言霊主義者だって、一〇円玉が落ちたら、一〇円玉が落ちたと思うということについて書いたけど、これは、例外的なことではない。言霊主義者だって、道路の上で、すべってころんだら、すべってころんだと思うのである。
すべってころんだとき、右足の膝がいたくなったら、道路に右足の膝を打ちつけたので、右足の膝が痛くなったと思うのである。右足の膝と道路の表面がいきよいよくぶつかったので、いたくなったと考えるのである。
ここまで、一切合切、言霊的な思考が出てこない。
全部、物理的な説明をする。言霊主義者だって、すべってころんで、膝をうったら、すべってころんだから、膝をうって、膝がいたくなったと考えるのである。
言霊主義者が、朝、起きたときから、夜、眠るまでに起こったことのうち、言霊の力で起きたと考えることは、じつは、ものすごくすくない。
自分の身上にしょうじたことについては、物理的な思考をするのである。
Aさんが言霊主義者で、Bさんが言霊主義者じゃないとする。Bさんが、Aさんをなぐったとする。その場合、Aさんは、Aさんが「なぐられる」と言ったから、なぐられるということが現実化したとは、考えないのである。
まーーったく、考えない。
Bさんがなぐったと考えるのである。
Bさんが、Aさんの顔をなぐったので、Aさんは、顔にいたみを感じたとする。その場合は、Bさんがなぐったので、顔がいたくなったと思うのである。物理的な原因を考えてしまうのである。
自分が言ってないのに「Bさんが自分の顔をなぐって、自分の顔がいたくなる」と自分が言ったことにして、自分がそのように言ったから、Bさんが自分の顔をなぐるということが現実化したとは思わないのである。
そして、「Bさんが自分の顔をなぐって、自分の顔がいたくなる」とBさんが自分の顔をなぐる前に言ったから、自分の顔がいたくなるということが……「Bさんが自分の顔をなぐって、自分の顔がいたくなる」という言葉に宿っている言霊の力によって……現実化したとは、思わないのである。
まーーーったく、思わないのである。
何度でも言ってやる。なぐられるまえに「顔がいたくなる」といったから、顔がいたくなるということが、現実化したとは、考えないのである。
言霊主義者であるAさんは、自分が「いたい」と言ったから、Bさんがなぐってきて、顔がいたくなったとは、考えないのである。
他人事だと「いたい」というネガティブなことを言うから、言霊の力によって、「顔をなぐられる」というネガティブなことが現実化したと(言霊主義者は)考えてしまうのである。
ひとごとだと、なぐられた人が、「なぐられる」と言ったから、「なぐられるということが現実化した」と思ってしまうのである。
自分の身に起きたことと、他人の身に起きたことだと、これだけちがうのである。
普段、自分が言霊的な理由を、ガン無視して、生きているということに、気がついたほうがいいよ。言霊主義者は、いいかげん、自分が普段の生活の中で、どれだけ多くのことを、物理的に考えているか、気がついたほうがいいよ。
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たとえば、言霊主義者のCさんが、自分の家にいるとき、右手の甲を蚊に刺されたとする。そうすると、Cさんは、普通に、「蚊に刺されたから、かゆくなった」と考えるのである。
右手の甲を蚊に刺される前に、かゆくないのに、「かゆい」と、突然、言って、「かゆい」という言葉に宿っている言霊の力によって、「蚊に刺される」ということが現実化して、かゆくなったとは、考えないのである。
右手の甲を蚊に刺されたときは、右手の甲を蚊に刺されたから、右手の甲の刺されたところがかゆくなったと考えるのである。
言霊主義者のCさんですら、そのように考えるのである。右手の甲を蚊に刺される前に、「右手の甲を蚊に刺されてかゆくなる」 と言ったから、「右手の甲を蚊に刺される」ということが現実化したとは思わないのである。
たとえば、言霊主義者のCさんが、右手の甲を蚊に刺される一〇日まえに、左手の甲を蚊に刺されたとする。左手の甲を蚊に刺されたCさんは、「かゆい」と言ったとする。
言霊主義者のCさんですら、自分が一〇日前に、「かゆい」と言ったから、今度は右手の甲を蚊に刺されるということが発生した(現実化した)とは思わないのである。
「かゆい」というネガティブなことを言ったから、一〇日後に、「かゆい」という言葉に宿っている言霊の力によって、右手の甲を蚊に刺されるということが現実化したとは思わないのである。
右手の甲を蚊に刺されたときは、右手の甲を蚊に刺されたから、蚊に刺されたところがかゆくなったと考えるのである。
言霊の力によって、かゆくなったと考えないのである。
「かゆい」と自分が過去において言ったので、「かゆい」という言葉に宿っている言霊の力によって、今度は右手の甲が蚊に刺されるということが発生したとは考えないのである。
普通に、右手の甲を蚊に刺されたから、かゆくなったと考えるのである。
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引き寄せもおなじだ。一〇日まえに、左手の甲を刺されたとき、「かゆい」と言ったとする。「かゆい」と言ったので、今度は、一〇日後に、右手の甲を蚊に刺されるということが発生したわけではないのだ。
一〇日まえに、左手の甲を刺されたとき「かゆい」と言ったから、今度は、右手の甲を蚊に刺されるということを引き寄せたわけではない。
ところが、そう考えてしまう。
「かゆい」と言ったから、かゆくなる出来事を引き寄せたのだと考えてしまう。原因について、完全にまちがった考えをもっている。
「そう考えてしまう」と書いたけど、いいことを引き寄せようとしているときは、いいことを引き寄せられるとは考えるけど、「かゆい」と感じたときに、引き寄せという考え方に注意が向かなければ、普通に、「蚊に刺されたのでかゆくなった」と思うのである。
そして、かゆければ「かゆい」と言う場合がある。引き寄せのことを考えていれば、「悪いことを引き寄せちゃった」と考えるかしれないけど、引き寄せのことを考えていなければ、ただ単に、「蚊に刺されたからかゆくなった」と思うだけなのである。