2025年9月3日水曜日

●ブラック社長にしたって、できないことはできないのである■言霊※2025/09/02 6:48

「むりだと言うから、むりなんだ」「できると言えばできる」という発言について考えてみよう。

むりだと言うから、むりなのだろうか?

そんなことはない。

むりだと言っている人は、いろいろな状況から考えて、むりだと思っているから、むりだと言っているだけだ。判断の結果を言ったにすぎないのである。

「むりだと言うから、むりなんだ」の「から」に注目してみよう。

「原因」は「むりだと言ったことにあるということ」を言っているのである。

これは、もともとはむりではないことが、「むりだ」と言うことによって、むりなことになったということだ。

おかしいだろ。判断について述べただけだ。

たとえば、「死者をよみがえらさせることなんかむりだよ」とだれかが言ったとする。もともと、死者をよみがえらせることができるのに、その人が「死者をよみがえらさせることなんかむりだよ」と言った「から」むりなことになったと考えるようなものなのである。

こういう主張なのである。

たとえば、「瞬間移動することなんてむりだ」とだれかが言ったとする。

ほんとうは、瞬間移動できるのに、「瞬間することなんてむりだ」とだれかが言った「から」瞬間移動がむりなことになったということを考えているのである。「むりだと言うから、むりなのだ」と言う人は、そのように考えているのである。

「むりだと言うから、むりなのだ」という発言には、そういう気持が、こめられているのである。

じゃあ、瞬間移動することができるかとというとできないのである。

言霊主義者が、どれだけ熱心に「瞬間移動する」と言ったって、瞬間移動しないのである。「できると言えばできる」と言ったって、できないのである。

「わたしは瞬間移動することができる」と言えば、瞬間移動することができるようになるのかというと、ならない。言霊主義者だって、そんなことは知っている。

けど、自分以外の人にある作業をやらせたいときは、「できると言えばできる」と言うのである。「できないと言うから、できない」と言うのである。「むりだと言うからむりなんだ」と言うのである。人に、やらせたいから……。

人を自分が思った通りに動かしたいから。

そして、どうして、人を自分が思った通りに動かしたいかというと、本人にそういう「欲望」があるからなのだ。

ブラック社長は、無料の労働力がほしいのである。

だから「むりだと言うからむりなんだ」「できると言えばできる」と言うのである。何度も言うけど、ブラック社長にしたって、できないことはできないのである。

普段、自分が一倍速で経験していることに関しては、現実的な方法を模索しているのである。言霊主義者であるブラック社長だって、模索しているのである。

たとえば、「おカネが出てくる」と言っておカネを儲けるのではなくて、会社をおこして、従業員を安く働かせるということで、おカネを儲けようとしているのである。

従業員を働かせると書いたけど、ブラック社長は、できれば、従業員を無料で働かせたいのである。

「できないと言うから、できない」というのは、たぶん「できないと言うからできないことになる」ということだと思う。

できないと言うから、できることが、できないことになったのである。だから、できると言えば、できないことになったことが、できることになるのである。

へんだろ。おかしいだろ。

もともと、できることを「できない」と言うことで、「できないことにしてしまった」というニュアンスが出るのだ。そういう印象が付与される。

けど、ブラック社長だって、死人をよみがえらせることはできないし、瞬間移動もできない。

瞬間移動ができないのは、「できない」と言うから、できないのか?

もともと、瞬間移動することができないので、瞬間移動することはできないと(言霊主義者ではない人が)言っただけだ。

たとえば、言霊主義者ではないAさんが「瞬間移動することはできない」と言ったとする。Aさんの判断では、瞬間移動することはできないことなのである。

だから、「瞬間移動することはできない」と言ったのだ。

ところが、Aさんが、瞬間移動することはできないと言ったから、瞬間移動することができなくなったという印象をあたえようとするのが、言霊主義者なのだ。

印象操作だ。

「できないと言うから、できない」という言葉は、そういう印象をあたえるのである。

実際、言霊主義者は、「できないと言うから、できることができなくなった」と思って、そう言っているのである。つまり、「できない」と言うことによって、「できないことになったのだ」と言霊主義者は考えているのである。

だから、「できないことでも、できると言えば、できることになる」のである。これが、言霊主義者の妄想思考だ。

こんなの、頭がおかしいレベルだぞ。

どうしてこんなことが、まかりとおっているのか?

どうしてかというと、ひとつは、幼児的万能感をだれもがもっているからなのだ。

だれもがもっている幼児的万能感を、悪い人に利用されたのである。悪魔の手下の手下にそそのかされて、言霊教祖が、人を洗脳しているのである。言霊教祖は、知ってか知らずか、悪魔の協力者なのである。

*     *     *

ネガティブな発言をする人が、できることをできないことにしてしまうのだという印象をつくりだすのである。世の中の言霊教祖や言霊教徒は、そういう印象をつくりだそうとしているのである。

ネガティブなやつが、ネガティブな発言をしたから、ネガティブな結果が出てきたのだということにするのである。

「できない」という合理的な判断をした人は、ネガティブな発言をした悪い人になってしまうのだ。こういうしくみができあがっている。

そうすると、普通の人は、ネガティブなことを言えなくなってしまう。

たとえ、「できる」という判断がまちがっているとしても「できない」と言ってしまうと、「できない」と言ったことによって、できないことになってしまうので、「できない」というネガティブな発言をすることができなくなってしまう。

それから、言霊理論はまちがっているのだけど、まちがっているというネガティブな発言をすることもよくないことだということになってしまう。

「まちがっている」という言葉はネガティブな言葉だから、言えなくなってしまうのである。

ほんとうに、まちがっているのに、まちがっていると言うと、言霊主義者がめちゃくちゃに、ネガティブな反応をしてくるから、「まちがっている」と言いにくくなってしまう。

「単純なのが正しい」「言霊は絶対に正しい」「理屈じゃねーーんだよ」と言って、言霊理論は、理論的にまちがっているのではないかという発現を、封じてしまう。

「正しい」というのが、ポジティブで、「まちがっている」と言うことは、ネガティブなことなのだ。ネガティブなことを言うのは、悪いことだから、言霊理論が理論的にまちがっているということを指摘したやつが悪いということになってしまう。

言霊主義者の頭の中では、そうなってしまう。

ネガティブかポジティブかということが、正しいかまちがっているかを決めてしまうのである。これは、おそろしいことだぞ。

たとえ、合理的な判断でも、「ネガティブだ」というレッテルを貼れば、まちがった判断だということになってしまうのである。こういうことを利用して、うまいこと、労働者を使っているのが、世の中の、言霊を利用している経営者なのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。