たとえば、おカネがないから、あることができなかったとする。
その状態では「できない」という判断はまちがっていないとする。そのあと、クラウドファンディングというものを知って、出資者をつのったら、おカネが集まり、あることができるようになったとする。
この場合、「状態」がかわったのである。
「条件」がかわったのである。
出資者をつのるという行為によって、条件がかわったのである。だから、条件がかわったので、できるようになったのである。
「できる」と言ったから、言霊の力によって、できるようになったのではない。「できない」と言うから、もともと、できたことが、できないことになったのではないのである。
Aさんが、クラウドファンディングに興味がないとき、「できない」と言ったとする。そのあと、Aさんが、出資者をつのってできるようにした。Aさんが「できない」と言った時点と、Aさんが出資者をつのった時点では、状態がちがうのだ。
条件がちがう。時間も経過した。できるかどうかの判断は、そのときのその人の判断だ。
だから、できないことをできると言う場合と、できないことをできないと言う場合と、できることをできると言う場合と、できることをできないと言う場合にわかれる。
人の判断は、それぞれだ。
しかし、どんな場合でも、言ったことによって、言霊の力によって、状態がかわかることはない。言ったことによって、言葉の力で、人の気持ちがかわる場合はある。この場合は、言霊の力でかわったわけではない。
どこかに、言霊の神様がいて、言っただけで、願いをかなえたわけではないのだ。
身体を使って、状態をかえるように行動したのである。その行動というのは、言霊の力に頼ったものではなくて、物理世界の物理的な行動なのである。
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「できるできる」と言って、行動をしていたら、できるようになったとする。
「だから、できるできる」という言葉には、言霊が宿っていて、その言霊の力によってできるようになったのだ」という認識は完全に、まちがっている。
「できるできる」と言って、行動をしていたら、できるようになる場合はある。
しかし、だからといって、言霊主義者のように「言えば、言ったことが現実化する」と考えるのは、まちがいなのである。その時点で一〇〇%詐欺をしている。自覚がない場合は、自分で自分をだましたことになる。
さらに言えば、言霊があるという文脈の中で、言霊主義者が「言えば、言ったことが現実化する」と言った場合、「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」ということを言っているのである。
「言えば、言ったことが現実化する」という文のなかには言霊という言葉がはいっていないので、言霊とは関係がない話かというと、そうではないのである。言霊があることが前提で、言霊の力によって、言った内容が現実化されるという意味になるのである。
言霊主義者が言っていることはそういうことなので、「言霊の力によって」という部分を省略した場合でも、「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」という意味になってしまうのである。
しかし、たしかに、「言えば、言ったことが現実化する」という文と、「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」という文の意味はことなるのである。ここにヒッカケがある。これは、ヒッカケだ。
言霊主義者は、「言えば、言ったことが現実化する」という文に「言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化する」という意味を込めて、「言えば、言ったことが現実化する」と言っているのである。これは、わりと、重要なことだ。