特殊な環境をもっている人は、特殊な環境をもっているので、自分の環境について、普通の人に理解を求めることができなくなる。
普通の人は普通の人の環境のなかにいる。
そうなると、どうしても、自分の環境で体験したことをもとに、環境について考えるということになる。ここで言う環境というのは、条件の束のことなので、相手の環境について考えるとき、自分の環境を基準して考えるということだ。
条件の悪さは、聞いたこととして理解できるけど、それは、聞いた話として理解しているだけだ。自分のことではないので、切迫感も切実さもないのである。
そうなると、たとえば「苦労」と言った単語にどう反応するかのゲームみたいなものになってしまう。
相手の立場を考えるということは、じつは、言霊主義者だけではなくて、普通の人も苦手なのだ。エンパスでない限り、相手の立場について考えるということ自体が、苦手な人が多い。
言霊主義者の場合は「言ったことが現実化する」という特殊な考え方をもっているので、そのフィルターを通して、相手の言っていることを理解するということになる。
普通の人には、この特殊なフィルターである『言霊主義フィルター』はないのだけど、普通の人は、言霊主義者よりも、たしょうは、相手の立場になって考えることができるというレベルの差しかない。普通の人の理解レベルは、言霊主義者に毛が生えた(はえた)程度のレベルだ。
そして、普通の人は、言霊主義フィルターをもっていなくても、『努力論フィルター』をもっている場合が多い。などがある場合が多い。
特殊な悪い家族にかこまれて住んでいる場合、特殊な悪い家族に囲まれて住んでいない人には、特殊な悪い家族に囲まれているからこそ発生してしまう問題は、理解しにくいということになる。
そりゃ、自分の場合は、ちがうのだから、「そんなのは、どうでもいい」ということになってしまう。言霊主義フィルターをもっているものは、「言えば解決する」と言い努力論フィルターをもっているものは、「どんな環境での、努力すれば解決する」と言うのだ。
ところが、言っても解決しないし、努力しても解決しないのだ。そもそも、努力することができない環境をもっている人は、努力できない。
しかし、努力論者は、努力することができないということを認めないのである。
努力論者によれば、どんな環境だって、努力はできるのである。努力論者にとって、「努力ができない」と言うことは、あまえなのである。
言霊フィルターと努力論フィルターをもっている人は「努力できないなんてことはない。できるといえばできる」と言って、努力することができない環境というものを無視してしまう。
そして、努力なり、言うことで、解決できると決めつけてしまうのだ。しかし、言うことでも、努力することでも解決できない問題はある。そういう問題を多く生み出す環境がある。