言霊主義者は、「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化される」ということは、正しいと思っている。言霊主義者は、「事実だ」「真実だ」と言って、聞かない。
言霊主義者にとっては「言えば言ったことが、現実化する」というのは、事実だから、「事実だ」と言って、認めないのである。言霊主義者にとっては「言えば言ったことが、現実化する」というのは、真実だから、「真実だ」と言って、認めないのである。
その言霊主義者が、精神世界の人で、普段は「相手をかえるのは、むりだから、自分がかわるしかない」などと言っていたって、自分が真理だと思っていることを否定されたら、おこって、否定するのである。
相手が言っていることを否定して、自分が言っていることが真理だと主張するのである。
自分がかわるのではなくて、相手をかえようとするのである。
さらに言ってしまえば、その言霊主義者が精神世界の人で「すべてに感謝感謝」と言っていたって、自分が真理だと思っていることを、真理ではないと言ってきた相手には感謝しないのである。自分が真実だ当言っていることに関してもおなじである。
さらに言ってしまえば、その言霊主義者が精神世界の人で「すべては自己責任」と言っていたって、「自分が真理だと思っていることを、否定された」のは、自分の責任だとは思わずに、相手が「自分が真理だと思っていることを、否定した」のだから、これは、相手の責任だと思うのである。
相手がやったことだから、相手の責任だと思うのである。
さらに言ってしまえば、自分が真理だと思っていることを、否定した相手には、親切にしないのである。逆に、意地悪なことをしてやろうと思ったり、意地悪なことを言ってやろうと思うのだ。意地悪なことを言わない場合も、皮肉ぐらいは、言いたくなって、言うということになりがちだ。
さらに言ってしまえば、過去否定論者でも、過去において、自分の意見を否定した人には、しかえしをしてやろうと思うことが多いのである。AさんとBさんがいたとする。Aさんは、過去否定論者で、言霊主義者だ。Bさんが、過去において、言霊理論を否定したとする。そうすると、Aさんは「この人(Bさん)が、自分が真理だと思っていることを否定した」ということを重視するのである。「この人」に対して、いやな感じがしょうじるのである。
過去は関係がないのではなくて、過去の出来事を重視するのである。
過去の出来事が、その人の認識をつくりだしたのである。その人というのは、この場合は、「自分が真理だと思っていたことを(だれかに)否定された」言霊主義者であり、同時に過去否定論者である人のことだ。
さらに言ってしまえば、言霊主義者であり、なおかつ、「人に親切にすればいいことがある」と言ってる人だって、自分が真理だと思っていることを否定した相手には、親切にしないのである。逆に、意地悪をするようになるのである。
そういう感情が、言霊主義者や精神世界の人たちのなかにも、しょうじやすいのである。
まあ、「自分が真理だと思っていたことを否定した相手にも」親切にする場合もある。それは、そういう場面もある。メタ認知があるからね。良心にしたがって、行動することがある。
「自分が真理だと思っていたことを否定した相手」に対しても、良心に従って、行動することはある。ある。
この良心というのは、別に、精神世界につかっいない人でも、持っているものだ。ようするに、精神世界の考え方と、根本的な良心は、関係がないのである。
精神世界のなかで言われていることと、根本的な良心は、関係がないのである。
 
