たとえば、名前だけ店長は、努力をしてきたのである。できるように、努力をしてきた。ほんとうに、ちゃんと、くるしい思いをしてきたのである。
ところが、言霊主義者は「つらいと言うからつらくなる」と、名前だけ店長が、一五(じゅうご)年間にわたって毎日続けた努力を無視してしまう。
言霊主義者が見ているのは、「相手がつらいと言った」ということだけなのである。相手の身に起こったことは、ガン無視なのである。相手がどういうプロセスをへて、「つらい」という言葉を発するようになったのかということは、全部、無視しているのである。
言霊主義者が、相手について認識したことは、相手が「つらい」と言ったことだけだ。
だから、すぐに、言霊思考になって「つらいと言うからつらいのだ」という言葉を発してしまう。
自分のことだと、自分が経験したことだから、自分が「つらい」と言った場合は、「つらい」という言葉を発するまでのプロセスがどういうものか(本人が)知っているのである。
だから、自分がつらいと言ったときは、なんの理由もないのに、急に「つらい」と言って、つらくなったとは考えないのだ。
ちゃんと、つらいと思うような出来事が発生して、発生したあとにつらいと感じて、つらいと言ったということが、本人にはわかっている。
プロセスを省略していないのだ。
プロセスを無意識的に重視している。
(1)出来事の発生、(2)出来事に関する感情の発生、(3)出来事に関す感情についての発言という順番を守って、出来事の感想を言っている。
これ、出来事が発生したあとに、出来事に関連した感想を言っているのである。
突然、出来事に関係なく、「つらい」と言って、そのあと、実際に「つらい」と感じるような出来事が発生したわけではないのだ。
完全に、順番がくるっている。
言霊主義者が認識することの起点が、問題なのだ。言霊主義者が相手について認識したのは「相手がなんらかのことを言った」ということだ。
だから、相手にそういうことが起こったのは「言ったからだ」と思ってしまうのだ。時間や順番は、関係がないのである。
これも、言霊感覚が、幼児的万能感から発生しているということと関係していると思われる。自分中心思考で、相手のことに関する理解は、非常に限られたものになってしまうのである。
「相手がこう言った」ということしか、言霊主義者は理解していないのである。
だから、「相手がこう言った」ということが、「相手がそうなった」ことの理由だと考えてしまうのである。
何度も言うけど、自分中心思考だから、自分が実際に経験したことに関しては、最初から、理由があきらかなので、言霊思考にはならないのである。
言霊思考になる場合は、夢や願望が関係しているときだけなのである。
しかも、たいていは「いつかかなう」系の夢や願望なので、時間制限がないのである。
言霊主義者にとっては、「いつか、そのうち、かなえばいいもの」が言霊思考になるものとして選ばれている。
そして、言っても思い通りにならないことは、無視してしまう傾向がある。
言っても思い通りにならないことに関しては、最初から、言霊的な解決方法をこころみない傾向が言霊主義者には、ある。
その場合は、言霊主義者も「言ったって、言った通りになるはずがない」と思っているのである。しかし、「言ったって、言った通りになるはずがない」と日常的に考えて、行動しているということは、言霊主義者の意識にはのらないのだ。
そのことに関しては、言ったって言った通りになるはずがないと普通に思っているということが、言霊主義者にはわからない。
意識的に、明確に「言ったって言った通りになるわけではない」と思っているわけではなくて、明確なのだけど、無意識的に、「言ったって言った通りにならなくてあたりまえだ」と思っているので、そもそも、言葉としてあらわれないのである。
最初から、「そうみなしている」という態度になる。「いつかかなう系」の夢は、「言えば、言ったことによって、夢がかなう」という信念によってささえられたものになる。
夢や願望は、言霊思考がプラス向きに働くことなのである。
言霊主義者が、言霊を信じているのは、夢やが願望がかなうと、信じたいからなのである。
言えば、言っただけで、願いがかなうはずなのだから、言えば言っただけで、願いがかなうはずなのである。