしているのに、言霊主義者本人は、いいことをしているつもりでいるのである。言霊主義者にとっては、アルファさんのような人は、言霊原理について理解していない人だからダメなんだということになってしまう。
しかし、条件が悪い人を、問題の原因にしているのは、言霊主義者なのである。言霊主義者によれば、アルファさんが、ネガティブな言葉を使わずに、ポジティブな言葉を使えば、ポジティブな出来事が発生するようになるから、ポジティブな言葉を使うことによって、ネガティブな出来事が発生することを食い止めることができるということになる。
ところが、そんなことにはならないのである。しかも、そんなことにはならないのに、言霊主義者は、「言い方が悪かった」とアルファさんの言い方に文句をつけるのである。
これが、ネガティブなことだ。これ、いじめみたいなもんなんだよ。これ、無理解による、いじめみたいなものだ。
ところが、言霊主義者は、「いいことをしている」と思っている。アルファさんは、言霊の使い方が悪いから、そうなると言っているのである。ようするに、アルファさんの言い方が悪いから、「言ったことが現実化しなかった」と、言霊主義者が考えているということになるのである。
これも、侮辱。
自分は言い方がいいと思っている。自分は言い方がいいから、言霊をうまく使えるのに、アルファさんは、言い方が悪いから、言霊をうまく使うことができないということに、してしまう。
どんだけ、人をバカにすれば気がすむのかと、ぼくは思う。
こういう、相手を侮辱することばかりをしているのに、「言霊のコツを教えてやったいい人だ」と自分では、思っているのである。これには、しくみがある。
ネットでも、テレビメディアでも、新聞でも本でも、傲慢な言霊主義者を増やすようにしているのである。傲慢な言霊主義者が、知らず知らずのうちに、環境が悪いから不幸な人に、圧力をかけるようにしているのである。
* * *
アルファさんは「くるしい」と言ったけど「Bという出来事が発生する」とか「Bという出来事が発生してくるしくなる」なんてことは、ひとことも言っていない。言っていないのだから「Bという出来事が発生すること自体」がおかしいのだ。
ところが、言霊主義者、そこのところは、スルーだ。完全に無視をする。
「Bという出来事が発生する」と言わなかったのに、Bという出来事が発生したのだ。
言わなかったことが現実化したのだ。そもそも、言霊理論通りではない。
ところが、言霊主義者は、あろうことか、「つらい」と言ったから「Bという出来事が発生した」と言うのだ。そもそも、めちゃくちゃ。はなっから、めちゃくちゃ。