「努力をすれば現実化する」という言い方もある。
DさんとEさんに登場してもらおう。
たとえば、Dさんが「Eさんがポジティブなことを言った」と受け止める努力をすれば、Dさんは「Eさんがポジティブなことを言った」と受け止めることに成功するのである。
成功しないのであれば、努力がたりなかったということになる。
しかし、ほんとうは、ちょっとでも努力をすれば、成功をするのである。努力をするということに関しても、ほんとうは、「努力をするという値」と「努力をしないという値」しかない。
「努力をするという値」と「努力をしないという値」の二値しかないのである。
ここにも、じつは、だましのたねがぶちこまれている。
努力をするということが、そもそも、一意には決まらないことなので、もっともっと、意味があいまいになる。
そのあいまいさは、「努力がたりなかったのだ」という決めつけを誘導するのである。