絶対に伝わらない「個人的な感覚」というのがあるのである。
それは、実際に鳴っている間や、実際に鳴っていたあと、自分のうちにいるときの感覚や、実際に鳴っていたあと、ほかの場所にいるときの感覚によって、できあがったものだ。
実際に、そういう時間をすごしたので、そういう感覚ができあがったのだ。
これを、空虚な文字……言葉の連呼……でうめることができるかというと、できない。
たとえば、ほんとうに鳴らされて、ほんとうに眠れなくなり、ほんとうに、つかれているときに「元気だ」と言えば、元気になるわけではないのだ。
からだのほうが実際に体験した側の感覚に支配されているからだ。からだは、実際に発生したことよって、影響を受けている。
いっぽう、自分が「元気だ」と言うことは、たしかに、自分が実際に発生させたことなのだけど、実際に鳴っていたヘビメタ騒音の影響を、消し去るような効果がないのだ。
「元気だと言えば、元気になるはずだ」という考えは、こまっているから、発生するのである。つまり、実際に、ヘビメタにやられているから、発生する考えなのである。
その場合、ぼくが、自分のからだに命令をするわけだけど、その命令というのは、短時間に発せられた自分の声だということになる。
前日、前々日と、長時間鳴らされた場合は、実質的に、自分がその騒音のなかにいて……つまり身体全体がその騒音の中にある状態で……影響を受けているわけだから、ぼくが「脳みそで考えて」意識的に命令したこと以上の力を持っているのである。
こういうことすら、わからない連中が、「元気だと言えば元気になる」と強く主張してくるのである。
これは、そいつらにとっては、いいことであるかもしれないけど、ぼくにとっては、悪いことなんだよ。
そして、こいつらは、言霊思考が成り立っているから、言霊理論の間違いに気がつかないのである。これも、どれだけ説明したって、こいつらは、理解しない。
しまいに、「言ったことが現実化する。これが正しい」と言って腹を立ててしまうのである。
けど、そういうことがあった日だって、うちに帰れば、きちがいヘビメタが鳴っていたのである。きちがいヘビメタが鳴っているからこそしょうじたトラブルを経験したあと、家に帰ると、その根源であるヘビメタ騒音が鳴っているわけだ。
これが、どういうことなのか、「元気だと言えば元気になる」と言ったやつにはわからない。
「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」と言うけど、ちがうのである。
おなじレベルの騒音を経験したなら、そんなことは、言わない。「元気だと言えば元気になる」なんて、言わない。そんなのがすっとぶ経験を、何万回も、何十万回も、何百万回もしてきたのだ。
口が裂けてもそんなことは言えない。それが、わかる。
わかっていないのなら、経験していないのだよ。
これ、みんな、過小評価するけど、自分がこの世で一番嫌いな音が、すぐそこで、爆音で鳴っているということが、どういうことなのか、ぜんぜんわかっていないのだ。さらに、騒音の主(ぬし)が「家族だ」ということがわかっていない。
工事でどうしても音が出てしまうということではないのだ。騒音の主(ぬし)が、関係のない他人ではないのだ。家族なのだ。家族が、「しらんぷりで」ずっと、こっちがこまりきる音を鳴らしている。
どれだけこっち(俺)が言っても、あっち(兄)は、こっち(俺)がこまっているということを認めない。これがどういう意味を持っているか、普通の人はわかっていない。
そして、普通の人は……実際に、こういう家族がいて、こういう家族にこういうかたちでこまらされたという経験もしていない。
騒音と言っても、騒音の質と量がちがうのである。
家族にやられている。これが、わかっていないつが多い。こいつらみんな、ヘビメタ騒音……家族による騒音の効果(影響)を間違って見積もっている。間違って、小さく見積もっている。
だから、「そんなことじゃない」とここに書いたようなことを(誤解をしている人たちに)説明するのだけど、誤解をする人たちは……みんなみんな……(俺が言っていることを)否定するのである。
もちろん、みんなというのは、ぼくの経験の範囲で言えばということだ。誤解をしている人たちが、ぼくの説明を聞いてい、考えを改めことがないのである。
こいつらは、みんな、言霊主義者のように腹を立てるのである。こいつらは……。