DさんがEさんと会って話をしているとき、「Eさんが愚痴ばかりを言う」と思ったとする。
その場合、言霊理論が正しいなら、Dさんは「これ以降、Eさんは楽しい話をする」と言えばよいのである。そうすると、Eさんは、楽しい話をするようになるのである。言ったことが、現実化するのだから、そうなるのである。
楽しい話ではなくても、「これ以降、Eさんは愚痴を一切合切、言わなくなる」とDさんが言えば、それで、問題は解決する。「Eさんが愚痴ばかり言うから不愉快だ」とDさんが思ったから、それが、Dさんにとっての問題になった。
言霊的な解決方法を実行するなら「Eさんは、愚痴を言わない」「Eさんは、有益で楽しい話をする」と言ってしまえば、それで、Eさんは、愚痴を言わなくなるし、有益で楽しい話をするようになるのである。
けど、Dさんは、言霊主義者なのに、言霊的な解決法を「こころみよう」ともしないのである。言霊(理論)が正しいなら、言霊で解決できるだろ。
なんで、自分が一倍速で経験していることについては、言霊で解決しようとしないのか。
言霊の力を使えば、一発で、解決できることじゃないか。
「これ以降、Eさんは楽しい話をする」と言ったあと、Eさんが、あいかわらず、愚痴ばかりを言っているのであれば、言ったことが現実化しなかったということになる。
言霊的な解決方法は、無意味だったということになる。
すぐに、言霊理論が正しいのか、まちがっているのか、判定することができる。
こういう日常的な場面では、言霊主義者は、言霊的な解決方法を「こころみよう」ともしないのである。無意識的には、「言ったってむだだ」と思っているからだ。
ほんとうは、信じていないのである。
熱心な言霊主義者も、ほんとうは、「言霊理論」なんて信じていないのである。言霊理論を信じたくなるのは、自分の夢にかかわる話なのである。夢の話というのは、時間的な余裕があり、なおかつ、現実感がほんとうの現実よりも、たしょう、おとるものだ。
メインは、これなのである。
他人の話も、他人の現実も、本人にとっては、現実感がないので、言霊理論が正しい」と行こうとになってしまう。しかし、自分を中人にしてみた場合、ほんとうに、現実感があることについては、ほとんどすべて、「言霊じゃだめだ」「言ったって解決しない」と思っているのである。
しかし、「言霊じゃだめだ」「言ったって解決しない」と思っているいうことに、気がついていないのである。本人が、気がついていないのである。
本人のなかでは、夢をかなえるためには、「言霊は、真実」でなければならないのだ。
「言霊は、真実」という言葉を翻訳すると「言霊理論は正しくて、言霊は存在しており、言霊の力によって、自分が言ったことが現実化する」ということになる。
それなら、「Eさんが、愚痴ばかり、言う」と思ったときに、「これ以降、Eさんは、愚痴を、一切合切言わない」と言えばいいだろ。そうすれば、それが魔法のように作用して、Eさんは、愚痴を一切合切言わなくなる。
言霊の力によって、Eさんは、愚痴を言えなくなるのだ。
Dさんの言葉に宿っている言霊の力が、Eさんをして、愚痴を言えなくさせるのである。
この力は絶対で、どんな場合でも、絶対的に作用するのである。「言霊の法則は、絶対」なのである。
だったら、言えばいいだろ。すぐに問題を解決できる。
* * *
「相手が愚痴を言う」という問題ですら、言霊的な解決方法で解決できないのに、人には「言霊は絶対だ」「言えば言ったことが現実化する」「これは絶対に正しい」と言うのである。
何度も言うけど、自分は、言霊で、「Eさんが愚痴を言う」という問題すら、解決できないのである。
自分は、言霊で、「Eさんが愚痴を言う」という問題すら解決できないのに、「言霊は絶対だ」「言霊の法則は絶対だ」と言うのである。自分がなにを言っているのか、わかっていないのである。
「相手が愚痴を言うので、不愉快になる」としよう。相手が愚痴を言うという問題も、自分が不愉快になるという問題も、言霊では解決しない。
言霊で解決しようともしないのだ。
「腹がたたない」と言えば、腹が立たなくなるのだろう。受け止め方の問題だと言っている人は、受け止め方をかえればいいと言っている。「相手が愚痴を言っている」という「受け止め方」をかえればよいのである。
言霊主義者なら、「相手が愚痴を言っているとは思わない」と言えば、相手が愚痴を言っているとは思わなくなるのである。
「相手をかえるのはむりだから、自分がかわるしかない」と言っている精神世界の人もいる。これは、言霊の力で相手をかえることは、できるという考え方とは、ちがう考え方だ。言えば、言った通りになるのだから、言った通りに、相手をかえることだってできる。当然できる。
ところが、「相手をかえるのはむりだから、自分がかわるしかない」と「言霊的な考え方」が同居しているのである。
「相手が愚痴を言わないようにする」ということもできないし、「相手の愚痴を聞くと不機嫌になる」という「自分の感じ方」も、かえられないのだ。
なので、「相手の愚痴を聞かされた」と思って、相手に対して不愉快な感情がわくのである。「相手の愚痴を聞かされた」と腹をたてるのである。
けっきょく、精神世界の人は、自分が一倍速で体験している問題に関しては、精神世界でよく言われるような解決方法を使わないのである。
本人が、日常的に感じていることに関しては、精神世界的な問題解決方法を、採用しないのである。