2026年7月23日木曜日

●「今ここに集中すればいい」■社会※2026/07/23 13:42

 どういうふうに考えれば、一番楽に生きられるのか? ということが問題だ。これ、一般的な問いではなくて、ぼく限定の問いだ。ぼくにとって、憂鬱で破滅的な気分に、なるべくならずに、死に向かうとしても、それなりに、気楽に、しあわせに、充実感がある状態で、暮らす、方法は、なんなのかということだ。けど、そんなのは、ちょっと、体調が悪くなっただけで、吹き飛んでしまう。だから、問題なんだ。

ともかく、特殊なことを経験しすぎた。特殊なことの連続だった。だから、個人の物語が発生してしまっている。今現在の状態というのは、当然ながら、いままでの出来事の影響を受ける。いままでの出来事(すべて)が、現在の状態を形作っている。べつに、いま現在の身体というのが、過去に関係なく、それだけで、独立に存在しているわけでないのだ。身体というのは、当然、脳みそを含んでいる。脳みそは、いろいろなことを学習した脳みそなのである。

なので、過去の出来事を一切合切無視して、「今ここに集中すればいい」なんてことは、言えない。どうしてかというと、「今ここに集中できるような身体」はどういうしくみによって、支えられているのかということを考えれば明らかだ。「今ここに集中すればいい」というセリフは、気分だけで言っているセリフだ。そのときは、「今ここに集中すればいい」というセリフを言えるだけの体力がある状態なのである。気力がある状態なのである。その、体力がある状態や気力がある状態というのは、過去の出来事の組み合わせによって、今現在、そういうことを言える状態になっているということを意味しているだけだ。

「今ここに集中すればいい」というのも、一見よさそうに見えるけど、努力論のように、人を労働に縛り付けるための「方便」だ。これ、ひどい言葉なのである。「今ここに集中すればいい」と主張している人が、言霊主義者だったとする。言霊で、解決できる問題なのだ。言霊主義者にとって、言霊で解決できない問題はないということになっている。ところが、言霊主義者が、労働市場において、労働をしているのである。目の前の作業に集中すれば、つかれなんてどうでもいい」という文脈で、「今ここに集中すればいい」などということが、言われるのだ。この矛盾。 「今ここに集中すればいい」というのは、まやかしなのである。ほんとうは、身体的な疲れという問題がある。ほんとうは、精神的な疲れという問題がある。ほんとうは、社会的な枠組みから発生する問題がある。「今ここに集中すればいい」に集中して、それらの問題を無視すれば、「今だけは働ける」ということなのだ。これは、薬を飲んで、無理やり仕事をしている状態に近い。

たとえば、名前だけ店長を働かせようとした場合、「今ここに集中すればいい」というのは、有効な助言なのだ。名前だけ店長の疲労をまったく考えていない、クソ発言なのである。わかるかな? 長年のサービス残業で、身体が疲弊している。けど、名前だけ店長が、それを無視して「今ここに集中すればいい」のである。こういうことになってしまう。

ヘビメタ騒音で疲弊しているのに、「今ここに集中すればいい」なんて言われたら、そりゃ、腹が立つ。絶望を感じる。連日連日、十数年間も続くヘビメタ騒音で、睡眠を妨害され、身体が疲弊している状態で暮らしているわけだ。ヘビメタ騒音なんて関係なしに、「今ここに集中すればいい」ということになってしまう。けど、俺はこまる。「今ここに集中すればいい」と言っているやつは、別に、きちがい家族と一緒に暮らしたことがないから、きちがい家族の騒音で日ごろから疲れまくっている身体で暮らすということの意味がわかっていない。そして、「今ここに集中すればいい」と言うやつと、ぼくは、別固体だ。ぼくが感じている疲労をそいつが感じるわけではない。そいつはそいつの身体を使って生きている。ぼくはぼくの身体を使って生きている。両者の間には、断絶があるのである。深い深い溝があるのである。だから、こいつは、俺の身体を無視すれば、「今ここに集中すればいい」と言える。適切で正しいことを言っている気分だ。

そして、たとえば、ぼくが、「今ここに集中すればいい」という考え方を批判したとする。言霊理論を批判したとする。そうすると、こいつは、かなりの高確率で、腹を立てる。とりあえず、腹を立てたとする。その場合、過去の出来事に反応したということになる。「過去は関係がない」なんてことはないのだ。そして、たとえば、自分が正しいと思っていることを、批判されたときに感じる「なまの感情」がある場合、そいつは「今ここの作業」に集中できなくなっている。「今ここに集中すればいい」ではないか。自分が正しいと思っていることを批判されて腹が立っているとき、「今ここに集中すればいい」のだ。できるだろ。さあさあ、腹なんて、立ててないで、働いた!!働いた!! 目の前の作業に集中すればいいんだよ。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。