2025年8月24日日曜日

●なに、若い女性の側に立ったようなことを言っているんだよ■言霊※2025/08/24 17:14

東大を卒業した若い女性が、仕事についていけずに、自殺したとしよう。

この場合、若い女性なので、同情される。言霊主義者まで、同情して「上司の態度に問題がある」「会社の姿勢に問題がある」というようなことを言い出す。

けど、これが、五〇代の中年男性だったら、同情なんてされない。

「そんなのはあまえだ」「あまえてんじゃねぇーよ」と言われておしまいだ。

あえて『女の子』と書くけど、『女の子』と『中年男性』のちがいは、でかい。

言霊主義者は「できると言えばできる」「できないと言うからできないんだ」と言って、働かせようとするのである。「できるできると言って、努力すればいい」ということになってしまう。

これ、ただ単に、若い女の子か、中年男性かのちがいなんだよ。

しかも、「禿げ散らかした中年男性」というような容姿を含む形容がなされると、いかにも『バカにしていい』という雰囲気ができあがる。

言霊主義者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司のような考え方をもっているんだよ。努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司のような考え方をもっているんだよ。

言霊主義者や努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司の側に立っているんだよ。言霊主義者や努力論者は、若い女性を自殺に追い込んだ上司とおなじ考え方をもっているんだよ。

言霊主義者や努力論者が、自殺した若い女性に同情するのは、こっけい。

ちなみに、自殺した若い女性も、言霊理論はまちがっていると言いきることができなかったのである。自殺した若い女性も、努力論がまちがっていると言いきることができなかったのである。

ようするに、本人の行動の基準が、言霊理論や努力論で、できあがっていたのだ。否定できない。自分の行動の原理になっていた。

だから、無限に努力しなければならない状態になっていたのである。

*     *     *

つけたしておくと、「過去は関係がない」ということになると、若い女性が入社以来がんばってきたということが、関係がないことになるのである。入社以来、がんばってきたから、つかれがたまっているわけね。その「つかれ」も関係ないことになるのである。

過去は関係がないので、がんばり続けることによってしょうじた「つかれ」も関係がないということになる。

さらに言ってしまうと、「過去はない。未来もない。今現在しかない。今現在に集中すればいいんだ」ということになると、やはり、「がまんして、目の前の作業に集中すればいい」ということになってしまうのである。「がまんして、今現在やっている作業に集中すればいい」ということになってしまうのである。

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言霊主義者や過去否定論者が言っていることは、上司が若い女性社員に言ったことと、おなじなんだよ。

どうして、急に、自分は、女性社員の味方だというようなふりをし始めるのか?

どうして、急に、「上司の発言には問題がある」「会社の態度には問題がある」ということを言い始めるのか?

おまえらが、普段、人に言っていることだろ。

ひょっとして、まったく、自覚がないのか? 

*     *     *

「過去は関係がない」ということは、その女性が、入社した時から、ずっとやってきたことが関係ないということになるのである。ずっとやってきたことで、つかれはてていても、関係がないということになるのである。

そして、たとえば、「むりだ」とか「できない」と言えば、ネガティブな発言をしたということになるのである。

ネガティブな発言をするから、ダメなんだということに、なってしまうのである。言霊主義者や過去否定論者の頭のなかでは、事実、そうだということになってしまうのである。

「元気だ元気だ」「できるできる」とポジティブな発言をしなければならなくなるのである。

過去の出来事や、過去の行動は、その人のからだに影響をあたえる。「過去は現在に影響をあたえない」なんてことはないのだ。

過去において、実際に起こったことは、現在の状態に影響をあたえるのだ。

これ、たぶん、ほんとうに、自覚がないんだよ。

自殺して、ニュースなったとする。そうすると、若い女性が、どれだけがんばってきたのかということも、報道される。そうすると、自分が普段、ほかの人に言っていることは忘れて、若い女性に同情するようになるのである。

たとえば、顔写真が載っていたとする。そして、その女性がかわいいタイプの女性だったとする。そうすると、「かわいそうだ」と思うのである。

いちおう、こういうことになると、その女性について考えることができるようになるのである。「頑張り屋さんだった」「努力家だった」ということが、いちおう、報道されるので、報道されたことを信用する人たちは、信用してしまう。この女性が、頑張り屋さんじゃなかったということではない。

問題なのは、権威がある報道機関によって報道されれば、事実になるということだ。普段、相手の言うことは、無視してしまう人が、受けとりやすい状態になる。

相手の物語を、報道だから、認めてしまうのである。

普段、自分が、直接、言われたら、やはり、上司のような発言をするのである。一倍速で経験したことは、わかるということを言ってきたのだけど、報道の説明を聞いたり、週刊誌の説明を読むことは、本人が、自主的に一倍速で体験したことなのである。

相手の話を聴いているときは、相手の話の背景がわからないのである。

ようするに、相手の言っていることは、認めないで、「元気だ元気だと言えばいい」「過去は関係がない」と言ってしまうのである。

まあ、ここらへん、微妙なんだよな。

能動的に背景を理解しようとしたということと、対象が若くて、かわいい女性だということが、重要なんだよ。

こいつらは、たぶん、自覚がない。

普段、自分が、上司のような発言をしているということに、気がついていない。

「どんだけつかれていたって、元気だ元気だと言えば元気になる」とほかの人には言うのである。「つかれるまでの過去は関係がない」と思っているので「過去は関係がない」と言うのである。

能動的に背景を理解する動機がない場合は、言霊主義者は、言霊主義的なことを言い、過去否定論者は、過去否定論者的なことを言うのである。

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もうひとつ、つけくわえると、実際に、自殺したあとだということが、たぶん重要なんだろう。

たとえばの話だけど、その若い女性が生きていて、自殺する前に、言霊主義者に相談をしたら、言霊主義者は、上司のようなことを言うのだろう。

そして、過去否定論者も、彼女のつかれを否定して、上司のようなことを言うのだろう。

死んでしまった人のことだから、同情的になれるのだろう。

死ぬ前に、相談されたら、言霊主義者と過去否定論者は、彼女の上司とおなじようなことを言うということが、想像できる。

自殺したから、悲劇ということになっているけど、自殺する前なら、「ネガティブなことを言っているにすぎない」ということになるのである。

「泣き言を言っているにすぎない」ということになるのである。

「できない」とか「つかれた」というのは、ネガティブなことでりあり、言霊主義者や過去否定論者は、「目の前の人」は「ネガティブなことを言っている」と認識するのである。

言霊主義者と過去否定論者は、普段は、そのように認識するのである。けど、自殺したあと、メディアが報道したということになると、「悲劇」として認識することができるのである。

だから、突然、若い女性の側に立ってしまうのである。

言霊主義者と過去否定論者は、普段、上司の側に立っている。上司とおなじ発言をしている。上司のように、若い女性の発言を否定して、はねのけている。

「たいしたことじゃない」と認識して、「元気だ元気だと言えば元気になる」「できるできると言えばできる」「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことが起こる」「気にしないようにすればいい」「こだわるから、だめなんだ」「過去は関係がない」「今現在に集中すればいい」と言っているはずだ。 

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なに、若い女性の側に立ったようなことを言っているんだよ?

おかしいだろ。

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なんで、報道機関が「過去の話」をすると、それは、重視するんだろう……。過去否定論者の話なんだけど、報道機関が、自殺の背景を説明するために過去の話をすることがある。過去否定論者は、「過去は関係がない」と考えるのだから、無視すればいいのに、報道機関が「過去話」をしたときは、無視しないのだ。こんなのは、おかしい。

過去否定論者は、言霊主義者のように、矛盾を感じていないのである。

なんかの事件が起こったとする。過去否定論者は、その事件を犯した人の生い立ちを、雑誌の記事で読むと、「過去は関係がない」とは考えないで、「そういう過去が、犯罪者の心理に影響をあたえたのだろう」と思うのだ。

過去は、関係がないんじゃないのか?

過去は、現在に影響をあたえないんじゃないのか? 

言霊主義者は、本人があたりまえだと思うことに関しては、別に、言霊の力でそうなったとは、考えないのである。それとおなじように、過去否定論者は、報道機関が説明する過去に関しては、「過去は関係がない」とは、考えないのである。おかいだろ。こんなのは、おかしい。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。