もう、ずっと、説明してきたことなので、簡単に説明する。「元気だ元気だ」と言って、元気になったような感じがしたとする。その場合、言霊主義者は「言霊の力によって」元気になったと勘違いしてしまう。「元気だ元気だと言えば、元気になるので、言霊の力は絶対だ」というようなことを言ってしまう。「元気だ元気だと言ったら、元気になった」とする。しかし、言霊の力で元気になったということは、どこから出てくるのだ? 中立的な状態で「元気だ元気だ」と言うと、言葉の力によって、元気だと感じる場合があるということしか、意味していない。言葉の力というのは、この場合、自己暗示の力だ。これも、言葉と元気な感覚との間に、連合ができあがっていなければならないのだ。そして、元気だと感じた場合、それをもたらしているのは、体なのだ。体のしくみを通して、元気だと感じているだけだ。ようするに、体のしくみをこえることを言ったって、言霊の力で、そうなるわけではないので、そうならないのである。そして、たとえば「元気だ元気だと言えば、元気になる」という文も一〇〇%構文の文なのだ。「すべての、元気だ元気だということにおいて、元気だ元気だと言えば、一〇〇%の確率で(かならず)元気になる」ということが、「元気だ元気だと言えば、元気になる」という文の意味になってしまうのである。「元気だ元気だと言えば、元気になることだってある」ということは、「元気だ元気だと言えば、元気になる」という文で表現できることではないのである。言霊主義者だって、大きな病気をしているときは、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。大きな病気ではなくても、タダの風邪だって、三九度の熱がでて、くるしいときは、「元気だ元気だ」と言っても、なかなか元気にならない。熱が出るというのも、体のしくみでそうなっているのである。だから、これは、下げればいいというものではない。しかし、たとえば、「三秒以内に、平熱にもどる」と言えば、もどるのかというと、もどらない(ことのほうが)多い。最初から、間違っている。問題なのは、「元気だ元気だと言えば、元気になるから、言霊はある」と思ってしまうことだ。いやーー。「元気だ元気だと言ったあと」「元気な感じがした」としても、それは、言霊があることの証明にはならないのである。ところが、「元気だ元気だと言ったあと、元気な感じがしたから、言霊はある」と思ってしまう。「言霊があることを証明した」と思ってしまう。こんなのない。最初から、理論的に間違っている。最初から、間違った推論をしている。
「できると言えば、できる」と大の大人が言ってしまう。こんなのは、ひどい。