何千日も、寝不足で、頑張っていた。そうするしかなかった。
それが、いまの状態に影響を与えている。
これは、ほかの人にとっては、どうでもいいことだけど、ぼくにとっては、現実なんだよ。
なによりも、なまなましい、現実だ。身体と世界の認識がある。脳みそを含んだ身体で、この世を認識しているわけ。
そして、現実に起きたことは、現実に起きたことだから、身体に影響を与える。現実に起きたこととは関係なく「うれしい」と言えばうれしいと感じるはずだという考え方が間違っている。
倒錯しているのである。
どうして、他人の経験を無視したことを言うのか?
何度も言うけど、それは、「うれしい」という言葉と、過去の出来事のあいだに、連合ができているから、中立的な状態なら「うれしい」と言うと「うれしくなったような気分がする」ということを意味しているにすぎない。
中立的な状態で「うれしい」と言ったということを、無視することはできない。
ところが、「うれしいと言えば、うれしくなる」という言い方になると、どんな状態でも、「うれしい」と言えば、うれしくなる……はずだという考え方が導入されることになる。
これは、間違った考え方だ。
けど、頭のなかに一度「正しい考え方」として「そういう考え方」が成り立つと、しばらくの間は、あるいは、ずっと、「そういう考え方は、正しい考え方だ」という認識が生まれる。
この認識は、じつは、間違った認識だ。
正しい考え方ではないからだ。