言霊を信じて、なにかを言うことは、神様におねがいをするということと、ほとんどおなじ意味をもっている。
神様におねがいをした場合、神様がおねがいを聞いてくれるかどうかは、神様次第だということになる。
しかし、言霊の場合は、言っただけで、ねがいがかなえられる……のである。
ようするに、神様を介在させずに、自分の発言だけで、神様から「イエス」を導き出すことができるのだ。
ようするに、神様におねがいをする場合は、神様が自分のおねがいを却下する場合があるのだけど、言霊の力を信じて、自分のおねがいを言う場合は、言霊という神のような力をもつものには、自分のおねがいを拒否する権利がなく、かならず、承諾されるということになっているのである。
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たとえば、「元気だと言えば元気になる」と言うことについて考えてみよう。「元気だと言えば元気になる」ということが、言霊の例として語られることが多いのだけど、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、「元気だ元気だと言えば元気になったような感じがする」という意味で、体の調整範囲のことになる。
つまり、体のしくみに依存したものなのだ。そして、体は物理的な存在だし、体のしくみは原子や分子の運動を含めた物理的な運動によって成り立っているのだ。
まず、元気だと言うことに関しても、「元気な状態」というものがどういう状態かということを、「体感」として知っているのである。
「元気だという言葉」と「身体感覚」の連合ができあがっているのである。
そして、このことは、元気ではない状態にも成り立っている。「元気ではない状態の身体感覚」と「元気ではない」という言葉の連合ができあがっている。
元気ではない状態の代表例として、つかれた状態というものがあるとする。
この場合、「つかれたと言うから、つかれるのだ」ということが、言霊理論として成り立ってしまうのである。
だから、つかれたときは「元気だ元気だ」と言えば、元気になるということになるのである。言霊主義者の頭のなかでは、そうなる。
しかし、これは、言ってみれば、通常の範囲内で、そういう気分がするということを意味しているにすぎない。
前にも説明したが、まず、体のしくみが成り立っているのである。
そして、体というのは物理的な存在であり、体のしくみも(臓器を構成する物質と)体の中にとりこまれた物質の、物質的な相互作用によって成り立っているのである。
臓器が本来持っている機能を発揮できないときは、どれだけ元気だと言っても、元気にならないのである。
なんかの病気になったとする。その病気になると、内臓のいくつかが、機能を停止するとする。そういう場合は、「元気だ」と言っても、元気にならないのである。
「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、普通に体が成り立っている状態で、普通に体が機能する状態で、「元気だ元気だ」と言えば、元気になったような気がするということなのだ。
ほんとうに物理的に、内臓がダメになっているに、「元気だ元気だ」と言うと……身体のしくみとはまったく関係がない……言霊の力によって、内臓が修復されて、元気になるということではない。
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言霊主義者の頭のなかでは、言霊というのは、言った言葉に宿っているということになっている。なので、言った言葉が現実化するという場合は、時間制限をつけて言えば、時間制限内に現実化するというとになる。
三秒以内に現実化すると言えば、三秒以内に現実化するのである。
内臓のいくつかが物理的に損傷しているとする。なので、元気ではないとする。
その場合、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならないのである。
物理的な損傷が、なおって、物理的な臓器が、本来の機能をとりもどさなければならないのである。もちろん、言霊主義者が、自分のどういう臓器が、損傷しているので、こうなっているということを知っている場合は、当然、自分のその臓器が、みるみるうちに、もとの状態にもどると言えば、もとの状態にもどるということになるのである。
しかし、言霊主義者においても、三秒以内に、もとにもどるというのは、信じられないことなので、そのようなことは、言わないのだ。
ようするに、言霊主義者だって、「言ってもダメそうなときは、言ってもダメだ」と判断しているのである。
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ちなみに、言霊主義者本人が、言わなければならないというルールもない。だから、いくつかの内臓が機能を停止して、元気ではない状態になったとき、本人が「元気だ元気だ」と言えない場合、だれかほかの人が「誰だれさんは元気になる」と言ってあげればいいということになる。
だれかほかの人が「だれだれさんは、三秒以内に元気になる」と言えば、言葉に宿っている、言霊の力によって、三秒以内に元気になるのである。
だから、言霊理論が正しいなら、どんな病気も、すぐになおししてしまうことが可能なのだ。
そもそも、言霊理論だ正しいなら、「これ以降、人間は病気にならない」と言えば、人間は病気にならないということになる。だったら、医療技術なんて必要がない。
「元気だ元気だ」と言っても、元気にならないから、医療技術が発達したのである。
そして、多くの言霊主義者が「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っているのに、実際に自分が「重い病気」になったら、「元気だ元気だ」と言うことによって、その病気を治そうとはしないのである。
人間のからだのしくみとして免疫機能がある。なので、いちおう、放っておいても病気が治ることはある。重い病気だって、なおることがある。
けど、これは、体のしくみが成り立っているからなのである。
基本的に、物理的な出来事なのである。そして、「元気だ元気だ」と言うことによって、元気になるような感じがするというのも、神経や脳を含めた物理的な存在が引き起こしていることなのである。神経や脳には、物理的なしくみが成り立っているのである。
ある言霊主義者が、なんかの病気になったとする。ある言霊主義者のことをAさんということにする。Aさんが病気になったので、Aさんは「元気だ元気だ」と言ったとする。そうたら、病気がなおったとする。
その場合、Aさんは、言霊があるということを確信してしまうし、言霊理論が正しいということを確信してしまう。
しかし、体のしくみによってなおっただけだ。
病気になるときも、物理的な運動によって、病気になったのだし、病気がなおるときも、物理的な運動によって、病気がなおったのだ。言霊や言霊の力が、介在する余地がないのである。
言葉の力は、たしょうは影響をあたえる場合がある。
しかし、これも、物理的な身体が成り立っていて、その身体に物理的なしくみが成り立っているから、影響をあたえる場合があるだけなのだ。
これ、別に、「言霊の力」があることの証明にはならない。まあ、言霊主義者は「元気だ」と言ったら、病気がなおった例をあげて……「だから、言霊がある」と言い……「だから、言霊理論は正しい」と言うわけなのだけど……。
だいたい、言葉を発するということ自体が、物理的なことなのである。
言葉を発するような身体が成り立っていなければ、言葉を発することすらできないのだ。重たい病になって、「元気だ元気だ」と言ったあと、元気になった場合も含めて、言霊は関係がない。免疫機能によって、なおっただけだ。
これは、言ったあと、ほかの理由で、言ったことが現実化しただけなのである。別に、言霊の力が、病気をなおしてしまったわけではない。
ここで想定されている言霊の力というのは、じつは、外的な力なのである。自分の力ではなくて、外的な力なのである。自分以外に属する力なのである。
言霊と言っているけど、これは、神様が言葉に宿っていて、言葉を言うと、言葉に宿る神様が、ねがいをかなえてくれるというようなことなのだ。
それと、「元気だ元気だと言ったあと、元気になったような感じがする」ということは、まったくちがう。
そして、「元気だ元気だ」と言ったあと、体のしくみによって元気になった場合は、言霊の力によって、元気になったわけではないのだ。
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ともかく、言霊というのは、言霊主義者にとって「神様」みたいなものなのである。そして、言ったことが言霊によって現実化されるということになると、言霊自体には、言ったことを現実化させないという選択肢がないということになるのである。
つまり、言霊は、絶対に自分の望みを却下しない、神様みたいなものなのである。
そして、言霊主義者は、「言ったことが、言霊の力によって現実化する」という言葉の意味が、「すべての言ったことが、言霊の力によって一〇〇%の確率で現実化する」という言葉の意味と、等価だということがわかってない。これは、理論的な話だから、否定してもむだだ。ここに、まちがいがある。理論的なまちがいは、認めなければならないのである。
しかし、「難しいことはいいんだ」「簡単なのが正しい」「理屈じゃねーーんだよ」「絶対にあっている」と言って、理論的にまちがっているということを認めないのである。
この反応の背後には、「神様みたいなものだ」「神様のような力がある」という思いがあるからなのではないかと思う。そして、言霊主義者ではなくても、人間はほとんどの人が、このような感覚をもっている。だから、理論的にまちがっているということを指摘されても、理論的にまちがっているということを認めたくないのである。
言霊主義者にとって、言霊というのは、自分のねがいをいつでも聞いてくれる神様みたいなものなのだ。言霊という神様が、自分のねがいを、却下することはないのだ。だって、「言った内容」が言霊によって現実化するのだから、言霊は、言われた内容を現実化することを、自分(言霊)の判断で、却下することができない。
却下されることがないのである。
言ってしまえば、それで、ねがいがとおるのである。自分が言ってしまえば、「言霊の神様」はねがいをかなえるしかないのである。
そういう、便利な存在なのである。言霊主義者にとって、言霊というのは、自分のねがいを(言っただけで)なんでもかなえてくれるような便利な存在なのである。
そういう便利な存在だから、手放せないのである。理論的にまちがっているということを言われてたって、理論的にまちがっているという指摘は、認めずに、はねのけて、自分が(言葉でねがいごとを)言ってしまえば、「言霊の神様」は、ねがいをかなえてくれると思ったままなのである。
言霊理論は、言霊主義者にしてみれば、まちがっていたって、便利な考え方なのである。そんな便利な考え方を、まちがっているということを認めて、手放したくはないのである。
そういう気持が、ものすごく強いのである。……言霊主義者は……。
問題なのは、言霊の神様を言霊主義者が信仰していることではなくて、言霊主義者が、相手の状態を無視して、相手の条件を無視して、言霊的な提案をすることなのである。言霊主義者は、まったく気にしていないけど、これは、失礼なことなのである。
まあ、わかるわけがないか。
「言霊理論は正しい」と思っているのだから、「言えば、言っただけで解決できる」と思っているのである。ところが、言ったって解決できないことは、たくさんある。
不幸な条件が不幸な出来事を発生している場合は、不幸な出来事の影響を、(その人が)うけている。だから、過去の出来事は関係がある。過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえないわけではないのだ。
そして、言霊主義者は、ほかのスピリチュアルな理論を信じている人が多いので、「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」というようなことを言うのである。
「言ったことが、現実化する」と言ったあとに「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」と言って、自分で矛盾を感じないのだ。
ほんとうに、こまったなぁーー。ほんとうに、こまる。