2025年9月25日木曜日

●「うれしいうれしい」と言っても、うれしく感じない■言霊※2025/09/24 6:05

自己責任論者であって、なおかつ、言霊主義者である人は、言霊理論を批判されると、腹をたててしまうのである。

ようするに、言霊理論を批判したやつが悪いと思っているのである。

自分が立腹した原因は、言霊理論を批判したやつが言霊理論を批判したからだと思っているのである。自分のことなら、この様(ざま)だ。

自己責任論じゃなら、すべては自己責任と考えるので、「言霊理論を批判された」ということも自己責任だと考えるはずだ。自分の身の上に起きたことは、すべて、自分の責任なのだから、当然、そうなる。

なんで、言霊理論を批判されたときは、エイリのせいで腹がたったと思うのだ?

エイリの発言は、腹がたつと思うのだ?

腹をたてる必要なんてないんだよ。

すべてが、自己責任だから、「エイリのせいだ」と思わなくていいんだよ。

*     *     *

たとえば、自分が信じていることを否定されて腹がたったとする。事前に「自分が信じていることを否定されて腹がたつ」と事前に言わなかったとする。

言霊は、関係がないのである。

「自分が信じていることを否定されたら腹がたつだろ」と思うかもしれないけど、言霊の力によって「腹がたったわけではない」ということは、認識しておいたほうがいい。

うれしいことが起こったときもおなじだ。「これこれこういうことで、自分はうれしいと感じる」と、事前に言わなかったとする。

けど、一倍速で体験しているプロセスのなかで、自然に「うれしい」と感じることがあったのだ。これは、言霊の力によって、引き起こされた感情ではないのである。

「うれしいうれしい」と事前に言ったから、うれしいと感じたわけではない。プロセスのなかで、うれしいと感じたのである。

「あのときは、うれしかったなぁ」と思ったとする。思ったときに、ちょっとだけ「うれしくなった」とする。このうれしさは、うれしかったことを思い出してうれしく感じただけだ。

事前に、うれしいと感じた出来事がほんとうに、あったのだ。

言霊理論が否定されたあと、「じつは、それは、うれしいことなのだ」と受け止め方をかえて、「自分が信じていたことを否定されたときのこと」を思い出して、「うれしいうれしい」と言っても、うれしくならないだろう。

「うれしいうれしい」と言って、うれしくなる場合は、実際にうれしいことを経験したということが、「さき」なのである。

うれしいことを、実際に(過去において)経験したので、そのときのことを思い出してうれしく感じただけなのである。なにも経験がなかった場合、なにがうれしいことなのかわからないから、どれだけ、「うれしいうれしい」と言っても、うれしくならないのである。

何度も言うけど、「経験」のほうがさきだ。

経験がさきにあって、そのあと、「うれしい」という言葉と、その感情が、むすびつくということが起こり、その、さらにあとに「うれしかったこと」を思い出すと、ちょっとは「うれしい気分になる」ということが発生するのである。

思い出したときのうれしさというのは、体験しているときのうれしさとはちがうのである。体験しているときのうれしさのほうが、たぶん、うれしさの程度において高いのである。

思い出しているときに感じるうれしさは、ほんとうに体験しているときのうれしさよりも、たぶん、うれしさの程度において、低いのである。

「うれしい」と言って呼び起こされる「うれしさ」が、ほんとうに「うれしさ」を感じているときのうれしさとおなじであるはずがないのである。体験しているときのうれしさのほうが、「うえ」なのである。

平和な状態で「あのときはうれしかったなぁ」と思い出しているときは、うれしさのほかに安心感を感じるかもしれない。

もし、かりに、その記憶に関係があるだれかが、死んだ状態で「あのときはうれしかったなぁ」と思い出しているときは、うれしさのほかに、さみしさを感じるかもしれない。

たとえば、だれかとの、うれしい体験があったとする。けど、そのだれかが、死んでしまったとする。そういう場合は、うれしいことを思い出しても、さみしさを感じるかもしれないのである。

これは、認知とメタ認知が関係している。

文脈は大切なのである。

文脈を考えずにただ単に、言ったことに反応すると考えているようではだめだ。

特に悲しいこともなく、特にうれしいこともない、中立的な状態を考えて、その中立的な状態のときは、「うれしいうれしい」と言えば、うれしくなったような気分がするということは、あるかもしれないけど、つねに、うれしくなったような気分がするかどうかはわからない。

ようするに、「うれしいうれしい」と、中立的な状態で言ったにもかかわらず、ぜんぜん、うれしくならず、むしろ、さめた気分になってしまう場合だってあるのだ。

ともかく、直前の出来事を無視して、「うれしいうれしい」と言えば、直前の出来事に関係なく、うれしくなるというのは、どう考えてもおかしいのである。

ぼくに、言霊理論を否定された言霊主義者たちは、ぼくに、言霊理論を否定された直後に、「うれしい、うれしい」と言っても、うれしく感じないと思う。

ぼくの経験の範囲で言うと、みんな腹をたてていたのである。

腹をたてているときに「うれしいうれしい」と言うと「ほんとうにうれしくなる」のかどうか、言霊主義者は自分で、実験してみればいいよ。

それから、言霊主義者は「過去は関係がない」と思っているけど、「うれしかったこと」を思い出すというのは、過去が関係している行為だということに、注意を向けるべきだ。

言霊主義者は、相手の過去を、ごく自然に、否定してしまう。

相手には「理由」があるのに、相手の理由は無視してしまうのである。

「言霊理論を否定されたから」腹がたったとする。

これだって、過去の話なんだよ。過去の出来事なんだよ。

言霊理論を否定されたあと、腹がたっているんだよ。

腹がたった理由は、言霊理論を否定されたからなんだよ。

言霊理論を否定される前に、腹がたっていない状態で「腹がたつ」と言ったから、腹がたつという言葉に宿っている、言霊の力によって、腹がたったわけじゃないんだ。

あるいは、言霊理論を否定される前に、腹がたっていない状態で「腹がたつ」と言ったから、言霊の力が、ぼくに働きかけて……その人の前で……言霊理論を否定するということを、ぼくにさせたのではないのだよ。

ぼくにはぼくなりの、理屈と理論があるんだよ。言霊理論はまちがっていると感じる出来事があったんだよ。

ぼくに言われて、腹をたてた言霊主義者が、ぼくに言われる前に、「エイリに言霊理論を否定されて腹をたてる」と言ったから、「エイリに言霊理論を否定されて腹をたてる」という言葉に宿っている言霊の力によって、「エイリに言霊理論を否定されて腹をたてる」ということが、現実化したわけじゃないんだよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。