2026年7月25日土曜日

●これが、事実だ■社会※2026/07/23 16:40

まあ、納得してくれる人は少ないと思うけど、いちおう、言っておく。

「人に親切にしましょう」というような言葉は、じつは、繊細で親切な人をおいつめるための言葉なのだ。

これ、今の社会だと、そうなってしまう。

まあ、人に親切にするのは、いいことなのだけど、人それぞれの、レベルのちがいがある。人がどういうふうにこまっているかということを、読み取る力が、人によって、ちがいすぎる。

そして、案外、無視されてしまうのだけど、社会のなかで、たとえば、仕事をする場合、立場の弱い人が、いろいろなことを背負い込むことになってしまうのである。「人に親切にしましょう」というような言葉は、生活のなかで、まったくわかっていない人に対する言葉なのだ。

ところが、生活のなかで、まったくわかっていない人は、「人に親切にしましょう」と言われたって、人に親切にしないのである。特に、自分の欲望がかかわる部分に関しては、親切にしない。自分の欲望にあわせて、不親切な行動をする。

それで、別に悪いとは思わない。

あるいは、きちがい兄貴のように、特別に鈍感で、どれだけ言われても、相手が(自分の行為で)こまっているということを、認めない人もいる。

これも、「こうしましょう」と言われたことがあるというレベルのことで、「こうすることが(実際に)できるか」というと、できないのだ。そういう脳みそがないから、できない。

それに対応したシナプスのネットワークがないから、できない。

ともかく、「人に親切にしましょう」というような言葉は、どちらかというと、鈍感な人に対して言うような言葉であり、もともと、親切な人には言うべきではない。

繊細な人が、こういう言葉を真に受けると、ひどいことになってしまう。

「繊細な人」や「もともと親切な人」が、くるしむ状態になっている。

じゅうぶんに親切な人が、じつは、「人に親切にしましょう」というような言葉で、傷つく状態になっている。負担が増え、ボロボロされるような状態になっている。

社会全体がそうなっている。そして、「人に親切にすれば、幸福になる」と言うような言葉は、じつは、すでに不幸な人をより不幸にしている。助言になっていないのである。

すでに不幸なら、その不幸な人は、人に親切にしなかった人だというマイナスの認知が生じるようになっているのである。

しかし、こころがきれいな人だって、不幸な状態で暮らしていることはある。

*     *     *

それじゃあ、きちがい兄貴が、人に親切することは、まったくないのかというと、そうではないのである。きちがい兄貴だって、時と場合によって、人に親切にすることだってある。

「親切にする」ということの「範囲」がひろいのだ。状態だって、いろいろだ。暗黙知、メタ認知、認知が、それぞれの場面でちがうのである。

だから、たまたま、対応しているような部分がある。だから、たまたま、対応しているような部分がある場合は、(めったにないことだけど)人に親切にすることが……きちがい兄貴のような人間にも……できる。できる場合がある。

けど、うちのきちがい兄貴は、俺には親切にしなかったのである。一日に、一秒も、(ほんとうには)ゆずってくれなかった。これが、事実だ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。