2025年8月2日土曜日

●「おカネがある」と言えば、言っただけで、おカネがある状態になる(1)■言霊※2025/08/02 5:57

ほんとうは、条件の差がつくりだしていることなのに、精神世界の人たちが、性格の差にしてしまうということがある。
ほんとうは、条件の差がつくりだしていることなのに、言霊主義者が、言ったかどうかの差にしてしまう。なにを言ったかの差にしてしまう。

たとえば、おカネのことについて考えてみよう。「ある」とか「ない」とかではなくて、ほんとうは、どの程度あるかということが問題になる。

けど、まあ、おカネがあるというのは、一億円以上おカネをもっているということにしておこう。おカネがないというのは、貯金がなく、収入も低く、運用できるおカネが、一万ぐらいしかないとしておこう。

おカネの差というのは、どういう家に生まれたかで、だいたい決まってくる。

もちろん、例外はある。落ちるのは、簡単だからだ。子供のころは、親が会社の経営をしていて、順風満帆で、おカネがあった。親の金だけど、親には三億円以上の貯金があった。けど、会社が倒産して、親は借金まみれ、本人も、カネがない状態になった。そして、なかなか、かせげない状態になった。

そういう場合だって、ある。

けど、おカネがある家に生まれて、文化資産がある状態で、成人するまですごした人と、おカネがないうちに生まれて、文化資産がない状態で、成人まですごした人の差というのが、けっこう、ある。これは、じつは、かくれたところでものをいうのだ。

まあ、おカネがあるうちに生まれると、本人も、お金をかせぎやすくなるのだ。おカネがある家生まれると、いろいろとそろっているので、お金をかせぎやすくなる。

だから、おカネがあるかどうかということを考える場合には、本人がどういう家に生まれて、どういう文化資産があるかということと、本人がいま、どのくらいの運用資金をもっているかということが重要になる。

いま、一億円の運用資金がある人と、いま、一万円の運用資金がある人とでは、お金の儲けやすさが、ぜんぜんちがうのである。現在の状態に、すでに差がある。けど、その差を無視して、「言ったかどうか」の差にしてしまうのである。

「おカネがある」と言っている人のところには、おカネが集まってくる。「おカネがない」と言っている人のところからは、おカネが逃げていく……などと言って、どういうことを言ったかの差にしてしまう。

カルト理論によれば、「おカネがある」と言えば、言っただけで、おカネがある状態になるのである。

「おカネがない」と言えば、言っただけで、おカネがない状態になるのである。

もちろん、嘘だ。

今現在もっているおカネの差……資金の差を無視して、「言ったかどうか」に意識を集中させている。

今現在、もってるおカネの差というのは、重要な差だ。

この重要な差を無視してしまうのである。無視できない差を無視してしまうのである。

2025年8月1日金曜日

●「かゆいかゆいと愚痴ばかり言うから、かゆくなる」■言霊※2025/07/31 14:14

悪い条件が固定されている場合、悪い条件が、その人の性格の問題に置き換えられてしまうのである。以降、単に「蚊」と書いた場合には、メスの蚊を意味することにする。

たとえば、蚊が六〇匹いる家に住んでいる人がいたとする。冬も六〇匹いるとする。その場合、やはり、刺されやすくなる。

いっぽう、蚊がまったくいない家に住んでいる人は、蚊に刺されることがない。蚊が六〇匹いる家に住んでいる人は、頻繁に刺されるので、頻繁に、かゆくなるのである。

かゆければ、かゆいと言う場合がある。

そして、かりに、かゆいと言わなくても、蚊が六〇匹いる家に住んでいるという条件がかわらないのであれば、かゆくなる頻度は、それほど、かわらないということになる。

かゆいと感じる出来事がしょうじる原因は、蚊に刺されるということだ。

もっと言えば、かゆいと感じる出来事がしょうじる原因は、蚊だ。

ところが、言霊主義者は、「かゆい」と言うから、かゆく感じる出来事が発生すると言うのだ。実際、蚊がまったくいない家に住んでいる人は「かゆい」と言わない。言霊主義者から見ると、「かゆい」と言わないから、かゆくなる出来事が発生しないのだということになる。

実際には、蚊という条件が、両者のちがいをうみだしているのだけど、言霊主義者は、条件を無視して、言ったかどうかだけに注目するので、まちがった文脈で現実を解釈してしまうのである。

また、引き寄せ論者は「かゆい」と言うから、「かゆくなること」を引き寄せたというのだ。

ほんとうは、蚊の数が問題なのに、蚊の数という条件を無視して、刺される人が、蚊を引き寄せていると考えるのだ。刺されない人は、蚊を引き寄せないから刺されないのである。

しかし、彼らは家のなかにいる「蚊の数」という条件は、ガン無視して、個人に特有の考え方が、蚊を引き寄せていると考えるのだ。

こうなると、蚊の数という条件が、引き寄せ能力に関係しているということになってしまう。

ようするに、条件が、引き寄せ能力に置き換えられているのだ。原因になる条件を無視しているから、こういうことになる。

「思ったことが現実化する」と考えている人は、蚊に刺されると思っている人が、蚊に刺されるということを言いだすのである。

ところが、蚊に刺されるかどうかは、この場合、家の中にいる蚊の数が決定している。どれだけ、「蚊に刺される」と思っても、家の中に「蚊が一匹もいない」のであれば、家の中で蚊に刺されることはないのである。

これも、現実的な条件を無視して、気持ちの問題にしてしまっているのである。

さらに、「暗いことを考えると暗いことが起こり、明るいことを考えると明るいことが起こる」という考え方をもってしまうと、蚊に刺される人は、蚊に刺されるという暗い考えをもっているから、蚊に刺されるのだということになってしまうのである。

蚊に刺されない人は、蚊に刺されないという明るい考えをもっているから、蚊に刺されないということになってしまうのである。

これは、もちろん、現実をうまく説明しない理論なのである。

六〇匹の蚊がいる家に住んでいる人と、蚊が一匹もいない家に住んでいる人を、いれかえれば、いままで、六〇匹の蚊がいる家に住んでいた人が、蚊に刺されなくなり、いままで、まったく蚊に刺されなかった人が、蚊に刺されるようになるのである。

理想的な人間というものを考えるとしよう。理想的な人間というのは、人間として普通の人間ということである。

理想的な人間は、蚊に刺されてかゆくなった場合、六〇%ぐらいの確率で、「かゆい」と言うということにしておく。そうすると、一〇〇回、蚊に刺されると六〇回ぐらい、かゆいと言うことになる。

むかし、六〇匹の蚊がいる家に住んでいた人をAさんだとする。Aさんは、一〇〇回かに刺されたら、六〇回、かゆいと言う人だとする。

理想的な人間とおなじ確率で、「かゆい」と言う人だ。

ようするに、人間として普通なのである。Aさんが、蚊がまったくいない家に住むことになって、ある程度の期間がすぎたとする。Aさんは、蚊がまったくいない家に住むことになったあとは、まったくかゆいと言わなくなったとする。

そして、かつては、蚊がまったくいない家に住んでいた人をBさんだとする。Bさんが、六〇匹の蚊がいる家に住んでから、ある程度の期間がすぎたとする。Bさんは一〇〇回、蚊に刺されたとき、六〇回、かゆいと言ったとする。

ようするに、Bさんも普通の人なのである。

だから、AさんとBさんの性格の問題ではないのである。

ところが、言霊主義者は、「かゆいかゆいと愚痴ばかり言うから、かゆくなる」と言い出す。決めつける。

「かゆいかゆいと愚痴ばかり言うネガティブな性格だから、かゆくなるのだ」と言い出す。「口癖が、人生をつくる」と言い出す。

「かゆいかゆいと、ネガティブなことばかり言う人は、人生がネガティブなものになる」と言い出す。

悪い条件の人をディスっているのだ。

悪い条件が、悪い出来事を引き起こしているのに、性格が悪いから、ネガティブな出来事を引き起こしているのだということになってしまう。

「愚痴ばかり言う人」はネガティブな性格の人なのである。

だから、言霊主義者は「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことが発生する」というカルト理論を口にするようになる。

本人は、いいことを言っているつもりなのである。

そして、「ネガティブなことを言わなければ、ネガティブなことは発生しない」というようなことを言うのだ。

ところが、Bさんが「かゆい」と言わなくなっても、Bさんは、六〇匹の蚊がいる家に住んでいるから、頻繁に蚊に刺されるということが続くわけ。

たとえ、言わなくても、六〇匹の蚊がいる家に住んでいるということが、蚊に刺されてかゆくなるという出来事を引き起こすわけ。

「かゆい」と言わないことで、かゆくなる頻度を制御できるかと言うと、制御できないわけ。

ところが、言霊主義者は「かゆいと言わなければ、かゆくない」というようなことを、言うわけ。

無理なことを言っているんだよ。

「かゆい」と言わないことで、蚊をすべて殺せるならいいけど、「かゆい」と言わないことには、そんな効果がない。

「かゆい」と言わないことで、蚊に刺される回数を制御できないのだ。

マトがはずれた、ムリなことを言っている。

言霊主義者が、「絶対にきく」と言っている解決策は、解決策ではないのである。

言霊主義者が、このことを認めるということは、まずない。たいへん高い確率で、言霊的な解決策が、意味をなさないということを認めない。

そして、たとえば、Bさんが「かゆいと言わなくても、蚊に刺される」と言った場合は、現実を無視して「言霊は絶対だ」「理屈じゃねーんだよ」「単純なのが正しいんだよ」と言って、「かゆいと言わなくても、蚊に刺されてかゆくなる」ということを認めないようにする。

「かゆいと言わなくても、蚊に刺されてかゆくなる」と言われても、「かゆいと言わなければ、かゆくなることはない」という考えたを信じたままなのである。

この場合は、言霊主義者にとって、ひとごとなので、そういうふうに言いきって、現実を無視すれば、それで、言霊主義者が蚊に刺されてかゆくなるわけではないから、それでいいのだ。

ぼくの経験の範囲で言えば、言霊主義者は、そういうところがある。

言霊主義者は、まったく無意味な解決方法をおしつけたいうことをまったく気にしないけど、やられたほうは、いやな気持になる。

まったく無意味な解決方法だからだ。

そして、たとえば、条件を無視して「かゆいかゆいと愚痴ばかり言うから、かゆくなる」というようなことを言うのは、たいへん失礼なことだ。

相手の条件を無視して……相手を「愚痴ばかり言う性格だ」と決めつけることだって、いいことじゃない。

ところが、言霊主義者は、自分の考え方に自信を持っているので、相手が「愚痴ばかり言う性格だ」と決めつけたことを、まったく気にしない。

そして、「かゆいかゆいと愚痴ばかり言うから、かゆくなる」と言ったりすることで、相手が不愉快なるということを、まったく気にしないのだ。

「かゆくないと言えばかゆくない」「かゆくないと言えば、かゆくなくなる」などと言って、さらに傷つける。

言霊主義者が、条件が悪い人の「性格の問題にした」ということは、看過するべきではない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。