考えてもごらんよ……。
たとえば、思ったら、現実化したとする。みんながみんな、思っただけで、現実化したとする。みんな、思ったら、思ったことが現実化したとする。
そうしたら、もう、そうなっている。
いまさら「思えば、思ったことが現実化する」と言う必要がない。いまさら「思いが現実化する」という必要がない。
みんな、現実化させてしまっているからだ。
現実化しない人がいるから、おカネもうけができるのである。現実化しない人ばかりだから、自己啓発セミナーに人が集まるのである。成功した人が語る「成功のコツ」セミナーに人が集まるのである。
「これこれで成功する」と思ったら、それで、成功してしまうのだから、いまさら「成功のコツ」なんて、人から教わる必要はないだろ。
カネを払って、成功した人が語る「成功のコツ」セミナーに参加する必要は、ないだろ。
なんで、これがわからないかな。
産業として成り立っているということは、需要があるということなんだ。
「うまくいかせたいのに、うまくいかないひとが、たくさんいる」ということなのだよ。
効果てきめんの方法があったら、それで「うまくいく人ばかり」になるから、効果てきめんの方法では、もうけることができなくなってしまうのである。
ようするに、まるできかない方法だから、いつまでも、生きながらえることができるのだ。
もし、ほんとうに、「言えば言ったことが現実化する」のであり「思えば思ったことが、現実化する」のであれば、「言霊でカネがもうかる」という状態や「思霊でカネがもうかる」という状態が、ずっと続くわけがないだろ。
ようするに、言霊のセミナーも言霊の本も必要がないわけ。言っただけで、自分の願望をかなえることができるからだ。
「思いは現実化する」系のセミナもーも、「思いは現実化する」系の本も必要がないわけ。どうしてかというと、みんな、思っただけで、自分の願望をかなえているからだ。
ずっと続いているのは、それらの方法では、うまくいかないからだ。
「誤解によって成り立っている」だけなんだよ。「うまくいった場合」も、誤解であるわけ。
効果がないから、産業として成り立っている。うまくいかない人ばかりだから、「うまくいく方法」を教える人がいるわけ。