「負けたと言うから、負けた」という言い方にならず「負けると言うから、負ける」という言い方になるのは、おかしなことではない。
これは、繰り返し起こることだから、現在形になっている。
たとえば、一日のなかで、日がのぼったあとになれば、日がのぼったと過去形で言うことになる。しかし、繰り返されることだから「日がのぼる」と現在形で言うのである。「日がのぼると言うから、日がのぼる」と言霊主義者は「現在形で」言うのである。
だから、一回の勝負のあと、負けた人に、「負けたと言うから負けた」と言うのではなくて、「負けると言うから負ける」と言うのは、それだけを考えれば、理が通ったことなのである。
一回の勝負で、負けた人が、負けたと言ったとしよう。そうすると、言霊主義者が、現在形で「負けると言うから負ける」と言うのである。
しかし、たとえば、一日なのかで、午後になったとき「日がのぼった」とだれかが言ったとする。その場合、言霊主義者は、「日がのぼった」と言ったから、実際に、日がのぼったと考えるのである。
これは、もちろん、まちがいだ。
だれかが「日がのぼった」と言うから、実際に日がのぼったのか?
ちがうね。
それでは、現在形にして「日がのぼると言うから、日がのぼる」と言えば、正しいことになるか?
いやーー。正しいことにならない。
だって、そうだろ。だれかが「日がのぼる」と言ったから、日がのぼるのか?
だれかが「日がのぼる」と言ったから、日がのぼるようになったのか?
ちがうね。地球が自転しているから、東から、日がのぼるように見えるだけだ。だれかが、日がのぼると言ったことは、関係がない。
だいたい、そのだれかというのは、おぎゃーーとうまれたあと、東から日がのぼるということを、学習するのである。東から日がのぼるということが、さきで、だれかが東から日がのぼるということを学習したのは、あとのことだ。
配られたカードで、役がない場合も、おなじだ。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんは、役がない人で、勝つことはない。負けるか引き分けるかのどっちかしかないのだ。ようすに、Aさんは、負けやすい。連続して負けることも多いのである。
Bさんは、言霊主義者だとする。「Aさんが、負けた」と言ったところを、Bさんが見たとする。そうすると、Bさんは、言霊主義者なので、「負けると言うから、負ける」と言い出すのだ。
ならば、たとえば、「日が西からのぼる」と言えば、日が西からのぼるようになるかというと、ならないのだ。「日が東からのぼる」と、だれかが言うから、日が東からのぼるのだという言霊主義者の考え方はまちがっている。
だれかが「日が東からのぼる」と言ったから、言霊の力によって、日が東からのぼるようになったのだと言霊主義は、考えるのだ。
ならば、だれかが「日が西からのぼる」と言ったら、日が西からのぼるようになるかといえば、ならないのである。
これとおなじことが、Aさんが負けた場合にも成り立つ。
Aさんが「勝つ」と言っても、勝てるようにはならないのである。それは、「日が西からのぼると言っても、日が西からのぼるようにはならないのとおなじなのである。
だから、言霊主義者は、Aさんにむりなことを言っているのである。