言霊主義者は、「言霊は絶対だ」とか「言霊の法則は宇宙をつらぬく絶対法則だ」と言っているのに、じつは、「言ったってむだだろうな」ということは、言わないようにしているのだ。
たとえば、「この世のすべてのものは、自分のものになる」と言ったあと、近くのコンビニに行って、商品を手当たり次第につかみ、カネを払わずにコンビニを出ようとしない。
「この世のすべてのものは、自分のものになる」と言ったのだから、言霊の力によって、言った内容が現実化されているのである。
なので、コンビニにある商品をもって、カネを払わずに、外に出たとしても、問題はない。ところが、「この世のすべてのものは、自分のものになる」と言ったって、自分のものになるわけではないから、おカネを払って出たほうがいいなと思っても、おカネを払って出るのである。
ちゃんと、言霊なんて、信用していない。言霊の力なんて、無力だと思っている。言ったことが現実化しないと思っている。確信している。
本人が気がつかないだけなのだ。
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最初から、あきらめていることは、言霊を使ってどうにかしようとは思わないのだ。まったく、思わない。
言霊でどうにかできるのは、体のしくみによって、ストレス対抗期間にどうにかできることや、夢や希望といった「いつか」かなうと思いたいものに(たいていは)限られている。
つけくわえるなら、言ったあと、そうなる可能性が高いものについて、ときどき、言霊的なことを言うだけなのである。
ほんとうは、言霊主義者だって、言霊なんてまったく信じていないのだ。「くるしい時の神頼み」に似ているのだ。
言霊主義者が、言霊思考になってしまう時間は、じつは、かぎられている。そして、自分が一倍速で「それ」を体験したかどうかということが、判断において重要なのである。「それ」というのは、まあ、出来事だ。この出来事といのは、どこからどこまでを一つの出来事して考えるということが、ほんとうは、重要なことなのである。
そして、じつは、かりそめに、区別をしているだけなのだ。かりそめに、ここからここまでを一つの出来事として、認識することにするというメタ認知のようなものが成り立っている。
まあ、この問題には踏み込まないとする。
ともかく、言霊主義者でも、言霊思考になってしまう時間は、じつは短い。たいていの時間は、言霊なんて、ガン無視して、暮らしている。言霊的な解決方法を、思いつきもしないのである。「あたりまえのこと」は言霊の力によって、あたりまえのことになっているとは、思っていないのである。
だから、「あたりまえのこと」は、言ったかどうかなんて関係なくしょうじると思っているのである。言霊主義者が、じつは、そう思っている。本人が、気がつかないだけだ。
他人のことになると、自分が実際に経験したことではないので、言霊思考になってしまうのである。そして、立場が悪い人には、横柄な態度をとってしまうのである。自動的にそうなるのである。
立場がいい人には、尊敬のまなざしを向けるのである。これも、思考のなかに組み込まれているものだ。カルマを信じている人が、実際にめぐまれている人は、めぐまれている人なのだから、前世においていいことをした人にちがいがないと思ってしまうようなものだ。
言霊思考もカルマ思考も、じつは、悪魔にとって都合がいい思考なのだ。そういう思考を、へんな理屈で、信じてしまう。信じたら、「そのように世界が見える」のである。だから、実際に「くるしい人」には、傲慢な態度をとるようになるのである。実際に恵まれている人を尊敬して、実際に恵まれていない人を軽蔑するのである。そういうふうに、できている。もう、言霊思考やカルマ思考を受け入れてしまった時点で、そうなっている。洗脳されてしまう。
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まあ、「勝つと言えば勝つ」言って、パチンコ屋に行く場合もある。この場合は、ぜっいにかなえたい願望につい、言霊的な思考をしているのだけど、負けたって、「勝つと言えば勝つ」という思考自体がまちがっているとは思わないのだ。
絶対勝ちたい場合は、「かつ!!かつ!!かつ!!」と気合を入れる場合がある。これは、言葉の力だ。これは、人間のしくみによって成り立っている思い込みの力だ。
これは、言霊の力とは、区別するべきなのである。
ところが、言霊主義者はみんな、区別しない。
言霊主義者は、 「かつ!!かつ!!かつ!!」と気合を入れたあと、負けても、言霊理論がまちがっているとは思わないのだ。これも、ほんとうにこまったものだな。
まあ、文章の都合でいれなかったけど、気合を入れたいときは、言霊主義者は言霊思考になる。
けど、気合を入れたいときの言霊思考を入れても、じつは、言霊思考をする時間は短い。そして、自分のことなら、一倍速で経験できるので、事実、負けた場合は、「かつ!!かつ!!かつ!!」と言ったにもかかわらず、負けたということを、受け入れることができるのである。
しかし、この場合も、言霊理論に対する信頼はかわらないのだ。負けても、「勝つと言えば勝つ」という思考が、生き残っているのである。
負けても、「言えば、言ったことが現実化する」という思考が生き残っているのである。
負けても、言霊主義者は「言霊(理論)は正しい」「言霊は絶対だ」「言霊の法則は宇宙をつらぬく絶対法則だ」と思っているのである。
矛盾しているのだけど、言霊主義者にとっては、特に、問題ではないのである。これは、「あたりまえのこと」だと、言霊思考にならないということと関係があるように思える。
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言霊主義者が、言霊思考になるのは、神頼みをしたいときやおまじないをしたいときなのだ。「いつか」かなえるつもりの「夢」や「希望」について話す場合、「すぐに」かなえたい「願望」について話す場合だ。
「いつか」かなえるつもりの「夢」や「希望」について話す場合は、「いつか」かなえばいいと思っているのである。
これは、現実的な思考もまじっている。
ほんとうは、「すぐに」かなえてしまえばいいのに、「いつか」かなうことにして、「夢」や「希望」を温存させることができるのだ。温存させている期間は、「夢」や「希望」は、かなわなくても、いいわけ。
ようするに、言霊主義者が、現実的に考えて、確率が低いことに適応される言霊思考だ。
「一秒以内に、こうなる」と言えば、こうなるのだ。もし、ほんとうに、言霊に力があるのなら、そうなる。なんの力かというと、当然、『現実化させる』力だ。
言霊主義者が「むりだろうなぁーー」と考えているから、言霊の力を使って、「いつか」現実化させたい「夢」や「希望」になるのである。「言霊は絶対だ」と言っているけど、絶対ではないと思っているのだ。「夢」や「希望」に関しては、言霊の力は、弱弱しい力になってしまう。すぐに、現実化させることができない「弱弱しい力」なのだ。