引き寄せの法則について、ちょっとだけ言っておこう。また、ポーカーの例になるけど、ブタの人が負けやすいのは、ブタだからなのだ。
ところが、引き寄せの法則という考え方を導入すると、「役がないカードをもっている」という条件が、自動的に無視されてしまう。
すべて、自分が思っていることが引き寄せられているだけだという言い方になるのである。
ようするに、ブタの人は、負けることを引き寄せているのである。ロイヤルストレートフラッシュをもっている人は、勝つことを引き寄せているのである。
けど、ブタ(役がない)という条件や、ロイヤルストレートフラッシュをもっているという条件は、捨象されてしまう。ブタの人が負けやすいのは、「自分は負けやすい」というセルフイメージもっているから、負けやすいのだということを……引き寄せ信者は言うのである。
勝つことを引き寄せるには「勝つことを引き寄せている自分」を想像すればいいということになる。勝っている自分を想像すれば、勝つことを引き寄せられるということを言いだすのだ。これも、言霊の思考とおなじように、逆転の思考なのだ。
ところが、逆転の思考というのは、事実を無視してしまう。「条件」を無視してしまうのである。ブタという条件をもっている人は、実際に、負けやすいのである。ブタという条件をもっている人は、自分と同様にブタという条件をもっている人と、引き分けになる場合を除いて、負けるのである。
これは、ブタをもっている人の「セルフイメージ」の問題ではない。
ブタを実際に持っているということが問題なのだ。
けど、これをセルフイメージの問題に書き換えてしまうのだ。あるいは、言い換えてしまうのだ。あるいは、置き換えてしまうのだ。
そうなると、「悪いセルフイメージをもってるやつが悪い」というとになる。「負けるというセルフイメージをもっているから、負けるのだ」ということになる。勝つためには、勝つというセルフイメージをもてばいいということになるのである。
ところで、たしかに、ブタの人は、ブタの人と引き分ける以外は、負けるので、負けるというセルフイメージができやすいのだ。事実、負ける回数が、役をもっている人よりも多いので、自分は負けやすいというセルフイメージをもってしまうのだ。
セルフイメージがさきで、役が悪いという現実があとなのではなくて、役が悪いという現実がさきで、セルフイメージがあとなのだ。「負けやすい」というセルフイメージが負けやすい状態をつくっているわけではない。
けど、連続して起こっていることに関しては、どっちがさきなのかということについて、人は鈍感になってしまう。「セルフイメージがさきなのだ」と言われると、「そうなのかな」「そうなんだろう」と思ってしまう人がいる。
けど、これは、まちがっている。
「負ける回数が多い」という現実がさきなのだ。
勝っている人の場合もおなじで、「勝っている回数が多い」という現実がさきなのだ。これに関しては、いろいろと問題がある。
たとえば、実際には負けた回数が多い人が、自分は勝ちやすいというセルフイメージをもっていたというようなこともありえるからだ。これは、認識の問題だ。実験で、現実を切りだすとき、それまでに経験してきたことを捨象して、その実験内の、回数を問題にしてしまう。
なので、「こういう傾向の人がいる」ということになる。その場合、ポジティブなセルフイメージをもってる人が優れているという印象をあたえるけど、これもどうかなと思う。ぼくはね……。
この文脈だと、負けた回数が多いのに「自分は勝ちやすい」と思っている人のほうが、ポジティブでいいということが言われる。けど、一〇〇回中、九九回負けているのに、自分は勝てると思っている人が、カケゴトにはまるのである。
そして、実際に、負けているのに、自分は勝てるというセルフイメージにしたがって、確率が悪いかけをするのである。
ときどき勝つことがあるのだ。ときどき勝ったときのイメージが強く残って、何回も負けているときのイメージが残らないタイプなのである。そういう人たちは、負けた回を無視してしまう。
一〇〇日のなかで、一日に一回、パチンコをして、九九日負けて、一日だけ勝った人がいるとする。一日に損をする額と、一日に、儲けたときの最高額を決めないと、トータルで、損をしたのか得をしたのかはわからない。
けど、まあ、一日に一万円使って、勝った日に一〇万円儲けたとする。
そうすると、一〇〇万円使って、九万円儲けたことになる。勝った日も一万円使っているので、九万円儲けたということになる。一〇〇万から九万をひいて、九一万円損をしたということになる。トータルでは九一万円損をしたということになる。
ところが、一回の「勝ったセルフイメージ」だけが記憶に残って、まけた九九回のことは、忘れてしまったとしよう。
そうなると「自分は勝てる」と思っているので、パチンコに行くことをやめられなくなる。ポジティブだけど、これはこれで問題だ。かけ事の中毒に関しては、たしかに、セルフイメージがかかわっているのである。
かけ事にはまる人の多くは「自分なら勝てる」といったポジティブなセルフイメージがあるのである。けど、現実は、「負け」を引き寄せている。引き寄せというタームを使うとそういうふうに表現できる。
引き寄せ理論のなかでは、「勝つ」というイメージをもっていると、勝つという現実を引き寄せられることになるのだけど、実際にはちがう。
けど、引き寄せ信者は、あとだし思考があるので「負けた人は」負けを引き寄せているのだと言い換えることができるのだ。自分のなかのセルフイメージだけが問題なのだというところは、否定しないのである。負けている人は、じつは負けるというイメージをもっている人なのだと、後出しで、決めてしまう。
ここらへんの決めつけは、あとだしで自由自在なので、引き寄せ理論にあうように、現実を言いかえることができるのだ。
じつは、「負ける」というイメージもっていたんだということにすれば、引き寄せ理論は正しいということになってしまうのである。ようするに、負けた人は、「勝てるイメージ」を「勝てるほど」うまくもてなかった人なのだということになる。
あとだしなので、なんとだって言える。
どうして、引き寄せる方法に興味を持ってしまうのかというと、欠乏感があるからなのだ。すべてのほしいものをすでに持っている人が、引き寄せの方法なんかに興味をもつはずがない。自分がほしいと思ったらほしいものを手に入れることができるというセルフイメージをもっている場合、いまさら、引き寄せの方法なんかに興味をもつかな?
実際に、手に入れることができるので、いまさら、引き寄せの方法なんかに興味をもたない。
カネがないと、カネを引き寄せようと思うのである。すでに、じゅうぶんな金をもっている場合は、別に、カネを引き寄せようとは、思わない。
だって、すでに、自分がじゅうぶんだと思うカネがあるのだから。欠乏を感じると、引き寄せたくなるのである。
カネはもっているけど、じゅうぶんではないと考えている場合は、カネを引き寄せようとする意欲が発生しやすい。
もっとも、現実的な方法で、ほしいぶんのカネを手に入れることができる人は、おまじないのような引き寄せ方法に頼らなくても、すぐに、ほしいぶんのおカネを手に入れることができる。 
引き寄せ方法に興味を持ってしまうのは、欠乏感があるのに、現実的な方法では、「それ(引き寄せたいもの)」を手に入れることができないからなのだ。……おぼえておこう。
