かなり、いやな気分になっている。
やっぱり、一日の中で、ヘビメタ騒音が与えていた影響がでかすぎる。
そして、けっきょく、経験してない人は、みんな、理解しない。
そりゃ、俺だって、実際にやられていなければ、想像でものを言うしかないので、想像でものを言っていただろう。その想像は、限られたものになっていたはずだ。
だから、やられていた俺が、そう増資でものを言っている俺と話したら、「おまえはわかっていない」と思うだろう。
まあ、そりゃ、「うるさい」と思っているというのは、わかるんだ。体(からだ)に対する影響だって、「ひとごと」としてはわかる。けど、「ひとごと」としてわかっているだけだ。精神に対する影響は「そりゃ、たいへんだね」というレベルのことしか感じないというのもわかる。
しかし、やられてしまったぼくからいわせてもらうと、ほんとうに、広範な範囲において、影響を受けるのだ。
その会話……今話していること……今話している気分だって……前日の「ヘビメタ騒音の影響」を受けている。三〇〇一日目なら、三〇〇〇日分の「ヘビメタ騒音の影響」をいやおうなしに受けている。
受けているんだよ。受けているということが、ぼくにはわかる。ダイレクトにわかる。けどほかの人には、わからない。
ヘビメタ騒音影響下で、いろいろな人とやり取りをするわけだけど、そのやり取りが、すべて、ヘビメタ騒音の影響を受けているのだ。そして、ほんとうに、悪い影響を与えるのだ。
ヘビメタ騒音が鳴っていない時間も含めて、ヘビメタ騒音の影響を受ける。ちなみに、「鳴り終わったら関係がない」と言っているやつは、ぼくの言っていることが、ほとんどわかっていない。
そして、こいつらがみんな……ほんとうに、例外なくみんな……「俺だって苦労した」「私だって苦労した」「自分だって苦労した」と言うのだけど、その苦労というのは、ぼくからみれば、たいした苦労じゃない。
それこそ、たいした苦労じゃない。
「鳴り終わったら関係がない」という発言が、ぼくにとって、どういう意味を持っているのか、こいつらは、ぜんぜん、理解していない。
こいつらには、いかりを感じる。ぶんなぐってやりたい。
こいつらが、みんな……ほんとうに、みんな……エラそうなんだよ。自分だったら、騒音なんてなり終わったらおしまいだ」「自分だったら、そんなに影響を受けていない」と思っている。思っているんだよ。
けど、こいつらだって、おなじことをされれば、おなじような反応が出るはずだ。精神においておなじような反応が出るし、肉体においておなじような反応が出る。
人間関係にも、おなじような反応が出る。
きちがい家族がいないから、きちがい家族がやることを……熱心にやることの影響を……受けたことがないというだけの話なのだ。
ともかく、この発言で、こいつらが、ヘビメタ騒音に関してどう考えているのかわかる。ほんとうに、なめくさっている。
ほんとうに、なめくさったやつらだ。ぶんなぐってやりたい。