2025年9月17日水曜日

●腹をたてているときには、「うれしい」と言って問題を解決しよう■言霊※2025/09/16 11:08

「うれしいうれいしい」と言えば、うれしくなるとする。

言霊信者は、「うれしいうれしい」と言えば、どんな状態だって、うれしくなると思っている。

ところが、言霊信者であるDさんだって、「Eさんが、愚痴を言った」「Eさんの愚痴を聞かされた」と思ったときは、うれしくはない状態になるのである。

さあ、うれしくない状態になったとき「うれしいうれしい」と言うと、うれしくなるか?

Dさんの普段の主張にあわせれば、うれしくなるはずなのである。

けど、Dさんは「うれしいうれしい」と言わずに、おこって、Eさんとの付き合いをやめるという決心をしたのだ。自分のことだと、この通り、一切合切、言霊思考にならないのである。

自分が「不愉快だ」と感じたときは、「不愉快だ」と感じたままに思考をして、判断をするのである。

言霊理論にしたがえば、どんなに不愉快な状態でも、「うれしい」と言えば、うれしくなるのだろう。

だったら、Eさんとの一件のときも「うれしい、うれしい」と言えばいいじゃないか。

Dさんも人間だから、ほんとうに「うれしい」と感じる出来事が、人生のなかで、あったと思う。これは、うれしいと自然に感じる出来事があったから、その出来事のあとや、その出来事の最中に、うれしいと感じたのだ。

「うれしい」と言えば、うれしくなるとDさんが言うときの、うれしさのイメージは、実際にうれしいときに感じたときのうれしさのイメージがもとになっている。

Dさんは、自分が一倍速で、腹がたつことを経験しているときは、「うれしい」と言っても、うれしくならないのだけど、それに気がつかないのだ。

人には、「うれしいと言えば、うれしくなる」と言っている。「これが正しい」と言っている。「言霊は絶対だ」と意味不明なことまで、言っているのだ。

問題なのは、Dさんがほかの人に「うれしいと言えばうれしくなる」と言っているときは、相手が「うれしい」と言えば、ほんとうに、相手にとって「理由があるとき」のように、相手がうれしくなると、Dさんが思っているということだ。

うれしくなる理由があるときに、うれしいと思うのは、当然だ。

うれしいと自然に感じることができる出来事が、実際に起こったので、それに対応して、うれしいという感情があふれ出しているのだから、うれしいと感じているわけだ。

このときに感じる「うれしさ」と、不愉快なことがあったのに、「うれしい」と無理やり言うことで発生する「うれしさ」がおなじ程度のものだと、Dさんは考えているのである。

そういうふうに、設定して、考えている。

設定のなかでは、うれしくなる理由があって、うれしく感じるときと、不愉快だと感じる理由があるときに「うれしい」と言うことによって感じる「うれしさ」の、質と量がおなじだと、Dさんは普通に考えているのである。

ようするに、相手にとって、ものすごく、いやなことがあったとき、「うれしい」と言って感じるうれしさ」は、うれしいことが実際にあって感じるうれしさと同等レベルのうれしさだと、言霊主義者であるDさんは、勝手に思い込んでいるのである。

そして、「これが真実だ」と相手に言うのである。

「言ったことが、現実化するので、うれしいと言えば、うれしくなる」「これが真実だ」と言っているときに想定している、相手におけるうれしさの内容は、相手において、うれしいと感じる理由があったときのうれしさと、おなじレベルのうれしさだと、Dさんは思い込んでいるのである。

ものすごく腹がたつ出来事がしょうじた直後に「うれしい」と言うことで、感じる「うれしさ」と、ほんとうにうれしく感じるような出来事がしょうじた直後に「うれしい」と言ったときの「うれしさ」が同等のうれしさだとDさんは思っているのだ。

これ、どうにかならないのか?

Dさん、本人が、「Eさんは愚痴ばかり言う」と腹をたてているときには、「うれしい」と言って問題を解決しようとは思わないのだぞ。

「Eさんは愚痴ばかり言う」と腹をたてているときは、言霊主義者のDさんですら「うれしいうれしい」と言っても、うれしくならない。

「うれしい」と言っても、うれしくならないということを知っているので、不愉快な出来事のあとは、「うれしい」と言わないのである。「不愉快だ」と言うのである。

そして、今後、不愉快な思いをしないように、Eさんとの付き合いを切るというような判断をするのだ。

自分が一倍速で感じていることには、心理的な根拠を感じるのである。

ところが、自分が一倍速で感じていないことには、心理的な根拠を感じないのである。言霊主義者や、相手のみになって考えることが不得意な人は、相手のことであれば、心理的な根拠を感じないのである。

だから、中立的な状態で「うれしい」と言ったときに、「うれしくなったような気がした」というようなレベルの「うれしさ」でも、「うれしい」と言えば、うれしくなると確信してしまう。

中立的な状態で、特に、不愉快なことが発生しなかったときに、「うれしい」と言ったら、うれしくなったような気がしたというレベルのうれしさなのである。これは、弱いレベルのうれしさだ。

そして、言霊主義者は「どんなにつらくても、楽しいと言えば楽しくなる」とか「どんなにつかれていても、元気だ言えば、元気になる」とか「どんなにくるしくても、うれしいと言えば、うれしくなる」というようなことを言うわけだ。

「どんなに」という条件を付ける。

ところが、実生活のなかでは、不愉快な出来事が起これば、「うれしい」と言っても、うれしくならないのである。実生活のなかでは、遠距離通勤をして、ボロボロにつかれているとき、駅のホームで「元気だ」と言っても、つかれたままなのである。元気にならない。

現実生活のなかで、頭にくることがあれば、「楽しい」と言ったって、楽しくならないのである。実際は、言霊主義者だってそうなのである。

自分がおこっているときは「楽しい」と言っても楽しくならないし、「うれしい」と言っても、うれしくならないということを、無意識期には、言霊主義者も知っているのである。だから、そういうときは、言霊的な解決方法を思いつきもしないのだ。

ところが、ほかの人が不愉快だと感じているときは、本人は、現実的な理由があって不愉快になっているわけではないので、軽く考えてしまうのである。

そうすると、教条主義者になって、「言霊の法則は絶対だから、楽しいと言えば楽しくなる」と断言してしまう。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。