たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんには一〇〇億円の運用資金があるとする。Bさんには、一〇〇万円の運用資金があるとする。
AさんとBさんが、まったくおなじ株をおなじ日に買って、おなじ日に売ったとする。AさんもBさんも、すべての運用資金を使って、その株を買ったことにする。手数料のことは考えないとする。配当金はないとする。
Aさんには、毎日、一日に一回だけ「カネがない」と言ってもらったとする。Bさんには、毎日、一日に一回だけ「カネがない」と言ってもらったとする。
けっきょく、買ったときの株価が一〇〇円で、売ったときの株価は一〇五円だった。五%の儲けだ。
Cさんにも登場してもらおう。
Cさんの運用資金は、一万円で、AさんやBさんとおなじ日に、その株を買って、おなじ日にその株を売ったとする。
Cさんには、一日に一〇〇回「おカネがある」と言ってもらったとする。
Cさんが、この運用で、かせげたおカネは、五〇〇円だ。
五〇〇円と五万円の差は大きい。五万円と五億円の差はでかい。
けっきょく、一日に一回「おカネがない」と言い続けたAさんのもとには五億円のカネが転がり込み、一日に一〇回「おカネがある」と言い続けたCさんのもとには五〇〇円のカネが転がり込んだのである。
「おカネがある」と言ったかどうかの差よりも、運用資金の差のほうが、はいってきたおカネの額に影響をあたえた。
「おカネがない」と言ったかかどうかの差よりも、運用資金の差のほうが、実際にその一年で、はいってきたおカネの額に影響をあたえた。
実際には、こういうことになる。
どれだけ熱心に、「おカネがある」と何回も何回も言ったって、実際に運用資金が一万円しかないなら、かせげるカネは、小さなものになる。
運用資金の差を……ガン無視して……ただ単に「おカネがある」と言うとおカネがはいってくるというような話をしているのだ。
「おカネがない」と言うと、おカネがはいってこないというのだ。
たとえば、Aさんのような人だって、「おカネがない」と言うと、言霊の「たたり」によって、おカネがない状態になってしまうということを言うのだ。けど、運用資金が一〇〇億円もあるAさんが、「おカネがない」という機会は少ない。
そして、「おカネがない」と言っても、文字通りお金がない状態ではなくて、なんかのプロジェクトに、かけるおカネがないというような場合だってある。
もちろん、運用資金が減ることだってある。けど、運用資金が減ったのは、「おカネがない」と言ったから、おカネがないという言葉に宿っている言霊の力によって、運用資金が減ったのではない。そうではないのである。
ちゃんと、「おカネがない」と言ったということ以外に、運用資金が減った理由がある。
運用資金が減るようなことに、おカネを入れたときだって、「よし、儲けてやろう」と思ってお金を入れたのである。「おカネが、増える」と言って、プロジェクトを始めたということにしておこう。
最初から、運用資金が減るという結果がわかっていれば、そんなことはしていない。
では、Aさんが、なんかの株を一億円分買って、結果的に、一年で二〇〇万円の損をしたとする。
その株を買うときは「おカネがある」と言ったとする。「おカネがある」と言ったって、結果的に二〇〇万円の損をするときはある。
逆に「おカネがない」と言って、その株を買わなければ、二〇〇万円の損は出なかったのである。「おカネがない」と言ったのに、結果的には、おカネを減らすことがなかった。おカネを守ることができた。「おカネがない」と言ったのに、結果的に、おカネがなくならなかった。
あるいは、「そんな、ぼろ株を買うおカネはない。こっちの株を買おう」と言って、別の株を買う場合だってある。買ったら、五億円儲けることができたとする。
この場合「そんな、ぼろ株を買うおカネはない。こっちの株を買おう」という発言のなかで「おカネはない」と言っているのだ。
「おカネがない」ではなくて「おカネはない」のだけど、ともかく、「おカネはない」と言っている。
「おカネはない」と言ったら、言霊のすごい力によって、おカネはなくなるのである。
言霊のすごい力によって、どれだけ幸運?な人も、「おカネはない」と言ってしまったために、おカネはなくなってしまうのだ。
もし、言霊理論が正しければそうなる。ところが、逆にお金が増えてしまった。こういうことだって、実際にある。