2025年9月9日火曜日

●もともと、役のちがいがあるのだから、同量化するのはおかしい■社会※2025/09/09 1:20

「みんな、苦労している」という言い方がある。

これも、均質化・同質化のテクニックだ。

ほんとうは、環境に差があり、発生する出来事に差がある。だから、苦労の質や、苦労の量に差があることになる。環境によって、苦労の質や、苦労の量が、ちがうのだ。

ちがうのだけど、「みんな、苦労している」というひとことで、苦労の質や、苦労の量を、同質化・同量化してしまう。

じつは、特殊な苦労というのは、特殊な環境をもつ人しか、経験していない。だから、均質化するのは、むりなのだ。

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ちょっと、特殊性から離れて、一般的な話をする。「配られたカードで勝負するしかない」というようなことについて、話したことがあるけど、配られたカードに差があるのである。

ブタの人がもっている『負けさすさ』と、キングのスリーカードをもっている人の『負けやすさ』は、そもそもがちがうのである。カードに差がある。

これは、役に差があるということなのだけど、役に差がある。役に差があるということは、そこからしょうじる「苦労」にも差があるということなのだ。

けど、「みんな、苦労している」というひとことで、差が無効化される。差がないような扱いを受けることになる。

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たとえば、「負ける」と、いろいろな意味で、苦しくなるとする。そうすると、「負けやすさ」が「苦労の差」をうむということになる。

ようするに、最初から、苦労の量には差があるということになっているのだ。カードの差があるのだから、苦労の差もあるということになる。

ところが、「みんな苦労している」というひとことで、キングのスリーカードをもっている人の苦労も、ブタをもっている人の苦労も、おなじだということになってしまうのである。

キングのスリーカードをもっている人が「俺だって負けたことがある」と言ったとする。これは、事実だとする。負けたということが、苦労をすることを意味するならば、「俺だって苦労した」というのは、事実だということになる。

しかし、キングのスリーカードをもっている人が経験した苦労の量は、ブタをもっている人が経験した苦労の量とはちがうのである。ブタなのだから、キングのスリーカードよりも、負けやすいのである。ならば、苦労の量には差があるということになる。

「俺だって負けたことがある」「俺だって苦労した」「みんな、苦労をしている」といういう言葉で、同量化することはできないのだ。

もともと、役のちがいがあるのだから、同量化するのはおかしい。

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まったく役がない人、九のワンペアをもってる人、エースのスリーカードをもっている人の、負けさすさはちがう。

しかし、エースのスリーカードをもっている人ですら、負けることはあり、苦労をしていると言える。

だから、エースのスリーカードをもっている人が「俺だって負けたことがある」「俺だって苦労した」と言った場合、正しいことを言っているという問題がある。主観的には、正しいことを言っているのである。

そして、客観的にも、「俺だって負けたことがある」「俺だって苦労した」ということ自体は、正しいのである。ただし、エースのスリーカードをもっている人の苦労の量と、役がない人の苦労の量は、ちがうのである。

そして、エースのスリーカードをもっている人が、「俺だって負けたことがある」「俺だって苦労した」と言った場合、エースのスリーカードをもっている人は、自分自身と自分よりも格下の役をもっている人の『苦労の差』を無視したことになる。文脈から言って「おなじぐらいの苦労をした」という意味になってしまうからだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。