じつは、「人に親切にしましょう」と言っている人たちは、ほんとうにこまっている人には、親切にしないという傾向があるように思える。
ほんとうにこまっている人は、条件が悪い人なのである。
ほんとうにこまっている人は、立場が低い人なのである。
だから、常識的な判断をすると、「親切にしない」傾向が強くなる。常識的な判断というのが、いままで、ここで述べてきたようなことなのである。「言霊」「思霊」「努力論」「過去否定論」「自己責任論」なのである。
「XをすればYになるから、Xをすればよい」という場合も、条件が悪い人は、Xをすること自体が、非常に困難である場合が多い。
ぼくは、ここで、体力的なリソースのことについて述べているけど、体力的なソースなんてことは、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、気にしないのである。時間的なリソースだって、有限だ。
条件が悪い人は、すでにこまっている人なのである。
しかし、すでにこまっている人に対して、的外れの助言をすることがはやっている。
そして、助言をしただけでは終わらず、かならずと言っていいほど、ディスりはじめるのである。悪口を言い出す。
しかし、きれいごとを口にしているときは、「人の悪口を言うのはやめましょう」と、本気で言っているのだ。
助言される側……こまっている人が「これこれこうゆう理由で、Xすることができない」ということを言えば、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」という確率が非常に高い。
これ、テンプレートなのだ。
決まった、受け答えなのだ。そして、この受け答えは、全体としての価値観を代表している。
「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちが、相手をダメな人間だと決めつけるようにできているのである。
そして、基本的なことだけど「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、条件の差を認めない傾向が強い。認めた場合も、そんなのは、たいした差ではないということになる。
そして、条件の差については、集合的一括思考をするので、間違った判断を正しい判断だと思い込むことになっているのである。
そして、さらに、この人たちに、集合的一括思考のことについて説明して、それが、理論的にまずい部分を含んでいるということを説明するのは、非常に困難なことなのである。
説明したとしても、かなりの高確率で「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、認めない。
たいていの場合は、「なんだとぉ」という態度になる。「XをすればYになるから、Xをすればよい」という考え方が正しいのに、ろくでもないやつが、文句を言っていると思う確率が、非常に高い。
だから、むしろ、こういう人たちが、ほんとうに条件の悪い人たちにとって、『敵』になる。そして、じつは……これが重要なことなのだけど……条件の悪い人たちのなかにも、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と他人に言う傾向がある人が多い。
これも、テンプレートなのだ。
普通の人も、条件が悪い人も、人に対しては「常識的な助言」をする傾向が強い。常識というのが、妄想で、できあがっているのである。そして、トリックがある。
ところが、矛盾を感じるほど、深く考える人が少ないために、トリックに気がつかない。前提に、妄想的な考え方があるということに気がつかない。
だから、妄想的な考え方に従って、現実を判断しているのである。
ともかく、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、いいことを言っているような気分になっているかもしれないけど、ほんとうは、親切にしていない。
条件が悪い人に親切にしているのではなくて、条件が悪い人に「余分な圧力」をかけている。