DさんとEさんの問題というのは、じつは、DさんとEさんだけに限られた問題ではなくて、現代に生きる人、すべての問題だと言える。
なにかしら、言霊主義の影響をうけているからだ。
だいたい、言霊という考え方にしても、言霊を信じている人がまわりに一人でもいれば、その一人は、外部環境になる。そして、言霊主義者であると明言していなくても、言霊主義の影響をうけた人は多い。
「言っただけで、言った通りになる」というのは、ほんとうは、ばかばかしい話なのだけど、リアリティーをもってしまうのでる。
「言霊」というようなタームを用いると、「信じ込ませることができる」のだ。
そして、言霊というタームは、環境の差を、根本的に無視しているタームなのだ。
「どんな人だって」「言えば」「こうなる」ということだから、本人を中心にした場合の「環境の差」を無視してしまう。
最初に、根本的に、「環境の差を無視する」ことが理論の中心に横たわっているのである。これが、絶対の前提なのである。
基本的なことを言ってしまうと、精神世界のなかではやっている理論や努力論や運しだい論というのは、すべて、環境の差を無視したところに成り立っている理論なのである。
「環境の差なんて関係がない」というのが、この手の理論にこめられた「裏メッセージ」なのである。
Dさんだけが悪いのではなくて、人間の構造として、そうなるのである。ようするに、言霊を信じた人は、Dさんのように感じて、Dさんのように行動することになるのである。Dさんだけが、他人の「環境」に鈍感であるわけではないのだ。
言霊思考を受け入れた人というのは、他人の環境に鈍感になるのである。
しかし、自分の環境には、敏感なのである。
どうしてかというと、自分の環境のなかでくらしているからだ。
つまり、人間は、自分の環境を無視できないのである。
しかし、人間は、他人の環境を無視できるのである。だから、一倍速で自分が経験していることと、一倍速で他人が経験したことに関する、認知の差は、そのまま、態度の差になってあらわれる。
だいたい、他人のことを、自分のこととして体験するということは、むりなので……似たようなことはできるかもしれないけど……基本的に無理なので……「ひとごと」だと、どうしても、ひとごとになってしまう。
「ひとごと」は「ひとごと」にしかならない。
その場合でも、環境を無視したことが前提にあるにもかかわらず、環境を無視した理論だということが前面にあらわれないような理論というのは、有害な影響を及ぼすのである。
信じた人に有害な影響を及ぼし、信じた人のまわりにいる人に有害な影響を及ぼすのである。