あんなことをやられて、「ウツ」が残らないわけがない。
残らないわけがない。
あーー。いまの時間も鳴ってたなぁ。
きちがい兄貴の感覚がおかしい。
きちがい兄貴の感覚がおかしい。
普通の人がやらないことを、きちがい的な意地で、きちがい兄貴がやりやがった。これ、きちがいだからやり方がきちがいになってしまう。きちがい的なやり方になってしまう。
きちがい的なやり方でやられたら、どれだけこまるか、きちがい家族と一緒に住んだことがないやつらは、わからない。実際にやられていないから、わからない。実際に、やられたことがないからわからない。
うちのなかにいる、きちがい家族の状態なんてわからない。どれだけ狂った感覚をもっているか、わからない。
これ、ほんとうに、やっていることが、そもそもおかしいんだよな。
きちがい兄貴がやっていることがおかしい。
けど、きちがいだから、どれだけ言っても、おなじ反応が返ってくるんだよ。そのまま、押し通す。きちがいだから、あんなにでかい音で鳴らしていて、「普通」だと思っている。
兄貴の友達が、兄貴の部屋に入って、きちがい兄貴が普段鳴らしている音でヘビメタを聴いたとき……「自分はこんなにでかい音で鳴らしたことがない」「家族の人が文句を言わないの」「家族の人がかわいそうだよ」と言ったんだよ。
きちがい兄貴は、きちがいだから、きちがい兄貴の友達が言ったことが、ほんとうに、わからないのだ。まるで、気にしない。きちがいそのもの……。
これ、きちがいおやじとおなじ態度なんだよ。きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじ態度なんだよ。
きちがい兄貴が、きちがい親父の態度で、きちがいヘビメタを、こだわってこだわってこだって、こだわって、こだわって、こだわって、めちゃくちゃにでかい音で鳴らし続けた。
けど、きちがいだから、「でかい音で鳴らした」という記憶がまったくない状態なんだよ。
きちがい的にでかい音で鳴らしているとき、「でかい音で鳴らしている」という認識が、一切合切ない。
そういう……認めたら「鳴らせなくなってしまうようなこと」は、きちがい的なしくみで認めないのだ。
そして、この「きちがい的なしくみで認めない」ということが、今度は、ほかの人……一般人……普通の人にはわからないのだ。
どれだけこまるか、まったくわかってない。普通の人は、これがどれだけこまることか、まったく理解がない。
きちがい兄貴のように……今度は……一般人が……「俺が毎日やられていること」を、無視するのである。
どれだけこまるか、一般人は、ほんとうにわかっていないのである。
だから、俺はもっと、こまるのである。
きちがい兄貴にやられてこまって、きちがい兄貴にやられるとどれだけこまるかということが、わかっていない一般人に、無理解ぶりを発揮したことを言われてこまるのである。
一般人は一般人で、「むりなことを言っている」つもりが、ほんとうに、まったくないんだよ。
だから、はさまれてこまる。
* * *
普通の家だったら、一日だけでも「だいもんだいになること」なのに、きちがい兄貴も、きちがい親父も、きちがいだから「もんだいにならない」のだよ。
おかあさんは、きちがい兄貴やきちがい親父とは、まったくまったまったく、ちがった意味で、普通の人ではないのである。
けっきょく、きちがい兄貴が、普通の家だったら、大問題になることを、きちがい感覚でやり通しているのに、俺がさわいでいるだけだということなってしまう。
「やめろ」「やめろ」と俺がさわいでいるだけになってしまう。
それだって、普通の人の感覚で言えば「おかしなこと」だから、普通の人は、俺が「嘘を言っている」と思ったりする。
これは、普通の人の約四割が、俺が言っていることが嘘だと思う……ということだ。
約六割は、「鳴ってたって、関係がない」と思うのである。「そんなのは、家族で相談すればいい」と思うのである。