2025年9月29日月曜日

●ところが、みんな、みんな、そんなことは、しない■精神世界※2025/09/28 17:03

 精神世界で言われていることというのは、「弱い立場の人」「こまっている人」を追いつめることなのである。

きちがい的な親に虐待されている子どもがいるとする。きちがい的な親は、きちがい的な親の内部的な環境によって、きちがい的な反応をしているのだ。

だから、子どもの姿が、自分の目の中に入ったら(見える範囲に入ったら)……そのまま、きちがい的な理由をつけて、いかりくるうということをするのである。

子ども側の人が「やめて」と言ったってやめないのである。

しかし、たとえば、言霊主義者は、子ども側の人が「虐待される」と言ったから、虐待されたということを言いだすのである。

思霊主義者は子ども側の人が「虐待される」と思ったから、虐待されたということを言いだすのである。

引き寄せ主義者は、子ども側の人が「虐待される」ことを引き寄せてしまったからダメなんだと言い出すのである。

受け止め方主義者は、子ども側の人が「虐待される現実」を創造していると言い出すのである。

それぞれの、対応策について言っておこう。

言霊主義者の対応策は「きちがい的な親は虐待しない」と言えばいいということになるのである。

思霊主義者の対応策は「きちがい的な親は虐待しない」と思えばいいということになるのである。

引き寄せ主義者の対応策は「虐待されないことを強くイメージすればいい」ということになるのである。

受け止め方主義者の対応策は、「ネガティブなことも、受け止め方をかえれば、ポジティブなことになるから、虐待されたと受け止めずに、いいことが起こったと受け止めればいい」ということになるのである。

全部、使えない対応策なのである。

まったく無意味な対応策なのである。

けど、精神世界の人は、有効な対応策だと思ってうたがわない。

「無意味な対応策だ」と言うと、言われただけで、おこってしまう傾向がある。そして、自説をゆずらずに、繰り返すということになる。

精神世界の人が、ゆずってくれることは、まずないのである。言霊主義者が言っているとが、ほんとうなら、言霊主義者が「その親は、二度と虐待しない」と言えば、それで、解決してしまう問題なのである。

思霊主義者が「その親は、二度と虐待しない」と思えば、それで、解決してしまう問題なのである。引き寄せ主義者は、「いい親を引き寄せてあげればいい」のである。

受け止め方主義者は、「すべては受け止め方の問題だ」という受け止め方を、かえればいいのである。「受け止め方の問題には還元できない部分がある」ということを認めればいいのである。

ようするに、「すべては受け止め方の問題だ」という受け止め方をかえて、「すべてを受け止め方の問題にするのは、よくないことだ」と受け止め方をかえればよいのである。

そして、「虐待されたほうが、虐待されたと認識するから、虐待されたという世界ができあがる」ということを言ったということを、反省するべきなのである。

ところが、ぼくの知る範囲では、みんな、みんな、そんなことは、しない。

そういうレベルだ。

ぼくの知る限りでは、精神世界の人は「教条主義はよくない」ということを、よく言うけど、彼らの多くは教条主義になっている。自分のドグマで縛られている。

*     *     *

人には「受け止め方をかえればいい」と言っている人だって、自分が一倍速で経験していることに関しては、自分が侮辱されたと思ったら、おこるのである。受け止め方をかえれば、おこらなくてもいいわけだから、その考えを実践しているわけではない。

自分が一倍速で経験していることに関しては、自分が、ちょっとでも不利な立場に立てば、不満を感じるのである。人には「受け止め方をかえればいい」と言っている人も、普通に不満を感じるのである。受け止め方をかえて、不満を感じないようにするということは、しないのである。

受け止め方の問題だから、不満を感じたときは「うれしい」と受け止め方をかえればよいのである。ところが、自分が、一倍速で経験していることに関しては、その人たちも、受け止め方をかえないのである。

自分が一倍速で経験にしていることに関しては、受け止め方主義者も、自分の受け止め方に固執するのである。事柄が中立的に発生しているから、自分の受け止め方をかえればいいと思って、受け止め方をかえたりしない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。