理想は、理想。まあ、ぼくがほんとうにこまっている問題というのは、ほかの人には、わかりにくい問題なんだよなぁ。わかるわけがない。体験があまりにも特殊すぎる。体験から出てくる悩みなので、ほかの人にはわからない。そして、たとえば、理想の生活をするとなると、まずそこが、ネックになるのだ。けっきょく、決まった時間に起きて活動するということが決まっていると、それだけで、自殺したくなるので、いろいろと問題がある。今朝も、じつは、「例の雰囲気」がおそってきた。「例のつかれ」がおそってきた。ほかの人に、わかるわけがない。ヘビメタ騒音でしょうじた雰囲気だからだ。ヘビメタ騒音でしょうじたつかれだからだ。経験がないけど、推論で、わかってくれる人は、たしょうはいる。けど、その人たちの問題ではない。その人たちは、きちがい家族が、小学六年生のときから二五歳になるまで、きちがい的な音で、ヘビメタを鳴らしていたわけではない。ヘビメタは、ぼくにとって、一番きらいな音がつまっている音楽だ。ヘビメタが好きな人にはわからないことだ。その人たちだって、きらいな音はあるだろう。そのきらいな音が、あの至近距離で、あの時間の長さ、あの音のでかさで鳴っていたら、どうなるか? やっぱり、ぼくとおなじような効果があらわれると思う。心身ともに、ひどいことになると思う。これ、一生、続いているんだぜ。
やっぱり、「そんなのは関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「そんなの、鳴り終わったら関係がない」と言ったやつらを、ぶんなぐって、やりたいな。ぶんなぐってやりたい。どれだけ影響が出るか、こいつらは、まったくわかっていない。わかっていないということもわかっていない。本人は、わかっているつもりなのだ。「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だって苦労した」とみんな、言う。けど、そいつらは、普通に暮らせるだけの、体を維持している。普通に通勤通学できる身体を保持している。ぜんぜんちがうんだよ。ぜんぜんちがうから、保持しているだけだ。昨日も書いたけど、こいつらは、簡単に考えすぎる。ヘビメタ騒音の効果を、小さく見積もりすぎている。「そんなんじゃないんだ」ということを、どれだけ言っても、認めない。影響のでかさがわかってない。「ヘビメタ」という言葉も問題だ。深刻な感じがしないのだ。きちがい的な意地で、きちがい感覚で鳴らしてしまう、きちがい家族が、すぐ横の部屋で鳴らしていたら、どれだけこまるかわかっていない。こいつらだって、一番、苦手な音が、あのでかさで、あの至近距離で鳴っていたら、生活がめちゃくちゃになって、
睡眠時間の問題だって、こいつらは、俺とおなじレベルでは、経験していない。けど、「俺だって朝はつらい」と言いやがる。こいつらには、きちがい的な家族がいない。きちがい的な家族が、きちがい的な感覚で、毎日しつこく、すべての時間を使って、この世で自分が一番、きらいな音を鳴らしているわけではない。
きちがい兄貴の感覚というのは、おかしいんだよ。そんなにいるわけがない。そして、きちがい兄貴が、意地を通そうとしたら、通せた環境というのも、レア中のレアなのだ。こんな、普通はないのだ。きちがい親父はきちがい親父だし、おかあさんは、きちがい親父とはまったくちがった意味で、普通の人ではないのだ。両方とも、普通の人からは、ずれまくっている。そして、近所の人も、うちから離れていたという点もあるのだけど、でかい幼稚園の横で、騒音耐性が強すぎるのである。でかい家が多いので、庭に余裕がある。そして、一番近い、東側の家は、当時空き地だった。これ、東側に引っ越してきた人たちにとってみれば、俺と、きちがい兄貴が、仲間に見えるのだ。「こっちには、うるさいと文句を言ってきたのに、あれがうるさくないのか」というような意見を、たぶんかかえていたんじゃないかな。これ、ありがちなんだよ。
ともかく、きちがい兄貴が意地を通せる環境だったんだよな。近所の人が……近所といっても、ちょっと離れているのだけど、ドラムに夢中になった子どもがいた人がいたんだけど、うちに、「どうやって、しずかにさせたのか」ということを聞きにきたんだよね。しずかにさせてないからぁ。きちがい兄貴が引っ越したから、しずかになっただけだ。