東大を卒業した若い女性が、仕事についていけずに、自殺したとしよう。
この場合、若い女性なので、同情される。言霊主義者まで、同情して「上司の態度に問題がある」「会社の姿勢に問題がある」というようなことを言い出す。
けど、これが、五〇代の中年男性だったら、同情なんてされない。
「そんなのはあまえだ」「あまえてんじゃねぇーよ」と言われておしまいだ。
あえて『女の子』と書くけど、『女の子』と『中年男性』のちがいは、でかい。
言霊主義者は「できると言えばできる」「できないと言うからできないんだ」と言って、働かせようとするのである。「できるできると言って、努力すればいい」ということになってしまう。
これ、ただ単に、若い女の子か、中年男性かのちがいなんだよ。
しかも、「禿げ散らかした中年男性」というような容姿を含む形容がなされると、いかにも『バカにしていい』という雰囲気ができあがる。
言霊主義者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司のような考え方をもっているんだよ。努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司のような考え方をもっているんだよ。
言霊主義者や努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司の側に立っているんだよ。言霊主義者や努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司とおなじ考え方をもっているんだよ。
言霊主義者や努力論者が、自殺した若い女性に同情するのは、こっけい。
ちなみに、自殺した若い女性も、言霊理論はまちがっていると言いきることができなかったのである。自殺した若い女性も、努力論がまちがっていると言いきることができなかったのである。
ようするに、本人の行動の基準が、言霊理論や努力論で、できあがっていたのだ。否定できない。自分の行動の原理になっていた。
だから、無限に努力しなければならない状態になっていたのである。
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つけたしておくと、「過去は関係がない」ということになると、若い女性が入社以来がんばってきたということが、関係がないことになるのである。入社以来、がんばってきたから、つかれがたまっているわけね。その「つかれ」も関係ないことになるのである。
過去は関係がないので、がんばり続けることによってしょうじた「つかれ」も関係がないということになる。
さらに言ってしまうと、「過去はない。未来もない。今現在しかない。今現在に集中すればいいんだ」ということになると、やはり、「がまんして、目の前の作業に集中すればいい」ということになってしまうのである。「がまんして、今現在やっている作業に集中すればいい」ということになってしまうのである。
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言霊主義者や過去否定論者が言っていることは、上司が若い女性社員に言ったことと、おなじなんだよ。
どうして、急に、自分は、女性社員の味方だというようなふりをし始めるのか?
どうして、急に、「上司の発言には問題がある」「会社の態度には問題がある」ということを言い始めるのか?
おまえらが、普段、人に言っていることだろ。
ひょっとして、まったく、自覚がないのか?
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「過去は関係がない」ということは、その女性が、入社した時から、ずっとやってきたことが関係ないということになるのである。ずっとやってきたことで、つかれはてていても、関係がないということになるのである。
そして、たとえば、「むりだ」とか「できない」と言えば、ネガティブな発言をしたということになるのである。
ネガティブな発言をするから、ダメなんだということに、なってしまうのである。言霊主義者や過去否定論者の頭のなかでは、事実、そうだということになってしまうのである。
「元気だ元気だ」「できるできる」とポジティブな発言をしなければならなくなるのである。
過去の出来事や、過去の行動は、その人のからだに影響をあたえる。「過去は現在に影響をあたえない」なんてことはないのだ。
過去において、実際に起こったことは、現在の状態に影響をあたえるのだ。
これ、たぶん、ほんとうに、自覚がないんだよ。
自殺して、ニュースなったとする。そうすると、若い女性が、どれだけがんばってきたのかということも、報道される。そうすると、自分が普段、ほかの人に言っていることは忘れて、若い女性に同情するようになるのである。
たとえば、顔写真が載っていたとする。そして、その女性がかわいいタイプの女性だったとする。そうすると、「かわいそうだ」と思うのである。
いちおう、こういうことになると、その女性について考えることができるようになるのである。「頑張り屋さんだった」「努力家だった」ということが、いちおう、報道されるので、報道されたことを信用する人たちは、信用してしまう。この女性が、頑張り屋さんじゃなかったということではない。
問題なのは、権威がある報道機関によって報道されれば、事実になるということだ。普段、相手の言うことは、無視してしまう人が、受けとりやすい状態になる。
相手の物語を、報道だから、認めてしまうのである。
普段、自分が、直接、言われたら、やはり、上司のような発言をするのである。一倍速で経験したことは、わかるということを言ってきたのだけど、報道の説明を聞いたり、週刊誌の説明を読むことは、本人が、自主的に一倍速で体験したことなのである。
相手の話を聴いているときは、相手の話の背景がわからないのである。
ようするに、相手の言っていることは、認めないで、「元気だ元気だと言えばいい」「過去は関係がない」と言ってしまうのである。
まあ、ここらへん、微妙なんだよな。
能動的に背景を理解しようとしたということと、対象が若くて、かわいい女性だということが、重要なんだよ。
こいつらは、たぶん、自覚がない。
普段、自分が、上司のような発言をしているということに、気がついていない。
「どんだけつかれていたって、元気だ元気だと言えば元気になる」とほかの人には言うのである。「つかれるまでの過去は関係がない」と思っているので「過去は関係がない」と言うのである。
能動的に背景を理解する動機がない場合は、言霊主義者は、言霊主義的なことを言い、過去否定論者は、過去否定論者的なことを言うのである。
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もうひとつ、つけくわえると、実際に、自殺したあとだということが、たぶん重要なんだろう。
たとえばの話だけど、その若い女性が生きていて、自殺する前に、言霊主義者に相談をしたら、言霊主義者は、上司のようなことを言うのだろう。
そして、過去否定論者も、彼女のつかれを否定して、上司のようなことを言うのだろう。
死んでしまった人のことだから、同情的になれるのだろう。
死ぬ前に、相談されたら、言霊主義者と過去否定論者は、彼女の上司とおなじようなことを言うということが、想像できる。
自殺したから、悲劇ということになっているけど、自殺する前なら、「ネガティブなことを言っているにすぎない」ということになるのである。
「泣き言を言っているにすぎない」ということになるのである。
「できない」とか「つかれた」というのは、ネガティブなことでりあり、言霊主義者や過去否定論者は、「目の前の人」は「ネガティブなことを言っている」と認識するのである。
言霊主義者と過去否定論者は、普段は、そのように認識するのである。けど、自殺したあと、メディアが報道したということになると、「悲劇」として認識することができるのである。
だから、突然、若い女性の側に立ってしまうのである。
言霊主義者と過去否定論者は、普段、上司の側に立っている。上司とおなじ発言をしている。上司のように、若い女性の発言を否定して、はねのけている。
「たいしたことじゃない」と認識して、「元気だ元気だと言えば元気になる」「できるできると言えばできる」「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことが起こる」「気にしないようにすればいい」「こだわるから、だめなんだ」「過去は関係がない」「今現在に集中すればいい」と言っているはずだ。
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なに、若い女性の側に立ったようなことを言っているんだよ?
おかしいだろ。
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なんで、報道機関が「過去の話」をすると、それは、重視するんだろう……。過去否定論者の話なんだけど、報道機関が、自殺の背景を説明するために過去の話をすることがある。過去否定論者は、「過去は関係がない」と考えるのだから、無視すればいいのに、報道機関が「過去話」をしたときは、無視しないのだ。こんなのは、おかしい。
過去否定論者は、言霊主義者のように、矛盾を感じていないのである。
なんかの事件が起こったとする。過去否定論者は、その事件を犯した人の生い立ちを、雑誌の記事で読むと、「過去は関係がない」とは考えないで、「そういう過去が、犯罪者の心理に影響をあたえたのだろう」と思うのだ。
過去は、関係がないんじゃないのか?
過去は、現在に影響をあたえないんじゃないのか?
言霊主義者は、本人があたりまえだと思うことに関しては、別に、言霊の力でそうなったとは、考えないのである。それとおなじように、過去否定論者は、報道機関が説明する過去に関しては、「過去は関係がない」とは、考えないのである。おかいだろ。こんなのは、おかしい。