たとえば、ある子どもが縄跳びの練習をしたとする。この子どものことをゼット君と呼ぶことにしよう。
ゼット君は、Aという時点で、二重まわしができないので、二重まわしの練習をした。そうたら、Bという時点で、二重まわしができるようになった。
この場合、練習をしたからできるようになったのである。まあ、特に、練習をするという意識がなくて、ちょっとやってみようと思ったら、最初はうまくいかなかったけど、できるようになったという場合だってある。
たとえば、ワイ君も、Aという時点で、二重まわしができなかったとする。
ワイ君は「二重まわしができる」と言って、二重まわしの練習をした。そうしたら、Bという時点で、二重まわしができるようになった。
この場合、「できると言ったからできるようになったのだ」と思う人が出てくる。その人は、言霊の力がワイ君をして、二重まわしができるようにさせたのだと思っているのだ。
言霊主義者は、「言えば言ったことが現実化する」ということの例として、ワイ君の二重まわしの件について、言及するかもしれない。
けど、言霊の力で、ワイ君は、二重まわしができるようになったのだろうか。ちがう。
実際、ゼット君は、「二重まわしができるようになる」と言わなかったのに、二重まわしができるようになった。ワイ君は、不幸にも、「二重まわしができる」と言ってしまったので、言霊の力で、できるようになったという、たいへん不明様なことを言われるようになったのだ。
ワイ君が、練習をしたということは、無視されてしまうのである。けど、これは、無視するべきではない。
実際、ゼット君の場合は、練習したからできるようになった」と認識されるのである。
ところが、ワイ君が「できる」と言ってしまったために、ワイ君ができるようになったのは、できると言ったからだということになってしまったのである。
もちろん、言霊主義者の頭のなかでは、そういうことになったということだ。
ところが、幼児的万能感は、だれにでもあるし、社会的に言霊理論だ正しい理論だということになっていると、普通の人まで、「ワイ君ができると言ったから、できるようになったんだ」と認識してしまうようになるのである。
実際に練習することによって、A時点における「ワイ君の内部環境」がかわったのである。
だから、B時点で、二重まわしができるようになったのである。
言霊は、関係ない。
言霊の力は、関係、ない。
言霊の力で、ワイ君が二重まわしをできるようになったのではないのだ。ワイ君の実際の「行動」が、ワイ君の内部環境をかえたのだ。
神経ネットワーク的な部分を含んだ身体能力が、「できるかどうか」を決めている。言霊の力ができるかどうかを決めているわけではない。
すでにできあがっている身体能力が、練習の量に影響をあたえる。身体的な能力の下地ができあがっていれば、わりとすぐに、二重まわしができるようになる。
たとえば、エックス君は、まだ、生後二か月だとする。当然、二重まわしはできない。二重まわしの練習をすることもできない。
エックス君の親が「二時間練習すれば、エックス君は、二重まわしができるようになる」と言ったって、エックス君は、二重まわしができるようにならない。
成長を待たなければならない。
言霊主義者は、内部環境も外部環境も無視して、「言ったか言わなかったか」を重視する。「できると言った」ということが、できるという結果につながったのだと、本気で思っている。
「言霊の力で、そうなったのだ」と、本気で思っている。
けど、そのような言霊主義者だって、生まれて二カ月しかたってない赤ちゃんが、二重まわしができるとは思わないだろう。
「 二時間練習すれば、エックス君は、二重まわしができるようになる」と言えば、エックス君は二重まわしができるようになるとは、言霊主義者だって思っていないのだ。
これは、「あたりまえだ」と思っていることに関しては、言霊思考にならないということが関係している。赤ちゃんが、二重まわしができないのはあたりまえなのだ。
身体が、二重まわしに対応していない。見ればわかる。
普段は、こういう情報を重視しているのである。重視して、『できる』とか『できない』というような判断をしているのである。
こういう認識について、語られることがないのである。どうしてかというと、言霊の説明をするときは、かならず、「環境の差」を無視するからだ。
環境に関係なく、言えばそうなると言っているのである。そして、何回も説明するけど、「言えば、言ったことが現実化する」という文は、「言えば、一〇〇%の言ったことが、一〇〇%の確率で現実化する」という文と、意味的に等価なのである。
これは、どんな環境でも、どんな場合でも、そうなるということを、意味している。こういう環境だとそうなるけど、こういう環境だとそうならないということを意味していないのである。
ようするに、言ってしまえば、環境に関係なく、言ったことが現実化するということを言っているのである。
しかし、現実の認知というものが成り立っている。だから、言霊主義者でも、赤ちゃんを見れば、赤ちゃんだと認知するのである。
なので、赤ちゃんには、「むりだ」と考えてしまうのである。
これは、赤ちゃんの内部環境を重視して「むりだ」と判断したということだ。たとえば、言霊主義者のCさんは、Dという赤ちゃんを前にして、Dという赤ちゃんには二重まわしは、できないと思ったのである。
その場合、言霊主義者であったとしても、内部環境を考えたということになる。言霊に関する法則性などを述べるときは、かならず、一括処理なのである。内部環境なんて考えないのである。
その人の才能、その人の身体、その人の身体的な能力……そういったものをすべて無視して、「言えば言ったことが現実化する」と言うのである。「できると言えばできる」と言うのである。
内部環境は、ガン無視している。
ところが、そのおなじ言霊主義者でも、赤ちゃんに対しては、赤ちゃんだから、できないと判断してしまうのである。こっちの判断のほうが、言霊的な判断よりも、上なのである。強いのである。
わかるかな? これ、けっこう重要なことなのだけど、言霊主義者は、重要なことだということも、無視してしまう。たぶん、「たしかにそうしている」ということを認めてしまうと、言霊に対する信仰がなくなってしまうので、無視しているということを、頑固に無視するのであろう。
赤ちゃんを見れば、赤ちゃんだとわかる。赤ちゃんが、突然立って、二重まわしをするのは、不自然なのである。不自然だと……言霊思考が成り立たないのである。言霊主義者は、例外なく、普遍的に言霊原理(言霊理論)が成り立つと言っているのだけど、実際には、その言霊主義者であっても、普通に、認知してしまうことは、普通に認知してしまう。普通に、「赤ちゃんには無理だ」と思ってしまう。
えっーー。どうして、赤ちゃんだとむりなのか。
言えば言ったことが現実化するのだから、「赤ちゃんが立って、縄跳びの二重まわしをする」と言えば、赤ちゃんが立って、縄跳びの二重まわしをするのである。どうしてかというと、言ったことが現実化するからだ。
言霊理論を重視して考えればそうなるのである。ところが、言霊主義者と言えども、むりそうなことはむりだと考えてしまうのである。
「言ったって、現実化されない」と思っているのである。
時間に対する制限はないのだ。言霊理論というのは、言ったことが現実化するということだから、言った内容に、制限はないのである。「二秒以内に、この赤ちゃんが、立って、二重まわしをする」と言えば、言っただけで、この赤ちゃんが、立って、二重まわしをするのである。
ところが、言霊主義者だって、「むりだ」と思うのである。言ったことが、現実化されないと思うのである。
だから、言霊主義者は、「いつかそうなる」という理論を展開する。これは、言い逃れだ。成長を待てば、この赤ちゃんが、いつか、二重まわしができるようになるのだから、言霊理論は正しいと、くるしい言い訳をするのである。
成長を待つ必要なんてないのである。「一秒以内に、一〇年ぶん成長する」と言えば、「一秒以内に、一〇年ぶん、成長する」のである。言霊理論が正しいとすると、そうなるのである。ところが、言霊理論は正しくないので、一〇年ぶん、成長しないのである。
実際に、一〇年の時間がすぎるのをまって、そのとき、この赤ちゃんと同一の存在が、立って、二重まわしをすればいいということにはならないのである。
それだと、言ったのに、言った内容が、現実化されないということになってしまうのである。「一秒以内に、一〇年ぶん、成長する」と言ったら、「一秒以内に、一〇年ぶん、成長する」のである。それ以外は、ない。言霊理論が正しいなら、そうなる。
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言霊主義者は、妄想をしているだけなのである。本人にとって、妄想の内容が不自然だと思ったら、妄想の内容は、言っても、現実化しないと思っているのである。
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たとえば、言霊主義者ではないエスさんが、言霊主義者であるティーさんに、ゼット君が、「二重廻しができる」と言ったあと、練習をしたら、二重廻しができるようになったと、言ったとする。エスさんは、ティーさんに対して、嘘をついたのだ。
その場合、ティーさんは、「言ったから、できるようになった」と確信するだろう。「二重廻しができると言ったから、二重廻しができるようになったのだ」と確信するだろう。ところが、これは、エスさんが言った嘘なのである。ほんとうは、ゼット君は、「二重廻しができる」と言わなかった。言わなかったのに、練習をしたら、二重廻しができるようになった。
だから、ゼット君の場合は、言霊が関与していないということがあきらかなのである。言霊の力が、ゼット君の練習に、ほんのちょっとでもかかわるということがないのである。
だから、ティーさんは、勝手に、言霊のおかげで、ゼット君は、二重まわしができるようになったと思っただけなのだ。
エスさんが嘘をついた。ゼット君は言わなかった。
だから、ゼット君が二重まわしをできるようになったということについて、言霊の力は一切合切かかわっていない。なので、この場合、言霊主義者が勝手に、誤解をしているだけだということが、あきらかだ。
ゼット君は言わなかった。言霊主義者が「言ったからそうなった」と勘違いして思っているだけなのだ。
ようするに、言霊なんてものは、言霊主義者の頭の中にしかないものなんだよ。言霊の力は、言霊主義者の頭のなかでは、実在して、効力を発揮するものなのだけど、現実世界では、存在しないし、効力を発揮しない。
言葉の力が効力を発揮することはあるよ。けど、それは、言霊の力ではなくて、言葉の力だ。これも、トリックなんだよ。トリック。
