2025年9月12日金曜日

●「悪いセルフイメージをもってるやつが悪い」■引き寄せ※2025/09/11 3:56

引き寄せの法則について、ちょっとだけ言っておこう。また、ポーカーの例になるけど、ブタの人が負けやすいのは、ブタだからなのだ。

ところが、引き寄せの法則という考え方を導入すると、「役がないカードをもっている」という条件が、自動的に無視されてしまう。

すべて、自分が思っていることが引き寄せられているだけだという言い方になるのである。

ようするに、ブタの人は、負けることを引き寄せているのである。ロイヤルストレートフラッシュをもっている人は、勝つことを引き寄せているのである。

けど、ブタ(役がない)という条件や、ロイヤルストレートフラッシュをもっているという条件は、捨象されてしまう。ブタの人が負けやすいのは、「自分は負けやすい」というセルフイメージもっているから、負けやすいのだということを……引き寄せ信者は言うのである。

勝つことを引き寄せるには「勝つことを引き寄せている自分」を想像すればいいということになる。勝っている自分を想像すれば、勝つことを引き寄せられるということを言いだすのだ。これも、言霊の思考とおなじように、逆転の思考なのだ。

ところが、逆転の思考というのは、事実を無視してしまう。「条件」を無視してしまうのである。ブタという条件をもっている人は、実際に、負けやすいのである。ブタという条件をもっている人は、自分と同様にブタという条件をもっている人と、引き分けになる場合を除いて、負けるのである。

これは、ブタをもっている人の「セルフイメージ」の問題ではない。

ブタを実際に持っているということが問題なのだ。

けど、これをセルフイメージの問題に書き換えてしまうのだ。あるいは、言い換えてしまうのだ。あるいは、置き換えてしまうのだ。

そうなると、「悪いセルフイメージをもってるやつが悪い」というとになる。「負けるというセルフイメージをもっているから、負けるのだ」ということになる。勝つためには、勝つというセルフイメージをもてばいいということになるのである。

ところで、たしかに、ブタの人は、ブタの人と引き分ける以外は、負けるので、負けるというセルフイメージができやすいのだ。事実、負ける回数が、役をもっている人よりも多いので、自分は負けやすいというセルフイメージをもってしまうのだ。

セルフイメージがさきで、役が悪いという現実があとなのではなくて、役が悪いという現実がさきで、セルフイメージがあとなのだ。「負けやすい」というセルフイメージが負けやすい状態をつくっているわけではない。

けど、連続して起こっていることに関しては、どっちがさきなのかということについて、人は鈍感になってしまう。「セルフイメージがさきなのだ」と言われると、「そうなのかな」「そうなんだろう」と思ってしまう人がいる。

けど、これは、まちがっている。

「負ける回数が多い」という現実がさきなのだ。

勝っている人の場合もおなじで、「勝っている回数が多い」という現実がさきなのだ。これに関しては、いろいろと問題がある。

たとえば、実際には負けた回数が多い人が、自分は勝ちやすいというセルフイメージをもっていたというようなこともありえるからだ。これは、認識の問題だ。実験で、現実を切りだすとき、それまでに経験してきたことを捨象して、その実験内の、回数を問題にしてしまう。

なので、「こういう傾向の人がいる」ということになる。その場合、ポジティブなセルフイメージをもってる人が優れているという印象をあたえるけど、これもどうかなと思う。ぼくはね……。

この文脈だと、負けた回数が多いのに「自分は勝ちやすい」と思っている人のほうが、ポジティブでいいということが言われる。けど、一〇〇回中、九九回負けているのに、自分は勝てると思っている人が、カケゴトにはまるのである。

そして、実際に、負けているのに、自分は勝てるというセルフイメージにしたがって、確率が悪いかけをするのである。

ときどき勝つことがあるのだ。ときどき勝ったときのイメージが強く残って、何回も負けているときのイメージが残らないタイプなのである。そういう人たちは、負けた回を無視してしまう。

一〇〇日のなかで、一日に一回、パチンコをして、九九日負けて、一日だけ勝った人がいるとする。一日に損をする額と、一日に、儲けたときの最高額を決めないと、トータルで、損をしたのか得をしたのかはわからない。

けど、まあ、一日に一万円使って、勝った日に一〇万円儲けたとする。

そうすると、一〇〇万円使って、九万円儲けたことになる。勝った日も一万円使っているので、九万円儲けたということになる。一〇〇万から九万をひいて、九一万円損をしたということになる。トータルでは九一万円損をしたということになる。

ところが、一回の「勝ったセルフイメージ」だけが記憶に残って、まけた九九回のことは、忘れてしまったとしよう。

そうなると「自分は勝てる」と思っているので、パチンコに行くことをやめられなくなる。ポジティブだけど、これはこれで問題だ。かけ事の中毒に関しては、たしかに、セルフイメージがかかわっているのである。

かけ事にはまる人の多くは「自分なら勝てる」といったポジティブなセルフイメージがあるのである。けど、現実は、「負け」を引き寄せている。引き寄せというタームを使うとそういうふうに表現できる。

引き寄せ理論のなかでは、「勝つ」というイメージをもっていると、勝つという現実を引き寄せられることになるのだけど、実際にはちがう。

けど、引き寄せ信者は、あとだし思考があるので「負けた人は」負けを引き寄せているのだと言い換えることができるのだ。自分のなかのセルフイメージだけが問題なのだというところは、否定しないのである。負けている人は、じつは負けるというイメージをもっている人なのだと、後出しで、決めてしまう。

ここらへんの決めつけは、あとだしで自由自在なので、引き寄せ理論にあうように、現実を言いかえることができるのだ。

じつは、「負ける」というイメージもっていたんだということにすれば、引き寄せ理論は正しいということになってしまうのである。ようするに、負けた人は、「勝てるイメージ」を「勝てるほど」うまくもてなかった人なのだということになる。

あとだしなので、なんとだって言える。

どうして、引き寄せる方法に興味を持ってしまうのかというと、欠乏感があるからなのだ。すべてのほしいものをすでに持っている人が、引き寄せの方法なんかに興味をもつはずがない。自分がほしいと思ったらほしいものを手に入れることができるというセルフイメージをもっている場合、いまさら、引き寄せの方法なんかに興味をもつかな?

実際に、手に入れることができるので、いまさら、引き寄せの方法なんかに興味をもたない。

カネがないと、カネを引き寄せようと思うのである。すでに、じゅうぶんな金をもっている場合は、別に、カネを引き寄せようとは、思わない。

だって、すでに、自分がじゅうぶんだと思うカネがあるのだから。欠乏を感じると、引き寄せたくなるのである。

カネはもっているけど、じゅうぶんではないと考えている場合は、カネを引き寄せようとする意欲が発生しやすい。

もっとも、現実的な方法で、ほしいぶんのカネを手に入れることができる人は、おまじないのような引き寄せ方法に頼らなくても、すぐに、ほしいぶんのおカネを手に入れることができる。 

引き寄せ方法に興味を持ってしまうのは、欠乏感があるのに、現実的な方法では、「それ(引き寄せたいもの)」を手に入れることができないからなのだ。……おぼえておこう。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。