言霊主義者というのは、ニュートラルな状態で「楽しい楽しい」と言ったら、なんとなく楽しく感じたというようなことが、一回発生したら、言霊理論は正しいと思ってしまう。
けど、言霊理論を否定されて、腹がたっているときに、「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならないということは、無視してしまうのである。「勝つ」と言って、パチンコ屋に行って、勝ったとする。そういうことが一回あれば、言霊主義者は言霊理論は正しいと思ってしまう。「勝つ」と言って、パチンコ屋に行って、負けたときのことは、ガン無視したり、忘れてしまうのである。「勝つ」と言って、一回勝てば、そのことは覚えているけど、「勝つ」と言って一〇〇回負けても、それは、無視なのである。
パチンコ屋に行って、勝ったとき、「腹がたつ腹がたつ」と言っても、腹がたたないのである。言霊理論を否定されたときのように、腹がたつかというと、腹がたたない。
どれだけ、「腹がたつ腹がたつ」と言っても、うれしいことが起こったら、腹はたたないのである。
事前に発生した出来事が感情に大きな影響をあたえているからなのである。
「言霊」の力ではなくて「言葉」の力によって、自分の感情をかえることができると言ったって、言葉の力よりも、実際に起こったことのほうが、大きな力をもっているのだ。
言霊主義者だって、そのことは、体験してわかっているはずなのである。ところが、言霊理論は正しいということに意識が集中していると、言霊理論は正しいということを証明するようなことばかりに目がいって、言霊理論がまちがっているということを証明することは、無視してしまうのである。
そして、言霊主義者が、「言霊理論は正しいということを証明するようなこと」だと思っていることは、じつは、まったく、言霊理論が正しいということの証明にはならないことなのである。
言霊主義者は「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」という文の意味が、よくわかっていないから、「それだけ」で「言霊理論が正しいということが証明された」と思ってしまうだけなのである。