たとえば、「過去も未来もない。今現在しかない」というような言い方がある。これは、じつは、時間論なんて関係がないのである。
この人たちが言いたいのは、「目の前のことに集中すればいい」ということなのである。
「今現在しかないから、今現在のことに集中すればいい」と言えば、格好がつくけど、この人たちが言っていることは、時間論とは、まったく関係がないことなのである。
たとえば、食事をしたあと、皿を洗っているとする。その場合、皿を洗うということに集中すればいいということなのである。ものを食べているときも、ものを食べることに集中すればいいということなのである。
つまり、目の前の作業に集中すればいいということなのである。時間論とは関係なく、普通の意味で「いま、やっていること」に集中すればいいということなのである。
「今現在」の意味について、これらの人と、話し合ったってしかたがないのである。「過去」の意味について、これらの人と、話し合ったってしかたがないのである。未来の意味について、これらの人と、話し合ったってしかたがないのである。
時間論じゃないから……。
* * *
それから、ものを食べることに集中すればいいと言った人が、言霊主義者だとする。
この言霊主義者は、咀嚼が完全に物理的な出来事であるということを忘れてしまっている。どうして、咀嚼することが成り立っているのかということを、まったく問題にしていないのである。
ものを、口(くち)のなかに放りこんで、上下のあごを、うまく上下に動かせば、咀嚼できる。「口(くち)のなかのものは、歯によって、つぶされる」「口(くち)のなかのあるものは、歯によって、分断される」と事前に言わなくてもいいのである。
この過程は、言霊主義者にも、物理的な過程として意識されているのである。言霊なんてことが、関係しない出来事なのである。
しかし、かむことが困難になったら「私はかむ」「私はかむことができる」と言い出すかもしない。普通にできることは、言霊の助けを借りなくてもすむことなのである。
だから、普通にやっていることは、普通にやってしまい、言霊のことなんて、まったく意識にのぼらない。言霊主義者ですら、そうなのである。
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皿を洗うことだって、言霊主義者は、水を流しながら、たわしと皿をこすり合わせれば、汚れが落ちると、普通に思っている。
言霊なんてことは、言霊主義者だって、考えていないのである。まーーったく、考えていないのである。
あたりまえのことは、あたりまえのことだから、特に、言霊について考える必要がないのである。
皿を洗うことだって、物理的な出来事なのである。
物理の法則は成り立っているけど、言霊の法則なんて、成り立っていない。言霊主義者だって、普通に、皿を洗うことを受け入れているけど「言えば言ったことが現実化する」のであれば、いちいち、物理的な法則に合致した運動をする必要がないのである。
そんなのは、「皿がきれいになる」と言えば、それで、皿がきれいになるので、まったく問題がないのである。
「〇・一秒以内に、皿が、きれいになる」と言えば、それだけで、〇・一秒以内に、皿がきれいになるのである。
食事の用意だって、物理的な法則に合致した運動をする必要はない。「〇・一秒以内に、自分の食べたい料理が、目の前に出現する」と言えば、自分の食べたい料理が、目の前に出現するのである。
言霊主義者が、こういうことをしないのは、「言ったって、現実化するわけがない」と普段は考えていることの証拠なのである。
「言ったって、言っただけでは、現実化しない」ということがわかっているから、自分で、食べ物を用意しようと思うのである。そして、料理をしたり、ただ単に過熱して、料理と呼ばれるものを用意して、食べるのである。
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言霊主義者が、なんらかの冷凍食品を電子レンジを使って、加熱したとしよう。電子レンジのしくみに、言霊的なものがかかわっているかというとかかわっていないのである。電子レンジに、あたためたいものを入れて、スイッチを押せば、たしょうの時間で加熱が完了する。
しくみを知らないとにとっては、魔法のような力だ。
しかし、しくみを知っていれば、完全に、物理的な作用によって、冷凍食品があたためられるということが、わかるのである。魔法は、関係がない。言霊も、関係がない。
魔法の力も、言霊の力も関係なく、電子レンジ庫内のものが、あたたかくなるのである。
言霊主義者が、冷凍食品を温めるとき、冷凍食品に向かって、「あたたかくなれ」と言っているわけではない。「あたたかくなれ」と言ったって、あたたかくならないことを知っているから、そんな、アホな行為をしないのである。
ときどき、「あたたかくなれと言っただけで、あたたかくなったらいいな」と思って、冷凍食品を指さして、「あたたかくなれ」と言うかもしれないけど、あたたかくなることは、そんなに、期待していない。
物理的な世界では、物理的な力を使って、あたためなければならないということを、知っているから、たいていの場合は「あたたかくなれ」と言うことで、あたためようとはしないのである。
しかし、その言霊主義者も、ほかの人には「言霊は絶対だ」「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」と言ってしまうのである。
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どこかの、ファミリーレストランで、AさんとBさんが、ハンバーグランチを食べながら、言霊のことにいて話していたとする。Aさんと、Bさんが食べているハンバーグランチは、言霊の力によって提供されたものではないのである。
物理的なものであり、物理的な運動の結果、あたためられて、すぐに食べられるようにされたものなのである。
「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」とAさんが言っているときも、物理的な法則が成り立っているのである。言うことができるということは、物理的な運動の結果なのである。
そして、Bさんの耳に、Aさんの言葉が届くというのも、物理的な運動の結果なのである。そのあと、BさんがBさんの感覚器で、音を感覚して、そのあと、感覚を電気的な信号に置き換えて、脳内で処理するのである。
これも、全部、物理的な運動の結果なのである。
ようするに、言霊なんてものは、一切合切、関係がないのである。
言霊の力なんて、一切合切作用していないのである。
現実の世界は、物理的な力のみが、作用している世界なのである。
言霊主義者は、言葉を発することができると言うことに、なんの疑問も感じないけど、言葉を発生することができるというのは、たいへんなことだ。
そして、そこには、連続的な運動が成り立っている。言霊主義者が、物理的な世界において、物理的に会話ができるということだって、言霊の力で成り立っているわけではないのである。
言霊主義者は、自分があたりまえだと思っていることについては、特に、言霊の力を感じない生き物なのである。あたりまえじゃないことについては、「言霊の力でそうなっているかもしれない」と考える生き物なのである。
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たとえば、言霊主義者が「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくろう」と思ったとする。そして、実際に行動して、自分で「世界に一枚しかない自分だけの皿をつくった」とする。
その場合、言霊主義者は、「自分が、世界で一枚しかない自分の皿をつくる」と言ったから、「世界で一枚しかない自分の皿をつくることができた」と考えるのである。
まあ、いまの場合、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくろう」と思ったとは、書いたけど、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言ったとは書いていない。
けど、ともかく、言霊主義者は「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言ったということにして、言ったことの結果として、「世界で一枚しかない、自分だけの皿ができたのだ」と思うのだ。
ほとんどの言霊主義者が「細かいことはいいんだよ」と考えているみたいなので、細かいことはいいとしよう。
しかし、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言ったかどうかということは、細かいことじゃなくて、重要なことなのではないか。「言ったことが、現実化する」と言っているのだから、とてつもなく重要なことだと思うけど、どうなのだろう。
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言霊主義者は、自分が、行動したということを、無視してしまう。
これも、でかいことだ。
実際に、行動したから、「世界で一枚しかない、自分だけの皿」をつくることができた。実際に行動しなかったから、「世界で一枚しかない、自分だけの皿」をつくれなかったのである。
たとえば、「世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくる」と言っただけで、世界で一枚しかない、自分だけの皿をつくるために、それに関連するすべての行動をしなかったなら、「世界で一枚しかない、自分だけの皿」をつくることはできなかったのである。
言霊主義者は「その過程」で「自分がしたすべてのこと」を無視してしまうので、「言ったからできた」と思うことができるのである。
いやーー。言っただけではないでしょ。
行動をしたのでしょう。
なんで、行動は全部無視してしまうのか?
実際にやったことを無視してしまうなんて、おかしい。