夢や希望に関しては「予言成就型」なのである。
「言った」から「現実化する(だろう)」ということなのだ。他人のことだと、自分のことではないので、「予言成就型」になってしまうのである。
相手が、くるしい経験をしたのは「くるしい」と言ったからなのだ。言霊主義者の頭のなかでは、そうなってしまう。
相手には、相手の一倍速の経験がある。
その一倍速の経験のなかで、感じたことがあるのである。それを、言霊主義者は、相手のことだからと、無視してしまう。相手が一倍速で経験して、その結果、そうなったということもある。ところが、言霊主義者は、相手のことだからと、「経験の結果」を否定してしまう。言霊主義者にとっては「そんなことはない」のだ。
一倍速のプロセスのなかでつかれたって、相手がつかれたのであれば、そんなことはないので、「元気だ元気だ」と言えば、すぐに、元気になると思っているのである。
言霊主義者は、思っているのである。何度も言うけど、相手が経験した「つかれるプロセス」を言霊主義者は、経験していない。どうしてかというと、相手の経験であって、自分の経験ではないからだ。
自分の経験でないことは、平坦な言葉で表現した部分しか受け取らないのである。背後にあるほんとうの経験について(言霊主義者は)考えることができないのである。
どうしてかというと、相手の経験だからだ。
平坦な言葉で表現した部分が、言霊主義者にとっては、「すべて」なのである。そのことに関係する、「相手の経験」の「すべて」なのだ。
夢や希望に関しては、基本的に、かなってほしいことだから、「予言成就型」になるのだけど、相手のことだと、過去にもどって、そういう言ったから、そうなったというかたちの「予言成就型」になるのである。
とりえず、「他人・ネガティブ予言成就型」と言っておこう。
神経質な人だと「自分・ネガティブ成就型」になってしまう場合もある。「なにか(自分が)ネガティブなことを(気がつかずに)言ってしまったのではないか」ということが、気になるタイプの人がいる。
しかし、たいていの言霊主義者は「自分・ネガティブ成就型」の思考をしない。
多数派の言霊主義者は、自分の身に、一倍速で起こったことは、言霊的な思考を一切合切しないのである。
「相手がこういうことを言ったから、腹がたった」と思うだけなのである。自分がさきに「相手がこういうことを言う」ということを言って、その「予言」が成就されたとは、夢にも思わないのである。
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神経質な言霊主義者の場合「自分・ネガティブ成就型」になってしまう場合もあるのだけど、神経質な言霊主義者がいつも「自分・ネガティブ成就型」の思考になってしまうのかというと、そうではない。
神経質な言霊主義者も、相手の対応におこっているときは、「予言成就」型の思考をしないのである。
この場合の予言成就というのは、自分が言ったので、言ったことが現実化したというような考え方のことである。
ごく自然にはじまる、相手とのトラブルは、別に、予言したことではないのだ。
ごく自然に、トラブルが発生するわけである。
その場合、「自分が言ったかそうなった」「自分が言ったから、そういうトラブルが発生した」とは考えないのだ。
神経質な言霊主義者が「自分・ネガティブ成就型」の思考になってしまうときは、神経質な言霊主義者が不幸を感じているときなのである。人生のなかでの「不幸」というものに思いを巡らしているときに、「自分・ネガティブ成就型」の思考になってしまうことがあるのだ。
しかし、普段は、ほかの言霊主義者とおなじように、神経質な言霊主義者も、本人が「あたりまえだ」と思うことに関しては、「言霊の力」をまったく感じないのである。