たとえば、言霊教祖から、言霊信者が「言霊の話」を聴いているときは、言霊について、抽象的な話を聴いているのである。
具体例が、具体例になっていないということは、話した。
今回、言いたいのはそういうことじゃない。抽象的な話を聴いているときは、抽象的に話を理解するということなのである。
だから、これを「話・抽象」と言っておこう。
自分が一倍速で経験していることについては、それぞれ「あたりまえだ」と感じる理由が成り立っていて、言霊主義者も言霊思考にはならないのである。
だから、これを「自分・非抽象」と言っておこう。そして、他人の話を聴いたときは、他人の身の上に起こったことは、自分の身の上に起こったことではないので、他人の話を抽象的に理解してしまうのである。
これには、個人の能力である程度、差がある。
相手の立場に立って考えることが苦手な人は、相手が言っていることを「おおざっぱ」にしか理解できない。なので、理解度に差がある。理解度に差があるのだけど、「ひとごと」であることにはかわりがなく、自分の経験ではないことには、かわりがないということになる。
というわけで、とりあえず、このことを「他人・抽象」と言っておこう。
そうすると、「話・抽象」と「他人・抽象」は「抽象」であって、自分のことに関しては、「自分・非抽象」ということになる。
この「非・抽象」というのは、「具体・一倍速経験・一倍速思考」と言い換えても、いい。
自分が、一倍速で経験していることなので、認知とメタ認知が成り立ち、全プロセスを体験しているので、自分の視点からものごとを考えることができるのである。
自分の身の上にしょうじた、具体的な出来事については、自分の視点で、考えているわけ。
この場合は、言霊思考になりにくいのである。
夢や希望に関すること以外のことは、ほとんどの場合、あたりまえだということで、言霊思考にならないのである。現実的な理由を重視して、現実的な理由について、不可避的に考えてしまうのである。
別に考えようと、考えることを選択するのではなくて、普通に、即座に考えてしまうのである。その場合は、「話・抽象」思考にもならず「他人・抽象」思考にもならないのである。