「むりだと言うから、むりなんだ」「できると言えばできる」という発言について考えてみよう。
むりだと言うから、むりなのだろうか?
そんなことはない。
むりだと言っている人は、いろいろな状況から考えて、むりだと思っているから、むりだと言っているだけだ。判断の結果を言ったにすぎないのである。
「むりだと言うから、むりなんだ」の「から」に注目してみよう。
「原因」は「むりだと言ったことにあるということ」を言っているのである。
これは、もともとはむりではないことが、「むりだ」と言うことによって、むりなことになったということだ。
おかしいだろ。判断について述べただけだ。
たとえば、「死者をよみがえらさせることなんかむりだよ」とだれかが言ったとする。もともと、死者をよみがえらせることができるのに、その人が「死者をよみがえらさせることなんかむりだよ」と言った「から」むりなことになったと考えるようなものなのである。
こういう主張なのである。
たとえば、「瞬間移動することなんてむりだ」とだれかが言ったとする。
ほんとうは、瞬間移動できるのに、「瞬間することなんてむりだ」とだれかが言った「から」瞬間移動がむりなことになったということを考えているのである。「むりだと言うから、むりなのだ」と言う人は、そのように考えているのである。
「むりだと言うから、むりなのだ」という発言には、そういう気持が、こめられているのである。
じゃあ、瞬間移動することができるかとというとできないのである。
言霊主義者が、どれだけ熱心に「瞬間移動する」と言ったって、瞬間移動しないのである。「できると言えばできる」と言ったって、できないのである。
「わたしは瞬間移動することができる」と言えば、瞬間移動することができるようになるのかというと、ならない。言霊主義者だって、そんなことは知っている。
けど、自分以外の人にある作業をやらせたいときは、「できると言えばできる」と言うのである。「できないと言うから、できない」と言うのである。「むりだと言うからむりなんだ」と言うのである。人に、やらせたいから……。
人を自分が思った通りに動かしたいから。
そして、どうして、人を自分が思った通りに動かしたいかというと、本人にそういう「欲望」があるからなのだ。
ブラック社長は、無料の労働力がほしいのである。
だから「むりだと言うからむりなんだ」「できると言えばできる」と言うのである。何度も言うけど、ブラック社長にしたって、できないことはできないのである。
普段、自分が一倍速で経験していることに関しては、現実的な方法を模索しているのである。言霊主義者であるブラック社長だって、模索しているのである。
たとえば、「おカネが出てくる」と言っておカネを儲けるのではなくて、会社をおこして、従業員を安く働かせるということで、おカネを儲けようとしているのである。
従業員を働かせると書いたけど、ブラック社長は、できれば、従業員を無料で働かせたいのである。
「できないと言うから、できない」というのは、たぶん「できないと言うからできないことになる」ということだと思う。
できないと言うから、できることが、できないことになったのである。だから、できると言えば、できないことになったことが、できることになるのである。
へんだろ。おかしいだろ。
もともと、できることを「できない」と言うことで、「できないことにしてしまった」というニュアンスが出るのだ。そういう印象が付与される。
けど、ブラック社長だって、死人をよみがえらせることはできないし、瞬間移動もできない。
瞬間移動ができないのは、「できない」と言うから、できないのか?
もともと、瞬間移動することができないので、瞬間移動することはできないと(言霊主義者ではない人が)言っただけだ。
たとえば、言霊主義者ではないAさんが「瞬間移動することはできない」と言ったとする。Aさんの判断では、瞬間移動することはできないことなのである。
だから、「瞬間移動することはできない」と言ったのだ。
ところが、Aさんが、瞬間移動することはできないと言ったから、瞬間移動することができなくなったという印象をあたえようとするのが、言霊主義者なのだ。
印象操作だ。
「できないと言うから、できない」という言葉は、そういう印象をあたえるのである。
実際、言霊主義者は、「できないと言うから、できることができなくなった」と思って、そう言っているのである。つまり、「できない」と言うことによって、「できないことになったのだ」と言霊主義者は考えているのである。
だから、「できないことでも、できると言えば、できることになる」のである。これが、言霊主義者の妄想思考だ。
こんなの、頭がおかしいレベルだぞ。
どうしてこんなことが、まかりとおっているのか?
どうしてかというと、ひとつは、幼児的万能感をだれもがもっているからなのだ。
だれもがもっている幼児的万能感を、悪い人に利用されたのである。悪魔の手下の手下にそそのかされて、言霊教祖が、人を洗脳しているのである。言霊教祖は、知ってか知らずか、悪魔の協力者なのである。
* * *
ネガティブな発言をする人が、できることをできないことにしてしまうのだという印象をつくりだすのである。世の中の言霊教祖や言霊教徒は、そういう印象をつくりだそうとしているのである。
ネガティブなやつが、ネガティブな発言をしたから、ネガティブな結果が出てきたのだということにするのである。
「できない」という合理的な判断をした人は、ネガティブな発言をした悪い人になってしまうのだ。こういうしくみができあがっている。
そうすると、普通の人は、ネガティブなことを言えなくなってしまう。
たとえ、「できる」という判断がまちがっているとしても「できない」と言ってしまうと、「できない」と言ったことによって、できないことになってしまうので、「できない」というネガティブな発言をすることができなくなってしまう。
それから、言霊理論はまちがっているのだけど、まちがっているというネガティブな発言をすることもよくないことだということになってしまう。
「まちがっている」という言葉はネガティブな言葉だから、言えなくなってしまうのである。
ほんとうに、まちがっているのに、まちがっていると言うと、言霊主義者がめちゃくちゃに、ネガティブな反応をしてくるから、「まちがっている」と言いにくくなってしまう。
「単純なのが正しい」「言霊は絶対に正しい」「理屈じゃねーーんだよ」と言って、言霊理論は、理論的にまちがっているのではないかという発現を、封じてしまう。
「正しい」というのが、ポジティブで、「まちがっている」と言うことは、ネガティブなことなのだ。ネガティブなことを言うのは、悪いことだから、言霊理論が理論的にまちがっているということを指摘したやつが悪いということになってしまう。
言霊主義者の頭の中では、そうなってしまう。
ネガティブかポジティブかということが、正しいかまちがっているかを決めてしまうのである。これは、おそろしいことだぞ。
たとえ、合理的な判断でも、「ネガティブだ」というレッテルを貼れば、まちがった判断だということになってしまうのである。こういうことを利用して、うまいこと、労働者を使っているのが、世の中の、言霊を利用している経営者なのである。