たとえば、おカネがあると考えているポジティブな人のところには、「おカネが集まってくる。おカネがない」と言っているネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく、などと言って性格のせいにしてしまう。
ほんとうは、生まれた家の差で、だいたいのことが決まるのに、その差は、ガン無視なのである。遺産の差で、運用資金が決まってしまう場合だってあるのに、そういう場合は、無視しているのだ。
そして、おカネの集まる人はポジティブだから、おカネが集まるというような話をするのである。ネガティブな性格だって、相当な遺産を相続したら、運用資金が(相当に)あるということになる。
けど、遺産による運用資金の差は、ガン無視して、おカネをもっている人の性格とおカネをもっていない人の性格の差にしてしまうのである。
「おカネがある」とポジティブな発言をしている人のところは、おカネが集まってきて、「おカネがない」とネガティブな発言しているのところには、おカネが集まってこないというような話にしてしまうのである。
根本的には、条件の差をガン無視するところから、はじめて、性格の差(ポジティブかネガティブかという性格の差)が、おカネの差(おカネがあるかないかの差・どのくらいおカネをもっているのかの差)をつくっているということにしてしまうのである。
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ポジティブだとおカネがはいってきて、ネガティブだとおカネがはいってこないというような「カネの格差・性格原因論」は、ブラック社長が名前だけ店長を搾取するときに使う言霊理論と、あるていど関係しているところがある。
手短にいうと、「カネの格差・性格原因論と「カネの格差・言霊努力論」が、循環しているところがある。単純に言うと、まわっている。
基本的には、ブラック社長というのは、カネのことに関しては、ポジティブなのである。言霊理論を使って、どうやって、カネを稼ぐかということについて、熟知している……ところがある。
ブラック社長は、名前だけ店長のような人を、無休で働かせることによって、おカネを得ているのである。
いっぽう、名前だけ店長は、どれだけ働いても、おカネがないままなのである。
そりゃ、搾取されているからそうなる。正当な労働対価をもらっていないから、そうなる。けど、離れたところから見れば、ブラック社長はポジティブだから、おカネがあり、名前だけ店長はネガティブだからおカネがないということになってしまうのである。
名前だけ店長は、一所懸命に働いているのである。超過して働いているのである。つかれはてたからだ無理やり動かして働いているのである。
つかれはてたからだを無理やり動かして働いているから「もう無理だ」とネガティブなことを言うようになるのである。
ところが、この状態も一五年間と長い間、固定化されているので、名前だけ店長が、つねに、「むりだむりだ」とネガティブなことを言っているということになってしまうのである。
いっぽう、搾取するほうのブラック社長は、「できると言えばできる」とポジティブなことを言っているということになってしまうのである。
性格ということを問題にするなら、ほんとうは、ブラック社長は、悪い性格なのである。誠実ではないということになる。
ところが、おカネがあるほうが性格がいいということになっているのである。
ポジティブな人のほうが性格がいいということになっているのである。名前だけ店長は、愚痴を言っているネガティブな性格だから、おカネがないんだということになってしまうのである。
ところが、名前だけ店長は、誠実な性格なのである。そして、努力家なのである。ものすごい努力をしているのである。
だから、この点でも「努力をすれば成功する」という法則性があるような文は、まちがっているということになる。
言霊理論というのは、「できると言えばできる」というようなところで、努力論になってしまうのである。努力論につながってしまう。
どれだけつらい労働をしても、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのだから、自分で自分のご機嫌を取って、つらい労働に耐えればいいんだということになってしまう。
そして、つらい労働に耐えているときだって、「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなるのである。
実際の、出来事とは関係なく、「楽しい」とひとこと言えば、楽しくなるのだから、どれだけ、くるしくても、つらくても、「楽しい」とひとこと言えば、楽しくなるのである。……こんな、アホな理論が、正しい理論としてまかり通っている。
どこかの社長が、「どれだけくるしくても、一日の終わりに、楽しい楽しいと言うんだ」というような話が、美談として語られるのである。「みんな、社長の真似をして、一日の終わりに、楽しい楽しいと言いましょう」ということになってしまう。
そうやって、名前だけ店長が、仕事を断りにくい状態ができあがるのである。
言霊理論と努力論は循環しているところがある。「ポジティブな人はいい人でネガティブな人は悪い人」という理論や「ポジティブな人のことろにはおカネが集まってきて、ネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」というような理論が、触媒となって、言霊理論と努力論の循環速度を、はやめているところがある。
言霊的な思考だと「ポジティブな人はいい人でネガティブな人は悪い人」という理論は、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」ということになる。だから、これは、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」と言い換えることができる。
「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」という理論は、言霊的な思考から生み出される理論なのだけど、「言霊理論と努力論の循環」をブーストしてしまうのである。
「ポジティブな人のことろにはおカネが集まってきて、ネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」というのも、言霊的に加工すると「ポジティブなことを言う人のことろにはおカネが集まってきて、ネガティブことを言う人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」 ということになる。
まあ、「おカネについて、ポジティブな人のことろにはおカネが集まってきて、おカネについて、ネガティブな人のところからは、おカネが逃げていく(離れていく)」と加工することもできる。ところが、この理論は、生まれた家の格差や相続の格差を無視しているのである。
そして、ポジティブな性格のブラック社長は、いい人で、ネガティブな性格の名前だけ店長は、悪い人だということになってしまうのである。
実際には、ブラック社長は、悪い性格なので、無償で名前だけ店長を働かせることができるのである。
無償で、長時間、過酷な労働をおしつけても、まったくこころにいたみを感じない人が、性格のいい人になってしまう。
そして、「もう無理だ」「もうできない」「つかれた」「つらい」とネガティブなことばかりを言っている名前だけ店長は、性格が悪い人だということになってしまうのである。これに、疑問を感じないのがおかしい。
さらに言ってしまうと、じつは、名前だけ店長は努力をしているのである。涙ぐましい努力をしている。性格だって真面目なのである。
ところが、成功していない。社会的に成功していない。社会的に成功しているのは、他人をこき使うことにたけている、ブラック社長なのである。「成功する」ということの意味は、人それぞれにちがうけど、単純に割り切って考えると、おカネをもっている人は社会的に成功していると言えるのである。
そして、地位が高いほうが、地位が低い人よりも、社会的に成功していると言えるのである。ブラック社長は、名前だけ店長よりも、おカネがあり、その点で成功していると言える。
そして、ブラック社長は、名前だけ店長よりも、地位が高くその点で成功していると言える。努力をしている名前だけ店長は、成功していないのである。「努力をすれば成功する」というのは、まちがいだということになる。
努力をせず、人に違法労働をおしつけて、なにも感じないブラック社長は、成功しているのである。ようするに「努力をしなくても、成功することはある」のである。
まあ、人に違法労働をおしつける努力はしているけどなぁ。そして、この「人に違法労働をおしつける努力」には、「言霊理論」がかかわっていることを、忘れるべきではない。
けっきょく、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」という理論が正しいなら、ブラック社長はいい人で、名前だけ店長は悪い人だということになってしまうのである。もちろん、「ポジティブなことを言う人はいい人で、ネガティブなことを言う人は悪い人だ」という理論は、正しくない。まちがっている。