たいていの場合、言霊主義者が……「死ぬと言うから、死ぬ」「死なないと言えば、死なない」と思っていないということは、重要だ。
たいていの場合、人間が死ぬのはあたりまえだと思っているのである。たいていの場合、あたりまえだと思っていることについては、どれだけネガティブなことを言っても、「のろい」にならないのである。
たいていの場合、ネガティブなことを言ってしまったから、ネガティブなことが発生するのではないかという「危惧」がうまれない。たいていの場合、ネガティブなことを言っても、あたりまえだと思っていれば、「のろい」のような機能がなくなるのである。
けど、死ぬことはともかくとして、なにかの、のろいで死ぬということはありえると思っているのである。のろい自体で死ぬことや、のろいが別のことを引き起こして死ぬことについて考えるのである。
その場合は、ネガティブなことを言ったということが、重要なことになる。
たとえば、のろいが病気の原因になって、病気になって死ぬということがありえると思っているのである。けど、病気の原因は、物理的な原因なのである。原子とか分子というレベルで、変化が起こっていて、その変化が病気を引き起こすのだから、病気の原因は、物理的な原因なのである。
しかし、言霊主義者は、言霊の力が、その物理的な原因を「ひきおこす」原動力になると思っているのだ。そして、のろいのトリガーが、言霊主義者にとっては、ネガティブな発言なのだ。
しかし、たいていの場合、その言霊主義者も、あたりまえだと思っていることについては、ネガティブな発言をしても、まったく、心配しないのである。
言霊主義者も、言霊とは関係なく、人間は死ぬと思っているのである。「死ぬと言うから、死ぬ」のではなくて、人間が死ぬ動物だから、死ぬと思っているのである。
あるいは、すべての生命体が死ぬ存在であるから、人間も死ぬだろうと思っているのである。何度も言うけど、それは、言霊とは関係がないことなのである。
「人間が死ぬ運命にある」ということは、言霊とは関係なく、言霊主義者によって、肯定されてしまうことなのである。ようするに……言霊ではない!!!……別の力が働いていると、言霊主義者が思っているということなのである。
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言霊主義者が、ガラスのコップを落としたとする。そして、ガラスのコップが割れたとする。言霊主義者は、ガラスのコップを落とす前に「ガラスのコップが落ちる」と言わなかった。
言霊主義者は、「ガラスのコップが割れると」と言わなかった。
ところが、言わなかったことが現実化したということには、まったく関心をしめさないのである。普通に「ガラスのコップが落ちて割れた」と認識してしまうのである。
そして、「ガラスのコップが落ちた場合、ガラスのコップだから!!割れる可能性がある」と普通に思っているのである。
これは、「一〇円玉が落ちたら、一〇円玉が落ちた」と思うのとおなじだ。
言わなくても、事柄が発生するのである。そして、言わなくても、事柄が発生するということを、言霊主義者が自然に受け入れているということを意味している。
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「ガラスのコップを落としたら、ガラスのコップが割れる」と言ったから、ガラスのコップが割れたと考える場合について考えてみよう。
これは、物理的な考え方が、言霊的な考え方に内包されている場合なのである。
この場合は、言霊の力によって物理的な現象が発生するということになる。ようするに、言霊の力が、物理的な力よりも、上位の力であって、その上位の力が、物理的な力を発生させていると考えているのである。
けっきょく、言霊主義者が、帰納的に関係を理解する場合は、言霊の力が、物理的な力を引き起こして、そうなると思っているところがある。
帰納的にというのは、経験から、そう思うようになったということだ。言霊主義者も、経験によって「あたりまえだ」と思うようになったのである。
物理的な世界で生きているので、物理的なことに関しては、複数回おなじようなことを経験するので、その複数の経験を通して「あたりまえだ」と思うようになったのである。
ガラスのコップを落としても、割れない可能性があるのだけど、割れる可能性もある。
ガラスのコップを落としたら、ガラスのコップが割れたということを、言霊主義者が、経験すると、それが、あたりまえだと思うようになるのである。回数が多ければ多いほど、「それであたりまえだ」と思うようになる。
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普段は、「死なないと言っても、人間は死ぬ」と思っている言霊主義者がいたとする。
たいていの場合は、「あたりまえのこと」に関しては、言霊的思考ではなくて、現実的な思考になる。
問題なのは、言霊主義者が、言霊思考をしていないということについて、無頓着なことだ。
言霊主義者は、本人が「あたりまえだ」と思うことに関しては、言霊思考をしていないのである。
けど、「言霊は絶対だ」「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」とかたく信じているのである。普段から、かたく信じている。
だから、ほんとうなら、矛盾を感じなければならないのだけど、矛盾は感じないことになっている。
「死なないと言っても、人間は死ぬ」と思っている言霊主義者が、なんらかの理由で、自分が、遠くない将来において、死ぬと思った場合は、「死なないと言えば死なない」と言霊思考になることがあるかもしれない。
その言霊主義者のなかで、現実度や切迫感がかわったのである。
たぶんだけど、希望に関することは、いつかかなえばよいわけだから、切迫感がなく、現実感が小さいのである。このような場合は、言霊思考になるのである。現実的で、細かいことに関しては、普通に、非・言霊思考になるのである。ところが、自分の命が、ほかのはっきりとした理由によって、なくなるのではないかと、現実的に思える場合は、逆に、最後の神頼みで、思考が言霊思考になるのではないかと思う。
ともかく、無意識的に、切り分けている。本人は、矛盾に気がつかない。普段から、じゅうぶんに言霊主義的な行動をして、言霊主義的な考え方をもっていると、言霊主義者は、確信しているのである。ところが、すぐに対応しなければならないような、現実的なことに関しては、言霊思考なんて、出てくる余地がないのである。言霊主義者は、一倍速のことに関しては、あたりまえのように、言霊思考を無視して暮らしているのである。