たとえば、午後一時から午後九時まで、休みをとらず、働いたとする。
目の前の作業に集中していたので、「今現在」に集中していたのだ。
午後九時に作業をやめたとする。午後九時ぴったりを含めるのかどうかということが問題になってしまうのだけど、とりあえず、午後九時ぴったりは、作業時間に含めないとする。
午後九時〇分一秒においては、午後一時から午後九時までは、過去になっているのだ。
「今現在」ではない。
しかし、午後一時一〇分のとき、午後一時は過去ではないのかというと、まちがいなく、過去だ。
「今現在」と表現されている時間は、約八時間の幅をもつ時間だということになる。ようするに、時間帯なのである。
たとえばの話、「今現在に集中すればいい」と言っている人は、八時間という幅をもった時間帯のことも、「今現在」と表現しているのである。
さて、約八時間、作業に集中してきたことは、午後九時〇分一秒の状態に影響をあたえるのではないかと思えるのである。
そりゃ、人間の体(からだ)だからね。約八時間、ぶっ通しで、飯も食わずに作業をしたということは、そのあの状態に影響をあたえる。
午後九時〇分一秒のからだは、先行する約八時間の作業(労働)によって、午前一時の状態とは、ちがった状態になっている。言葉であらわすとすると、「つかれた状態」になっている。
過去において、自分がしたことが、今現在の自分の状態に影響をあたえているのだ。どうして、「過去は関係がない」とか「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかと言うことになってしまうのか?
これも、自分のことなら、「八時間、目の前のことに集中して作業をしたので、つかれた」と感じることなのである。
しかし、俺が、ヘビメタ騒音に一三時間さらされて感じたつかれは、『関係がない』ということになってしまうのである。一三時間鳴ってたって、鳴り終わったら関係がない」ということになってしまうのである。
こいつらは、俺を励ますつもりで「過去は関係がない」とか「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかと言って、ヘビメタ騒音の影響を完全に否定するけど、それは、ひどいことだ。
「過去は関係がない」とか「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかという「意見」はまちがっている。まちがった意見だ。
さらに、「過去はない」とか「過去は記憶の中にしかない」とかということも言うけど、これも、失礼な話だ。
どういう意味で「過去はない」と言っているのか、よくわからないのである。たぶん、「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」という意味で「過去はない」と言っているのだろう。たぶん……。しかし、こういう別の意味をってしまう表現を使わないでほしいんだよなぁ。できれば……。
「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」と言いたいなら、「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」と言ってほしいんだよなぁ。
「過去はない」って、どういう意味で言っているのか、気になってしまうだろ。
これ、「過去はない」と言っている人自身が、自分自身が「過去はない」という言葉にどういう意味を込めて「過去はない」と言っているのか、わかってないんじゃないかと思う。
ようするに、「過去はない」と言いきると、なんか自分が格好いい感じがするから、「過去はない」と言っているだけなのではないか。
「過去はない。未来もない。今現在しかない」ということを言う場合、「過去は存在しない。未来も存在しない。今現在しか存在しない」という意味で言っているのなら、存在するということを意味が問題になる。
「存在する」ってどういう意味で使っているの?
「時間」の話なんだよ。その時間になにか物理的なものが存在したということを言っているわけではないんだよ。
なんで、「今現在」だけは、存在していると言いきることができるのか、疑問を感じる。感じるだけだけどな……。
* * *
まあ、主観的な話だと、「今現在」の時間が長くなったり、短くなったりしてしまうのだ。午後九時四〇分に、ラーメン屋に到着して、注文をして、ラーメンを食べ始めたとする。
当然、二口目を食べているときは、一口目を食べたのは過去だということになる。
今現在に集中して、ラーメンを食べた場合、食べ終わるまでは、「今現在」が続いてしまうようなことを言っているけど、ちゃんと、時間が流れているので、一秒前のことは、一秒前のことだということになる。
一秒前は、過去なのである。
そして、一秒前の出来事は、過去の出来事なのである。
けっきょく、ラーメンを四〇分で、食べたとする。その場合、「今現在」は四〇分間の長さをもつということになる。
そりゃ、目の前のことに集中して、ラーメンを食べたのだからそうなる。
目の前のことに集中してという表現を、今現在に集中してという表現にかえると、今現在に集中して、ラーメンを食べたということになる。
言っておくけど、ラーメンを食べ終わった状態というのは、ラーメンを食べるまえの状態とはちがう。「今現在」が四〇分間続いたって、「過去の出来事」の影響をうけるのである。
過去にしたことによって、ラーメンどんぶりの状態もちがってしまうし、おなかのなかの状態もちがってしまう。
「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とは、言えない。
「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」という意味で「過去は関係がない」という言葉を使うなら、「過去は関係がない」とは言えない。
過去は関係がある。
なんで、自分が腹いっぱいラーメンを食べたら、腹がいっぱいになったと感じるのに、俺がヘビメタ騒音にさらされ続けてつかれたということは、認めないんだ。
まあ、自分のことではないから、認めないんだろうなぁ。
しかも、「過去は関係がない」とか「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえない」とかと言うことで、俺が不愉快な気持になっているということも認めてくれないのだ。
過去否定論者は認めてくれない。
過去否定論者と言霊主義者はかぶるところがあるのだけど、めちゃくちゃな前提で、めちゃくちゃなことを言って、ぼくを傷つけている。
まあ、ヘビメタ騒音の影響を否定されるということは、ぼくにとって、不愉快なことなんだよ。必然的に、不愉快になる。
どうしてかというと、影響がでかいからだ。影響はあった。
いきなり、影響のでかさを否定するな。
きちがい兄貴が、至近距離で、よその家では絶対に鳴らせないようなでかい音で、ずっと、ガンガン鳴らしたので……ぼくは、影響をうけた。
この部屋にいる以上、耳をふさいだって、耳栓をしたって、影響をうけた。鳴っているあいだも、鳴り終わったあとも、影響をうけた。ひとごとだと思って、否定するな。
* * *
大盛ラーメンを、二杯、食べて、腹がいっぱいになったとき、「過去は関係がない」とか「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」とかと思うのか?
ラーメンを食べたけど、まだ腹がすいているから、餃子を頼もうと思ったとき、「過去は関係がない」とか「過去は現在に影響をあたえない」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえないい」とかと思うのか?
「過去は関係がある」とか「過去は現在に影響をあたえる」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」とかと思っていないと思うのか?
本人のことに関しては、「過去は関係がある」とか「過去は現在に影響をあたえる」とか「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」とかと思っているんだよ。
「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」と思っているから、「腹がいっぱいになった」と感じることに疑問をもたないのだ。「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」ので「腹がいっぱいになった」と思うのだ。
「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」と思っているから、「まだ腹がすいているから、餃子を頼もう」と感じることに疑問をもたないのだ。「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」ので「まだ腹がすいているから、餃子を頼もう」と思うのだ。