Dさんの話は、まだまだ、つづく。
「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」ということについて、考えてみよう。Dさんは、ほかの人には 「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言っているのである。
「言ったことが現実化する。これが真実だ」と言っているのである。
しかし、「Eさんが愚痴を言った」と思ったあと、Dさんが「楽しい楽しい」と言えば、Dさんは楽しくなるのかという問題がある。
自分が一倍速で経験したことだと、自分にとっての理由がはっきりしているので、楽しくならないのである。Dさんは、精神世界の人なのに「いいことを聴かせもらった」と受け止め方をかえることもできず、「楽しい楽しい」と言って楽しくなることも、できないのである。
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普段、Dさんは、人には「過去は関係がない」と言っているのに、Eさんにあうたびに、何回も、「政治的な愚痴を聞かされた」と思っているのである。
だから、「Eさんとあうのはやめよう」とDさんは思ったのである。
Eさんの愚痴話がいやだから……Dさんは、Eさんとの付き合いを切ったのである。Eさんとの付き合いを切るという判断をしたとき、Dさんは、過去を重視していたのである。
Dさんは「過去は関係がある」と思って、Eさんとの付き合いを切ったのだ。
ところが、Dさんは、普段「過去は関係がない」「過去はない」「過去は現在に影響をあたえない」「過去の出来事は、現在に影響をあたえない」と言っているのである。
自分が一倍速で経験した自分のことだと、普段から、過去について、普通に考えているのである。過去においてEさんが、政治に関する愚痴を言ったので、「縁を切ろう」と思ったのだ。
何度も言うけど、Dさんは過去の出来事を重視している。Dさんが「縁を切ろう」と思った時点を「現在」だとする。
「過去において、自分は、Eさんから政治の愚痴をいっぱい聞かされた」と、Dさんは「現在」の時点で、思っているのである。
「過去は無味乾燥な記憶でしかない」とするならば、「現在」の時点で、自分の感情を動かさないのである。
「過去は記憶の中にしかないものだから、現在の判断とは関係がない」というのが、過去否定論者であるDさんの主張なのだ。
「過去は、頭の中にある単なる記憶でしかないから、こだわる必要がない」とDさんは、ほかの人には言うのである。
しかし、自分のことになると、そんなことは一切合切考えず、「Eさんが、政治の愚痴を、何回も、自分に言ってきた」と判断して、Eさんとの付き合いを切ろうとするのである。
Dさんは、他人には「過去は、頭の中にある単なる記憶でしかないから、たいした意味をもたない」と言っておきながら、自分のことになると、途端に、過去の出来事を重視して、感情的な判断をするのである。
過去の出来事が、「現在」におけるDさんの判断に影響をあたえているのである。
ところが、自分が一倍速で感じたことに関しては、Dさんにとって、あたりまえのことなので、特に、過去否定論にこだわらないのである。
過去否定論者のDさんですら、過去否定論で言ってたことは、ガン無視で、普通に、過去の出来事に反応するのである。
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あと、ちょっとだけ言っておくと、たとえば、Dさんがエイリの騒音話を聞いたとする。
そのとき、Dさんは、「エイリという人は、過去、騒音でくるしんだのだな」と思ったとする。
でっ、この時点を、アルファの時点だとする。アルファの時点で感じた、Dさんのなかの「エイリの騒音のくるしみ」と、エイリが実際の世界で感じた騒音のくるしみが、たぶん、Dさんのなかで、おなじなのである。
だから、Dさんにとっては「エイリの騒音のくるしみ」というのは、「単なる過去の記憶」でしかない。無味乾燥な、現在に影響をあたえない、過去の記憶でしかない。
けど、実際のエイリのなかにある、騒音のくるしみに関する記憶というのは、そういうものではないのである。Dさんが理解した程度の「騒音のくるしみ」ではないのである。
けど、Dさんにとっては、「エイリの、過去における、騒音のくるしみ」というのは、自分が理解した程度の「騒音のくるしみ」でしかないのだ。ここのところで、大きくまちがっているのだ。
Dさんが理解した「エイリが経験した騒音のくるしみ」と「実際にエイリが経験した騒音のくるしみ」は、ぜんぜんちがうのである。
Dさんのなかでは、おなじものなのだけど、ぜんぜんちがうのである。
そして、Dさんにとっては、「それは、頭の中にある単なる記憶でしかないもの」なのである。しかし、エイリにとっては、ちがうのである。ぜーーん、ぜん、ちがうのである。
これは、もう、どれだけ言ってもつたわらないんだろうなと思う。
ともかく、Dさんにおける「エイリの騒音のくるしみ」というのは、たしかに、Dさんにとっては、「エイリは過去、騒音でくるしんだ」という短文のなかにあるようなくるしみでしかない。
そして、Dさんにとっては「エイリは過去、騒音でくるしんだ」というのは、単なる記憶でしかない。「エイリは過去、騒音でくるしんだ」という短文で、全内容をあらわせるような、単なる記憶でしかないのだ。
そして、「エイリは過去、騒音でくるしんだ」と思ったという記憶が、Dさんのなかにある。その記憶のなかの「騒音」とエイリが感じた「騒音」はDさんのなかでは、いちおう、同一の騒音なのだ。
しかし、エイリが実際に一倍速で経験した騒音というのは、そういう騒音じゃないのである。
「の」の重複は指摘しなくてもいい。わかっている。「エイリの騒音のくるしみ」と書いたほうが理解しやすいだろうと思って、そう書いただけだ。
ちょっと、複雑になるけど、DさんがDさんの程度で「エイリの騒音のくるしみ」について理解した時点をアルファだとする。
そして、Dさんが、「過去にこだわる必要はない」と言ったときの時点をベータだとする。Dさんにとっては、アルファの時点の記憶も、単なる記憶でしかないのである。
だから、「過去」はほんとうに、「単なる過去の記憶」でしかないものだと、Dさんにはうつるのではないかと思う。「過去の過去」になっているんだよな。ベータの時点から見ると、エイリが実際に騒音でくるしんでいたのは「過去の過去」なんだよ。
「過去の記憶の中」の「過去」なんだよ。
そりゃ、自分(Dさん)にとっては「過去の記憶の中」の「過去」でしかないものなのだから、軽く考えるよな。だいたい、アルファの時点で、ほんとうは、よくわかっていない。
そもそも、アルファの時点で、理解した「エイリの騒音のくるしみ」というのは、ほんとうに軽いものでしかない。
そりゃまあ、自分が一倍速で、一五年間も経験したことじゃないから、そうなるのも、わかるけど、なんか、腹がたつんだよな。「そういう軽いレベルの騒音じゃない」と何回言っても、たぶん、Dさんは、理解しない。軽い理解のままだと思う。
そうすると、こわれた機械みたいに、「過去は関係がない」と繰り返すことになる。
