2025年9月16日火曜日

●Dさんは「過去は関係がある」と思って、Eさんとの付き合いを切った■過去※2025/09/16 5:32

 Dさんの話は、まだまだ、つづく。

「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」ということについて、考えてみよう。Dさんは、ほかの人には 「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言っているのである。

「言ったことが現実化する。これが真実だ」と言っているのである。

しかし、「Eさんが愚痴を言った」と思ったあと、Dさんが「楽しい楽しい」と言えば、Dさんは楽しくなるのかという問題がある。

自分が一倍速で経験したことだと、自分にとっての理由がはっきりしているので、楽しくならないのである。Dさんは、精神世界の人なのに「いいことを聴かせもらった」と受け止め方をかえることもできず、「楽しい楽しい」と言って楽しくなることも、できないのである。

*     *     * 

普段、Dさんは、人には「過去は関係がない」と言っているのに、Eさんにあうたびに、何回も、「政治的な愚痴を聞かされた」と思っているのである。

だから、「Eさんとあうのはやめよう」とDさんは思ったのである。

Eさんの愚痴話がいやだから……Dさんは、Eさんとの付き合いを切ったのである。Eさんとの付き合いを切るという判断をしたとき、Dさんは、過去を重視していたのである。

Dさんは「過去は関係がある」と思って、Eさんとの付き合いを切ったのだ。

ところが、Dさんは、普段「過去は関係がない」「過去はない」「過去は現在に影響をあたえない」「過去の出来事は、現在に影響をあたえない」と言っているのである。

自分が一倍速で経験した自分のことだと、普段から、過去について、普通に考えているのである。過去においてEさんが、政治に関する愚痴を言ったので、「縁を切ろう」と思ったのだ。

何度も言うけど、Dさんは過去の出来事を重視している。Dさんが「縁を切ろう」と思った時点を「現在」だとする。

「過去において、自分は、Eさんから政治の愚痴をいっぱい聞かされた」と、Dさんは「現在」の時点で、思っているのである。

「過去は無味乾燥な記憶でしかない」とするならば、「現在」の時点で、自分の感情を動かさないのである。

「過去は記憶の中にしかないものだから、現在の判断とは関係がない」というのが、過去否定論者であるDさんの主張なのだ。

「過去は、頭の中にある単なる記憶でしかないから、こだわる必要がない」とDさんは、ほかの人には言うのである。

しかし、自分のことになると、そんなことは一切合切考えず、「Eさんが、政治の愚痴を、何回も、自分に言ってきた」と判断して、Eさんとの付き合いを切ろうとするのである。

Dさんは、他人には「過去は、頭の中にある単なる記憶でしかないから、たいした意味をもたない」と言っておきながら、自分のことになると、途端に、過去の出来事を重視して、感情的な判断をするのである。

過去の出来事が、「現在」におけるDさんの判断に影響をあたえているのである。

ところが、自分が一倍速で感じたことに関しては、Dさんにとって、あたりまえのことなので、特に、過去否定論にこだわらないのである。

過去否定論者のDさんですら、過去否定論で言ってたことは、ガン無視で、普通に、過去の出来事に反応するのである。 

*     *     *

あと、ちょっとだけ言っておくと、たとえば、Dさんがエイリの騒音話を聞いたとする。

そのとき、Dさんは、「エイリという人は、過去、騒音でくるしんだのだな」と思ったとする。

でっ、この時点を、アルファの時点だとする。アルファの時点で感じた、Dさんのなかの「エイリの騒音のくるしみ」と、エイリが実際の世界で感じた騒音のくるしみが、たぶん、Dさんのなかで、おなじなのである。

だから、Dさんにとっては「エイリの騒音のくるしみ」というのは、「単なる過去の記憶」でしかない。無味乾燥な、現在に影響をあたえない、過去の記憶でしかない。

けど、実際のエイリのなかにある、騒音のくるしみに関する記憶というのは、そういうものではないのである。Dさんが理解した程度の「騒音のくるしみ」ではないのである。

けど、Dさんにとっては、「エイリの、過去における、騒音のくるしみ」というのは、自分が理解した程度の「騒音のくるしみ」でしかないのだ。ここのところで、大きくまちがっているのだ。

Dさんが理解した「エイリが経験した騒音のくるしみ」と「実際にエイリが経験した騒音のくるしみ」は、ぜんぜんちがうのである。

Dさんのなかでは、おなじものなのだけど、ぜんぜんちがうのである。

そして、Dさんにとっては、「それは、頭の中にある単なる記憶でしかないもの」なのである。しかし、エイリにとっては、ちがうのである。ぜーーん、ぜん、ちがうのである。

これは、もう、どれだけ言ってもつたわらないんだろうなと思う。

ともかく、Dさんにおける「エイリの騒音のくるしみ」というのは、たしかに、Dさんにとっては、「エイリは過去、騒音でくるしんだ」という短文のなかにあるようなくるしみでしかない。

そして、Dさんにとっては「エイリは過去、騒音でくるしんだ」というのは、単なる記憶でしかない。「エイリは過去、騒音でくるしんだ」という短文で、全内容をあらわせるような、単なる記憶でしかないのだ。

そして、「エイリは過去、騒音でくるしんだ」と思ったという記憶が、Dさんのなかにある。その記憶のなかの「騒音」とエイリが感じた「騒音」はDさんのなかでは、いちおう、同一の騒音なのだ。

しかし、エイリが実際に一倍速で経験した騒音というのは、そういう騒音じゃないのである。

「の」の重複は指摘しなくてもいい。わかっている。「エイリの騒音のくるしみ」と書いたほうが理解しやすいだろうと思って、そう書いただけだ。 

ちょっと、複雑になるけど、DさんがDさんの程度で「エイリの騒音のくるしみ」について理解した時点をアルファだとする。

そして、Dさんが、「過去にこだわる必要はない」と言ったときの時点をベータだとする。Dさんにとっては、アルファの時点の記憶も、単なる記憶でしかないのである。

だから、「過去」はほんとうに、「単なる過去の記憶」でしかないものだと、Dさんにはうつるのではないかと思う。「過去の過去」になっているんだよな。ベータの時点から見ると、エイリが実際に騒音でくるしんでいたのは「過去の過去」なんだよ。

「過去の記憶の中」の「過去」なんだよ。

そりゃ、自分(Dさん)にとっては「過去の記憶の中」の「過去」でしかないものなのだから、軽く考えるよな。だいたい、アルファの時点で、ほんとうは、よくわかっていない。

そもそも、アルファの時点で、理解した「エイリの騒音のくるしみ」というのは、ほんとうに軽いものでしかない。

そりゃまあ、自分が一倍速で、一五年間も経験したことじゃないから、そうなるのも、わかるけど、なんか、腹がたつんだよな。「そういう軽いレベルの騒音じゃない」と何回言っても、たぶん、Dさんは、理解しない。軽い理解のままだと思う。

そうすると、こわれた機械みたいに、「過去は関係がない」と繰り返すことになる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。