どのみち、鳴りはじめたら、どれだけなにをしてもダメだったんだ、ということが、よくわかる。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、あれをずっと鳴らしたら、こっちが、どれだけ気にしないようにして、がんばっても、だめだったんだということが、よくわかる。けど、他人は、この部分がないわけだ。実際に、一日もやられてないから、わからないのだ。俺が、長年、毎日ずっと、がんばっていたということが、まったくまったく、わからない。そして、一日ずつ、つもっていく感覚も、わからないのだろう。わかるわけがない。だから、「元気だ元気だと言えば元気になる」「俺だって、騒音ぐらいあった」と言うのだろう。これ、わかってないから、言う言葉なんだよ。わかってないから言う言葉だということも、わかってない。これがまた、言霊主義者のように、どれだけこっちが、理論的に説明しても、ダメなのだ。相手は、わからない。相手は、相手の感覚でものを言う。だから、何度も言うけど……きちがい兄貴が鳴らし始めた時点で、こういうことを言う相手とは、決裂しているわけ。ヘビメタ騒音の影響をガン無視する相手とは、言いあらそいになることが、きまっている。絶対に、わかりあえないことが、決まっている。『影響をうけないことは可能だ』ということを言う人は、ぼくの、敵なんだよ。敵にならざるをえない。そして、相手だって、俺のことを不愉快なやつだと思うわけ。「なんだ、こんにゃろう」という気持になる。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、こっちが言うことを無視して、鳴らし続けた時点で、決まっている。
この人たちは、実際にやられていないので、実生活の感覚を無視してしまうのだ。どうしたって、やられれば、不可避的に影響をうけるという部分を蒸してしまう。不可避的に影響をうける」という必然性を無視してしまう。どれだけ、なにを言ったって『影響をうける』のだ。「影響をうけない」と言っても、影響をうける。この人たちは「影響をうけない」と言えば、影響をうけないと思っているのだ。けど、それは、空論だ。実際に、影響をうけて暮らしていないから、わからないだけだ。どういう時間があるかわからないのだ。そして、相手が、がんばってきた期間を無視してしまう。相手が、どれだけがんばったかを無視してしまう。期間の長さを無視してしまうというのは、問題がある。これ、ほんとうにまったくわかっていないんだよ。実際に、影響をうける。そして、影響をうけた状態で、辛抱して、がんばっている時間の長さを無視してしまう。影響をうけた状態で、辛抱して、がんばっている期間の長さを無視してしまう。実際に、影響をうけるていないので、本人が、無理解な言葉を発しているときは、それこそ、自分が正しいことを言っていると思っているのだ。つまり、『影響なんてない』と思っているのだ。これが、耐えて、耐えて、耐えて、がんばってきた人をどれだけ愚弄したことか、わかっていない。そりゃ、『影響なんてない』と思っているわけだからな。愚弄するな。侮辱するな。がんばっているときの……ものすごくいやな感覚を無視して、ものを言っている。それだけで、相手を愚弄している。相手を侮辱している。わかってないんだよな……。相手がものすごくいやな環境のなかで、がんばってきたということを無視してしまうので、相手が、これから、「こういう方法でがんばればいいんだ」ということを言ってしまう。「できるできると言ってがんばれば、それで問題解決なんだよ。自分だって、騒音はあったけど、そうやって頑張っている」と言うわけ。いやーー。ぜんぜん、ちがうレベルの騒音について語っているということがわかってない。わかっていないのは、こいつらが、「こういう方法でがんばればいいんだ」ということを言っているということから、わかる。こんなのは、わかっていないから、言っているだけなんだよ。経験していないから言っているだけなんだよ。こいつらは、ほんとうに腹がたつ。もちろん、こういうことの原因をつくったのは、きちがい兄貴だけどな。こういうやつらから、こういうことを言われる原因をつくったのは、きちがい兄貴だということだ。こいつらは、経験がないから、わかっていないだけだ。実際に、こいつらのまわりには、きちがい兄貴のような家族がいないのである。その家族が、きちがい的な意地で、ほかの誰も鳴らさないような騒音を鳴らし続けるということがなかったのである。だから、実際にそうされると、どれだけがんばっても、こういう状態になる……ということがわかってない。こういう状態ですごした、すべての時間を無視して、「こういう方法でがんばればいいんだ」ということを言う。わかってない。……わっかっていない。わかっていない。
こいつらは、一日中続く、身体感覚を、無視している。一日中、続く、身体感覚を、無視するな。無視しているということにすら、気がつかないんだろうなぁ。その、無視しているということに気がつかないというところも、きちがい兄貴に似ている部分があるんだよなぁ。ほんとうに、腹がたつ。ほんとうに、いやなやつらだな。
相手の身体感覚を無視して、妄想的なことを言っているということが、わかっていない。そりゃ、前提に妄想があることだから、妄想的なことなんだよ。まちがっていることなんだよ。「理論的にまちがっている」ということを説明しただけで、こいつらが、おこりだすということも、決まっている。それじゃあ、うまくいくはずがない。きちがい兄貴が、こいつらが理解できないことをやっている。こいつらは、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んでいないから、きちがい家族の影響をうけたことがない。こいつらが経験したいやなことというのは、きちがい家族にやられたことじゃないのだ。もう、そこからしてちがう。きちがい家族に、毎日やられることによって発生した、特殊な身体感覚がわかっていない。自分のこととしてわかっていない。自分のこととしてわかっていないので、軽く考えたり、無視して、妄想的な提案をする。現実的な提案だと思っているのだ。いやーー。妄想的な提案でしょ。相手の状態を……相手の身体感覚を……無視している。無視しているということも認めないで、腹をたてるというのか? いや、普通に腹をたてているみたいだな。自分が相手の身体感覚を無視しているということがわかっていない。自分が妄想的なことを言っているということがわかっていない。これ、妄想的なことなんだよ。むりなことなんだよ。身体感覚がわかっていないから「むりなことじゃない」と思っているだけだ。
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たとえば、一五年間、過酷な労働に耐えてきた「名前だけ店長」の身体感覚を無視して、「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と言うのは、ひどいことなのである。なんでこれがわからないかな? 「俺だって苦労した」とひとこと言えば、名前だけ店長とおなじレベルの苦労をしてきたということになると思っているみたいだけど、これも、ちがう。名前だけ店長の身体感覚を無視している時点で、おなじような苦労はしていないということがわかる。 「過去は現在に影響をあたえないので、今現在に集中してがんばればいい」ということになってしまう。いやーー。過去は現在に影響をあたえるでしょ。どうして、そういう「アタオカ理論」を口(くち)にするんだ?
一五年間、毎日やってきたということを、無視しているのである。そりゃ、毎日、三時間しか眠れないなら、つもるものがある。疲労と言えば、疲労なのだけど、名前だけ店長の身体感覚を無視しているのである。言霊主義者なら「つかれると言うから、つかれる」「つかれないと言えば、つかない」というような言葉が、続くわけ。過去否定論であって、言霊主義者である人いるから、 「過去は現在に影響をあたえない」「つかれると言うから、つかれる」「つかれないと言えば、つかない」と連続して言う場合もある。自分だってつかれている」のだから、「つかれているからできないというのは、いいわけだ」とか「つかれているからできないというのは、あまえだ」と言うことだってできるのだ。「できると言えば、できるのに、できないと言ってあまえている」と言うことだってできるのだ。けど、こんなことを言うやつらが、名前だけ店長と同レベルのつかれなんて、経験しているわけがないのだ。ほんとうに、夜郎自大。「アタオカ理論」で、人をせめるのはやめろ。
同レベルの経験をしたことがないから、相手の身体感覚を無視できる。相手の身体感覚がわかってないから、頭がおかしいことを言うことができるだけ。無理なことを言うことができるだけ。ただ、それだけ。普段、自分がどういう生活をしているのか、まったくわかっていないのだ。
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ヘビメタ騒音が鳴り始めたということは、そのときから、俺が、全力で頑張って、むりなことをしているということになるということが、わかっていないのだ。「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と思っているので、どれだけ長く、毎日、ヘビメタ騒音が続いても、ぼくのからだが、やられる前のからだとおなじだと思っている……。そういうところがある。相手の身体感覚を、無視する。無視したということにも、気がつかない。どれだけの長さ、ぼくが、くるしい条件下でがんばってきたかということを、無視してしまう。何度も言うけど、無視したということにも、気がつかない。